いつも拝見し、様々な方のご質問やお坊さん方のご回答を読ませていただいては多くを学ばせていただいており、ありがとうございます。 初めて勇気を出して質問させていただきます。。。 少しずつ本を読んだり話を聞かせたいただいていますが、まだまだ初心者です。 本来ならばいずれかの宗派に特化して学ぶべきなのでしょうが、まだそこまで絞れておりません。 少し学んだレベルなのですが、自力の仏教も他力の仏教も頷かされることが多々あります。 どちらの仏教も並立するんやないかなと思うこともあるくらいなのですが、他方、それぞれで相反する考え方もあります。お経さんでも同じです。 元はお釈迦様から始まった同じ根っこなのに何故なんやろう…と不思議でした。 これは、対機説法、応病与薬が具現化した結果だと理解するべきものなのでしょうか? そうであるとするならば… 浄土真宗では、煩悩はなくならず、自力では決して救われず、悟ることはできないと聞かせていただいています。 他方、禅宗では、煩悩を減らして行き修行を重ね悟りに至ることを目指すものと認識しています。 ということは、人それぞれによって(対機)、自力で救われる人もいれば他力で救われる人もいる、 煩悩のままで救われる人もあれば、煩悩を減らして(なくして)救われる人もいるということでしょうか。 どの様な人に、どの様な説法=教えが適切なのでしょう⁇⁇ 屁理屈の様な、ド素人の、アホな質問で大変恐縮ですがご教示頂けますと有難いです。 もしかして過去にどなたかが似た様な質問をされて回答がある様でしたら申し訳ありません。 宜しくお願いいたします。
18歳になった息子が交通事故で他界しました。まだ49日も来ていません。 毎日泣いて泣いて泣きわめいても これが現実なんだと思う度に辛くて苦しくなります。 同じ様な経験をした人のブログやグリーフケアの人達の言葉も見ましたが、前を向けた人達の言葉であって、今、どん底にいる私には遥か遠い先の言葉にしか聞こえません。 毎日何もする気になれず、何かしようと思っても1つ1つに息子との思い出が蘇ってきて、また辛くなって・・・逃げ出したい。。 楽になりたい。。の繰り返しです。 事故の瞬間の事も考えてしまいます。 怖かっただろうな。痛かっただろうな。苦しかっただろうな。。 どんな思いを残していったのだろう…。 まだやりたい事もいっぱいあったのに、これからの進学も新生活も凄く楽しみにしていたのに、一瞬で消えてしまうなんてあんまりにも残酷すぎる。 そんな事ばかり考えてしまいます。 息子が居なくなったこれからの人生に、夢・希望・喜び・笑顔・楽しみ・を失って生きて行く意味さえも分からなくなります。
私は結婚する前に夫に条件を言い渡しました。 「子どもを望まないこと(絶対に嫌だから)」 「夫婦別姓にすること(私の仕事に支障が出るから)」 「私の仕事を辞めさせようとしないこと(私の生き甲斐だから)」 「住むところは別々にすること(離婚対策)」 夫は構わないと言いました。 書類にして印鑑も押させました。 しかし現在夫は一緒に住みたい、子どもがほしいと言っています。 私は絶対嫌ですし、なんなら離婚するかと言いうと、夫は泣きながら私を説得しようとしています。 書面に判を押してまで約束させたことを涙ひとつでチャラにしようというその考えが気に入りません。 男は勝手すぎます。 よく「女は感情的」などと侮辱する男がいますが、結局男も感情の生き物ではないでしょうか?
初めて投稿します。 「悟り」に関する質問です。 「悟った人」というのはいないと解釈しています。 何故ならそこに個人的なこととして捉える「個人」の消滅だと認識しているからです。 だとしたら、何故仏教の教え、というものが存在するのでしょうか? そもそも救われていない個人はいないし、救いが必要な人も、仏陀からしてみたら見えていないと思うんです。個人的な自由意志と選択があるのは幻想の中だけで。 お弟子さんが広めたんでしょうか? その教えには、個人の自由意志と選択の余地があることを説かれているのでしょうか? ほとんど知識がなく申し訳ありません。 よろしくお願いいたします。
初めてこちらで質問させていただきます。よろしくお願いします。 私は現在、大学院で社会学を専攻しているのですが、同時に仏教に対しても強い関心を持っております。今後の人生は仏道を中心に据えて歩んでいきたいと思っております。 現代の日本の政情を私なりに研究した結果、日本の将来には期待できるものがほとんどないという結論に至りました。日本の政治・経済・文化における凋落は民主主義・資本主義体制が崩壊するまで続くだろうと予測しております。 この現状を踏まえて、私が歩むべき道は仏道以外に見出せないと思いました。しかし、日本仏教を信仰するにはいくつかの問題点があるとも感じております。 まず、第一に宗派があまりにも多くどの宗派を信仰して良いか分かりません。様々な宗派の本を読んでは見ましたが、どの教えにも深く納得することができず、悩み続けている状況です。(最近では、禅とテーラワーダ仏教の教えに惹かれております。) 第二に、日本仏教はもはやその求心力を失ってしまっているのではないかという問題です。鎌倉時代など、社会状況が大きく変化した時代には仏教は多大な求心力を持っていましたが、現代では賞味期限が切れた宗派もいくつか存在していると思うのです。(例えば、私の家の宗旨は浄土真宗ですが、個人的には信仰することに困難を覚えます。もちろん、歎異抄などの著作には深い感動を覚えます。)それが、さまざまな新興宗教を生み出す原因になっていると思うのです。 これらの点を踏まえて、私は禅かテーラワーダの教えを学んでいきたいと考えているのですが、同時に躊躇もあります。その教えに賭けて救われなかった時のことが怖いのです。ここに非常な葛藤があります。 結局、私がお尋ねしたいのは「私はどう生きるべきか?どの宗派を信仰すればよいか?」ということです。何かアドバイスがありましたら、どうかご回答下さい。よろしくお願いします。
お坊さんは幽霊や霊魂が見えたりするのでしょうか?もし見えてしまったらどうしたらいいですか?
すいません。後から気づいたのですが2回同じ質問してしまってました。 こっちが本当です。 私の学校は仏教の学校です。 学校でのお坊さんの教えでは生きてるうちに良い行いをすれば極楽浄土へ行けるといったものでした。 私はそれを信じて今までちょっとした発言や行いで人を傷つけてしまったことを悔いてそのことを今一度悔いて謝ろうとも思っていましたし、少しでも人のためになるような良い行いをしていこうと心がけどのようにすれば良い人間になれるのだろうや一度罪を犯してしまうとその人は救われないのかなどいろいろ調べていると、たまたま見た記事に日本人はみな地獄行きというのがあり怖くなりついつい見てしまったのです。 するとそこには虫などを殺すと地獄行き、お酒を飲めばもっと怖い地獄行きなど他にも地獄レベルが書いてあるのがありました。 それはお坊さんが知ってることなどが書かれていたのです 私は、最近では虫を殺すのは悪いことだと思い今では蚊すら殺してなかったのですが今までは殺してしまったりしてました。 私達は、今までは罪を悔いて良い行いをしていれば人に好かれる人間にもなれるし極楽浄土へ行けると信じてきましたし地獄は殺人や人を傷つけても平然と後悔することなく生きている人間が反省するための場所と思っていました。 なのにそんな事実をつきつけられ私は、どうすればよいのでしょう。 1日1日を良いことをしても、どうあがいても逃れられない地獄へ行く恐怖をもちながら生きていかねばならないのでしょうか? 今まで学校で教わった教えはなんだったのでしょうか? すぐ泣いてしまう私なのにショックと信じられないという思いですぎて涙もでません
結婚生活について悩んでいます。 お付き合いをして3年、結婚して4年半になります。 当初は誰もが、仲がいいねいつも一緒だねと言 う関係でした。 よく話しもして、休みの日は2人で出掛けてました。 最近は一緒にいる時間もなく、日常会話はしますが、立ち入った話をすると黙ってしまう。 さみしいのと、愛されていないのではないかという孤独感で、幸せとは思えない。 それでも夫婦でいられるならと、私なりにがんばったつもりですが状況は変わらず。 子どもがほしいのですが、聞いても黙ってしまうのでもう諦めるしかないのかなと思うけれどあきらめきれない。 年齢的に妊娠は難しくなってきています。 子どももいない、コミュニケーションもスキンシップもない、とても家族といえる関係ではないように思います。 私のエゴかもしれませんが、連絡をとりあったり思いや考えを話し合える関係になりたい。 どうしたらうまく話ができるでしょうか? それとも夫婦に会話は不要なのでしょうか。 長文乱文で、申し訳ないですが、なにかアドバイスいただけたらと思います
お経は漢字ばかりで見ても聞いても難しくて何のことかわかりません。 たぶんすごくいいことが詰まっているのでずっと読まれていると思うので、何を言ってるのか現代の言葉でわかりやすく口語訳して欲しいです。長ければ一部でもいいです。
母の初盆を迎えます。 葬儀屋さんの紹介のお寺のお坊様に四十九日もお経をあげていただき、そしてお盆のお参りのお知らせというハガキが来ました。日と時間が指定されてきました。実は十数年前に父が他界した時と同じ ご住職で、葬式以来、7日ごとに来ていただいていましたが、ある日、二日酔いで来られ、お経をはしょって読んだり 明らかに二日酔い状態でした。 母がもうこんなんなら、お断りしようということで、それ以来、家族で般若心経をお盆や命日にあげるくらいでした。やはり素人が唱えるのと、お坊様にあげて頂くのは違うとは思いますが、そのお坊様に来て頂く方が良いのでしょうか? 実は私の仕事の関係の方と同級生らしく、仏教や仏様の話は一切なさらず、その方の話をされ帰られます。お墓は香川県にあり、こちらは兵庫県なので、香川県から来て頂くこともできず、父の場合は初盆もお坊様には来て頂きませんでした。それでもやはり初盆で、そのお坊様にお経をあげていただいたほうがよろしいですか?
悟りたいです。 何をすればいいのでしょう?
今日 日経平均の下落に賭けるお寺、京都の青蓮院門跡が日経平均レバレッジETFを6億円空売りしました。 株とは、人の雇用であり将来 値上がりを期待し投資します。株価は、経済先行指数といい、株が上がれば景気がよくなる兆しとなります。 しかしながら空売りとは、値下がりを期待したもの、大口でしかければ、それだけで、値段は動いたりします。 つい最近も18億円を 高野山真言宗、お布施を外国債などで資産運用し失敗してます。 質問は、財テクがお坊さんの中で流行っているんでしょうか? お寺の維持には 檀家だけでは なかなか回らないんでしょうか?
昨年祖母が亡くなりました。 葬儀は密葬で行い、お寺を通さなかったので祖父や曾祖父母が入っているお墓に納骨しておりません。 当方は結婚して実家を出ている為、このお墓に今後入る予定はないのですが実の両親はこのお墓に入りたくないので祖母のお骨も入れていません。 両親がこのお墓に入りたくない理由としては祖父が他界した時(約20年前)このお寺から戒名代もかなりな高額で、その時の住職さんやお寺関係者の態度も傲慢だったのが父には我慢出来なかったそうです。 その後、事あるごとに実家にとって高額なお布施やとうば代を要求するお寺のやり方についていけないのもあり、お寺の方針を受け入れられないのです。 その為両親はお寺に不満が溜まり、祖母と話し合った結果、祖母のお骨は手元に置いておくという約束を生前の祖母としたみたいです。(当方は祖母から実際にこの話を聞いていないので両親が本音で話しているかは不明ですが…) しかしこの決断を受け入れられない叔父や親戚から「祖母をきちんとお墓に入れるべき・お金の問題ではない・祖母が可哀想」と言ってきます。 父は断固として叔父や親戚の意見を受け入れずにいます。 私は嫁に出た立場なので何も言えませんが、故人のお骨で家族や親戚がいざこざ起こすのは祖母が一番悲しむと思います。 私は今後どのようにしたら良いでしょうか? 私は祖母の意思を尊重してあげたいとも思うし、交友があった親戚が祖母をお参りしたい気持ちも分かります。 ただ喪主である父の意思が固すぎるので何を言っても父は受け入れてくれません。