死が怖いです。大切な人や自分がこの世からいなくなる、どうなるか分からないことへの不安と恐怖で毎日ぐるぐる考えては1日を無為に過ごしてしまいます。 こんなに怖いなら生まれなきゃよかったと思うし、自我が芽生える前にしんでればよかったと考えてしまいます。 二十数年間生きてきて、大切なものも増えてしまいました。それらを失うことも怖いです。 朝目が覚めるだろうか、この車は私の元に突っ込んでこないだろうか、大きな事件や災害が数秒後に起きるかもしれない、目を離したとき愛犬が倒れたらなど不安が多くて、家から出られません。 事件事故のニュースを見ることも出来ませんが、何も知らずに生きることも怖いのでネットニュースを読むことはできるように頑張っています。 街中で妊婦さんやお子さんをお見かけすると、この人たちはとても幸せそうに見えるけど次の瞬間には…と恐ろしい事態を想像してしまい、素直に祝福できなくて自己嫌悪します。 50を過ぎた母が、「私はもう死んでもいい」「あと5年で逝くからあんたそろそろ自立しなさい」などと口にすることも私の不安を駆り立てます。(母は現時点で健康体です) 不安や恐怖を解消するまでにいかなくても、上手に向き合う?付き合っていく?方法はないのでしょうか
過去の歴史を振り返っても世界は常に様々な事がある。 争いや災害などなくなる事など決して無い世界で、その時代時代で、人は悩んで、苦しんで、喜んで、楽しんで、悲しんで、嘆いて、様々な感情を抱えながら、それでも人は今を生きている。生かされている。生きていけない。生きるのをやめる。生かしてくれない。様々な状況がある。 生きる事が怖いです。 死ぬのはもっと怖いです。 大切なものを無くす不安、恐怖、悲しみを味わいたくないです。 自分は死にたい訳でもありません。 大切な人に悲しみを与えたくないから。 だけど、いつも、、、。わからないです。 他人を羨んだり、自分を自慢したりもしません。 何かを望んでいる訳でもなく、いつも自分の心は真ん中にあってほしい。 なぜなら様々な出来事に自分の感情が揺れるのが怖いから日々を精一杯生きてるだけです。 それでも年齢を重ねて感動が薄れていく気がします。 けどいつか必ず来る悲しみを味わうのはもう嫌です。 今の世の中は物が溢れているところもあれば、その日その日を食い凌ぐので精一杯のところもあります。 あればあるほどいいとは思いません。 無ければ無いでこした事はないけれど、全く無いのは虚しいです。 モノや感情も同じ事で、自分にとってちょうどいいを見つけて、探して、見失ってその繰り返しです。 豊かとは何か?頭で考え、心で感じ、身体で実感する。 人生はそれの繰り返しで、過去の思い出をふと振り返り愛され、悩み葛藤し、肩を寄せ合って生きてたあの頃が懐かしく愛おしく思います。 今が不幸せという事ではありません。 十分に幸せだと思っています。 救いの言葉を下さい。 自分はどうやって生きていけばいいでしょうか? よろしくお願いします。
私は死ぬのが怖いです これは、7月位から始まりました。 「がんかも?」と思い Googleで症状と合わせてたくさん検索しました いい結果(ガンじゃないと思う)が出たら すごく元気になれて、人生を楽しめます でも悪い結果(ガンかも、病院に行っては?など)が出ると 吐き気、寒気、微熱、血の気が引く感じ、倒れそうになる といった症状が出ます そして今ものすごく怖いんです この前、死ぬのが怖くなって(死ぬ気がして?) 「死ぬ前 症状」で検索したら やすこの顔占い、死相、というページにたどり着きました そのページには 「死ぬ数ヶ月前の人は口から黒い線が出る。私が見たこの死相の人は2ヶ月後に死んだ」というようなことが書いてありました 昨日の夜、、、私には書いてあったような症状が出ました 13歳なのでほうれい線などはないです でもなんか、 黒い線が右端から頬にかけて流れてる?んです 確実に死ぬんですか?死にたくないです 死ぬのが怖いわけじゃないんです ただ、死んだ後のことを考えると怖いです 「お母さんはどうするのかな、寂しいだろうな」とか。 Yahoo知恵袋や、Googleの質問コーナーでも質問しました。 それで、「釣り乙、占いなんか当たるわけないだろ、気のせい」など たくさんの事を言われて・・・ ここにたどり着きました ダメ元で質問してます。 お願いします。 今はお母さんのアカウントを使ってます まだ中学1年生です 死にたくないです 80さいまで生きたいです お坊さんは死相を信じますか? 私は死ぬんでしょうか?
今年で80歳になる母のことなのですが。 鬱で ずっと精神科の病院に 入院していたのですが 認知症になってしまい介護施設に入りました。 施設に入るにあたって いろいろ説明をしてくださってた時に もし万が一の時の延命治療は どうするかを聞かれました。 人間誰しも死は訪れるものですが 母の死について考えたくなかったので すっと考えないようにしていたのですが 考えないといけない時が来てしまったのだなと 思いました。 とはいえ余命宣告をされたわけでもないし 今は命が危ない状況ではないので どういう心持ちでいたらいいのか 自分でもわからずにいます。 母には元気でいてもらいたいし でも いつかは死を覚悟しなきゃいけない時が 来るのかと思うと母を失うのが怖いです。 どんな心持ちでいたらいいのでしょうか。
40代後半にして、子どもを授かりました。よく笑う子で仕草の一つ一つが可愛くて仕方ありません。今はこれまでの人生で最も幸福な毎日だと思います。 そんな幸福感と同時に、自分はこの子の未来を見届けられずこの世を去るんだ。また突然自分も命を落とすかもしれない・・といった死への恐怖に近い感覚に見舞われることがあります。(ちなみに私は健康です) だから今我が子を見つめているこの一瞬一瞬がたまらなくかけがえのないものに思えてなりません。無邪気な笑顔を見ていると悲しみに近い感覚が湧き起こってきます。 独身時代には死への恐怖を感じることはあまりなかったのですが、我が子ができて改めて生は永遠ではないこと自分がいなくなってしまうことへのたまらない悲しみに囚われています。これも子煩悩というものでしょうか? 歳とってできた子ゆえかもしれません。自分の老いと向き合いながら明るく子育てしていく心の持ち方をアドバイスいただけると嬉しいです。
ハッキリ言うと 死にたいです。 自分には悪い性格というのがあって、我慢が出来ない 正直に本当のことを言ってしまう(相手にとって嫌なことでも) その性格が子供のころからず~と続いていて、あるとき ADHDという言葉を見かけて検索してみると 自分の悩んでいた問題がそれに当てはまることを知りました。 頭がいい訳でもなく、人とトラブルになりやすいです。 友達もハッキリ言うと自分の悪い性格のせいでいません 仕事をしていても 人との会話が苦手で問題ばかりで辞めてしまう どうしてもうまくいきません ハッキリ言って致命的なくらいに 人は自殺をすると罪という言葉が根強くあって死にたいという気持ちの反面 死ぬと地獄に落ちるのではと怖くてなかなか出来ないでいます。 自分は死後の世界について インターネットを利用して沢山調べました。 臨死体験、前世さまざまな事例について 今では人は死んでも魂というものがあると関心はしていますが今悩んでいる死にたい気持ち(自殺)がどうしても怖くて仕方ないです。 かといって自分の生まれ持った悩みは一生変えられません どうしたらいいのかという答えは間違いなくないでしょう 死んで人生をもう一度生まれ変わりでやり直したいのに どうしていいのかまったく分かりません 世の中を見てみると 戦争、貧困と不幸な人、そうでない人がいますが 動物の世界は喰うか喰われるかの命にかかわる世界 自分はそれを見ると、まだ不幸じゃないんだと思う時期もありました。 だけど自分の持つ悩みが自分を苦しめている現実からは逃げることは出来ません
初めまして。私は、10年前夫が病気で死にかけてから、死への恐怖が強く悩んでます。自分の死もそうですが、家族の死のことが怖くて仕方がありません。朝、皆を送り出してから、夜帰ってくるまで、家族の生死のことばかり考えて、苦しくなるのです。特に次男が心配で、もう高校生なのに、ちょっとでも帰りが遅いと迎えに出てしまいます。長男と夫にも似たような気持ちを持っています。自分の死も不安で、病気に神経質で、いつも体の心配をしています。どうしたら、この苦しみから逃れることができ、平穏な気持ちになれるのでしょうか?
毎日「死にたい」と思ってしまう… でも、死は怖いです。 でも、自分より先に大事な人たちがいなくなるのはもっと怖いです。 でも、生きてるのが辛いです。 子どもたちが居るからなんとか踏み止まっているけど… 毎日が辛いんです。 私なんかより大変な思い、嫌な思い、辛い思いしてる人がいると思います。 でも、私も毎日1日1日過ごすのが苦しくて、辛いです。 母が居ないから悲しくて… おばあちゃんがいなくなってしまって悲しくて… 前の会社の上司の言葉(罵倒された)が忘れられなくて苦しくて…急にその人の顔、声、言われたことを思い出すと怒りが来て、そして苦しくなります。 前の仕事を続けたかったのに…悔しくて… 信頼してた人に裏切られて、人が信じらられなくて… こんな自分が母親なんて子どもがかわいそうで… こんな状況逃げ出したいと思ってるけど…どうにも出来なくて… ただ毎日辛いです。 もうどうしていいかわからないんです。 助けてください。
私の母は数年前に自殺しました。 うつ病だったことや、当時の父のモラハラな振る舞いが、母を追い詰めたのだと思います。 母が亡くなった後、母方の祖母に母が亡くなった原因(父)について話されたりしました。詳しいことは怖くて聴けず、いまだ曖昧なままです。 当時はとにかく、母が亡くなった現実を受け入れるのが怖くて、母に関する話は頭に入れないようにしました。(今でも当時のことを思い出すと、頭が考えるのを拒否するような感覚があります) ただ、今でも後悔していること(うつ病だった母を疎ましく思っていたこと)や母への謝りたい気持ちを度々思い出して、どうしたらいいのかわからなくなります。 ひどい亡くなり方をした母を、自分が辛いからと、無かったことのように忘れようとしているのがとても最低なことに思えて苦しいです。 でも、いつまでも母への思いを整理せず見ないふりをしていくのは辛いです。 また、母の死に真面目に向き合わない自分や父のことを許してもいいのかと不安になります。 誰かに自分の気持ちを肯定して欲しいと思うのもずるく思えます。 自分がどうしたいのかも分からず、どうすればいいのかわかりません。
年末に愛犬を13歳で亡くしました。 闘病していて、体の機能が落ちているのと栄養がとれないので嫌がってかわいそうでしたが点滴をしていました。 最期は一緒にいる時に看取ることができました。 今までもペットを飼っていましたが、最期の瞬間に立ち会うことがなく、今回の少し苦しそうな姿がトラウマになっています。 治療をして、苦しみを長引かせなかったか? 怖がりな子だったので死は怖くなかったかな? 私自身、死がとても怖いので余計にそう思ってしまいます。 人と動物は行き先が違うかもしれませんが、かわいいあの子が寂しい思いをしていないだろうか…と苦しくなり泣くことが多いです。 この13年、愛犬が生活の中心になっていました。 毎日「死後のペットの気持ち」のような動画を見ていて、あまり苦しむとペットも苦しむなど出てきますが、割り切れません。 まだ悲しみが続きそうです。 どう気持ちに整理をつけていったら良いでしょうか。
この前、臓器移植に関する資料を貰い、家族と考えてみました。 私は死ぬのが怖いです。なので、脳死でもそれを死とは考えられないし、親がそんな状況になっても絶対に死んだとは認めないし、できる限りの延命治療をすると思います。 しかし、臓器移植を待つ方の立場になって考えてみると、それはもう死んでいるのに等しいから、脳死状態でしか手に入らない心臓なんかを譲ってほしいと考えてしまいます。 どっちの立場に立って考えるのもつらくて、頭がいっぱいになってそれ以上考えることができません。死にたくないから、誰かの心臓として生き続けるのもいいし、もしかしたら脳死から回復するかもしれない万一の可能性を信じて、心臓が止まるまで待つのもいい。自分がどうしたらいいのか分かりません。 なんか、脳死とか、死についての捉え方を変えたら自分が納得できる選択肢を選べるのでしょうか。 仏教ではどう死や脳死について捉えているのか、教えてください。
最近、自身の死について考え込んでしまうようになり、心が落ち着かない日々が続いています。コロナ等の影響もあって「死」という物をよく見るようになり、突然、究極を気にするようになって日常生活に支障が出るほど恐怖を感じています。 また、そんな漠然とした事をなかなか相談出来る所もなく、それが更に悪影響になっています。 何か考え込んでしまう自分と上手に付き合う事は出来ないでしょうか? 稚拙な文ですみません。
私の親しい友達Aが亡くなりました。 死因は事故死らしいと伝えられています。 本当は精神的な病に苦しんでおり自死だったみたいですが… Aが亡くなったと伝えてくれた友達が住職の娘で、彼女の父親が葬儀に住職として参加していました。 もちろん彼女も葬儀に参加してました。 私とAと住職の娘は同級生で昔からの親しい友達です。 Aが亡くなったと聞いた時に、どうして? なんで?と聞いても事故死みたいだよ、詳しいことはわからないと言ってました。 ただ、普段からポーカーフェイスな彼女が青白い顔をして大量の涙を流しながら話をしているのを見て、ただ事じゃないことが起きていたんだな思ってました。 Aが亡くなったとお寺に連絡があってそれを同級生に伝える役目はとても辛いものだと思います。質問攻めにもあっていましたし、 「お寺に連絡があったんでしょ?本当のこと教えてよ」とか「自宅で自殺したんでしょ? 運ばれていくところ親が見ちゃったよ」とか 「友達Aは檀家なんだろ? お墓はお寺にあることになるんだ〜気まずいね〜」なんて言葉をかけられたりもしていました。何を聞かれても耐えているその姿はとても見てられなかったのです。 ご遺族の意向で事故死と伝えるように頼まれてるのかもしれませんし、きっと彼女にしかわからないような苦しみを抱えていると思います。私はお寺の人間じゃないので彼女と同じ立場にはなれませんし… 苦しかったら、いつでも相談のるよと言ったら、「その気持ちだけで充分だよありがとう」と言われました。 友達Aの死の詳しいことをもしかして知っていたとして、彼女は誰にも相談せずにずっと心に秘めて苦しんでしまうのでしょうか? 正直、彼女は家族には心を開いていません。家族に相談とかは考えられないです。寺に住んでいて住職じゃなくても立場上何も話せないのは檀家さんの個人情報を守るため?守秘義務があるから仕方ないことなのですか? 友達Aのお墓の場所は彼女のお寺にあります。 それがまた辛いと思います。 彼女は抱え込んでしまうタイプの人間で精神的に不安定なところがあるのでとても心配です。友達Aのようにもしも万が一亡くなってしまったらと思うと怖くて怖くてたまりません。 私は彼女のために何が出来ますか? 何もしないことが優しさなんでしょうか?
こんにちは。 私はうつ病とPTSDと診断されていて通院しています。 阪神淡路大震災で祖母の家が倒壊したり知人がたくさん亡くなった事が原因のようです。 しばらくは大丈夫だったのですが東日本大震災があって当時の事が色々フラッシュバックしてきて死への恐怖心が強くなりました。 両親も祖母も段々と年をとってきて毎日毎日不安で仕方がありません。両親や祖母が亡くなったらどうしよう。生きていける自信が持てない。って事ばかり考えてしまいます。知人に相談したらいつかはそういう時がくるんだから割り切って考えた方がいいと言われたんですが割り切る事ができません。怖くて怖くて仕方がありません。死に対して向き合う事ができません。どのように考えればいいのでしょうか?この不安は取り除けるのでしょうか?
こんにちは。遺伝子診断や尊厳死について、考えたいです。 先日父が神経変性疾患の一種で入院しました。体が不自由になり、精神も壊れ暴言、暴力を振るうようになり、10年くらいで餓死、窒息、肺炎等で亡くなる病気です。 父は病状が進み暴力問題もあり入院となりました。父は車椅子に縛り付けられ(病気の性質上、ずっと付きっきりで見てあげられない病院では仕方のない処置です)罵声をあげていました。 この病気は何割かの確率で遺伝し、遺伝していた場合には100%発症します。この病気について、母は発症するまで伝える気がなかったのですが、1年ほど前に実家に遊びに行った時に父から告げられました。 その時私は結婚したばかりで、混乱しました。金銭的不安、パートナーにかける迷惑、人格がゆっくり変わっていって父のように暴言、罵声を毎日のように言うようになるかもしれない、それが病気との線引きが難しく治療法もないこと、子供を持てるかどうか、遺伝子診断をするかどうか。沢山の悩みが湧いて出てきました。 そして父の入院を目の当たりにして、ますます怖くなりました。 遺伝子診断をしたいのですが、母からは反対され、医療関係者も自殺の恐れなどあるので消極的です。 尊厳死についても考えますが、心配させるのでとても口にはできません。父も意識のはっきりしている時は寿命が長くたってなにもいいことはない、体も辛い、早く死にたいと言っていました。しかし当たり前ですがそんなことを言っても聞き入れられず、病人の危ない考えだと黙殺され、今父は病院で椅子かベッドで縛り付けられて苦しんでいると思います。退院できるかも分かりません。 遺伝子診断はして欲しくない、出生前診断は法的に認められてない、尊厳死もありえない。 病気の人の存在理由とかを考えすぎて、死はいけない、命の選別はいけない、そこから話が進んでいかないように思います。やさしい母ですが病気の話をすると目をそらして見ないフリをして生きろと言われている気がして憎いです。ついつい、この家に来ると落ち込む、とか嫌味な言葉を掛けてしまいます。それに怖くて目を晒せません。治療法がどんどん研究されている病気でもあり、積極的に関わっていくことで恐怖と付き合いたいです。 とりとめのない文章になってしまいすみません。尊厳死や遺伝子診断はなぜいけないのでしょうか。とても苦しいです。
上の子の発達障害のサポート、下の子の入園、同居での義父母との関係性、職探し、季節の変わり目と一気に色んな変化があり、精神面での調子を悪くしてしまい精神科に通っております。 はじめの頃はお薬を毎日決まった分飲んでいればとても調子が良かったのですが、日常とイレギュラーな事があった時(学校行事など)、前もって分かっていたはずなのに自分にとっては大きなストレスとなっていたようで、その出来事の前後に悪夢を見たり眠れなかったり、気晴らしのつもりで出掛けた先でパニック発作を起こしてしまいました。 その都度お医者さまに相談をしてお薬を追加してもらってはいるのですが、パニック発作や強い不安感を持っている時間はとても辛く、耐え難いものでいっそこのまま死んでしまいたいと思い、死に場所を探し回ったり、とにかく手首を切りたいと思ってしまいます。 発作が落ち着きなんとか日常生活に戻ると死にたい気持ちは消えるのですが、少し油断するとまたあの恐ろしい時間がやってくるのではないかと思ってしまったり、耐えきれず突発的に自殺行為を起こしてしまうのではと思います。 自殺は、後に遺された人たちをどれだけ苦しめ悲しませる事なのかということは分かっています。 だけれど今の自分の精神状態が正常ではないので死にたいと思うときに何かしでかしてしまうのではないかと不安でたまりません。 仏様は何と仰るのか分からないのですが、神様は乗り越えられない人にはそういった難しい試練は与えないと聞きます。それが本当だとしたら、私は自分のこういう体質を試練として乗り越えて自殺という形で投げ出すことはせず、生涯を全うすることができるということなのでしょうか?
私は動物看護師をしていました。 小さい頃から動物はなんでも大好きで、彼らのためなら何でもしてあげたいと思ってこの職を目指しました。 でも実際勤めたら、人手が足りずにいつも多くの業務に追われ、先輩達はとても怖くていつも行動を見られている気がしてだんだんと心に余裕が無くなってきました。 そしてついに入院してる子達に対して「なんでこんなに苦労ばっかりかけるんだ」という気持ちまで湧いてきてしまいました。 そういう仕事だとは分かっていたのにです。一番苦しんでいるのはその子達とそのご家族なのに、自分が一番みじめで苦しい思いをしていると勘違いしてこんな酷い事を思うほど自分が非情で身勝手な人間だと知って絶望しました。 そんな中で四匹の子が亡くなりました。 一匹は熱中症の小鳥で、私はそうと知らずにセオリー通りに小鳥の籠に蒸しタオルをかけてしまい、それが原因で小鳥は一瞬で息を引き取りました。私が殺しました。 もう一匹は私が手術の麻酔管理についた小鳥で、術後は元気そうだったのに飼い主さんのお迎えを待たずいつの間にか亡くなっていました。なぜもっときちんと見てあげなかったのかと後悔しました。 もう一匹はウズラで、来院する前に電話をかけてきて私が電話応対したのですが情報の引き継ぎがうまくできていなかったようでした。後で先輩に私が必要な事を先生に伝えておかなかったからこうなったんだと言われました。 もう一匹は犬で、点滴チューブが首に絡まって亡くなってしまいました。昼休みから最初に上がった人が入院の子の世話と掃除などの雑務をすることになっていましたが、私は全員をきちんと診ていたら雑務も時間内に終わらない、先輩に怒られると思い軽く様子を見ただけで流してしまいました。きっと私が様子をみた頃にはすでに点滴チューブは首に絡まっていたと思います。私の保身と怠慢のためにこの子は死にました。 私は非情で自分勝手な人間です。動物を助けたいと思ったのに、最終的に彼らを憎みそして死なせてしまいました。これだけは弁解しますが殺意も悪意も全くなく、故意でもありませんでした。それでも彼らの死に関わったという事実は変わりません。 これからずっと似たような過ちを犯し続けるでしょう。これ以上誰かを不幸にする前に今死んでしまいたいのです。最期に我儘を言うなら、罪を清めて極楽に往生したいと思います。仏様は救ってくださるでしょうか。
10年ほど前に高校生だった娘を自死で亡くしました。 よく“出会えた事にありがとう” “私の子供でいてくれてありがとう” という言葉を耳にします。 私もそう言いたい! でも娘は生きているのが辛く自ら死を選んだ… 死の数ヶ月前「なぜわたしを産んだの?」「わたしは生まれて来たくなかった」「いつ人生を終わらせるか考えてる」と娘に言われました。 娘が生まれた時の様子、みんなが喜んだ事を伝えましたが…娘の心には響かなかったのですね… “生まれたくなかった”子を勝手に産んだ私が “ありがとう”なんて言うのは 自己満足?自分勝手?娘を苦しめて死なせた私は感謝もできない…。 亡くなった娘とどうやって向き合えばいいのか もうずっとわからない。 もうこの世で充分苦しみ 怖く 痛い思いをして亡くなったのだから 今は暖かく 優しく 明るく 穏やかな場所で娘の魂が癒されている事のみを祈る日々です。 “ありがとう”はやはり言うべきではありませんか? 自死した魂は成仏できないのでしょうか? …もうすぐ命日です。
私は学生なのですが、小さい頃から、親が共働きで、祖父母の家で過ごす時間が多くなりました。しかし中学に入ってから、自分の家で過ごすようになり、祖父母と関わることは少なくなりました。祖父母は小さい頃から面倒を見てもらい、大好きな人たちです。ですが人間いつかは死にます。私は、もし祖父母が死んでしまったら立ち直れる自身もないし、どのような心境になるかもわかりません。最近そのようなことを、考えるようになりました。もし祖父母が死んでしまった場合、どのような立ち直りをしたら良いでしょうか?
仏教では死ぬ瞬間の感覚をどのように捉えているのでしょうか? 死にたいわけではないのですが、幼い頃から希死念慮というか、死について考えることが多く、最近はコロナの影響で拍車がかかっています。 亡くなった方には聞けないし…。