2022/03/01自分が汚らわしいです。ヒントはお経にも?
いつもお世話になっております。こちらでご相談を重ねるうちに、
戦い疲れた私は他人への無闇な疑念という危険な武器を捨てることに
しました。疑ってしまう自分、改善していくべき言動や行動ととことん
向き合って、まさに修行をしていこうと思いました。
そこで、新たな問題が生じました。自分が汚らわしくて仕方がない
のです。空気が読めない自分、人との適切な距離感がわからない自分、
列挙に暇がないほどです。
通っている近所のお寺のご住職にそれを告げ、メモを握り締めご助言
を仰ぐと、
「僕の感想を述べるけど、それはカウンセラーさんに言ったほうが
いいと思う。僕が言うと越教になっちゃうな」
とのことでした。
数日後のカウンセリングで相談する予定ではいますが、できない
自分が汚らわしくて、恥ずかしくて、やはり人の目が気になります。
そこで私はカウンセリングや日々の訓練と並行し、ヒントを仏典に
求めました。通販等であらゆる経典を購入し、読もうと思います。
カウンセリングや訓練のない日はお経で勉強しようと思ったのです。
しかしそこで、
「お経を読んで解決するのは、悩んではいるけれど、医者にかかるまで
ではない健常な方なのでは?」
と考えました。
私は浄土宗の檀信徒ですが、死後思想的な要素の強い三部経だけでは
なく(個人的な考えですが、一時期阿弥陀経ばかり読んでいたら希死念慮
が発生して自傷一歩手前まで行きました)他宗派の…例えば理趣経、
法華経などもうまく生きるヒントを得るため読みたいと思っています。
こんな時、今は亡き親たちがしっかりしていればとつくづく思います。
思えば私が発心したきっかけは、「家庭が崩壊しているので、人として
しっかり生きるヒントを仏教に求めたから」でした。
仲良くしている近所の奥さんには、
「私たちはそんなの読まなくても生きてる」
と言われましたが、それは親御さんがしっかりしているからでしょう。
(自分でも「うちの親はいいよ!あんたんとこ、酷いもんな(笑)」と
言っていました。悪意はなく、いじられているだけです)
経典を読む際の注意点、私は経典を読むのに適するのか、お言葉を
頂きたく存じます。よろしくお願い致します。
有り難し 31
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