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hasunoha 問答検索結果 : 「私 できない わからない」
検索結果: 27928件

お婆ちゃんのこと。

こんばんは。 今度はおばあちゃんについてです。おばあちゃんは認知症です。 元々千葉県に住んでいました。浦安市です。ディズニーの街です。 中2になると同時に、姉・母・私で、おばあちゃんの介護の為に、お父さんを千葉に残し、広島県廿日市市に引越しました。宮島の街です。 中学校が変わり、パートを始めた母に代わり、私がご飯を作ったり、出したりしていました。 中3で塾に行き始めましたが、おばあちゃんに晩御飯を出してから、塾に通っていました。 私は今、岐阜の大学に通っていて下宿をしています。 一人暮らしをして、友達を沢山呼んで・・・という夢は諦め、大学寮に住むことに決めました。 家賃は4300円。光熱費は5000円弱。 ですが、安いですが、抜群に汚く、私は気管を痛めてしまいました。 それでも、デイサービスに行くおばあちゃんの為に自分にかけるお金は、減らして欲しいと思い、大学寮は出ませんでした。 今では、排便や食事もままならず、施設に入っています。 成人式で帰った時に、おばあちゃんに 「俺誰かわかる?」 と聞いたら 「はー、誰じゃったかいねー?」 と言われてしまい、後頭部を強く殴られたかのようなショックを受けました。 「ユーリだよ。」 「大きくなったねー」 どうやら、私は、早稲田大学に通っているらしく・・・ 今年7月に半年ぶりに帰り、施設を訪ねて、同じ質問をしました。 「俺誰かわかる?」 少し考え・・・ 「ユーリ君!!」 私は、驚きました。半年前に忘れていた人間を認知症の彼女が、思い出せるでしょうか? 施設の人曰く、 「いい子にしてたら、家に連れて帰ってもらえるって、思ってるんじゃないかな?」 私は、その場で大号泣してしまいました。 今の私があるのも、彼女がいたからです。 親は、「大変だろうから帰ってこんでええ。交通費もあるし。」と言います。 ですが、2年間のバイトでそれなりに貯金しました。 私は、野球部に所属していて、長期休暇はほとんど練習です。 さらに、勉強。自分磨き。 実際、最近、前述のことを言い訳にしてお婆ちゃんの老いていく姿を、見ないようにしている自分がいるような気がします。 やはり、時間を無理矢理絞り出してでも、会いに行くべきですよね? そして、どう声をかけたらよいでしょうか・・・? 

有り難し有り難し 64
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旦那の兄弟同士とその嫁

旦那の兄弟は男六人で旦那は三番目です。 以前は長男が副住職でしたが、両親とはやっていけないと風化してしまい。旦那が副住職になりました。 旦那の兄弟も兄弟で問題ありばかり、旦那にお金を借りても返さない。指摘すると、「俺は右翼だ!右翼の人間送るか!訴えてやる!」と脅してきたりするひとや。 バツイチですから前回のベビーグッズを貸したらお礼もなく、汚れたまま返してきたり。返さなかったものもありました。 家を建てるのでローン組んだ時の保証人に旦那がなりましたが、ローンがはらえず、保証人の旦那が100万保証金を払うはめに。 その後知らんぷり。 たまたまお寺に泊まった兄弟がエアコンのリモコンが見当たらず、夜旦那に電話してきて、おれもわからないと言うと「暑くて死にそうだ!教えないなら、今から刺しに行くぞ!」とおどされたり。 旦那と義両親が揉めれば、今から俺がお坊さんの学校へ一年間行ってつぐし、お寺の事は俺がやるから!出ていけと言われたり。 みんな別の兄弟に言われたり、されたりしたことです。 こちらは大人ですから、何も言わないし、行動しませんがお寺で育った息子達とは思えません。 私はあー可哀想な人達としか思いません。 軽く受け流してほっとこうと思います。

有り難し有り難し 14
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2023/06/05

過去〜現在での後悔について

私は、ある時衝動的に性的な行動に走ってしまうことがあります。 警察のお世話になったことはありませんが、下着を漁ったり、睡眠中の女性中を触ったりといったことが、ここ10年ほどで数回ありました。 盗撮や痴漢はしたことはありませんが、欲望は時々出てきていたので、その都度欲を抑えながらうまく付き合ってきました。 周りの友人からは、私は所謂優等生タイプに見られているようで、いわば「二面性」を持ち合わせた人間なのかなとは認識しています。 つい最近、お付き合いしていた女性が寝ていた隙に、彼女の鞄を漁るというあまりに最低なことをしてしまい、これまでで初めて人にバレてしまいました。 当然彼女はトラウマを抱えショックを受けているようで、その日のうちにお別れすることになりました。 お相手からは「恐怖感が植え付けられてしまったので、もう会えません」と言われてしまい、直接お詫びすることも叶わなそうです。 今はこれまでしてきたことに対し後悔の念が止まず、自分自身の未熟さに対し涙が止まりません。 ただ、ほとぼりが覚めた後に、また同じようなことをしてしまうのではと思うと、自分自身が怖くなってしまいます。 これまで育ててくれた両親や友人、会社の上司に対しても、こんな人間で申し訳ないと思います。 周りはみな真っ当に生きて活躍しているのを見ると、余計に自己嫌悪に陥ってしまいます。 不快な思いをされたお相手に対する贖罪の意識を持ち続けながらも、二度とこのような過ちを繰り返さず、真っ当に生きていきたいです。 そういう生き方をしていくのには何が大切なのか、アドバイスを頂けますと幸いです。 分かりにくい文章で申し訳ありません。

有り難し有り難し 4
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2023/12/10

老病死に対する自暴自棄

祖母の死から二年経ちます。 それまで親が相続の関係で揉めていたので怒りしかありませんでした。 遺言状を真ん中の叔母が書かせて全財産を真ん中の叔母に託すという趣旨を書いてたのが見つかって、叔母が牛耳ってたので目茶苦茶でした。 弁護士に父が相談して何とか取り分は取れたようです。 それが解決し半年たった今頃急に涙が出てきて、寂しい気持ちが拭えなくなり、何故か心が荒み自暴自棄になりそうです。 子供の頃はお世話になってた祖母なので、その優しい祖母の姿と、叔母に言いくるめられた祖母の寂しさのようなものと、叔母への怒りと恐怖と人間不信とぐるぐるしてしまって、ヤケクソになりそうです。 後、疎遠になった好きな人も難病の母の介護をずっとしていて、その人に対しても何だか嫌になってきました。というか、この祖母の死すら乗り越えられない私がその人とも今後関わる機会かあったとしても向き合える気がしません。このまま疎遠のまま逃げ出したい気持ちと、別にその人は悪くないのになという気持ちと半々です。 本当は母や上の叔母が一番ショックだろうに自分のことばかりで、そんな自分も嫌になります。 いとことも叔母の関係でギクシャクして、昔はとても仲良しだったので虚しいです。 ただ、今までその問題を仕事でがむしゃらに消してたのがプツッと糸が切れたように放心というか、悲しさ虚しさしんどさがどっと押し寄せてきます。一気に仕事どころじゃなくなってしまいました。 明日戦争で私が死ぬとか、明日私が病気で死ぬわけでもないのに何悶々としてるんだろう、という想いも消えないです。 他にも去年別の祖母を介護したあと入居して、それも今頃寂しさや虚しさに繋がっているかもしれません。 習慣のように仏壇でお礼をしてましたが、今思うと最近は理由がわからないまま強迫観念のような感じでやらないと気がすまない感じでした。 広い意味で老病死への向き合い方、乗り越え方を教えてください。 (両親は余りにも淡々とお金の手続きを済ませた、それ以上は話ししたくないという感じだったのでお坊さんに相談しました)。

有り難し有り難し 6
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夫の怒りを買いました。許してもらえないことが本当に辛いです2

※先のご相談の続きです。 今回の原因は私が悪かったとハッキリしています。偶然に、夫のメールを見てしまいました。すぐに閉じれば良かったのですが、タイトルが気になり、開いてしまったのです。職場の女性と思われる人から、明らかに好意を寄せている内容で、度々メールのやり取りをしているものでした。 夫が浮気をしているとは疑いませんでした。それでも、自分に好意を持つ女性とメールをしていることに非常に傷付き、正直に偶然メールを見てしまったこと、過去付き合った人とやり取りをしているのかということを尋ねてしまいました。 以前なら、怒りを誘発することは目に見えていたので、見たことは言わなかったかもしれません。ただ最近は深い愛情と信頼があったので、正直に話せば、聞かずにいられなかった私の気持ちをわかってもらえると考えてしまったのです。 結果、穏やかだった主人はいなくなり、険しい表情に冷たい言葉の、以前の様な状態になりました。「絶対に許さない」「やましいことは何もない。見る行為が許せない」「子どもは勝手に育てればいい。金だけは出す」「連絡してくるな」と言われています。 子どものことを言われるのが本当に辛いです。 どうしたらいいのでしょうか……。 なお、春から夫が海外転勤のため、私は日本で別居中です。秋から私が向こうへ転居予定です。 今は「もう来なくていい」と言われていますが。

有り難し有り難し 8
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留年しそうです

大学4年生です。 留年するかもしれません。自業自得なのですが、非常に焦って不安で仕方ありません。まさか自分がという思いでいっぱいです。内定はいただいています。 親には留年しそうなことはまだ何も言っておらず、3月には卒業できるものと思っています。花子も今年卒業だし、今年の年越しはいつもより贅沢するかな、と言って、いつもより高いお酒を注文したと父が嬉しそうに言っていました。自分が情けなく、いつも通りの家族を見るたび、申し訳なさと罪悪感と不安が襲って来ます。 留年するかもしれない理由は、卒業論文が書けなかったからです。気休めでも少しでも心を落ち着かせようと、卒業論文が書けなかった体験をした人をネットで検索したら、どこもかしこも、卒論も書けないような人間はどこに行っても駄目だ、そんなのは自業自得だ、4年間何をしていたのか、大学辞めたほうがいい、という回答が書かれていました。余計に気持ちが辛くなり、どうすればいいか分からない状態です。どうあがいても自分が悪いのは分かっています。卒論という誰もが通る道でつまづいた自分が情けなくてどうしようもないです。死にたいと思ってしまいます。 周りの人にはどう思われるか、親に失望されるのではないか、内定先はどうしよう、就職出来ないのでは、後輩にどんな目でみられるのだろうか、怖くて怖くて不安でもうどうしたらいいか分かりません。後悔ばかりが襲って来ます。夜も眠れず、寝付いても途中で起きてしまってそこからグルグルと考えが回って寝付けなくなります。すみません、質問というよりは今の自分の気持ちを誰かに吐き出したくて書きました。駄目な自分が辛いです。卒論が書けなくて留年するような人間には価値がないと思ってしまいます。友達に会うのも怖いです。誰にも言えなくてここに書きました。すみません。死んだほうがいいとばかり考えてしまいます。

有り難し有り難し 38
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仕事をするのがつらく、生活が不安です

ここ最近、自立する為に一人暮らしを始めたのですが、ある出来事をきっかけに早く家を出たい為に急いで仕事を探し家を探し諸々の手続きをし…と駆け足できてしまい、精神的にもあまり余裕がなく、その上で現在の仕事に対して酷い苦痛を覚え始めてしまっていて困っています。 チェーン店なのでこのご時世もあってか各所にある店舗をころころと移動して研修をしていたのですが、現在落ち着いた店舗ではその期間の長さの割に仕事が出来ないとやんわりと白い目を向けられる事が多く、また仲良く話した直後、にこやかに悪口を言い合う職場の雰囲気にも馴染めず、新しい仕事内容を出勤する度に一度に沢山覚えなければならない環境もつらく、先日泣きながら帰り、次の日に吐き気や発熱、寒気を覚え、それでも出勤したものの更に次の日には耐えきれず休んでしまいました。 その時には何がつらくて自分はこんなにも苦しくなっているのだろう、やはり自分には働くことなど出来なかったのではないか、やっと少しでも生きやすい環境に身を置きたいと思えたけれど、そんな事を望むには自分には何の能力も価値も無く、働く事も出来ないなら死んだほうがいいのではないかとも考えました。 その後、なんとか友人のお陰で少し精神を立て直しましたが、依然仕事に関しての不安が残ります。 上司と掛け合い時間帯や職場などを変えていただけないかという相談もしましたが、中々取っ付きづらく、不可能では無くとも精神的負担が大きく、転職するにも色んなものが足りずに今すぐにというのは難しいです。 そもそも、環境を変えても仕事を変えても自分なんかに仕事をするという事が出来るのだろうかという気持ちにすらなってしまい、大変苦しいです。 ありがたくも友人、家族等周囲からは比較的優秀な部類と言っていただけるのですが実際仕事となると前回の職場でも人付き合いと過剰労働で参ってしまい辞めた経緯があるので自分を信用出来ません。 これからへの不安や自己嫌悪、焦燥感を飲み込みながら生きていますが、少しでもこの気持ちの和らぐ様なアドバイスを頂きたく質問させていただきました。 わかりづらい文章となってしまい申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 5
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信じる、なんて、できますか?

わたしはずーっと信じていたことがあります。 それは、いつか必ず母が、助けてくれるだろう。 ということです。 こんな地獄から、いつかきっとお母さんが助けてくれる、救ってくれる。そうしてくれるに決まってる。 それだけを支えに、父の極悪非道な暴力から耐えていたのです。だってお母さんはいつもお父さんの悪口を言っていたし、人間として最悪だと教えこまれたんですから。そんな人間からは守ってくれるでしょ。お母さん、でしょ。だから。ずっとずうううっと信じてたんです。 わたしと弟を連れて逃げてくれると幼い頃から信じていたから、わたしは弟の救いの道を絶たないように、警察にも児童相談所にも行かなかったのです。わたしが外にバラしてしまったら、もし弟がそれを望んでなかったら、弟の人生を壊してしまう。それはいけないから。 それがフタを開けてみればなんです? 母親はハナから逃げる気なんてなかったのです。離婚したい、あんなのは人間じゃない、そう言っときながら、わたしたちを父のエサにして、自分の安全さえ守られていればよかったのです。 勇気を振り絞って 「どうして庇ってくれなかったの?」と聞いたら 「そんなことしたらお母さんまで殴られるじゃないの!」と叫ばれました。嗚呼、そういうことだったのか。信じてきたものが、すべて、すべて崩れました。 「あんたが離婚したくないって言ったからしなかったんでしょ!」 「違います。庇ったらもっと暴力が酷くなったから庇わなかったんです」 もう助けてもらえないんだと気付くのが遅すぎた。気付くのに時間がかかりすぎた。それを受け止めて、そこから出るには24年かかった。 「いつか、助けてくれると思ってた」と打ち明けたら 「はあ?助けてもらえるって信じてたの?その年になって?」と。 ずーっと信じてたのに、助けるどころか、いつまでも家にいさせて都合の良い矛先でいればいいと思われてただなんて。 私は弟を「お母さんと3人で生きよう?」とマンションのドアの外の階段で慰めました。 守られなかった。守る価値もなかった人間なんだって思うじゃん。自分は使い捨てみたいに使われる存在なんだっていわれてるみたいじゃん。あなたは尊いなんて言われたって、こんな扱いされてきたのに信じられるわけないじゃん。 母親に命預けて、こんな裏切られ方をしたら、もうヒトなんか信じられますか?

有り難し有り難し 40
回答数回答 2