質問ではないので、投稿していいのかわかりませんが… 不謹慎だとは重々承知の上ですが、先日祖父のお葬式でお経を唱えていただいた住職さんがとても素敵な人で久しぶりにキラキラした気持ち(?)になりました。 祖父が亡くなったこと、また来月から新しい環境に行く予定で、それが苦しい日々になることが分かっているので憂鬱な気持ちが続いていましたが、そんな気持ちから少し離れることができました。 多分ですが近くのお寺の住職さんなので行こうと思えば行けますが、多分行かないしもう会うことはきっとないんだろうなぁと思うと悲しいです。(もし会えたとしても何もできない笑)が、あのキラキラした気持ちになれたこと、また心のこもった御経を唱えていたいたことに感謝したいです。祖父も嬉しいと思います。ありがとうございました。 質問ではなくて申し訳ありません。
お坊さんには霊感はあるのでしょうか? 父はそこそこ強いほうですが、自分は全く視えません。 また、お坊さんには霊感というものはあるのでしょうか?
職種によって違うと思いますが 大変な状況にも関わらず 冷静な判断や対応が出来る人を見て 「さすがプロやな!」 「これぞプロの技!」 と驚かされた経験はあると思います また自分自身においても 仕事をしているときなどに 普段なら冷静さを失いそうな場面に直面しても 何故だか不思議と平穏な心が保てる 「これが私の仕事だから」 「これぐらいなら大丈夫」 と落ち着いて対応できている自分にふと気付くこともあると思います 以前お坊さまめ足が痺れますか?と質問した時にも 「そう言えば痺れないなぁ」 というようなお答えがあり 「プロだな!」 と感心させられました 私も自分でも不思議ですが仕事柄 「そう言えば焦りがない」 「全然平気だなぁ」 と思えることがあって 「これが私の仕事だから」 という"プロ意識"というか"身に付いたスキル"のようなものがあるんだなと感じました 私の場合だと 大量出血している人を見たり開腹して内臓が見えている人がいても 怖いとか焦るとかそういう心境にはならず ひたすら淡々と対処していくことが出来る それが仕事をする上で必要な訓練でありスキルなんだろうなと感じていました すごい!とか思うようなことではありません ただ何故か冷静でいるべき時に冷静でいられる お坊さま方にもそういう"プロ意識"と呼べることがあると思います 自意識過剰とか単なる慣れとかではなく 何らかの「これが自分の仕事である」と思えるようなことがあると思います どんなことに対して 自分は不思議と冷静でいられるとか 何故だか平穏な心でいられるなという 『お坊さまあるある』 (身に付いたスキル) を教えていただきたいと思いました 修行や訓練を積むことで出来ること 不思議な体験や心境などを是非お聞かせ下さい
法事の時にいつも思うのですが、お坊さんは一体幾つのお経を覚えているんですか。修行の卒業(?)までに幾つ覚えるとか決まりはあるのですか?うちは曹洞宗ですが、3人くらいお坊さんが来られる時のお通夜やお葬式で、打ち合わせとかないのに、みんなが息を合わせてシンバルや太鼓みたいのや鐘を「チーン、ドーン、シャーン!」とゆっくりしたり早くしたりしながら鳴らすのがタイミングがぴったり合っていて間違えないのがすごいと思います。 あとお通夜などでご高齢の方丈さんなんかが30分以上もわりと大きな声でお経を唱えているのに呼吸のための肩がほとんど動きません。お経を読むときの特殊な声の出し方や呼吸の仕方があるのでしょうか。
Différence entre BUTSUGO et FUTSUGO 仏語(ぶつご)と仏語(ふつご)の違い BUTSUGO→L'enseignement du Bouddha 仏語→仏様の教え FUTSUGO→français 仏語→フランス語 Les kanji sont les mêmes, mais le sens est différent 漢字は同じだけど意味は違う Comment les Français pensent-ils cela? フランス人はこのことをどう思うのだろう? Je me sens comme un auspicieux d'un japonais 日本人からしたら縁起が良い気がする Je suis heureux si je suis ... 私なら嬉しく思うけれど… Pensez-vous que les Français sont reconnaissants pour ce fait? この事実をフランス人もありがたいと思うのだろうか? J'aimerais pouvoir être heureux comme moi… 私と同じように嬉しく感じてもらえたらいいなぁ… J'y pense à minuit そんなことを真夜中に考えている Mon modeste bonheur 私のこのささやかな幸せ Qu'en pense le moine? お坊さまはどう思われますか?
諸事情により専修学院、真別所での修行が出来ません。 現在のお寺では教える側は住職のみで、人出がないため困難と言われました。 加行いただけるところは山内にありますでしょうか? なければ自分で勉強をして救済していくしかないのでしょうか? どうかお助けください。
最近、お坊さんとお話させてもらったり、お話を聞く機会が増えて、SNSでも交流が増えたからなのか、職場の人と会話中、「娑婆」等、お坊さんが使ってそうな言葉を無意識に使ってした。 娑婆とか言うなと言われます。 お坊さんのどこが、そんなに良いの?と言われますが、好きなのは、どうしようもないです。 どうして、お坊さんを好きになったらダメ。と言う人が多いんでしょう?
どうもこんばんは 半年ほど前からちょくちょく剃髪をしているのですが剃髪後の再剃髪についてお尋ねします。 私自身、(毛根の)生存欲が大変強く、強固に幅広く繁栄しているため 頭全体を1日放っておくとバスタオルで拭いた時や暖簾をくぐった時に首を持っていかれ、 3日放っておくとマジックテープの固い部分になり、 5日放っておくと金タワシみたいな手触りになります。 毎日剃れば良いのですが、若干カミソリ負けしてしまい頭皮がヒリヒリします。 5日ほど置いて剃った場合は、髪が伸びすぎて剃るのに時間がかかります。 そこで二つ質問なのです。 ①宗派によっては4日、9日の5日に一度しか剃らないという事ですが、そこまであけてしまった場合、剛毛で毛根が死んでいないお坊様はどのように手際よく剃られているのでしょうか。 ②毎日剃る場合は、毎回少しカミソリ負けをし有髪時より使っている毛穴の油を取るシャンプーで洗った時にしみたりするのですが、これは慣れるのでしょうか。 ちなみに私が使っているのは、ジレットの電動安全カミソリ5枚刃でシェーピングクリームです。
亡くなった祖父の代から法要や月命日にお願いしている真宗大谷派のお坊さんなんですが、月命日にお経のために来ても、経本も開かず、両手を両袖の中に入れて、お経を上げて特に話もせず、帰ります。 先日、祖母が、亡くなりお通夜と告別式をお願いしました。自分も数度お通夜や告別式をに参列した事があるのですが、大体のお坊さんがお通夜の後に、故人との別れ方や、これからの生活していく上での心構えをお説教して下さるのですが、そのお坊さんは、お説教どころか、遺族や親族に対して会釈する事もなく、お経が終わればさっさと退室する。告別式でも全く同じでした。お付きの若いお坊さんの方はしっかり会釈して下さりどちらが位が高いのかわからない始末でした。 このお坊さんを、続けていくかどうか以前から親とも話していたのですが、今回の件で親にもう他のお寺さんに変えようと提案したのですが、49日の、お金まで払っているため変えられないと言っていました。 本当にお寺さんは変えられないのでしょうか?それと変えるタイミングいつがいいのでしょか?教えてください。
シンプルな質問ですが、お坊さんはずっと正座をしていますよね?足が痺れたりしないですか?痺れていたら我慢して歩いているのでは?と思ったりしていますよ。 僕は痺れますけどねぇ… 痺れないコツとかあったら教えて下さい。
「AI(人工知能)なんかに負けたくない!」 なんて思ったりしていても 「さすがAIやなぁ…」 と思ったりもします。 今はまだAIには出来ないことがたくさんありますが、人が安易にAIに頼る世の中になっていったら、もしかしたら、近い未来、人に出来ないのにAIなら出来ることも出てくるかも知れませんよね。 もしAIお坊さまが開発されたら、お坊さまはAIお坊さまに、どんなことを問うてみたいですか?
お坊さまの声は大きくて深くて大人っぽい 私の声は小さくて浅くて子どもっぽい お坊さまのような声は憧れます 私ももう40なのだから40らしい声になればと思うこともあります でも昔から声優に向いていると言われているぐらい特徴ある声で 時にはラッキーに思うこともあって… ピンポン鳴って見知らぬ人が立っていたら微かな声で「は~い」と出ると「お忙しいところ失礼します~◯◯新聞ですが…」と勧誘だと分かったら「あのね~今みんな出かけているの」と言うと大概「じゃあまたお母さんがいるときに来ますね~」とあっさり諦めて帰ってくれる ピロロロと家の電話が鳴るけど見覚えのない番号なら微かな声で「もしもし~」と出ると「こちら△△建設の□□と申します!この度は無料の耐震検査のご案内で…」としゃべり倒されたとしても途中で「あの…あのね、今誰もいないの」と言うと大概「えっと…おばあちゃんは何時ぐらいに帰ってくるかなぁ?」「うーん…分からない」「お留守番偉いねぇ!じゃあまた電話しますね」と優しく電話を切ってくれる 「今誰もいない」が40の私がいる 「おばあちゃん」って私は母の孫じゃない 姪や甥からはハッキリこう言われる 「なんで芳美ちゃんはそんなに話すのがゆっくりなの?」 「なんかお人形さんの声みたい!」 私は…常にフツーに話しているつもりでいる フツーの声の音量と高さとスピードで ごくごくフツーに話しているつもりだけど 特別な話し方をしているように聞こえるらしい それがイヤに思うことだってあるけど どうしようもない 全国大会で優勝するぐらいの混声合唱団に所属して発声練習にボイストレーニングもしてみた でも声変わりすることはなかった 自分にないものを望んだところで意味ないことも分かっているけど お坊さまがお経を読んでいる時のようなカッコいい声を出してみたい 私がお経を読んだらお寺中に笑いが起こりそう 大人のお坊さまで声がとっても子どもっぽいお坊さまっていますか?
僧侶の方とご縁があり交際しております。 彼の人柄に惹かれ先のことではありますが将来は結婚もしたいと考えています。 しかし結婚を考える上で私には決定的に信仰心というものが足りないと思います。 実家にはお墓や仏壇はありましたが両親共にほぼ無宗教で何かを信じる、お祈りするということがわかりません。 彼とお付きあいしてから手を合わせたりお経を読むといったことを表面上はできますが彼とは違い、心の底から信じていますと自信をもって言えないのが辛いです。 お坊さんの奥さまは同じ信仰をもっていないとやはり問題でしょうか。 お寺に入れば自然と身に付くものなのでしょうか。
ハスノハに相談して心穏やかに過ごしています。お坊さんという職業についてわからない事があります。 先日大阿闍羅になるための修行の特集を見ました。大変な修行でした。私には想像もつきません。 しかし私がハスノハで救われたように沢山の方の悩みを真摯に受け止めお返事を下さるお坊さん方も大変な修行をされて今があると思っています。又、お坊さんという枠を越えて色々な形で活動されているお坊さんもハスノハにはいらっしゃいます。 そこに何の違いがあるのか知りたくなりました。 命を重んじるお坊さん方の修行の中に成し遂げられない時は短刀で自決という修行とは… 命をかけて得る称号とは… 見ればみるほどわからなくて 同じお坊さんの事なのでお答え頂ける範囲で教えて頂きたいです。宜しくお願い致します。 失礼な質問かもしれません。その時は、どうかお許しください。
地方に住んでいます。 旅行をすると、旅先のお寺に行き、事前に連絡し、お坊さんとお話させてもらっています。 何名かお会いしたのですが、皆さん、わざわざ遠くから来てくれたんだから、とお菓子や販売しているであろうお守り、もっと仏教を知ってほしいと自分の持ち物の本📕をくれます。 とてもありがたいです。 有り難すぎるくらいです。 貰ってばかりじゃ申し訳ないです。
私は、お坊さまがお経を唱えている最中に、「ゴホッ」と咳き込んでしまう場面に出くわしたことがありません。 何故、あんなに大きな声でお経を唱えているのに、途中で咳き込んだりしないのですか? もし「ゴホッ」「ゴホッ」「ゴホッ」と咳が止まらなくなった場合、どうされているのですか? 私を担当して下さっているカウンセラーさん(臨床心理士であり僧侶)は、気管支が弱いらしいのです。 でも、将来はカウンセラーさんから住職さんになるはずなので、今、咳き込む姿を目にしていると、つい、差し出がましいですし、要らぬお世話なのは分かっているのですが…この方は大丈夫なのだろうか…?と思ってしまうのです。 特に何も持病がないお坊さまでも、風邪を引くことはあると思いますし、もし咳が止まらなくなったりしたら、どうされているのかな?小さく「失礼」とか「すみません」とか言って、元に戻るのかな?と思ってしまって… もしかして… 何かを超えると、途中で咳き込まなくなるのでしょうか? 忙しいのに、質問内容が素朴過ぎて申し訳ごさいません。 お答えいただけるとありがたいです。
お忙しいところ失礼致します。 お聞きしたいのですが、お坊さんや、お上人さんは、生年月日を聞いただけでその人の現在や未来が分かるのでしょうか。 私は大学3年の頃に原因不明の足の腫れが現れ、父と母に連れられてお寺に行きました。 病院でも原因が分からなかったので万が一にも霊障かもしれないと思ったからだそうです。 お寺にお邪魔する前に父が私の生年月日をお上人に伝えていました。 お寺に到着して、お上人が私のことについて話をし始めました。(このお上人は「なんでも分かる人」であると、父が別のお上人から聞いていました。) 腎臓や肝臓など、健康に支障がでやすいこと。性格はわがままであること。友達と長く続かないこと。また、母が恋愛について聞いた際にも「話していいんですか?」と少し鼻で笑うような感じで言われました。 家に帰ってからも言われた言葉を気にしてしまっていて、私はこれからもダメなんじゃないかと思って来たりします。 そこでお聞きしたいのですが、お寺のお坊さんやお上人は生年月日で相手のことがなんでも分かる(視える?)のでしょうか。 ネットで調べてみたのですが出て来ず、同じお上人に話を聞きに行くのもまた嫌だと思うことを言われそうで聞きに行けないので、同じ立場の方の意見をお聞きしたく、質問させていただきました。 長文にもかかわらずお読みいただきありがとうございました。
お世話になっております。教えていただきたいのですが、この度祖父の一回忌の法事をします。その際に、お寺で法事をさせていただきます。その後はお坊さんを私の車に乗っていただいて移動し、お食事をとる民宿までいきます。 お布施として3万円を包ませていただくのですが、移動に関しては私の車を使うのでタクシーなどは利用しませんが、お車代などは必要なのでしょうか?お車代としてはお布施プラス5000円程必要とうかがったことがありますが、自分の家が車を出すのでお車代は必要ではないと思うのですが、この場合はどのようにする事が良いのか教えて下さい。
いつも回答ありがとうございます。 本日まで大学受験を受けてきました。 そして、来週合格発表です。 私は今回受かれば実質二浪で、友達と遊ぶのも控え、一昨年よりも受験勉強を頑張りました。 そして、受験勉強のために年月を費やしてきました。 しかし、いざ終わってみるとあと結果だけだって思うと不安で不安で仕方ありません。 私は今まで受験のために時間を費やしてきて受かることしか考えずにやってきたので、もしもの時のことを考えると、失望感で病んでしまいもう次こそは立ち直れる気がしません。(1年目がやばかったです。今まで以上にネガティブになってしまっていました) そして、今さっきテストを終えて、本当に不安で不安でたまりません。 合格発表まで何か私にアドバイスをくださりませんか。 また、同じような経験をされた方やその後の結果などありましたら是非おしえてほしいです。 1人で耐えきれません。 親にもなんども受験失敗してるのでこんな悩み言えませんし、適当にしか聞いてもらえないとおもいます。どうかお坊さん、よろしくお願いします。
タイトル「現実と理想の狭間で」を書かせていただいたことで、1つ疑問がわいてきたのですが… 私たち医療従事者って守秘義務がありますし、それに反したら守秘義務違反になりますが… お坊さまには、そういう罰せられるような守秘義務というか…そのようなものはあるのでしょうか? 基本的な質問ですみません。 「絶対誰にも言わないから」という学校の先生の言葉に、一喜一憂した自分の経験と、最近おきた虐待死事件と、とが頭の中をぐるぐるしているうちに思い付いた、あっ!そうだ!お寺さんは全国にあるし、もっともっと、お寺さんが子どもたちの駆け込み寺になったらいいなぁ…とか、もっともっとお坊さまに相談出来るようになったらいいなぁ…とか思ったもので。 絶対誰にも話さない、秘密は守る、大丈夫、助けてあげるから、君を救いたいんだ、さあ話してごらん… そういう流れが自然と子どもたちの心に宿るといいなぁ… と思ったりして… どうなのでしょうか…? そんなこと言ったら…私は無責任でしょうか? 分からないので… 先に謝らせていただきます… お坊さま方、申し訳ございません。