憎んでも恨んでもいないものは、許すも許さないもないのですが
友人の助言により、家を出ました。
その友人は
・私が両親が好きだということ。
・私の持つ強迫観念や、自己肯定の低さが、親によって形成されたものだということ。
・そのために、自ら不利益を得ても自己のせいだとして、相手を増長させること。
を理解し、家出をすすめてくれたのです。
私もうすうす、そのように感じており、家出をしてから
「親にとって、あるいは周囲にとって、都合のいい子でなくても、生きていてもいい」
という意識が芽生えました。
ですが、その友人のように
「両親は好きだが、共に暮らしていると苦しいので、家を出た」
と理解をされることは少なく
「大人なんだから、いいかげん両親を許せる度量を」
というような意見などを頂戴いたします。
もともと、恨んでも憎んでもいないものを、どう許せばいいのか。
ほんとうは私は、自分でキレイに自分をつくろっているだけで、両親を恨んだり憎んだりしているのではないか、と怖くなります。
モラハラ、という言葉があります。
親子であろうと、違う人間なのですから、思想の違いはあって、あたりまえだと考えています。
ネグレクト、という言葉があります。
親の都合のいいときだけ、用事をいいつけるときだけ呼ばれ、賞状をもらっても、ほめられたためしはなく、弟と遊びに行くために病気の私はひとり置いていかれることも、しばしばでした。そういうものだと理解し、役に立たない状態なので仕方がないと、思いながら育ちました。
そのような状態の親子であれば、親を憎んだり恨んだりするはずだ、と言われるのです。
けれど私には、そのような激しい感情の自覚はなく、ただただ「あきらめ」の自覚しかありません。
しかたがない、だから、こうしよう、という形の「あきらめ」です。
そうすると、きれいごとだと言われます。
良い子ぶっているだけだと。
ひとさまから見たら、私は両親を恨み憎んでいるように見えるのかと、困惑しています。
私はただ、両親が好きだからこそ、自分を自分としていられる距離を置いて、あの方達と接していたいと思っているはずなのに。
どうぞ御返答、よろしくお願い申し上げます。
有り難し 13
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