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hasunoha 問答検索結果 : 「私 後悔」

検索結果: 9282件

乗り越え方

家族の死をどうやって乗り越えたらいいのでしょうか、、、 昨年、家族の病気が進行し、治す術もなく看取り優先での生活を告知され、そばで看取りをしました。 最後の瞬間まで看取り、人の死ぬまでのその一瞬も逃さず、他の家族と一緒に静かに見守り、泣きながらありがとうと伝えました。 私にとって一番の応援者であり、師であり、父であり、時には喧嘩相手でもありました。 看取りは母が一番そばで行っており、私は死が近づくのを見てられなくて父に対して素っ気ない態度で接したり、話さなかったりと酷いことをしてしまったなと後悔しています、、、 毎日、父とメッセージのやり取りをしていました。父は亡くなる前まで応援や励まし、アドバイス、いつもの冗談をメッセージに残して送ってくれていました。 私は、父に対して親孝行ができなかったと、かなり後悔しています。 結婚して子どもがいたら孫を見せられたかもしれない、花嫁姿なんて見てくれたかもしれない、母との食事のプレゼントもできたかもしれない、一緒に旅行もたくさん連れて行けたかもしれない、、、 そんなことばかり、頭に浮かびます。 最後まで心配させてしまったし、素っ気ない態度で話してしまったり、、、 もっと心温まる言葉とか、優しさとか、そういうのを以て対話していたらよかったのに、とずっと後悔ばかりです。 もう二度と、父からメッセージは来ないし、会話もできない、父が大好きだった旅行もできないし、二度とそういう時間は来ないのだと思うと、どうしていいのか分からない程の悲しみと虚無感と後悔とで苦しいです。 でも乗り越えなければならないし、家族を支えなければならないと自覚しています。その中で、一人にしないで、という残りの家族に対する自分自身の寂しさと甘えとが一気に上がってきます、、、 自分自身もいつかは死ぬというのは分かっているんですが、今目の前にあるこの虚無感と怖さとどう対峙すればいいのか、分からないのです。 お叱りでも大丈夫です、お忙しい中この文を見ていただいてありがとうございます。

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三人目の子供を中絶してしまいました

私には愛する子供が2人います、夫も私と子供を愛して大切にしてくれ、幸せいっぱいでした。 子供は2人で、3人目は考えられないね、と話していた矢先の妊娠でした。 病院で妊娠が確定しますますパニックになってしまいました。 とにかく不安要素しか頭に浮かんできませんでした 私自身の体調の事、ほとんどワンオペ育児だった事、時期的な状況、なによりまだまだ小さくママっこで抱っこの取り合いばかりしている2人の子供に寂しい想いをさせてしまう 様々な不安要素を頭で積み重ね、苦しくて苦しくてどうしても産む決心が出来ず、夫と母と話し、中絶をしました。  手術が終わって次の日から後悔が止まりません。 何故あんなことをしてしまったのか、お腹にいたのは我が子で、今いる子供たちと同じように私に愛され抱かれるべき命だった  手術の日、あの時こうしていれば、やはり何があろうと産むべきだった、そればかり考え時間を戻したい、とそればかり考えてしまいます。 2人の子供達を可愛く思うたびにあの子もこうして私に抱きしめられ守られるべきだった、と自分を責めて苦しくなります 私が後悔で苦しんでいる事で、母や夫も苦しめている事は分かっています この事を一生抱えて生きていく、それは覚悟しています、けれど子供たちには何も罪はないのです、笑わせてあげたい、楽しい時間をたくさん過ごさせてあげたい、その前提に私が笑顔でいないといけないと言う事はわかっています、しかし今はそんな自分も許せない気持ちでいます。 供養は先日してもらいました、あの子は守ってもらえると思えましたが、供養してお地蔵様に祈りながら、我が子をこんな所へ一人で行かせてしまった、と涙が止まりませんでした。 いつか、準備をきちんと整えて、再びあの子を授かりたい、その時は必ず幸せにする、その為にまた選びたいと思えるママになる、そんな考えにすがって生きるのは間違っているでしょうか?

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2025/07/09

父を看取った時のことを引きずっている

一年前に父を看取りました。 当時父は緩和ケア病棟に入院していて、病院から危篤の連絡があって母と向かい、そのまま看取りました。 最後にみた父は息をするのも苦しそうで、しきりに何かを伝えようとしていましたが、声は出ず、私はただベッドの横にしゃがみ込んで、「今までありがとう」という言葉を繰り返しながら父の手を握り泣くだけでした。 こういう時、(家族間が良好な場合)おそらくみんなが「死なないでほしい」と考えると思います。 でも私は、「早く楽になってほしい」と思ってしまいました。 父が苦しんでいる姿が見ていられなかったし、父の身体はどうしようもない苦痛に満ちていらと考えたら、もう苦しまずに早く楽になってほしかった。 病院から連絡を受けた時、今すぐなくなるのか、それとも1日くらいはもつのかわからないと聞いていたので、このまま24時間ちかくも父が苦しんでしまう可能性があると思うと、自分の手でもう楽にしてあげたいとまで思ってしまいました。 父には幼い頃からたくさん旅行に連れて行ってもらい、一時は反抗期も迎えましたが、大人になってからも色々悩みを聞いてもらったり、自分が会社でパワハラを受けて退職した時は実家に呼び戻してくれて、落ち着くまではここにいなさいと温かく迎えてくれたこともあります。 今でも街中で背格好が似た人を見かけたら、父かもしれないと期待して顔を見てしまうこともあります。父の好きだったものを見ると涙が出ます。 それぐらい父のことが好きなのに、最後の最後にそう思ってしまった自分のことをとても後悔して、今でも引きずっています。 でも、苦しむ時間が長くなるだけだから、死んでほしくないとはどうしても思えなかった。 私はひどい人間です。父の最期を目の前にしてそう思ってしまったことをずっと後悔しています。この後悔とどう向き合えば良いでしょうか。どうすれば素直に「死なないでほしい」と思えるような人間になれるでしょうか。

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突然過ぎる父の死

一人暮らしの父が亡くなってました。 突然の警察からの連絡でまだ、気持ちの整理がつてません。   私は結婚して県内ですが少し離れた所にすんでいます。   男手一つで育ててくれた父、とても良い子とは言えなかった娘だったと思います。 心配も凄くかけてしまったと‥   2ヶ月前に孫が産まれたばかりで顔を見せる事は出来ても抱っこさせてあげる事は無く死んでしまいました。 本人曰く「小さく怖いからいい」と不器用な父らしい言葉でした。   父とは大人になってからはとても仲良く、一人暮らしで持病もあった為よく電話もしてました。   丁度、一週間前に電話したばかりで その時は何もなくいつも通りでした。   生前から父は「いつ死んでも後悔はない」と言っておりました。   でも、私は父が死んだ時に 一人で苦しんだんではないか。 寂しかったんではないか。 そこに私が居れば助かったのではないか。 孫との時間をもっと過ごしてほしかった。 ‥後悔ばかりです。   死は突然と分かっていても【この世で唯一の味方だった父の死】なかなか受け止めきれません。   私も親になってこれから色々な話が出来ると思ってました。   孫の誕生もとても喜んでいて、先月には写真を撮りにだけのためにわざわざ車で2時間かけて家にきました。   孝行したい時には親はなし 本当その通りです。   死んでしまった今、何かしてあげれる事ってあるんでしょうか。

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暗いトンネルの先に光はあるのでしょうか?

旦那のモラハラで家を出て実家に戻り1年半。息子もその時に一緒にでて一人暮らしすることになりましたが、鬱になり私と一緒に実家にお世話になっています。その後息子は鬱で会社を辞めた旨を言ったうえで就職もきまり、自分自身体を鍛えてジムなどにいって順調だったのですが、半年後心臓の動機と手の震えで、適応障害といわれ病休になってしまいました。会社もとてもよいところみたいで、ちゃんと治してから復帰するようにやめちゃだめだよと言ってくれたみたいです。とてもありがたいです。本人もいつ戻れるのか不安がってます。私も不安障害などもあり、薬を毎日飲んでいます。この先やっていけるのかも不安ですし、高齢の母にも心配をかけてとても情けないです。かといって自分の収入だけでやっていける自信もなく、もう今落ち込んで死にたい気持ちでいっぱいです。母や子供たちのことを考えるともちろん死ねません。でも後悔してしまうんです。あのとき家をでなければ、お金のことや将来のことなど心配しないでよかったのではないか。お金のことで悩まずもっと楽に生活ができたのにと。もっと大変な思いをしている人がいることはわかっているのに、自分のことしか考えられない私も嫌です。私も不安障害で毎日薬をのまなければならなくなることなんてなかったのではないかと。自分で出てきたにもかかわらず旦那さんのいる人のことをうらやんでしまっている自分もいて本当になさけないです。過去の後悔と将来の不安で今現在を生きることが出来なくなってしまっています。友達は出てきて正解だといってくれますが、私自身我慢をつづけていれば・・・。我慢したらしたで後悔しているかもしれないし。本当に覚悟のできない私が嫌です。誰かに依存しないと生きていけない自立できない自分も本当に嫌です。時間とともに精神も安定するのかと思いましたが、ひどくなっているように思います。だんだんと時間がたつにつれて恐怖が私を襲ってきます。長くて暗いトンネルの先に光はあるのでしょうか?

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最愛の母を死なせました

膵臓癌を患っていた母が、1年9ヶ月の闘病の末、今月11日に67歳で亡くなりました。 前日10日には私も母の通院に付き添い、主治医からは「腫瘍マーカーが少し上がってきたものの、まだまだ化学療法の余地がある」と言われた矢先のことでした。 母の状態は常に気になっていたので、仕事の昼休憩時間には、毎日家に一時帰宅し、母の様子を見ていまして、母が亡くなった11日の昼にも帰宅し、いびきをかいて寝ている母に声をかけましたが、眉をひそめる程度の反応があるだけで、起きようとはしませんでした。 そして、私はその反応を、前日の通院による疲れで熟睡しているものと安易に考え、職場に戻ってしまったのです。 仕事を終え、18時に帰宅した際には、母は既に息を引き取り、死後硬直が始まっていました。 実は母は糖尿病も患っていまして、昼にいびきをかいて熟睡していたのは、今思えば低血糖による昏睡だったのです。そして、私が放置したことで、そのまま心停止に至ったのです。 昼に母の様子を確認した際に、異変に気付き救急搬送をしていれば、恐らく母は今もまだ存命であった可能性が高いのに。 私はよりにもよって、自身の不注意で誰よりも大事な、最愛の母を死なせてしまいました。それも、誰にも看取られることもなく。 逝く時の母は、どのような気持ちだったのか。苦しみながら、私の名前を連呼しながら逝ったのではないのか。 今となっては知ることはできませんが、母を淋しく逝かせてしまった自分を、どうしても許すことができません。 亡くなる数日前には、母は「淋しい、ずっと一緒にいたい」と言っていました。 私も同じ気持ちです。今すぐ母の元に駆けつけたい。 どのようにして亡くなったのか、母の口から聞きたい、そして謝りたい。現世で母を守れなかった分、あの世で現世以上に母を支えたい。償いたい。 仏間に安置している母のお骨に、こう語りかければ、母は迎えに来てくれるでしょうか。

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