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「自分の心・体」を含む問答(Q&A)一覧

希死念慮

平成17年から双極性障害で悩まされています。 現在は今年に入って自殺未遂を3回して精神病院に入院中です。方法は色々と試しました、すべて共通する点は睡眠薬の多量服薬と車の中で行いました…包丁で首切り、ネクタイで首吊り、ビニール袋を被ってなど。 なぜ、死にたいか単純に言うとお金です。自分が死ねば自殺でも保険金が約4500万、マンションのローンがなくなり約2000万で売却できます。 家族構成は前妻と長男20才、長女は19才の4人暮らしです。 もう自分は平成28年4月から無職で支援センターなど精神科医からアドバイスを頂き挑戦しても続きません。借金も1000万近くあり、心がぼろぼろです。ひざも悪く肉体労働は難しいです、少しやりましたが続きませんでした。 もう4回目の入院で退院しても繰り返すような気がしてなりません。もう身近な人達は呆れてます、唯一家族はギリギリ我慢してくれてます。 母が数年前に同じ病気で自殺してます、親父が亡くなって半年後に亡くなりました。ずっと同じ病院で治療してましたが後悔しています、入院とか障害年金、障害手帳など、そこの医師からは一切そう言った助言がありませんでした。 自分は色々と教えてもらい何とか生きていますがもう限界かな…?働けないのが怖いです。 希死念慮は消えるものなのでしょうか?

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気持ちを切り替えたいです

つい先日、結婚している叔母が離婚を考えてうちに帰ってきました。 私の家は母方の祖母の家で、祖母、両親、私の4人で暮らしています。共に過ごし始めて10年経ちますが、決して平和な10年ではありませんでした。 引っ越してすぐの頃は、祖母が何かしらの文句や不満を母に言い、もちろん母もそれに怒って言い返し、それに対して祖母がさらに怒り怒鳴り返すということが毎日続いていました。祖母は昔からプライドが高くかつ寂しがり屋なので、自分のやり方が否定されるとすぐに「気に入らないなら出ていけ」など私達に怒鳴ってきました。また、祖母を置いて外出した時も、怒鳴りはしないものの気に入らないらしく、「私が死んだらせいぜいたのしく出かけられるだろうよ」なんて、何か知ら嫌味を言ってきたり不機嫌な態度をしてきます。 最近はかなり落ち着いたものの、そう簡単に性格は変わることなく、最近は年もとったこともあり、母も介護や私は10代の頃の家庭環境がトラウマになっているらしく、アダルトチルドレンになっています。今でも祖母の事を今でも少し避けていますし、正直早くいなくなってくれれば、家族水入らずで旅行に行ったり、ほかの家庭では普通の事ができるようになるのにと思っていました。 そんな中で、10年前に結婚して家を出ていた叔母が、大喧嘩をして帰ってきました。前から叔母の夫は自分のことや自分の家族を優先していて、叔母に相談もなく華族を家に呼んで夕飯を作らせたり、自分の用事がある日も叔母に電話をさせて目覚ましにしているような人でした。今回もくだらないことで叔母に大激怒し、叔母も嫌気がさして帰ってきたそうでした。叔母には失礼かもしれませんが、私は本当に本当に嬉しかったです。叔母がいれば、祖母も機嫌が良くなり、母も負担が減って働きにも行けます。私も、毎日祖母と母のことを気にせずに過ごせます。10年苦しんできて、やっと幸せになれると思ったんです。 ですが2日後、叔母は帰ることになりました。離婚すると飛び出してきたものの、やはり夫の家や仕事が色々気になるようです。また、叔母から夫に電話をして、「これからは無理しすぎなくていい。仕事も残ってるから帰ってこい。」と言われて気持ちが揺れたそうです。私は絶望しましたし、叔母が幸せになれると思いません。ショックで悔しくて悲しくて涙が止まりません。気持ちを切り替えたいです。どうすればいいですか

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亡くなった愛犬

こんにちは。 1年ほど前に老犬である愛犬についてご相談させて頂きました。 アドバイス頂いたように、愛犬と過ごせる時間を大切に過ごしてきました。ここ数か月は、私の仕事の帰りを待ち、私がただいまと声をかけると、すぐに立ち散歩に行こうとしました。散歩が大好きだったので、付き合いました。 この1週間、転ぶ回数が増えていました。ですが、この3連休の最終日は、元気だった頃に歩いていた散歩コースに自ら行きました。 その翌日(おととい)立つことが出来なくなりました。 足腰が弱っているのを2年前に目の当たりにし、その姿を見ているのが辛いと両親は安楽死させることを考えていましたが、私は反対でした。 その日の夜ごはんの後、何とか立とうとしているのが分かり、手助けをするとそれまで前足に力が入らなかったのに歩き出し、補助こそありましたが、少し庭に出ました。そして寝る前、濡れたタオルで体をふいたり、夜中に一度起きて、水を飲ませてやりました。 昨日の朝、母が愛犬を見て、まだ生きているのだから、安楽死させずに最期まで看取ろうと言い、そうすることに決めました。もう自力でトイレも行けなかったので、父が愛犬を抱いて移動させて、その間に母と私が敷いていたシートやバスタオルを交換しました。そして、私は昼休みに水を飲ませに帰ってくると伝え仕事に出ました。 その後、それまで水をやっても拒んでいた愛犬が母の前で自ら立ち、自分で水を飲み、少し庭まで出たそうです。なので私が戻るまでの間、庭で立てなくなったらいけないと、庭に出れないように傘を置いて母も仕事に出ました。 その数時間後のお昼休みに私が戻ると、寝ているはずであろう場所に愛犬がおらず、傘も動いておらず通せんぼされた状態でしたが、庭の炎天下のもと、息を引き取っていました。 すぐにペット葬祭に電話をし、引き取って頂くことにしたのですが、私は仕事もあったのもありますが、そこに立ち会えるだけの強さはなく、最後にお礼とお別れを告げ、仕事に戻りました。 最後まで立ち会わない、こんな冷酷な私を愛犬は許してくれるのでしょうか? 悲しい半面、楽になれたのかなと、ほっとしているのも事実です。 どうやって傘の向こう側に行ったのかも気にはなりますが、やはりこの暑さです。どのくらいの時間そこのいたのか、元々仕事を休んで様子を見るか悩んでいただけに、悔やんでも悔やみきれません。

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心が麻痺してる?

お世話になっております。 先週、とても愛していた彼女が亡くなりました。昨日で一連の葬儀も終わりました。 死因が自死ということもありとてもショックで、今日の午前中までは喪失感から胸が痛み、彼女のことを思い出すと涙が溢れ、とても仕事ができる状態ではないながらも出勤してきました。 しかし、今日の午後から何も感じず、悲しいという感情も起きなくなってしまいました。まるで機械のようです。 悲しいと感じないからと言って、彼女を喪う前のように笑ったり、趣味を楽しもうという気も起きません。でもあれだけ胸いっぱいだった罪悪感や喪失感が感じられず、なんというか無の状態です。 私はこんなにも薄情者ということでしょうか。それとも何かが壊れてしまったのでしょうか。 彼女を愛していたという感情も嘘だったのでしょうか。 大切な方と死別してしまった方のお話を拝見すると、長年その喪失感に苦しんでいらっしゃる方が大半なようです(当然ですが) 私はサイコパスなのでしょうか。悲しいという感情だけではなく、すべての感情が消えてしまったような感覚です。 今日の朝までは男のくせにわんわん泣いていたのに… 突然悲しみが消えてしまった理由に心当たりがあれば教えてください。 ※抗うつ剤等の薬は服用していません

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疎遠だった父が孤独死しました。

はじめまして。 先日、二年前に母と離婚して以来疎遠だった父が危篤との連絡があり、その翌日に亡くなりました。 父は昔から怒りっぽく乱暴で、母と兄は大変な思いをしていました。 しかし末っ子長女の私にだけは甘く、私も小さいときはお父さんっ子でした。 しかし、大人になるにつれ、母と兄への当たりの強さに嫌気がさし 父とは離婚の三年前ほどから、ほとんど会話もしていませんでした。 その後離婚が決まり、父を家から追い出す形で疎遠となりました。 先日までずっと父を恨んでいました。 家族の人生をめちゃくちゃにした男だと。 父は大家族の末っ子でしたが、幼いときから家族に迫害され続け、家族と絶縁するために 母と結婚するときに婿養子となったそうです。 私や兄の父親として、母の夫としては未熟でした。 しかしそれは父の生まれ育った環境のせいだったのではないかと思います。 それでも先日までは、今までの恨みが消えず、死んでも何も思わないだろうと思っていました。 しかし病院で息絶えた父と再開し、主治医から二年間のことを聞いたとき、 なぜ生きているうちに会ってあげられなかったのか なぜ離婚前に父の苦悩を受け止めてあげられなかったのか 後悔が押し寄せてきました。 何度も涙が出てくるのです。 父はこの二年間、体も精神的にもぼろぼろで、働き口もなかったようで生活保護を受けていました。 私は一人、亡くなった当日に病院へ駆けつけ、父の身支度を手伝い、病院から直接葬儀場に送っていただくのを見送りました。 その時立ち会ってくださった看護師さんが父にかけた「娘さん来てくれて嬉しいね」の言葉が心に突き刺さり抜けません。 その感情が来てよかったの気持ちなのか、間に合わなかった後悔なのか、たった一人苦しんで旅立った父を哀れむ気持ちなのかわかりません。 数日後には火葬されるので、その日も行く予定です。 しかし遺骨などは色々な事情により引き取りができないため、父は無縁仏になります。 ずっと孤独に戦ってきたであろう父。 父は私を家族を恨んでいるでしょうか。 身寄りのない父を家から追い出したこと、 一度も連絡を取ることなく、死に目にも会えなかったこと、 死んでもなお一人にさせてしまうこと。 そして私は父の死とどう向き合っていけばよいのでしょうか。

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