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「お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

お坊さんとはいえ人間だけど。。。

私の身近な人が僧侶 (浄土真宗本願寺派)ですが、自分の思っているお坊さんとは かなりかけ離れています。 私の思うお坊さんは、仏法を自ら実行し、仏の智恵で周囲の人を和やかにするような人だと思っています。実際に、他の会ったことのある お坊さんは、そのような穏やかな雰囲気にさせる方々です。しかし、 知人のお坊さんは、 普段から 愚痴や不平不満を言い、自分の考えと違う物事は 貶し、批判をします。 食事の時も、変な姿勢で、テレビを見ながら食べ、食べ物を選り好みし,残したりします。 その他、自己中心的な、思いやりに欠ける言動が目立ちます。 何度か、正すよう助言はしましたが、全く聞く耳を持ちません。 他人は変えられないことは充分 分かっていますし、これが普通の人で、全く知らない赤の他人だったら諦めもつきますが、 自分の知人で、お坊さんともなればと思うと、 何だか気分がモヤモヤします。 得度の資格があれば、僧侶といっても、普段の生活は、凡夫 いわゆる普通の人と同じ様な言動をしてもいいのでしょうか? そして、その知人のお坊さんに会うたびに、モヤーッとした不快な気分になる対処の仕方を教えてください。 最後まで読んでくださってありがとうございました。🙏

有り難し有り難し 32
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ANESTHESIOLOGIST

麻酔科医の主な仕事は、「体の痛み」を取り除くこと。 お坊さまの主な仕事は、「心の痛み」を取り除くこと。 患者様に寄り添う仕事。 救いを求める人たちに寄り添う仕事。 ほぼ同じようなもの。 もし互いに協力し合えれば、もっとたくさんの人たちを救うことが出来るのではないでしょうか? でも、何だか今、非常に高い「壁」を感じています。 「どちらかだけの世界」として存在しているように感じています。 私は、そんな「偏った世界」や「無意味な壁」を取り除きたい。 「誰でもいらっしゃい!」と人を招いておきながら、互いの中に「分け隔てる壁」を持ってしまっているのではないでしょうか? 窮屈です。 息苦しいです。 全然、開放的ではない。 閉鎖的です。 この「壁」は、これからもずっとずーっと無くならないものなのでしょうか? それだと、せっかくの「ビハーラ活動」もなかなか広まらないのではないでしょうか? こっちはこっち、あっちはあっち。 そんな状態、良いとは思えません。 これは「喜怒哀楽」で言うならば、私にとって「怒」ではなく「哀」です。 このままだと、ここに私のいる意味など無くなってしまいそうです。 助け合いの精神とは…? 「助けたい」 これも「欲」の「煩悩」なのでしょうか? ここhasunohaに来て1か月が経ちました。 去るべきかどうか迷っています。 hasunohaは、とても心地よく素晴らしい場所です。 しかし、何だか… うまく言葉に出来ませんが… 迷っています… 消えた方がラクなのでしょうか…

有り難し有り難し 445
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僧衣は何故、あんなに暑そうなのか

お坊様方、お盆のお勤めお疲れ様です。 それにしてもお坊さんの僧衣、ただでさえ暑い中、何枚も重ね着してらっしゃるのは、見ているこちらが辛くなります。色だって(宗派にもよりますが)黒とか紫とか濃い色ばかりだし。どんなに暑くても袖まくりすらできずに法務を行うお坊様には心から尊敬いたします。 余計なお世話ですかね?修行を積んだお坊さんなら大丈夫? クールビズの僧衣バージョンみたいな、略式の冷感服って無いんでしょうかね。もちろん僧衣の色や形式にはそれぞれ大切な意味がある事は知っているのですが、さすがに近年の暑さは酷すぎます。 色々意見はあるでしょうが、個人的には、服装は形式よりも快適なものを着て欲しいと思います。率直な話、ジンベイや作務衣に近い服装でも良いんじゃないかと思ってます。何も僕等は服に拝んでもらってる訳じゃないんだし。 総本山にメールででも申し入れしようかなと思うのですが、余計なお世話でしょうかね。あるいは無駄な事でしょうか。伝統もあるものだし、急には変えられないとは解るのですが・・・ それとも、近年の僧衣には涼しくなるような工夫が色々されてるんでしょうか? ともあれ、お坊様方大変お疲れさまでした。 しばらくは涼しい所でお過ごしください。 (伝統を軽視するような言い方で、かえって不快にさせてしまったらすみません。またこのサイトに相応しくない質問であれば、放置して下さい。2、3日回答が無ければ削除します。)

有り難し有り難し 67
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愛する方を亡くしました

先週愛する方を亡くしました。 通院時に病院で倒れてから入院生活を送り、眠るように息を引き取ったそうです。 朝焼けの綺麗な、とても涼しい日でした。 私と彼はいわゆる不倫の関係で、ご家族は私の存在は知りません。 倒れてからのことは、ふたりの事を知っている上司が教えてくれ、告別式にも同僚として参列出来たのですが…。 告別式が終わっても、気持ちの整理がつきません。気がおかしくなりそうな、心をもぎ取られてしまったような。 彼とは仕事を通じて親しくなり、10年間公私共に私を支えてくれました。 あまのじゃくで子供っぽい私は、しょっちゅう彼を困らせてばかりでした。嫉妬して拗ねて『別れる!』と何度言ったか。 その度に『そんなこと言ってー』とか『何かあったの?』なとど、私を落ち着かせてくれるような人でした。 たまには『いい加減にしろ』と怒ってくれたりもしました。 彼も他の人には言わないようなグチも話してくれていたようですし、食事を作ったりプレゼントを渡すと嬉しそうでした。 でも今年になってからは会う時間もとれず、彼を気遣うこともなかなか出来ずにいました。 それどころか、いつものように感情をぶつけてしまって。『他の人と付き合う』なとどバカなことを言ってしまったり。 最後に話をしたときは、ふざけあって楽しかったのですが。仕事の合間ということもあり、『ハグしたい』という彼の願いも叶えられませんでした。 その数日後に、倒れたという連絡。体調が思わしくないと検査を受けた冬から、半年もたっていないのに。 本格的な治療も、これからというところだったのに。 彼が必死に頑張っていた様子は、上司の話からも伝わってきました。 頑張ったねとありがとうと楽しかった想いを、告別式には伝えたのですが。 これまでの自分の愚かな言動も悔しくてなりません。もっとしてあげられたこともあったのに。 あんなこと言わなきゃ良かったということも多くて。1人になると、泣いてしまうばかりで、これからどうしていくことが良いのかわかりません。 関係ゆえにお墓参りや(場所もまだ知らないのですが)、初盆に伺うことも出来そうにないのも不安です。 愚かながら私ですが、どうかお助け下さい。 長文失礼しました。

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独学で行う“印”と“真言”について

初めまして、私は仏様を側に感じたい時やお寺で参拝する時に印を結び、真言を唱えている破戒するヒトと申します。 私の結ぶ印や唱える真言は師に習ったものではありません、ネットや書籍で調べたものです。 本当は出家をして師に習うのが一番だと言うのは分かりますが、どうしても人が苦手で集団に溶け込んで修行する自分が想像出来なくて、独学でまったりと学ぼうとしています。 このように独学で印や真言を調べるなかで「印は行者しか結んではならない」「印や真言は誰が行おうと構わない」「師に習わない印や真言に効力は無い」「軽い気持ちで印を結べば仏罰がくだる」…など様々な情報が入り乱れて混乱します。 ただそれでも私自身に「印を結び、真言を唱えたい」という欲求が合ったので都合の悪い情報は気にしないようにして印と真言をしてきました。 ちなみに理由は魔法使いみたいで格好が良いから、または自分はいま仏様に近付く修行している…といった心地のよい感覚があり、このまま根気よく続けていれば仏様との間に、より濃密なご縁を頂けるかも…なんて期待をしつつやっていました。 しかし時に後ろめたさの様な物を感じる事があります。この行為はもしかしたら仏様に対し失礼に当たるのではないかと。 とある質問サイトでこのような事を質問してみても意見はバラバラでどうすれば良いか分かりません。 このような混乱と欲求と後ろめたさが入り乱れ撹拌されてか、今朝の夢のなかでお坊さんに「真言や印は欲望で行うものではない、貴方が好意でそのように行動しても仏様は迷惑だと感じるだろう」と言われました。 すみません、あくまで夢の中のお話です でもとても鮮明な夢で「仏様は迷惑だと感じるだろう」という言葉が突き刺さり、堪らずこちらのサイトに登録を行い質問をさせてもらいました。 もしも夢など紛い物で無いお坊さんにそのように言われれば、私はキッパリと印と真言の欲求は断ち切るつもりです。 しかし私の欲求として仏様の迷惑にならないなら印を結び真言を唱えたいです。 どうしたら良いでしょうか。 分かりにくい所があったらすみません。 混乱と欲求が激しく渦巻いてそれ以外の事が考えられません。 どうか回答お願いします。

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「有り難し」ボタンの押し方

いろんな人たちの悩みや問いかけを読ませていただき、それにお答えになるお坊さまのお言葉を拝読し、「なるほど!」「イイかも!」と思ったときも、「うーん…」と思ったときも、「有り難し」ボタンを押しています。 いろんな考え方があることに「有り難し」と感じたから「有り難し」ボタンを押す。 または、悩める人たちにエールを送りたい、「そう思って悩んでいるのはあなただけじゃないですよ」「あなたは1人じゃないですよ」という気持ちを込めて、「有り難し」ボタンを押す。 いろんな生き方、考え方に感謝して、「有り難し」ボタンを押させていただいております。 なので、私のように、所謂「有り難し」と思った時以外の意味合いで「有り難し」ボタンを押す、例えば前に書いたような「エールを送りたい!」等でも「有り難し」ボタンを押すのは、アリなのかナシなのか… 決して軽い気持ちでボタンを押したりはしていません。 でも、私の想いを「有り難し」ボタンに込める押し方を、このまま継続しても良いのか、ふと疑問に思いました。 私の「有り難し」ボタンの押し方は…大丈夫なのでしょうか? 「感謝」だけでなく「エール」も「有り難し」に反映させてもよろしいでしょうか? ちょっと意味不明な質問になって、すみません。 ※不思議なことに、回答の「出だし」や「言葉遣い」で、どちらのお坊さまがお答えしているのかが、最後の回答者を見なくても、分かるようになってきました。 でも、それよりもっと不思議なことに、「答えは人それぞれ」「答えは1つじゃない」のに、辿り着く答えは1つ、「仏様の道」や「仏様の教え」であるところに不思議を感じています。

有り難し有り難し 5
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