食べる事が止まらない
申し訳ありません。長文になりますがよろしくお願いします。
私は東日本大震災にて実家を流されました。家族が無事だった事が何よりの救いでした。
父の生家は山の方にあり、そこに一人暮らしだった祖母を町中に家を建て引き取ったので使っていない父の生家に私の家族と従兄弟家族などが集まり15人で避難しましたが、誰も住んでいない為、物置として使っていたので古い布団や古い服などあれど食べ物はなく、近くの炊き出しに行くしかありませんでした。
炊き出しを行っていた場所は、集会所で近所の人たちが支援物資を使って提供していたのですが、その炊き出しの手伝いを申し出ても断られ、何故と疑問に思いましたが、近所の人たちが支援物資のほとんどを自分の家に運び、朝晩の炊き出しで出されるのは子供の茶碗に半分くらいしかないご飯と味噌汁と沢庵が一切れだったりのわずかなおかず。昼は小さめのパンが一人一つわたされます。
その横で近所の人たちは大人の大きめな茶碗にご飯と味噌汁と沢庵や漬物。明らかな差があり、不平不満を言う人へは「文句があるなら、もう来るな。」といい、その後はその人と家族分の量を減らすのを見ているので我慢するしかなく、従兄弟も小さな子供がいたので自分の家族に食べさせるのに必死。私は自分の分の米とおかず、パンを祖母と父と兄に朝昼晩に分けて食べさせて自分は味噌汁だけで我慢しました。
家のなかにいても寒いので庭で焚き火をして暖をとるのですが、薪を拾いに山に登り縄で縛り背負って運びの繰り返し。
夜はガソリンを抜かれるので車の見張りや、不審者や変な人が来るので門の前で交代で夜通しの番をしたり…など時代錯誤なことばかり。
私はそれまで、あまり食事に興味がなくオシャレや趣味に時間やお金を使っていました。しかし震災にあい、寒さと不安、特に自分と家族の空腹が本当に辛くて悲しくて。そうしてるうちに一週間はあっという間にすぎ、私の居場所を聞きつけた友達が着替えなどの生活必需品や食料をもって来てくれました。
その友達に連れられて、職場のあった隣町へと行き、被害のなかった場所で食べたアツアツのラーメンと餃子の味に感動しました。
それから徐々に環境は良くなりましたが食べる事がやめられなくなりました。食べていないと不安で、私は30キロも太ってしまいました。
毎日胃薬を飲みながら食べてしまいます。
どうすれば不安はなくなりますか?
有り難し 22
回答 3