仏教に様々な宗派がある理由
いつも拝見し、様々な方のご質問やお坊さん方のご回答を読ませていただいては多くを学ばせていただいており、ありがとうございます。
初めて勇気を出して質問させていただきます。。。
少しずつ本を読んだり話を聞かせたいただいていますが、まだまだ初心者です。
本来ならばいずれかの宗派に特化して学ぶべきなのでしょうが、まだそこまで絞れておりません。
少し学んだレベルなのですが、自力の仏教も他力の仏教も頷かされることが多々あります。
どちらの仏教も並立するんやないかなと思うこともあるくらいなのですが、他方、それぞれで相反する考え方もあります。お経さんでも同じです。
元はお釈迦様から始まった同じ根っこなのに何故なんやろう…と不思議でした。
これは、対機説法、応病与薬が具現化した結果だと理解するべきものなのでしょうか?
そうであるとするならば…
浄土真宗では、煩悩はなくならず、自力では決して救われず、悟ることはできないと聞かせていただいています。
他方、禅宗では、煩悩を減らして行き修行を重ね悟りに至ることを目指すものと認識しています。
ということは、人それぞれによって(対機)、自力で救われる人もいれば他力で救われる人もいる、
煩悩のままで救われる人もあれば、煩悩を減らして(なくして)救われる人もいるということでしょうか。
どの様な人に、どの様な説法=教えが適切なのでしょう⁇⁇
屁理屈の様な、ド素人の、アホな質問で大変恐縮ですがご教示頂けますと有難いです。
もしかして過去にどなたかが似た様な質問をされて回答がある様でしたら申し訳ありません。
宜しくお願いいたします。
有り難し 37
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