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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 地獄 地獄」
検索結果: 1780件

今まで 淫行 妄言 殺生 などを犯してきました

長文になります 今私は18歳で中学一年のときにレイプに会いました  レイプ直後は生理が来なくなり、妊娠したのでは、、、と怖くなりお腹をテーブルの端で打ち付ける毎日でした 結果、激しい痛みとともに大量の血の生理が来ました。 そしてレイプの記憶はないのに、自分のことを可愛そうだと思ってほしく、レイプの記憶があるように話してしまいます 本当は男の人に掴まれて殴られたら辺から記憶がなく、その後家に帰り、お腹がベトベトしていたことくらいしか覚えていません、これが妄言です そして最近親戚が実家に帰るときに事故に会い、二人の子供のうち、一人が死んでしまいました。もう一人は無事で最近話せるようになったからすごく嬉しく涙が出てきました その子はとても優しくて大好きで、私がこんなに罪深いから死んでしまったのだろうか、、、と悔やんでも悔やみきれず、本当に自分は馬鹿だったと涙が出ます 本当に死んでしまいたいです ですが死んだら親が悲しむし、もっと人を救ってから死にたいと思うので心配しないでください 私は看護師を目指しています 多くの人を救うことで私の罪は許されますか? そしてその子はちゃんと天国にいけたのでしょうか? 五戒を犯すと地獄に行くとネットにありました ほとんどの罪を私たちは犯してします 今からでも悔い改めれば遅くありませんか? そしてその子の罪も許され地獄に行かずに済んだのでしょうか? 教えてください お願いします

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お金を積まないと成仏しないのでしょうか

先日同居していた独身の伯母が亡くなり、甥姪に遺産が分配されることになりました。 その相続人の中にMという従姉がいます。 Mは3年前に亡くなった伯母の一人娘なので600万円、私は姉と2人姉妹なので300万円ずつ分配される予定です。 私と姉は父が遺した莫大な借金のせいで自己破産して苦しい生活をしていたので伯母の遺産は生活を立て直す最後のチャンスだと思っています。 ところがMはある新興宗教にハマっていて(ネットで検索すると○○寺詐欺と出てくる有名な新興宗教です)、伯母と私の両親の供養をするから私と姉に600万払えと言ってきました。 Mが傾倒しているお寺の住職さんが 「伯母と私の両親が私と姉がお金を出さないので成仏できずに苦しんでいる」 と霊視で言われたと言うのです。 私の両親は檀那寺のお坊さまにきちんと供養していただいています。 なのでそれを断ると私たち全員地獄に堕ちると脅してきました。 そもそも亡くなった伯母はその宗教を嫌っていたのに、Mが勝手に自分が傾倒しているお寺で永代供養をすると言って遺産の中から800万払えとも言っています。 お骨もそのお寺(かなり遠方です)に持って行くと言っていて、私は伯母が何の縁もない土地に葬られるのが気の毒です。 伯母は祖父母が入っている納骨堂に入るものだと信じていたはずなのに、Mが勝手にお骨まで持って行くのが伯母に申し訳なく思います。 何百万円とお金を払わないと死者は成仏できないのでしょうか。 Mは生活費を削って借金をしてでも払えと言っています。 私の家は浄土真宗本願寺派でMがハマっているのは真言宗系の新興宗教です。 地獄の沙汰も金次第なのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

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浄土真宗の生き方について

お世話になっています。 最近、結構普通に使っていたのですが、気になる言葉を見つけました。それは「自力」と「他力」です。 僕は、この二つは捉え方の問題ではないかと思いました。 まず、大前提として宇宙は縁という繋がりがあり、主体的な実体はありませんよね。つまり、例え歩くという行為ですら、「歩かせてもらっている」わけです。このように考えるのが他力です。 一方の自力は、「自分が悟った」「俺が努力した結果だ」などと、全てが自分の力でやっていると思っている人達なのではないかと考えています。つまり、大前提に「自己中心性」があるわけです。 悟った→自力 悟らせてもらった→他力 生きている→自力 生かされている→他力 もう1つ、観点を変えた考え方として、他力=あるがまま、自力=思うがまま(自我意識)があるとします。 こういった解釈はどうなんでしょうか? これは少し極論かもしれませんが、仮に地獄という苦しい所にいるとします。 そこから脱出しようとするのが、自力です。あるがままの状態なんだから脱出する必要はないと考えて脱出しないのが、他力です。 そうなると、他力の生き方は人間のはからいが一切なく、どうしようもない気がします。生きる上ではやはり自力のはからいも重要だと思うのです。 それとも、自力や他力という言葉にあまりこだわらない方がいいんでしょうか?

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宗派による死後の世界の違い

いつも多くのお知恵をありがとうございます。 今日は仏教のことで疑問に思う点があり、質問を失礼します。 仏教と一口に言っても、多くの宗派があるのですが、 死後すぐに仏となり極楽へ。 という宗派や、閻魔様の裁きを受ける。とする宗派もあります。 生まれてから死ぬまで、ずっと一つの宗派で、一族皆が同じ宗派であれば良いのでしょうが、 親戚であったり、知人であると宗派はどうしても変わってきてしまいます。 その際考えるのが、 私の死後に行く世界は、 相手の方のいく世界とは異なっており、 あの世で再会することは叶わないのではないか。 一方は四十九日と言わず極楽へ行かれ、一方は裁きを待ち、地獄へといくかもしれない。 などといった具合です。 実際にあった事例としては、法要の時に「今彼女は輪廻のためにあの世で修行をし、乗り越えているところです」というような説法を受けたのですが、別の宗派ではそうではないのだろうな。と、思ったような事です。 実際には死んでみないと分からないことなので、考えても仕様のないことだとは思うのですが。 お坊さまの皆さまは、こういった宗派による教えの違いにから生じる、死後の世界の違い(四十九日の捉え方、三途の川を渡る渡らない)など、どうお考えになられているのだろう。と、質問を失礼しました。

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