去年からの数ヶ月の間に、数名のお坊さんに出逢いました。 hasunohaのお坊さんにも話を聞いてもらい、 親切にしてもらって、励まされ、背中を押してもらって、たくさんの愛をもらい、少しずつですが、自力で前に進めるようになりました。 感謝してもしきれないくらいです。 なので、微力ながら、恩返しがしたい、役にたちたいと思いました。 直接お坊さんに聞くのは、どうかなと思ったのですが、何かできることは、ないでしょうか??
辛いことが、たくさんあって、独りで、泣いて生きてきました。 辛さに耐えられず、死のうとして、夜に高い場所に行った事もあります。 (お巡りさんに見つかり怒られました。) 無意識に呼吸をしないときもあります。 私は、どうして生きているのか。悩んでいました。 ある日、テレビで、お坊さんの本を紹介していたので、人は苦手ですが(苦手過ぎて震えます)、お坊さんだけは、何故か平気だったので、本に載ってたお坊さんに会いに行き話を聞いてもらいました。 SNSで、知り合ったお坊さんにも、直接会い、色々相談させてもらい、励まされ、応援してもらい、世の中には、こんなに優しくて、親切な人がいるんだなと思いました。 独りで、立ち上がれずにいた時に、生きる力を、心の安心をもらえました。 感謝してもしきれないほど、救われました。 今でも、私のほしい言葉をくれます。 めぐり逢えて本当によかった。 生きていてよかった。 生かされてきてよかった。 そう思いました。 大好きな存在になりました。 心の支えになってくれる存在(私が勝手に支えにしてます。)がいると、精神的に強くなれた気がします。 優しくしてもらった分、 お坊さんのように、私も微力ながら、人に優しくできるよう、役にたてないか模索中です。 子供の頃からですが、私の中で、何故こんなにお坊さんが、特別なのか良い存在になってるのか?わかりません(´・ω・`) 気付いたら、安心安全な存在になっていました。
私は経営学部の3年生で現在、お寺の経営に関する卒論に取り組んでいます。ですが研究に煮詰まってしまいました。 本来なら地元のお寺様に取材をすべきなのですが、残念ながら未だ出来ておりません。なので藁にもすがる思いでここに質問させて頂きます。 なぜ、お寺の経営について調べようと思ったのかと言うと第一に私がお寺が好きだから、第二に宗教というベールに包まれ実情があまり知られない経営に興味があったからです。 調べていくうちにお寺には観光寺、信者寺と檀家寺があることを知りました。 ・観光寺のお坊さまで経営に気を付けることはなんでしょうか?観光寺のメリット、デメリットなど。また以前までは檀家寺だったという場合の方は観光寺にしたことによる変化など教えてください。 ・檀家寺のお坊さまで経営に気を付けていることはなんでしょうか?檀家寺のメリット、デメリットなど。また依然観光寺だった、もしくは今後、観光寺に変えようと思っているなどありますか? ・今後、お寺の経営を調べる際に気を付けたほうがいいこと、おすすめの書籍、論文などがありましたら教えてください。 なお、研究と関係ない個人情報などについては明かさず十分な配慮をします。 お忙しい中、不躾な質問になりますが、どうかお答えいただければ幸いです。
先日、 主人のお母さんが亡くなり 葬儀を行いました。 その時に、 お経をあげてくれた お坊さんは、葬儀の間ずっとマスク。 お経の途中で お茶を飲む時だけ、 マスクをずらし それ以外は マスクをしたまま。 お坊さんも人間だから、 マスクをしなきゃいけない事もあるだろうと思います。 でも、 檀家さんの葬儀でお経をあげる時くらい 外せばいいのに… と、思ってしまいました。 なんだか、 有難いはずのお経も そう思う気持ちが半減してしまいました。 そう思う私がおかしいのでしょうか?
子供の頃から、お寺とお坊さんが大好きで、大人になってからは、よくお寺に行き、事前に確認をしてお坊さんとお話をさせていただくようになりました。 イベントに参加したりしてます。 人見知りと緊張しいが、重症で、人がものすごく苦手で、怖くて、喋れなくなるし、滑舌がものすごく悪いのですが、とても優しく、親切にしてもらいました。 笑顔で、対応してくれたので、近寄りがたいイメージがありましたが、子供の頃よりずっと大好きになり、仲良しになりたいなと思いました。 人苦手だけど、お坊さんだと、他の人より緊張しないです。 Facebookで、投稿されたものにコメントして多少の交流が、ある人は、知人だけど、友達未満な距離です(´・ω・`) お寺に行かないとお話できない方もいます。 仲良く(友達)なりたいって言われたら、嫌ですか??? 自分のお坊さんのイメージが、近寄りがたいけど、優しくて安全な存在。なのです(*´ω`*) 子供の時に観た映画の影響です。
三宅聖章様回答ありがとうございました 凄く気持ちが楽になりました 妻が余命1ヶ月と言われた 地獄に落とされた日からそろそろ2ヶ月になります。 妻の看病をしっかり最後までやれば 一緒に行けると夢のようなものも見ました。 妻が旅立った後 一緒に殉ずるつもりです。 和尚様には 二人一緒に行けるようお経を唱えてください。 和尚様のように偉いお坊様に唱えてもらいたいのです。質問ではなく お願いになってしまいますが よろしくお願いいたします。 やぶ医者に騙された私を信じていてくれた妻 私のせいで亡くなるようなものです。 ひとりで逝かすわけにはいかないです。 17才16才から一緒に住み 結婚して35年ずっと妻の笑顔を見るのが嬉しく 私の生き甲斐は妻でした。私にとって妻がお釈迦様です。 どうかお願いします 二人で一緒に旅立てるように唱えてください。 子供 親 頑固親父に 死んだらおしまいと 言うかたもいるかもしれませんが 私は次の世界があると信じます 誰がなんと言おうと 妻ひとりで逝かしません お願いです 唱えてください
相容れない意見の僧侶の方をこき下ろしたり、お坊さん同志が白熱バトルを繰り広げたり、 他宗派を嘲笑するような投稿を目にする機会があります。 敬意が感じられない他者批判や、嘲りと悪意に満ちた投稿を全体公開にされているので、とても悲しい気持ちになります。 お坊さん同志の対立はよくある話なのですか?
私くしも、仕事の事などで 自分自身の芯をしっかりもてなくて、常に気持ちがグラグラに揺らぐので 瀧行に真剣に行きたいと思ってはいるんですが お坊様方が、行の中で 仏様の存在や何か悟られた事など ございましたら 教えて頂きたいです。瀧は心身共に清められ仏様と一体になれる様に思うので すが 、、、
お坊さんの年末年始は忙しいですか? 何をするのですか? 何日まで忙しいですか? 教えてください。
今日は息子が亡くなって、始めての大晦日です。 1人で横になっていたら 夢に息子が出てきてくれました。 なかなか夢にも出てきてくれず、亡くなった直後に1度くらい出てきたきりでしたから、 いつものように楽しいお喋りをする息子が夢の中にいる!と ハッと気がついて、手を握って、何か伝えなきゃと「ありがとうありがとう」と大泣きしていました。 目が覚めて、寂しくて、またお仏壇の前で涙してしまいました。 今日は、 今まで生きてきて一番寂しい大晦日です。 これから年を取り、もっともっと寂しくなるのだから、慣れていかなくてはいけませんよね 息子が亡くなってすぐ、お坊様からお言葉をいただいて、絶望の中 すがるような気持ちで読ませていただいておりました。 周りに相談できる人もおらず、子供亡くしたと話すと 皆さん かける言葉が無い…と困惑されるので、人に話すこともなくなりました。 毎日ハスノハを読むことでなんとか生きています。 お坊様ありがとうございます。 来年もよろしくお願い致します。
はじめまして、翔太郎と申します。お恥ずかしながら、48歳のここに至るまで、菩提寺が真言宗豊山派だということを深く考えずに生きてきました。 しかし、父親が亡くなったら寿命が尽きるまで、わたしが菩提を弔わなければなりません。 となれば、わたしは豊山派の檀家として、それ相応の作法を身に付けたいと思いました。 残念ながら、13年前に亡くなった母親は、ひどい精神疾患でした。兄にもわたしにも、その血は流れているようで、わたし自身、精神障害者手帳3級です。父親は精神疾患というものを本当には理解できないようで、今の状態のわたしにひどい言葉を言うこともあります。それでも晩年の母親に随分と暴言を吐かれながらも看病し、時に惨めな思いをしたこともある姿を近くで見ていた実の息子としては、亡くなった時、菩提寺で手厚く葬ってやりたいと思い。きちんとした檀家の作法を身に付けたいと思いました。 まずは、真言宗の開祖であるお大師様の時代からの仏教の歴史を調べ、なぜ、高野山から別れる形で豊山派ができたのか調べ、母親の戒名が飾られてから、線香をあげなくなった仏壇に線香をあげるようにしました。 次に檀家は正式には、毎日、仏壇の前でどのようなお経を唱えるべきか、菩提寺のご住職に電話で尋ねようとしたのですが、ここから流れが少しずつおかしくなって行きます。 たまにご住職が電話に出ても、これから外出するところで、話をしている余裕がない。キャッチホンが鳴ったので、またかけてもらえますかの繰り返しです。忙しいのは事実のようで、息も荒く疲れ切ってるのが伝わってきます。後日、父親から茨城県で三人しか選ばれない議員に選ばれたと伝聞で聞き、どういう事情でそこまで忙しいのか、今度こそ聞こうと思い、電話をかけたところ、今度は息子さんが出ました。副住職をされているそうです。初耳でした。ご住職が忙しいなら、電話を取った時、息子が副住職をしているので、そちらに聞いてもらえないかと言って欲しかったのですが、それは言ってもらえず、息子さんに檀家の作法をお聞きしました。ちなみに宗会議員になると、檀家の相手をする必要がないくらい忙しいものですか?僧階は2級の権野大僧正だそうですが、それくらい偉くなると、檀家の話などまともに聞く必要もなくなるものですか。わたしが傲慢な考えを持っているようでしたら、分かりやすく注意していただけると助かります。
儲かること関係なしに、 貧乏だろうが、世のため人のためにお坊さんをやっている方は、本当にほとけさまのような存在です。しかし、ふつうに仕事をして、もっと収入を得たくはならないのですか? それとも、やっぱり、お坊さんという仕事をしたくて、やっておられるのですか?趣味みたいなものですか?
お坊さんって儲かるのですか? 儲からないなら、お坊さんという存在はどのようにして成り立っているのですか? なくなってしまいそうです。
いつもお世話になっています。 日々のご回答に感謝いたします。 質問者の方々が励まされ心情に変化をもたらし心が好転していることが伺えます。仏道を志す者としても嬉しい限りです。 在家ですが、日々坐禅を行って心の清浄に努めています。 多くの質問者は、他人の質問を読むことでも勉強になっていると思います。 「苦」を観察しました。 我々は見るものであると同時に見られるものです。我々は現象を観察するものであると同時に観察される現象そのものです。 いつも主体と客体という目線でしか観察できていませんでしたが、己を客体として観察すると、己は他人(=現象を見ている主体)から見れば「客体」であって、見られる現象そのものです。 現象は諸行無常であり縁によって起こっています。この世は、全てが縁によって起こっているので恒常不変の「我」など無いので無我であり管理や制御のできない世界に生きています。 現象は常に未知であり無常であり無我であるゆえに実体のない蜃気楼か幻想のような実体のない「空・無」です。この身体や五感も現象であって、無常です。この世は、一時的な現れの現象が連続で展開されているだけでしかありません。 己に視点を移すと、我々は未知なる一瞬一瞬の刹那を体験してるだけです。この幻想の「世界」では掴むことのできない「空・無」を一生懸命につかもうとしています。しかし、己の頭の中では「現実」として展開されていて掴めるものと思い込んでいます。できもしないのになんとか掴み取ろうともがき苦しんでいます。しかし、叶わないので「苦」となっていると思います。 存在していない仮想の「わたし=無我」を使って、掴むことのできない世界で掴もうとする「渇愛」がありつづけます。「渇愛」を消すこともできずに「苦」のままに生かされています。 我々は、楽で「苦」をカバーしきれなくなり、「苦」に耐えきれなくなるようです。やり場のない怒りや憤りが募り、仏道に拠り所を求めるようになっているのでしょうか。「苦」を認識することによって仏道に入っていくなら、「苦」は避けるものではなく直視しなければなりません。「苦」は消滅できると証明されたのがお釈迦さまでありその道が仏道であると日々感じています。 お坊さんのますますの活躍をお願いいたします。
YouTubeで、お坊さんの怪談話の動画を観たんですが、怖くて最後まで聞いてられませんでした( ;∀;) 他の話なら面白くて、楽しいからいつまででも聞いていられるのに。 お坊さんて何でそんなに、話をするのが上手いんでしょう・・・。 私が下手すぎるだけなんでしょうか。 怖いなら、怪談話なんて、見なければいいのにって思われるかもしれませんが、見てしまいましたΣ(ノд<) くだらないこと言ってごめんなさい
夫は、日本で働く外国人です。 今回、漢字圏の国と仕事をする際、書類に名前を漢字表記しないといけない場面がありました。今回は職場の人に、あて字をしてもらいましたが、次回のために、きちんと、よいご縁に繋がりそうな漢字を、御坊さまに考えていただくことはできるでしょうか。 ご回答、ご指導、よろしくお願いします。
お上人方にご相談です 私自身は、寺の長男一人っ子として生まれで父が実父であり師匠となっています 父は、都会の檀家1000件の大きなお寺の三男として生まれ、修行はどこへも行っていません。人の紹介があって、今のお寺(地方寺院、檀家200件)に婿にきて私が生まれました。 先代(私の祖父)はもう20年前に亡くなり、父が新住職として主導しております。 私は、幼い頃から父とは親子仲はよくなく、高校卒業と共に大本山の小僧として入り、その後、父から「うちにはお前の給与はだせないから、他で勤めなさい」と言われ、昨年末まで都会のお寺で勤めさせて頂きながら、そこのご老僧に配慮を頂き宗門の修行はすべていくことができました。(費用は寺から出なく自費で出だしてきました) 昨年末、勤め先のお寺もご老僧から若上人へ代が変わり私も仕事が無くなり、言わば退職となり、自分の年と両親の年など考え、正月から実家の寺に戻りました。 僧侶となってはじめて、師匠と一つ屋根の下で暮らし始め、いろいろ気づくことが増えてきました。 1、お寺のお金をおよそお寺の活動とはほど遠い趣味の分野としてお金を使っていること 2、お経を法事葬儀以外朝夕のお経などを一切あげない、本堂にすらはいらないこと 3、風俗へ通っていること 4、母への暴言 5、私には仕事はさせないこと(することもないので、自費でゴミ袋と箒を買って掃除をします。それも嫌な顔をされます) 6、給与は月に50000円頂いています(食事は三食寺で頂き、寝るところは幼少の時の部屋があります) お寺には貯蓄はなく、借入金もあるそうです。(総代さん曰く) 親子とは言え、出家した時点で親子でなく子弟であり、僧侶として師匠と弟子との関係は絶対であるという認識でいます。しかし、上記の理由など疑問に思うことが多くここのところ悩んでいます。 師匠の僧侶としてのあり方に異を唱えることは果たしていいことなのか? それとも、黙って反面教師としてでも仕えるということが進みべき道なのか葛藤しています。 ことあるごとに、「だれがここを継いでもいい」と後継はお前で無くともということをちらつかせています。今まで一度も反論したことはありません。 恥ずかしい話し、仲間にも顔を合わせて聞けずにいます。 どうすべきなのでしょうか?
タイトルに書いてある通りお坊さんが何かハマっている事はありますか? 私は多趣味なのですが、ミニ四駆、スパイスだけでカレーを作る、ドライブ、キャンプ、料理、精進料理(昨日は精進うどんを作りました)、座禅、YouTubeを見る事(こばしりちゃん、まこみな、URA-KISSが好きです)、ゲームをする事、パワースポット、将棋、オセロ、カラオケ、盆栽、古武術、手品、音楽鑑賞、映画鑑賞、野菜育て、物作り(小2年生の時に段ボールだけでパチスロ等々を作っていました。)、お茶の飲み比べ等々です。他にもあります。
お坊さんは毎日精進料理を食べているイメージがあります。 思ったのですが、お坊さんの食事って精進料理だけなのかな?と。 肉や魚を使わないレシピがたくさんあるのですが、「精進料理」をネットで調べるとたくさん出てきたのです。すると中華料理や素麺、異国の料理等々がレシピに現れました。 お坊さんはカレーとか中華料理とか肉や魚を使わない料理は食べているのでしょうか? お坊さんは何を食べているのかが気になって質問してみました。 あと、和菓子とかは食べますか?