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hasunoha 問答検索結果 : 「悟り」
検索結果: 2156件

お経と愚痴

毎朝神棚に祀ってある荒神様と弘法大師様に『おんきんばやそわかー』とお経をあげている上司との接し方についてご相談です。 1日には決まったお寺へお参りに行き、 年に1度は高野山へお参りに、 毎朝毎晩仏壇にはお経をあげている。 自分の親は立派なお坊さんだった、と言う方なのですが… とにかく愚痴が多く、トラブルがあれば人のせい。 どんな些細な事でも自分は全部知っていると思われたくて、 相手の言っている事を全否定し、自分の論を押し付ける。 気に入らないとどのような場面でも怒鳴り散らし、 (銀行の窓口が少し混んでいるだけでも怒鳴り散らし、店長を呼ぶ始末。) 口癖は『金がない』『金持ちはクソみたいなケチが多い』『あいつは○○』←少しでも自分を立ててくれない相手には差別用語。 『何で俺は熱心にお参りしてるのに宝くじ当たらないんだ』 二人しか居ない職場なので、避けるわけにもいかず疲れはててしまいました。 お坊様方、私は、先祖に手を合わせることしかしたことがない者なのですが お経をあげれば愚痴をこぼしても良いものなのでしょうか。 愚痴やマイナスな言葉って、口から出ただけで自分の回りに嫌な空気を撒き散らすだけだと思うんです。 義務感でルーティーンになっているお経を、完璧に覚えてあげることより、手を合わせる気持ちと、何か前向きな言葉を発することの方が よっぽど素晴らしいと思うのですが、どうなのでしょうか。 お坊様方だったら、どう考えてこのような場所で嫌な気持ちにならないでいられますか? どうぞアドバイスをください。 よろしくお願いいたします。

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生きている内は苦しみだけなのですか?

心のままに打っているので失礼な文がございましたら申し訳ありません。 つい先程、私は父親を殺してしまうところでした。 と言っても現実には何もしていません。 朝から小さな事で叱られ、カッとしてしまいました。 父親に化粧道具を投げつけ、台所から包丁を取り出し何度も切りつける想像を何度も何度もしました。 でもその台所には父の朝食を作る母がいました。 いつも母を思うと何もできません。 寂しさと惨めな思いしかしない人生を終わらせたいと何度も思いました。 短気で傲慢な父親や職場の同僚を殺したいと何度も思いました。 でも何十年も短気で傲慢な父親や祖父母の介護に耐えて今の幸せな家庭を築いた母を思うと何もできないまま吐き出せないまま立ち尽くしてしまいます。 母を気にすることができる内はまだ余裕があるのかもしれません。 でもきっと母がいなかったら私は自殺しているか父親を殺していたと思います。 このままずっと苦しみや寂しさを味わいながら何の喜びも味わわないまま生きていかなければならないと思うとこの先の人生が苦痛でしかありません。 今は何も喜びと感じられないのです。 常に寂しさや苦しみが先行してしまうのです。 生きている内は修行だけですか? 死んだ先にだけ幸せ、極楽浄土があるのですか? ほんのすこしのしあわせもないのでしょうか? ほんのすこしでいいんです。

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死について

おはようございます(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎) 私くしも 病気がちだし 毎日仕事が苦しいし 考えたら お金はいるけれど 限られた命の中で そこまで 仕事仕事で生きていくのが 正直辛い 特に この世に執着が無かったんです。子供は って言うと 私に特に求めるものはなくて 私の姉や 私の母 父に求めているみたいなので いつ 命が尽きても 悔いはないそう思ってましたら ある日 脇あたりに シコリがあるのを見つけて 一人 癌だと思って 泣くわ ショックだわ 一気に 生きたいと思う心が 湧きました 普段 命の先がみえないから 死にたいと思うけど いざ もしかしたら って事があったら 人って やっぱり生きたくなるものです。 慌てて病院へ いったら リンパ節が腫れてるだけだと 言われ ホッとしました。ただ 寿命がきたら 受け入れるうつわを 持ってなきゃなとも 思いました。 それをふまえて 病に苦しむ方の心も 学べた気がします。とてもではないけど 生きた心地がしなかったし 記憶も ボーっと ひたすら 亡くなったらどうしよう 子供は とか考えました。 なので 私自身も 少しでも ご病気に方の苦しみに 寄り添えます様 いま剃髪をし 生きてます。 私も 皆様に寄り添いますので 皆様のご病気が一日も早く治りますよう。 病気や 老い 孤独 、、、、 生きてる限り 悩みは 尽きません お坊様方は 仏様と向き合い どう この世の闇を 照らされましょうか

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天道は目標ではないのですか?

お世話になっております。 柴田秋です。 私は10年ほど前に自殺に失敗しました。 複数回の失敗の上、死ぬのは少なくとも生きることと同じくらいには面倒で疲れることだと感じたため、久しく実行には移していません。 それから、どう生きるのかと同じように、死について考えるようになりました。 死後の世界とかではなく、死ぬことで私の周囲に与える影響についてという意味です。 迷惑云々や、コストや、私の心とは関係なく死後に振り分けが行われるのであろうなということなどです。 こちらの質問の回答に対して、疑問が浮かび上がりました。 https://hasunoha.jp/questions/38774 余談ですが、今は少なくとも怒りは自覚していません。 「仏教は死んだらどうなるの教えではなく、生きているからどうするの教えです」 とあります。 多分、きっと心構えのことをおっしゃっているのだと思いますが、疑問が沸き起こってきます。 背景は語りましたが、それはあくまで単なる動機です。 私のことは私で考えるとして、他者のことは私には分かりません。 よろしければ、質問に応えていただきたいです。 仏教の最終的な目標は、悟り、無限に続く輪廻から脱し、六道のひとつである天道に行くことではないのですか? 仏は天道に在すもののことですよね? つまり、死後のことこそが目標なのではないですか? あくまで、そこに至るための過程として、どう生きるかが重要なのだと思っているのだと思いました。 つまり、生き方は手段で目的は死後の行き先であると。 なんとなく、キリスト教やイスラム教、パスタファリアニズムの天国を目指すのとは異なるのだとは思ってはおりましたが、疑問が起こりました。 仏教は天道を目指し、輪廻から脱すること、つまり解脱が目標ではないのですか? 絶対の正解を求めているわけではありませんので、ご自身の考えで構いません。 ※私の拠り所とする科学(科学的方法)にも絶対の正解はありません。  あれらは、今のところ否定されていないというだけです。 当然、ご回答なされた方以外の方には、天道へ行くことを目標とされている方もいるかも知れません。 それぞれのご回答を伺いたいです。 よろしくおねがいします。

有り難し有り難し 19
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