お世話になっております。 私は30代の会社員男性なのですが、 僧職を続けるべきかどうか悩んでおります。 元々仏道に御縁を頂いたのも 義父が地方の小さな寺院の住職を務めており 「棚経とか、休みをつかってやれば謝礼を出すから、得度しませんか?」と 副業感覚でお誘い頂いたので、深く考えず了承したという お恥ずかしい限りのものでございます。 (特に髪の毛に拘りも無かったもので(笑)) その後、棚経だけのつもりが… ・正月の会で、お経と儀式をやらされる(会前日の晩にやる事を聞く) ・本寺の副住職の「住職襲名の式」での役を勝手に受けてくる。 (その役が大変重要な役で、袈裟を3回しか着た事がない上、 お経を知らない者が出来るようなものでないものだった) ・「住職襲名の式」での内容に関しても、式の内容と問答が 書かれた本のコピーを頂くのみだった。 (その後、副住職のお寺での打ち合わせで、作法や動きの面で 知らないことが多い事が発覚、急遽義父に改めてお寺での 練習を依頼する) ・「襲名の式」当日にも知らなかった「やるべき事」がある事が 発覚。youtube等で検索して何とか乗り切る。 ・また私への確認無しに仕事を受けてくる。 (これに関しては「会社の仕事の都合があるから容易に受諾 出来ない」として保留にしています) というような事があり、会社の仕事もある中で 時間・体力の面と、何より義父の『報連相』の無さに 「これは続けるのは無理だ!」と考えているのが現状でございます。 その内、義父が勝手に「住職の修業の予約を入れてきた」などと言ってきそうで恐ろしいです… また、家内も家を空ける事に不満があるようで (お寺が地方の為、大体の場合は日帰りは不可能) 「やらないで欲しい」と言っております。 反面、文化的・歴史的な事が好きで、僧の儀式等に嫌な思いはありません。 「襲名の式」でお世話になった新命和尚様や 同年代の先輩の僧の方々には、大変感謝しており 他所者兼「にわか坊主」の私を仲間として受け入れてくれ、 大きな気持ちで導いて下さった事への恩も感じております。 (本来であれば師匠である義父が行う役割ですが(苦笑)) 「御恩や興味」と「現実」の間でどうするべきか悩んでおります。 また、厳しいご意見でも有難いので、ご助言頂ければ幸いでございます。
4月初旬に一年半、闘病をしていた 義母が、永眠しました。 葬儀・初七日も終わりましたが まだ、義母が入院をしている様な 気がしてしまいます。 時々、義母の事を思い出して 涙ぐんでしまいます。 5月に、納骨・四十九日が あります。 それまでに、気持ちの整理が 出来て、義母を成仏させて あげる事が、 出来るのでしょうか?
お世話になっております。 心救われています。 25日で妻が亡くなって百日になります。 百日の法要のお祈りを、お願いします。 まだ、妻のもとに行きたくて、しょうがありません。 今は、我慢して、妻の一周忌まで、やること、やっていこうと、思っていす。 妻が亡くなったら、すぐついていこうと、自死し、失敗した、情けない男です。 遺された以上、弔いを、やっていこうと思います。 百日法要のお祈り、よろしくお願いします。
おそらくは、臨済宗公安の引用かと思われますが、ある本でチラリと拝見して以来、答えが閃かず悩み続けている問題がございます。 宗派問わず僧侶それぞれの解釈で構いませんので、御回答を戴けましたら幸いです。 よろしくお願い致します。 『鍬で畑を耕していたらミミズを真っ二つに切断してしまった。このミミズの魂は右の身体にあるか。左の身体にあるか。』
周囲の人達に、私は、お坊さんに洗脳されてると思われているです💦 御守をバッグ、エプロンにつけてるだけなのに・・・。 お寺に行ったり、お坊さんのお話聞くのも好きだし、知らないこと教えてもらえるのが、楽しくて仕方ないです。 大好きな存在があるから、私は幸せだけど、第三者からみたら、洗脳されてるように見えるのでしょうか?
前回の質問では、僧侶の先生方の的確で分かりやすいご回答ご指導を頂きまして、心より感謝申し上げます。俗世間の人々は、怒ったり恨んだり色々な事柄に悩み苦しんだり致します。僧侶の先生方も、怒ったり恨んだり、悩み苦しんだりすることはあるのでしょうか?仏道を歩まれて、十善戒・六波羅密・八正道等の実践をされていることであろうと思いますが、それでも腹を立てたり、怒ったり、恨んだり、妬み嫉みの気持ちを起こされることはありますか?大変気になっています。どうかご回答の程、よろしくお願いいたします。
在宅出家を含む、御説法の聴講生活をしたいと思っています。 私は49歳の会社経営者です。 感謝に堪えませんが、人にも運にも縁にも恵まれ、さしたる苦しみもなく、経済的にも立場的にも自身の能力を超えた日々を頂いております。 しかし、足るを知る生き方も昨今は少しずれてきている事自認しております。 また、恵まれ過ぎた人生だったため、生きる事のままならなさへの受け入れは全く出来ていない自分を自覚しています。 斯様な中、55歳を目途に様々な考え方に触れる人生を送り、自分なりに上記に対する答えを求めて生きてみたいと、漠然と考えています。 (在宅出家と言う言葉がちらつきはじめたのは、もうかれこれ10年近くになろうかと思います) これから着々と準備をしていきたいのですが、 ・どのようなサイトや会で情報を調べた方が良いよ ・一度相談に来れば話は聞いてあげるよ ・何処々々に相談に行って見ればいいよ 等のアドバイスを頂けましたら幸いに存じます。
私は今年2019年に54歳になる中年男性です。技術系会社にシステムエンジニアとして就職して早30年以上になります。その間に30代後半から40代にかけての約15年間ほど精神的な重度の病いに罹り、仏法に教えを乞うたことも多々あります。その苦しい経験が今は人間関係に生かされ人様のために役立つようになりました。このような私ですが、ご会員様の質問に直接お答えすることなどもちろんできませんが、多忙なお坊様の手助けになることが何かしらないかと思ってこの文面を投稿しました。何卒よろしくお願いいたします。
何かのテレビ番組で、お寺さんを粗末にあつかうと、孫の代に悪いことがおきると。 私の姑は、とにかくお寺の住職が嫌いで、口癖がお金泥棒です。月命日にお経をあげに来られるのも断り、お寺さんに納めるお金も、払わないと直談判に行く。もし、自分がなくなったら、そこら辺の坊さんにお葬式をしてもらえばいい。との考え方。その為、私達もお寺さんとは疎遠になっている状態です。しかしながら、テレビ番組の話が本当なら、私達に起こっている災難、悲しみとの関係性を疑わずにはいられません。 実際のところ、どうなんでしょうか?
人柄が、大好きなお坊さんがいます。 優しくて、気を使う人です。 大切な恩人です。 いつもその人の言葉に励まされてます。 励ましてくれてありがとうって伝えたら、喜んでくれて、嬉しくてたまりません。 1つ1つは、些細な事ですが、大好きな人が 嬉しくさせてくれるから、出逢えて良かったと心から思います。 辛い事や、嫌な事があっても頑張れる力をくれるから、感謝しきれません。
おぼうさんにはなったものの https://hasunoha.jp/questions/28997 もご覧いただくと前の話が分かるかと思います。 昨日師僧であり、実家の寺の住職であり、本山の貫主でもある偉大な坊さんである父と腹を割って話をしました。 父は73歳になりますがもう白内障で他にも体にガタが来ていて、なんとか二つの大寺を兼務している状態です。他にも保護司の仕事も抱えていて本当にかわいそうなくらい忙しそうです。 本当は父が2003年に本山の貫主になった時に、私は実家の寺を継ぐべきだったのですが、そのころ心の病に倒れまして入院、以後現在まで17回の入院を繰り返してしまいました。 ここ最近は安定してきていて、入院には至っていませんが、薬で心の波を調整したとしても、それでも波はあって頓服が4種類あるのですがそれで操ったとしてもそれでも波があります。 私の病気は一つ一つは軽いのですが複合して重い障害になっている感じです。統合失調症・双極性障害・ADHD・ASD・不眠症・依存症など心の病気のデパートです。それを薬を飲んだり、仏教を学び実践したりして、直しています。 昔のお坊さん仲間もたくさんいますが、本当に信頼できる人とだけ連絡を取り合っています。それで、父が体力的な限界から寺を辞めると言っています。そうすると、いまだ休職扱いで寺からお給金と米他をもらっていますが、(他に障害年金も)その暮らしは維持できなくなります。 父との残された時間で何ができるのでしょうか?また今後私はどう生きていけばいいのでしょうか?所属寺院なしでお坊さんになることはできるのでしょうか?私は元時宗の寺に生まれましたので掛堂して時宗宗学林で学び直したい気持ちもあるのですがどうでしょうか?浄土宗ではかなり修行して更にお坊さんになってからも研鑽を積んできましたが、それがこんなことになって残念です。 佛教大学の通信教育学部でまなぶとか、西山短期大学で学ぶとか、浄土真宗本願寺派の中央仏教学院で学ぶとか時宗宗学林で学ぶとか仏教の勉強は続けたいです。そのためには経済的に安定していなければ無理です。 もう自己破産して生活保護を受けるしかないのでしょうか?自己破産するような借金の額ではないのですが、まず月66000円では暮らしていけません。今後、食べていくためにはどうしたらいいでしょうか?
質問ではないので、投稿していいのかわかりませんが… 不謹慎だとは重々承知の上ですが、先日祖父のお葬式でお経を唱えていただいた住職さんがとても素敵な人で久しぶりにキラキラした気持ち(?)になりました。 祖父が亡くなったこと、また来月から新しい環境に行く予定で、それが苦しい日々になることが分かっているので憂鬱な気持ちが続いていましたが、そんな気持ちから少し離れることができました。 多分ですが近くのお寺の住職さんなので行こうと思えば行けますが、多分行かないしもう会うことはきっとないんだろうなぁと思うと悲しいです。(もし会えたとしても何もできない笑)が、あのキラキラした気持ちになれたこと、また心のこもった御経を唱えていたいたことに感謝したいです。祖父も嬉しいと思います。ありがとうございました。 質問ではなくて申し訳ありません。
お坊さんには霊感はあるのでしょうか? 父はそこそこ強いほうですが、自分は全く視えません。 また、お坊さんには霊感というものはあるのでしょうか?
職種によって違うと思いますが 大変な状況にも関わらず 冷静な判断や対応が出来る人を見て 「さすがプロやな!」 「これぞプロの技!」 と驚かされた経験はあると思います また自分自身においても 仕事をしているときなどに 普段なら冷静さを失いそうな場面に直面しても 何故だか不思議と平穏な心が保てる 「これが私の仕事だから」 「これぐらいなら大丈夫」 と落ち着いて対応できている自分にふと気付くこともあると思います 以前お坊さまめ足が痺れますか?と質問した時にも 「そう言えば痺れないなぁ」 というようなお答えがあり 「プロだな!」 と感心させられました 私も自分でも不思議ですが仕事柄 「そう言えば焦りがない」 「全然平気だなぁ」 と思えることがあって 「これが私の仕事だから」 という"プロ意識"というか"身に付いたスキル"のようなものがあるんだなと感じました 私の場合だと 大量出血している人を見たり開腹して内臓が見えている人がいても 怖いとか焦るとかそういう心境にはならず ひたすら淡々と対処していくことが出来る それが仕事をする上で必要な訓練でありスキルなんだろうなと感じていました すごい!とか思うようなことではありません ただ何故か冷静でいるべき時に冷静でいられる お坊さま方にもそういう"プロ意識"と呼べることがあると思います 自意識過剰とか単なる慣れとかではなく 何らかの「これが自分の仕事である」と思えるようなことがあると思います どんなことに対して 自分は不思議と冷静でいられるとか 何故だか平穏な心でいられるなという 『お坊さまあるある』 (身に付いたスキル) を教えていただきたいと思いました 修行や訓練を積むことで出来ること 不思議な体験や心境などを是非お聞かせ下さい
法事の時にいつも思うのですが、お坊さんは一体幾つのお経を覚えているんですか。修行の卒業(?)までに幾つ覚えるとか決まりはあるのですか?うちは曹洞宗ですが、3人くらいお坊さんが来られる時のお通夜やお葬式で、打ち合わせとかないのに、みんなが息を合わせてシンバルや太鼓みたいのや鐘を「チーン、ドーン、シャーン!」とゆっくりしたり早くしたりしながら鳴らすのがタイミングがぴったり合っていて間違えないのがすごいと思います。 あとお通夜などでご高齢の方丈さんなんかが30分以上もわりと大きな声でお経を唱えているのに呼吸のための肩がほとんど動きません。お経を読むときの特殊な声の出し方や呼吸の仕方があるのでしょうか。
Différence entre BUTSUGO et FUTSUGO 仏語(ぶつご)と仏語(ふつご)の違い BUTSUGO→L'enseignement du Bouddha 仏語→仏様の教え FUTSUGO→français 仏語→フランス語 Les kanji sont les mêmes, mais le sens est différent 漢字は同じだけど意味は違う Comment les Français pensent-ils cela? フランス人はこのことをどう思うのだろう? Je me sens comme un auspicieux d'un japonais 日本人からしたら縁起が良い気がする Je suis heureux si je suis ... 私なら嬉しく思うけれど… Pensez-vous que les Français sont reconnaissants pour ce fait? この事実をフランス人もありがたいと思うのだろうか? J'aimerais pouvoir être heureux comme moi… 私と同じように嬉しく感じてもらえたらいいなぁ… J'y pense à minuit そんなことを真夜中に考えている Mon modeste bonheur 私のこのささやかな幸せ Qu'en pense le moine? お坊さまはどう思われますか?
諸事情により専修学院、真別所での修行が出来ません。 現在のお寺では教える側は住職のみで、人出がないため困難と言われました。 加行いただけるところは山内にありますでしょうか? なければ自分で勉強をして救済していくしかないのでしょうか? どうかお助けください。
最近、お坊さんとお話させてもらったり、お話を聞く機会が増えて、SNSでも交流が増えたからなのか、職場の人と会話中、「娑婆」等、お坊さんが使ってそうな言葉を無意識に使ってした。 娑婆とか言うなと言われます。 お坊さんのどこが、そんなに良いの?と言われますが、好きなのは、どうしようもないです。 どうして、お坊さんを好きになったらダメ。と言う人が多いんでしょう?
どうもこんばんは 半年ほど前からちょくちょく剃髪をしているのですが剃髪後の再剃髪についてお尋ねします。 私自身、(毛根の)生存欲が大変強く、強固に幅広く繁栄しているため 頭全体を1日放っておくとバスタオルで拭いた時や暖簾をくぐった時に首を持っていかれ、 3日放っておくとマジックテープの固い部分になり、 5日放っておくと金タワシみたいな手触りになります。 毎日剃れば良いのですが、若干カミソリ負けしてしまい頭皮がヒリヒリします。 5日ほど置いて剃った場合は、髪が伸びすぎて剃るのに時間がかかります。 そこで二つ質問なのです。 ①宗派によっては4日、9日の5日に一度しか剃らないという事ですが、そこまであけてしまった場合、剛毛で毛根が死んでいないお坊様はどのように手際よく剃られているのでしょうか。 ②毎日剃る場合は、毎回少しカミソリ負けをし有髪時より使っている毛穴の油を取るシャンプーで洗った時にしみたりするのですが、これは慣れるのでしょうか。 ちなみに私が使っているのは、ジレットの電動安全カミソリ5枚刃でシェーピングクリームです。
亡くなった祖父の代から法要や月命日にお願いしている真宗大谷派のお坊さんなんですが、月命日にお経のために来ても、経本も開かず、両手を両袖の中に入れて、お経を上げて特に話もせず、帰ります。 先日、祖母が、亡くなりお通夜と告別式をお願いしました。自分も数度お通夜や告別式をに参列した事があるのですが、大体のお坊さんがお通夜の後に、故人との別れ方や、これからの生活していく上での心構えをお説教して下さるのですが、そのお坊さんは、お説教どころか、遺族や親族に対して会釈する事もなく、お経が終わればさっさと退室する。告別式でも全く同じでした。お付きの若いお坊さんの方はしっかり会釈して下さりどちらが位が高いのかわからない始末でした。 このお坊さんを、続けていくかどうか以前から親とも話していたのですが、今回の件で親にもう他のお寺さんに変えようと提案したのですが、49日の、お金まで払っているため変えられないと言っていました。 本当にお寺さんは変えられないのでしょうか?それと変えるタイミングいつがいいのでしょか?教えてください。