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hasunoha 問答検索結果 : 「お経について」
検索結果: 3038件

劣等感を持ったまま、幸せになれる?

幼い頃から、何かあるたびに「そんなんじゃ、変われないよ」と言われて育ちました。 内向的で、誰から見ても大人しく、あまり喋らない子でした。 元気に明るく振る舞うよう努めてきましたが…本当に明るくて穏やかな人を前にすると、萎縮してしまいます。 私は偽物だから、本物には敵わない。 ぼんやりした劣等感を持ったまま大人になり、その劣等感が、いつからか自分の一部になってしまったようです。 そもそも、どこをどう変えるべきだったのか、今になっても分からずにいます。 ただ、今の自分では駄目なのだと思わされる出来事があまりにも多かったからか、自然とその言葉を受け入れていました。 以前にも相談させていただいた、男性からの心ない態度について…最近思うのは、あの人たちは本当は見る目のある人なのではないかということです。 私が中身のない人間であると見抜き、関わりを拒んだのであれば、凄いことです。 改めるべきは、彼らではなく私なのかもしれません。 hasunohaに出会う随分前、堪らなく苦しくなったときの相談相手が占い師でした。 占いを完全に信じきっていたわけではありませんでした(当たればいいのに…と思った部分はいくつかありましたが)。 「出掛けなければ、出会いはないよ」と言われ、その言葉が今でも頭に残っています。 外に出ることで、なにかが変わるかもしれない。そう思って、外出の機会を増やしました。 しかし、外には楽しそうなグループや幸せそうなカップル。同年代の子供連れの夫婦。 また、劣等感です。 肩身の狭い、ただのお出掛けで終わってしまう事が殆どです。 家に籠っていれば良かった!と後悔したことはもう、数えきれません。 劣等感は、いつか消えて無くなるものなのですか?

有り難し有り難し 89
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どうしてお坊さまになったのですか?

相談ではなく、単純な質問ですみません。 しかしとても気になります。 私は現在職を探して3ヶ月になろうとしている20代です。 履歴書や面接の準備のときに必ず用意するものの中で、「志望動機」というものがありますが、 私はこの「志望動機」が苦手で、つまずいて応募も躊躇してしまうこともあります。 その為、この3ヶ月は道行く働いてる人へ 「ねえ、あなたはどうしてその会社に入ったの。なんて理由で応募したの。」 心の中でめちゃめちゃ問いかける毎日です。 半分くらいは知識欲なのですが… そんな時、「お坊さん」という、あまり私の身近にはいない方々に質問相談ができるというこちらのサイトを見つけました。 しかも真摯に、丁寧に、おそらく正直に回答してくださっているご様子。 私、今、喜んで質問させていただきます。 「なぜ、『お坊さん』という道を選んだのですか?」 欲張りで申し訳ありませんが、もし差し支えなければ、 「お坊さんになる前はどんな事をしていましたか?」 という疑問にも答えていただけると嬉しいです。 まとまりのない文章で、他の誰かの為にもならなさそうな質問で大変申し訳ありませんが、どうかこの個人的な疑問にお答えください。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 229
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輪廻転生の理解

初めまして。私は最近、某仏教のテレビ番組にハマっています。 「輪廻転生」のことを知りましたが、疑問に思っていることがあるので、教えてください。 「輪廻転生」には六道があり、魂は6つの世界を旅しているとのこと。 人は死んだら、天界や極楽に行くと聞きました。 でも、生まれた時に今まで魂が旅してきた六道(地獄も含む)の記憶は一切ありません。また、よく「人は死んだら“無(生まれる前の状態)”になる」と聞きます。 地獄や天国というのは、本当に存在するんですか?誰も見たことがないからわからないんじゃないの?と思うんです。 本当にあるなら生まれる時に何らかの地獄の記憶(熱い・痛いなど)があるはずだし、お浄土に行くにも三途の川を渡る際の感覚や閻魔様に出会った時の恐怖、彼岸に渡った記憶や皮膚の感覚というものがあるのかなって。魂になっても、痛みや恐怖を感じるんでしょうか。 私は、できればそういうのがなくて、「死んだら本当にただ無になるだけだよ」って言ってもらう方が安心するんです。 だって、死んでから「生前悪い事をしたから地獄で苦しむ」って思ったら死ぬのが怖いじゃないですか。 天国と地獄の教えというのは、「悪いことをしたら地獄に行くよ。だから、生きている時に悪いことをするなよ。」という解釈と思うのは、どうなんでしょう?

有り難し有り難し 41
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後悔の毎日

色々と書き込みばかりですみません。 毎日、後悔、喪失感、悲しみに苛まれています。 以前の質問で何度も書かせてもらいましたが、昨年10月に母をなくしました、年齢的にはそういう年になっていますが、勝手にまだまだ先の話と思っていました。十数年前に父が他界し、すぐに母が脳梗塞で倒れました。幸いにも身体に障害はなく、私が引き取りました。 それ以後二人暮しで、ある夜、頭が痛いといい、救急車で病院へ運び、しばらく入院ということで、私は明日入院の用意をして来るよう帰されました。明日またくるからねと、軽く肩を叩きましたが、母はこっちを見ていたが返事はしませんでした。今考えるともう物が言えない状態だったのかと。その時の表情は今も忘れられません。 次の朝、病院から電話で、容態が変わったので来てくれと。行くともう意識はなく、血圧や脈を測るモニターやチューブに繋がれ、点滴されていました。 延命治療の確認をされ、長く苦しむよりはと断りました。以来、高熱が続き、時々苦しそうでした。食事もできず、チューブで胃に流し込み、時々嘔吐。一週間後、洗濯に帰っている間に呼吸がとまり、死に際にも付いていてやれませんでした。 以後、私も病で長期休職し家にいますが、冬がこんなに寒く、夏がこんなに暑い、段差だらけで年寄りには過酷な環境、部屋で、家事をしてくれ、一人で通院し、家族に看取られずに逝きました。 しかも延命治療を断り、死なせ、殺しました。 最後にありがとうも、ごめんも何も伝えられませんでした。悲しみ、喪失感、後悔の毎日です。よく日にち薬とか、医者や知り合いには、そんなことで母は喜ばない、悲しんでいたら故人が浮かばれないといわれます。頭では分かっています。 たとえ一日に一回でも食事をすることに罪悪感も感じます。 ここで教えていただいて、毎日、日中と夕方の二回、お勤めしています。亡くなってからでは何もかも遅い、何度か死にたいと思いましたが、勇気も無く、気力もなく、生きながらえている自分が情けなく苛立ちます。正直、母がいなければと思ったこともありました、けれども今、こんな情けない自分。 自分でも何の質問なのかも分かりません、ただただ自分の気持ちをぶつける場所が欲しかっただけかも知れません。 特にご回答は結構です。申し訳ありませんでした、長々と大変失礼しました。

有り難し有り難し 228
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悟りと解脱、輪廻転生について

こんにちは。 これだけこのサイトにお世話になりながら、悟りについて良く考えた事がありませんでした。私の考え含めて質問させていただきます。 仏教の入門書だとよく「修行の完成」→「悟りを開く」→「輪廻の苦海から解脱」と解説されています。 しかし自分はこの解脱と言うか、輪廻転生が今一つピンと来ません。 生前や死後については無記とするのがお釈迦様の真意に近いと思うし、 輪廻とは一種の比喩と考えるのが適切と思うからです。 実際、輪廻を考えると色々と矛盾が生じます。 例えば虫の輪廻転生。一生無心に鳴き続けるセミ等に「善行」「悪行」などあるのでしょうか?善行を積んだセミが高次の存在に転生し悪行を積んだセミがさらなる悪趣に落ちるのだとしたら、誰がそれを判定するのでしょうか? そのような超越的な存在(判定者の類)は仏教では否定されるのではないでしょうか? となると、悟りも輪廻転生を前提にしている限り、よくワカラナイものになってしまいます。 悟った覚者は転生せず、凡夫が転生する・・・のでしょうか? だとしたら悟ったかそうでないか判定者がいる事になります。 (ここでまた超越的な判定者の問題にぶつかります。) 悟りによって体質と言うか、魂(?)の質が変わるとでも言うのでしょうか。 じゃあ輪廻とか死後が無記なら、結局「悟り」て何なの?って話になって 頭の中ぐるぐるで何だかよくわかりません。 こんな考えって戯論でしょうかね? お考えを教えて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 85
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人生相談

はじめまして。 神奈川県在住の23歳です。 2ヶ月前に入籍し、只今妊娠中7ヶ月です。 私は結婚するまで母と2人で暮らしてきました。 父親の事はあまり知りません。 そのためか、早くから家庭を持って母を安心させたいと思ってました。 しかし、いざ子供ができると男性はこんなにも頼りないのかと思うようになりました。 女性は身籠った時点で母親になれますが、男性は簡単に父親になれないので頼りないと思う事が増えました。 例えば、生活費と病院の検診費用など最近やっと頂けるようになりました。 それも私の貯金がなくなり、もういい加減にしてくれと私が不満を爆発させてやっとです。 病院の検診費用も「先月は払ったよ」と言われた事もあり、なんでこんな男性と結婚してしまったのだろうとも思いましたし、簡単に子供作ってしまったのだとも思いました。 子供に一切の罪もないのに。 不満を爆発させて「実家に帰る」というと焦ってごめんと平謝りしますが、反省や謝罪もその場だけなのです。 しかし、子供がお腹の中にいる今は別れるなんてできません。 こんな私は身勝手なのでしょうか? 謝罪され許してを繰り返して、成長がない人はダメなのでしょうか? 私が妥協して許していくしかないのでしょうか?

有り難し有り難し 123
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神様、というようなものを信じてみたいです。

仏教でなくてもいいんだけれど、なんらかの信心を持ちたい、と思い質問させていただきます。最近キリスト教のミサに行ったり、モスクに行って礼拝を見学させてもらったりしましたが、どうにも信じる気持ちというものが芽生えません。 私は学校卒業と同時に家を出て、その後家族とはほぼ交流がありません。水商売をしていましたが、金に困り、やむなく今月から風俗業をしています。 こんなことになったのも自業自得だなあと思い、ふと気になって自業自得の意味を調べたら、仏教の言葉だということで、興味を持ちました。 私は、善悪の区別がつかないのではと思い、不安です。お世話になった人をなんの理由もなく音信不通にし、ばれなさそうな嘘なら意味もなくつき、人の陰口もすぐに同調し、それらのことに特に胸が痛みません。自分の立場が危うくなったら嫌だな、くらいです。 社会的な義務を何一つ果たさず、当然年金も未払いです。 とにかく自分が信頼できないので、バイト先には、私が頂く給料のほかは私に店のお金を一切触らせないでほしいとお願いしています。生涯運転はしないと決めています。 風俗業とはいえ、まだ人生を台無しにするような、決定的な罪は犯していないはずです。 しかし、私自身の倫理観のなさが、いつか決定的な罪を招きそうで、「信心」があれば変わるのではと思ったのです。 しかしながら、どうも難しいのです。 祈る=決まった文句を唱えることの安心感 などと解釈し共感することはぎりぎりできるのですが、それを仏や神のために、となるともうさっぱりです。 どんな神経で信じてるんだ?というのが本音です。 それこそ預言者の人のように、声を聞いたとか見たとかがあれば違うのでしょうけれど、そうでない人は、なぜ、なんのきっかけで、信じたのでしょう。 というより、本当に信じているのですか? 教義に共感しているだけですか? 今を良く生きるための便宜に、来世とか地獄を想定しているのですか? 共感できそうな宗教を探すなら、それはそもそも自分で全部考えることと何ら変わらないのではないでしょうか。 信者の方は、来世とか地獄とか長いスパンでの「自分の立場」を心配している、今小さな嘘をばれないでほしいと願う私となんら変わらないのではとも思いはじめました。 既に反抗的なことを書いてしまいましたが、 本当に信じたいのです。 どうしたらいいのでしょうか。

有り難し有り難し 124
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