自分の意識から逃げたい
死にたくないけれど、自分という意識を消し去りたいです。
私は命は自分のものではないと思っていて、だからこそ大切にしなくてはいけないと思っています。
私を虐待し続けた両親を、それでも私を愛してくれていたことはよく知っているから愛しています。
だから私は二人がくれた命、二人が大枚をはたいて育んでくれた命を捨てるのは、他人の高級車を身勝手に壊すようなものだと思っています。
虐待されていた頃から希死観念は持っていました。
でも上記の理由で両親を恨めず苦しみながらも今日の日まで生きてきました。
すべて二人のおかげだと思っています。
二人から離れ、かつての傷も癒えて来たと思っているこの頃、それでも希死観念が消えないので、これが本当に「死にたい」という意志なのか、書き出していって分析をしようと試みました。
すると私の「死にたい」は、「思考を続ける自分という意識から逃げたい」のだと気づきました。
私の命は私のものではありません。粗末に扱ってはいけない貴重なものです。
しかし、私は私の思考、意識、いわば私というものがとても嫌いで、怖くて、逃げたいのです。
自分と一生付き合っていくのは自分ですが、その自分の脳髄から逃げたいのです。
自分というやつがこの世に存在しているのが我慢ならないのです。
これは罪悪感ではなく身勝手な怒りです。
しかしこいつから離れるには脳死するしかなく、それでは両親の投資が無に帰してしまいます。
しかも国立大で勉強を続けているので、国民の税金を無駄にすることにもなってしまいます。
なのでどう考えればこいつと向き合っていけるのか、その心構えを教えていただきたいのです。
有り難し 5
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