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「お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

ご挨拶ですが… お返事は大丈夫です!

はじめまして!私は少し前、hasunoha に登録をしていないときから色々読ませていただいてました。 相談ではなく、申し訳ないのですが、このhasunoha や相談に答えてくださる僧侶様には、登録をしていないときから、とてもありがたい存在だと思っておりました。 私は人にいいところを見せたいということで相談できないような人です。 それを克服しようと現在は少しずつカウンセラーさんや保健室の先生に相談をしています。 現在、そのおかげでしょうか以前より、少しですが人を見下したい!という感情や馬鹿にしてしまうことが少なくなってきました。まだまだですが。 私は相談をして、もし解決できなかったとしても、誰かに相談に親身にのってもらったり、応援してもらえるということは自分を無理に責めず、煩悩に苦しむ自分を受け入れられることに繋がると思います。 私の場合ですけど、相談出来たんだ!っと自信にもなります。なによりも、自分の力で人生を歩めるという感覚もつきます。 困った時に受け入れてもらえて背中を押してくれる人がいる、どうしようもないときは大丈夫だよって受け入れてくれる それが、不幸の傷を慰めている、相手に依存している訳じゃなく、希望を持って前に進める力になることを、特定の誰かに相談することで知りました。 だから、hasunoha や僧侶様にはとてもありがたい気持ちでいっぱいです。僧侶様が親身になって相談してくださることを、読んでいるだけですでに感じられました。 私は相談したのに、私の悩みをおかしいとか、変な考えをやめなさい!と、しか言われたことがあり、そのときとても悲しかったです。 どんなダメダメだーという悩みでも考えを改めるように、たとえ、解決の糸口にはならなかったとしても、親身になってくださる僧侶様に感謝しており、過去に人をいじめた経験がある私にもこの場がある希望がある。このサイトのような場は現代社会になくてはならないのではと思います。 また、もし僧侶様も同様に苦しみを持っておられるのであれば、共に頑張りたいという気持ちも湧いてきます。 大変長くなりまして、失礼いたしました。hasunoha では直接ではまだできない、ネットだから相談できることを相談させていただき、前に進みたいです。 ここまで読んでくださりありがとうございました。これからどうぞよろしくお願いいたします。

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お寺さんとの関係の築き方

はじめまして。 今回はお寺さんとの関係の築き方についてご相談です。 以前、臨済宗のお寺さんに観光目的でお邪魔した時に、住職さんが「お庭だけ見て帰られる方が多くて残念です。お寺に来たからには、仏様に手を合わせ、そこの住職たちとお茶でも飲みながらお話でもするのがお寺本来の在り方ではないかと思います」と話しておられました。当方と宗派は違いますが、そのお話に非常に共感しました。私自身、高齢の父母がいるので、そろそろ葬儀などについても普段からご相談できる方がいればいいなとも思っております。 しかし実際問題として檀家制度が薄くなりつつある現在、お寺さんと在家の若い人たちとの間にはハードルができてしまっている気がします。縁もゆかりもないのにいきなり飛び込んでいってご迷惑をかけないか、また法事などの特別な用事もないのにお電話をしてアポを取ってお邪魔してもよいものか…そこにいらっしゃるご住職やお坊さんたちもとてもお忙しいでしょうし…とまあこんな具合に悩んでいます。 ちなみに昔は父方の家系が村にあるお寺さんにお世話になっていました(もしかしたら元々は檀家だったのかもしれません)。 しかし村を出た父の代から疎遠になり、祖父が亡くなった現在、私はご挨拶へ伺えていません。また、自分の意志でそちらのお寺さんへ伺おうにも、新幹線の駅から車で一時間以上はかかるところで、なかなかご挨拶へ伺いにくいです。父へ真剣に仲介をお願いしてもはぐらかされてばかりで。私ひとりで伺ったところで相手してもらえるかと思うと気後れしてしまいます。 問題をまとめると ①新しく今住んでいるところの身近なお寺さんとのご縁を築く ②それとも祖父の代からのご縁を何とか復活させる どちらにするか悩んでいます。そして、どちらにせよその方法論もわからないので更に悩んでいます。 長々とすみません。上記の三点について、どうかご助言お願いできないでしょうか。

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禅の心

以前、代々ご家族の血縁でお寺をされている長男のお坊さんとお付き合いさせて頂いておりました。 私は、小さい頃からずっと日本の文化が 好きです。行動や意味、全てに想いが詰まっていると思うからです。禅もそうだと思います。宗派や教えは違いますが、修行する意味、教えの意味、そこにある想いは一緒だと思うのです。 彼は継ぐ決心が出来ず、実家のお寺を離れて大学生をしている時に出会いました。彼のお父様にお会いした時、すごく違和感を覚えました。言葉では表しにくいのですが、冷たい…ドライな感覚です。彼もお坊さんになる決心をして、修行に行くまでの期間、その違和感に似たものが私の中でどんどん大きくなっていきました。偏見の言葉や、権力には敵わないなどの発言も多くなっていきました。お父様そっくりでした。 お別れした後、周りの方からは「私達には分からない世界だからそれは仕方ない」「私達には分からない重圧があるのだろう」と。 それが私には納得がいきません。生きていくだけで辛い事、苦しい事が沢山あります。それはお坊さん一般人関係なく平等にあるものだと思います。 お寺の世界とは、一般の世界とは違うものなのですか?今まで自分が信じてきたものが分からなくなる時があります。

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住職さんとの恋愛について

はじめまして。心が苦しく、初めてご相談を聞いていただきたく…宜しくお願いします。 私は42歳バツイチ今年高校生になる娘と2人暮らしです。長年、シングルマザーで仕事と子育てに没頭していたら今の年齢になりました。 何度かこれまでにお付き合い経験はありますが、基本、子育て中心でしたので、ここ10年くらいは恋愛はしていません。 たまたま、ご縁があり住職さん(融通念佛宗)とお付き合いをさせて頂く事になりました。災害ボランティアをされたり、誠実そうな方でした。 私は僧侶の方とのお付き合いが初めてで、朝早くから夜までお忙しい仕事の様に感じており、彼の仕事を理解しようとし、すべて彼の都合にお任せしてました。 話は変わりますが、本題なのですが、 彼と性交渉をする事になり、これからこの人と少しずつ素敵な人生を歩んでいけたらいいなと思っていました。 元々、自分のモノに違和感があり婦人科で見てもらっていましたが、まれな体質な体(性器)であると言われてました。 突然、ある日、彼からどうしても合わない…気持ち悪いと言われ…別れを告げられました。 私は42年の中で初めて言われた言葉であり、とてもショックと共に、避妊すらしなかった彼にも少し怒りもわきました。 元々、性格がとても好きだし… これから末永くよろしくお願いしますと言われていた事もあり、真剣に交際出来るパートナーに出会えた事にとても嬉しかったです。 別れを告げられてから、急に冷たくなり…女性としてすごくショックです。 彼の本山は、乳児院、母子シェルター 保育園、様々な福祉の心の温かなお寺です。 私も福祉職でして。毎日、人の支援にあたる業務をおこなっています。 住職という方書きは別として彼自信の気持ちの言葉だったんだろうと思いますが、どうもやり捨ての様な気がします。 ですが、私は彼に見返り等を求めてはいませんし、ヒドイ言い方されてまで、彼にそれほど、心残りはありません。 ただ…住職というお坊さんなら信じてもいいかと思っていただけにショックもあり、聞いていただきたく思いました。彼は46歳です。 今のこのモヤモヤはどうしたらスッキリするでしょうか?またもうすぐ誕生日という事もあり、お坊さん名を彫って貰ったボールペンを購入してます。 捨てるべきか、渡すべきか、悩みます 長文になりましたがどうぞよろしくお願い致します

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私の「道」とは

初めまして、芹香と申します。 私は幼い頃から宗教学、宗教史に興味があり、父方の親戚に住職さんがいることから、特に仏教学に強い興味を惹かれていました。 ですが、私は、父が熱望していた看護師になるため、看護大学に入学しました。 しかし2年前、「これは私の道じゃない」という思いから、うつ病を発症しました。 そして父の期待を裏切ってしまったこと、そして自分の「道」が見えなかったことから、絶望し自殺未遂を繰り返しました。 ある日私はネットの友達に相談をしました。その友達はお寺出身で、大学で仏教学を学んでいました。 その人に、「自分の「道」が見えない、こんなんなら死んでしまいたい」と言うと、その人は間髪入れずに、「君は何度自殺しても死なんかった、つまり君は生かされたんやから、その命を人に使えばいい。それが君の「道」やと俺は思う」と言われました。 それから私は、これまでの私を受け入れ、自ら命を絶つということをやめました。現在はアルバイトをしながら生活しています。 ところが今年、父が肺病で緊急入院になりました。そして、担当医から言われた言葉は「夏は越せない」というものでした。 母も私も途方に暮れ、残りの命が少ない父に何が出来るだろうと、必死になって考えました。しかし、なかなか現実を受け入れることができず、日々は過ぎていきました。 そんなある日、母がぽつりと「家に帰れないんやったら、せめて、私たちだけでも普段通り接してあげようよ」と言いました。私は「分かった」と返事し、早速その日のお見舞いから、父と何事もないように接することになりました。 父は自分が余命宣告を受けていることを知りません。私達も口外にはしません。病室で、私と母と父は雑談をしては笑い合います。もうすぐ夏になりますが、そんなことを忘れて、私達はいつもの家族として笑い合います。 そんな中、私はふと、自分の「道」を見つめてみました。 すると今まで真っ暗だった道が開けて見えました。そこでは、父や母、そして私の友人達が笑顔でいました。 そう私の「道」は「人を笑顔にさせ、苦しんでいる人を助けること」でした。 私は将来僧侶になりたいと考えています。しかし本で得た知識しか私にはありません。なので、ぜひ私に色々とご教示下さると嬉しいです。 長々と自分語りが長く申し訳ありませんがよろしくお願い致します。

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坊主と乞食はどう違いますか?

挑発的なタイトルで申し訳ありません。もっとマイルドにしたかったのですが、字数の関係でできませんでした。決してお坊さんを馬鹿にしてやろうとか、悪口を言ってやろうとかいう気持ちはありません。むしろ日々尊敬しております。なのでそこの所をご理解いただけたら幸いです。 本題に入ります。 まことに、大変失礼な質問だとは思いましたが、心の中にふと思い浮かんでしまいました。 仏教書を読んでいたら、「仏教の出家者は一切の生産活動を放棄して修行に専念しなければならないので、一般の人たちからお布施をもらわないと食べていけません。」とありました。 その部分を読んだ時に浮かんだことは、「お布施をすることによって、お布施をした人にはなんのリターンがない。これでは乞食に施しをするのと同じでないか?」ということです。 もちろん、お布施をすることによって功徳が積める、物惜しみに打ち勝つことができるというのは分かっているのですが、現代人にそんなことを言ってもそれが何だよ?と鼻で笑われるでしょう。もし私が誰かに「坊主と乞食って何が違うの?笑」と聞かれたら私はなんと答えればいいのでしょうか? ちなみに身近なお坊様(そこそこ名のある立派な人です)にこの質問をしたら「違わないんじゃね?」とのことでした。ハスノハのお坊様方はどうお答えになりますか? 大変罰当たりな質問だと思います。このことで私の身に不幸が起こったら甘んじて受けるつもりです。しかし、後学のためになんとかお答えしていただければ幸いです。

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悲しみは成仏の妨げ?

死者のことをずっと考えていたり、 悲しんでいたりすると、死者が成仏できない。 前向きな姿を。 と、よく聞きますが、自殺者の場合もそうなのでしょうか。 自分のいない世界で、家族が、平気な顔をしていたら、 「やっぱり自分なんかいなくても良かったんだ」 と余計悲しくならないのかしら。 悲しんでもらえないことが、故人には余計に寂しく感じられるのではないでしょうか。 たった一年でこんな当たり前に過ごしてしまっていたら、寂しいと思うのです。 当たり前じゃないのに。 お葬式のあと、お茶碗を割った。 その行為が、もう帰ってきても一緒に食事を囲めないから帰ってこないようにね。なんて意味だなんて知らなかった。 そんな意味ならやりたくなかった。 その気持ちが成仏の妨げになっているのでしょうか。 それとも、本人が悲しくても寂しくても、「自分なんかいなくてよかったんだ。」とマイナスな解釈だとしても、現世に未練を残さない方が本人のためになるのでしょうか。 出来ることなら、家族にもみんなにも愛されていた。と納得して成仏してほしいと思うのです。 そんなマイナスの解釈で成仏するのが幸せなのでしょうか。 寂しい気持ちにさせてしまうことにならないのですか。 私は 私だったら、それはとても寂しいです。 生きていてほしかった。と、現世と無理矢理関係をたつなんてしないでほしかったと思ってばかりです。

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