2022/11/07正の感情が原動の努力とは何か
私は自己肯定感が異常に低い人でした。
自分の中にある自分はいつも敵で、しんどいのにしんどくない、まだできるとか真逆の言葉を言い聞かせていました。
反抗期もなく、学校も真面目に行き、1番大嫌いな英語に固執し、学歴の劣等感があった私は、大学卒業後海外の大学院へ進学しました。
そこで鬱病、パニック障害となるのです。
不幸か幸いか、パニック障害となった私は死と隣り合わせの日々を送るようになりました。
このようにして人間は最後を迎えるんだな、生きるか死ぬかの選択を最後にするのは自分自身であり、最後の最後を自分自身が裏切ってしまったら、それは本当の孤独であり、私が私自身の味方であればそれは孤独ではない。という事を知りました。
孤独と向き合い、徐々に私の中の私は味方になってきました。
すると、身体が感じる感情と心が感じる感情が一致するようになってきました。生まれ変わったように、赤ちゃんからやり直しです。
初めて[お腹いっぱい][心が躍る][達成感]を味わいました。
初めて友達と遊ぶのが楽しい事を知りました。
初めて人に嫌われることができるようになりました。[あなたが幸せそうでよかった]と親友に真顔で言われた時、今までの私と向き合ってくれたことに感謝すると同時に、もう私が親友の前に現れるのは、親友にとって辛いことであり、自然と傷つけてしまっているのだととても辛かったです。
親とも向き合い、友達清算が何人も続きました。
そして今、人間関係もとても良く、ストレスがありません。親とも線引きができるようになりました。
しかし、私は努力の仕方がわからないのです。
今まで、がむしゃらに努力できたのは、外部的要因があったからです。劣等感や自己嫌悪をバネにして、この壁を乗り越えれば少しは自己嫌悪がなくなると信じ、頑張れました。
今の私は、人と比べる事もなくなり、嫉妬心や悔しさもなく、就職活動になぜか身が入らず、かといって焦りもなく、ただ毎日を過ごしています。そんな自分を責めるわけもなく、同じ境遇の本はないかな?と本屋を巡るもしっくりくるものはなく、大概、生きづらさを解くような本ばかりです。それはもう経験済みです。その次がわからないのです。
負の感情ではなく正の感情が原動の努力とは何なのでしょうか。
がむしゃらに頑張れていた頃が少し恋しいようにも思います。どうぞお願いいたします。
有り難し 10
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