生きるとは儚い命の尊さ
小生、40年余りの時間を過ぎ行き色々な出来事という壁に向き合った時に萎え、何のために生きるのか感じることが今もなおあります。
故郷でありながら殆ど友人がいなく孤独感、不安に押しつぶれそうになり、一つの壁を乗り越えても新たな壁があり自分にも嫌気を痛感することも、いつの間にか早朝に自宅近くの川沿いを歩きながら風景を携帯電話をカメラを使い撮してみたり植物を撮してみたり今の私のなかで「心の支え 」健康面に向き合い「楽になりたい
」と考えた時期もありました。時おり思うことは「そんなに永く生きれないのでは?」と感じることがあります。
「どのくらい生きられるか誰にも解りません」今の私には「ご飯を食べて美味しい、お花が綺麗だな」など何気ない時間をSNSを通じて発信を重ね「支え」を大切にして過ごしてるのでは。
「生きたいという意志」「もがき苦しみ」「命の尊さを自ら体験」これらを大切に生きてゆくこと。生きてる儚さであり命の尊さなのかも知れません。孤独感と萎え自分を見失うこともあります、何気ない優しさだったり些細な幸せが幸せなのかも知れませんね。
有り難し 9
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