この世の不公平と生き辛さを乗り越える方法
幼少の頃よりずっと生き辛さを抱え、人生半ばを過ぎて、もう生きること自体に疲れてしまいました。人と会話ができません。病院や会話教室に行ったりと様々な努力はしてきました。五体満足に生まれたことは本当に感謝すべきですが、人と関われない悩みは酷く辛く、何をしても常に付いて回るものです。
職場では、仕事もできず雑談にも参加できずで数ヵ月で居心地が悪くなり、ストレスから体調を崩し転職を繰り返しています。
会話が続かないため一人の人と長く過ごすのが苦痛で、相手も私に気疲れして体調を崩すことがあるようです。その度に自己嫌悪に陥り、自分は百害あって一利なしの人間のように感じてしまい、深い付き合いの知り合いはおりません。
人生の選択肢として結婚か仕事がありますが、私にはどちらも難しく、この生き辛さが続くと思うともう何もかもが面倒です。人生は修行だとしても、あまりに長く感じます。
多くの人は多少の悩みはありつつも、日々割と楽しく生きているように見えます。
以前は、他人と比較せず、過去の自分より進歩すればそれで良いと思っていました。それが、ちょっとしたきっかけから自分の未熟さが気になりだし、努力しても何一つ他人と同様に出来ない自分への苛立ち、不出来な人間に対する世間の無慈悲さが目につくようになり、世の中全体を敵視する感覚が身についてしまいました。
無差別殺人など不可解な事件が増えていますが、犯罪者が追い詰められてそこに至った経緯を想像すると、気持ちが分かるようで虚しい気分になります。
小さい頃から一つ疑問があります。仮に人間と一緒に楽しく暮らしたいと望むゴキブリがいたとします。始めから人間に嫌な概念を与えるものとして創造された生き物であるなら、その望みは役割と合致しておらず、きっと辛い思いをするでしょう。この場合、どう生きるのが賢明でしょうか。人間を好きであればあるほど、望みを捨て自ら姿をくらますのが正解でしょうか。人間とゴキブリは違いますが定期的にこの疑問が浮かんでくるのです。
生まれつきの生き辛さは前世の行いの報いだと想像すると、今世で魂を磨くことが大切であり、また人生が公平でないことも理解できます。ただ、どうしても感情で割り切ることができず、生きるための道標が見つかりません。
私の考え方の修正等、生きるコツ(理由)をアドバイス頂けますでしょうか。よろしくお願いいたします。
有り難し 32
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