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検索結果: 2932件

「生きていく」ことがとても長く感じてしまいます。

高校2年生です。 部活にも熱中していて、友達もたくさんいて、家族の仲も良く、勉学にも困っていないのに、最近「生きている」とは何なのかを考えてしまいます。 朝起きたときに「ああ、今日も生きているな」と考えるのですが、どちらかというとそれが生きていてうれしいという感情ではなく、この世界でまた生きていくんだなという、何となくの面倒さをもった考えのような気がするのです。 何にもやる気がないというのではありません。勉強や、もちろん趣味に対する努力も嫌いでなく、しっかりやってきたから今の自分があるのだと思います。 確かに大学受験のために予備校を考え始めていて、1年間しっかりやっていけるのだろうかということがストレスになっているのかもしれません。 自分はまだ両親の半分も生きていないのだと考えると、この先とても長い気がしてくるのです。 さらに、この先それが辛さに思えてしまい、自殺してしまうのではないかという気さえします。それが一番怖いです。 もともと好奇心旺盛で、この先やりたいこともたくさんあるのに。 楽しくやっているのに、頭の片隅でこういうことを考えて1日を過ごしてしまう自分を変えたいです。どうしたらよいでしょうか。

有り難し有り難し 47
回答数回答 5
2022/07/15

意志がない人生

無職女です。 過去にも投稿したことがあります。 この無職期間半年 ずっと自分のことについて振り返り考えてきました。 わかったことは、 意志がない 欲がない 諦めが早い 当事者意識がない 危機感がない やる気がない 価値基準がない 方向性ない 性格が定まらない 趣味ない 目標ない 将来像ない 目的ない 自分で決められない 優先順位わからない 何してるのかわからない 有名私立大学をでて、上場企業に入社し退職、その後外資系企業に就職するも退職。 全て短期離職です。就活もほぼせずに紹介で決まってきました。 場所も実家のある都道府県→大阪→東京→実家と、引越しは5年以内に計6回発生しています(実家→祖父母家→一人暮らし→転勤→同棲→解消→退職) 正直、何一つ自分で選んだことはありません。その場の流れで1番都合がいいものに行き着いた感覚です。 2回目の退職で気づいたのは、自分は今、電車が発車してしまって、行き先が全く見当もついてない状況で制御不能であるという感覚です。 アラサーです。 普通、生活や仕事にある程度責任を持って、自分が一体何をしているかくらいは自認しているはずです。 何が言いたいかというと、何かしらで自分の生活や人生自分で面倒を見ていかないといけないのに、この年齢になってもなお、その覚悟や考え方すらない これに気づいたとき心底ゾッとしており、「あー私は餓死するんだ。もう就職もできずに親に寄生していきていけるところまで生きて死ぬんだ、普通の人生送れないんだ」 と感じ絶望しています。 それでもなお当事者意識がないというか、傍観しているような感想になります。ふざけてません。真剣にそう思ってるし絶望と恐怖しかない 周りから見たら奇怪だと思います。 親に全てフルスペックで与えてもらったのに、全ての環境や権利を自ら捨てて堕落しています。 自分で一体何が起きてるのか分かりません。 感覚的には、働かなくても生きていける世界にいるはずなのに、現実はそうじゃないと急に言われた感じです。え どうやって生きていったらいいの? どの仕事もやりたくないし生涯働いて行くことなんて非現実的すぎる。すぐやめるのに? まともに仕事も続けられない人間 自分で自分の面倒なんて見られない 自分で考えるんだよって言われるのはわかってるけど、それでも答えが出ない助けてください

有り難し有り難し 37
回答数回答 3

自己嫌悪とこれから

数年前、自分が痴漢をしてしまったのではないか…という恐れについて質問させていただきます(痴漢に性的欲求や快楽を感じたことはありません)。最低なことに、一人で思考することに疲れてしまいました。 上記の考えを抱くようになったのは2年弱前のことです。友人と会った帰り道、ふと頭の中に湧いてきました。SNSで痴漢防止のツイートを見たからだったと思います。それからというもの、自分が痴漢をしてしまったのでは、という思考が止まりません。 確かに事実であるのは、電車に乗っている際、「もし痴漢したら、捕まるよなぁ。」と思ったことがあったということです。これは事実です。一回でもこのような考えをした人間がまともなはずはないと感じます。 痴漢をしていたとしたら、その罪を覚えていないなんて最低だと思います。被害者の方に一生癒えない傷をつけてしまったのですから。しかしそれと同時に、流石に痴漢をしたら覚えているんじゃないかとも思ってしまいます。 また6年前今回と似たように、「自分は万引きしてしまったのでは…。」という考えを持ったこともあります。きっかけはポスターを見たからだったと思います。当時は痴漢の件と同じく、実際にしたか否かが全く判断できませんでした。しかし今では「いや、自分が万引きなんてするわけない。」と、当時の自分の恐れを否定することができます。 しかし、万引きの件を否定できたからと言って、今回の痴漢の件も否定できるとは限らないですよね。実際に自分の罪を自覚しないまま犯罪に手を染めるケースもあると思いますし。 「自分は痴漢していない」→「では、そもそもこんなこと考えないはず」 「自分は痴漢した」→「では、流石に覚えているはずだし被害者に申し訳なさすぎる。」 という考えを持っているということです。 この考えは日によって大きく違い、例えば一昨日は「自分絶対そんなことしない、こんなこと考えるなんて馬鹿。」と思えました。しかし今日は「やっぱり自分は痴漢したんだろうな、ゴミ野郎だ。生きる価値は無い。」と思います。やったと仮定して生きる方が良いことは理解しています。 はっきりしないことが一番怖いです。公に書き込むことで、どうせこいつは痴漢をしたんだろう、と思われるのを怖いと思う自分が嫌です。自分はどう生きていけば良いのでしょうか。生きて良いのでしょうか。

有り難し有り難し 31
回答数回答 3

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