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検索結果: 187件

愛猫を殺してしまいました

祖父母の家の猫を車でひいてしまいました。 20年くらい前に祖父母の家にやって来た猫で、2.3日に1回は会ってました。 歳と共に寝てばがりになり、歯も無くなり、耳も聞こえにくく、瞬発力も無くなり、度々私の車の下で寝てました。 その日もいつものように餌をあげ、餌をあげているところに居るなと思い、車を動かしました。 数cmしか動いてないと思いますが、直ぐに猫の鳴き声を聞き、痛そうな様子で歩いたので一瞬でひいたと思いました。 直後に倒れ、亡くなってしまいました。 完全に私の不注意です。 祖父母は長生きしたし、寿命だったとか 知らない所で亡くなるより、可愛がってくれた私の元で亡くなりたかったとか 言って慰めてくれましが、とても辛いです。 祖父母は寂しくないようにと今まで飼ってきたペット達のお墓に埋めてくれると言ってくれました。 何もしていないと訳がわからなくほど涙が出ます。 3歳の子供にもよしよしされるくらいショックが表に出ているようで、早く元のように戻らないと子供の前ではちゃんとしようと思ってますが、辛いです。 もう起きてしまったことは戻らない、前に進むしかないと思っていますが、中々前に進むことが出来ません。 前に進めるようなアドバイスがほしいです。 宜しくお願い致します。

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愛猫の供養について教えてください

愛猫が亡くなり、もうすぐ4カ月が経とうとしています。 私が離れがたいのと、納骨について迷っていたために、四十九日も百カ日も納骨せぬまま今に至ります。 まず、以前何かで「いつまでも死んだ猫の骨を手元に置いたり、寂しいとか思っていると成仏できずに化け猫になってしまう」という文章を見たことがあるのですが、本当でしょうか。 今でもつい「もっとこうしていれば、今も生きてくれていたかも」と後悔したり、「●●ちゃんがいなくなって寂しいね。天国から会いに来てくれるかな」と息子と話したりしてしまいます。 離れがたくて納骨していないと言っておきながら、死後しばらく経ってからはお参りもお供えも毎日はしておらず、たまにお線香をあげて手を合わせたり、食べ物や花をお供えしたりするだけです。 供養という面では、人間が仏壇にご飯やお茶をお供えするのと同じようにするほうがよいのでしょうか。 缶詰をお皿に盛って置くこともありますが「仏さんに肉や魚というのもどうなんだろう」と考えたり、もう死んでしまったのにあげても仕方ないなと虚しく感じたりしてしまいます。 私の願いは、愛猫が次生まれ変わる時まで天国でのびのびと幸せに過ごしてほしいということ。そしてもし望んでくれるならば、生まれ変わったらまた私たちとともに、今度はもっと長く幸せに暮らしてほしいということです。 ペット供養をなさっているお寺は、近くに3軒ほどあります。合同のお墓に毎日お経をあげてくださったりはしないのかもしれませんが、それでも民間業者の霊園よりはよい気がしています。 ただ、最初から合祀のみだったり、数年間個別で納骨した後に合祀だったりで、結局合祀されることに抵抗があります。 最近は人間も樹木葬などがあり、自分自身が選択するのは全然よいと思うのですが、いざ愛猫のこととなると、他の動物たちの骨とごちゃ混ぜにされるというのが受け入れがたいのです。 また、うちには幼な子がいるのですが、合祀の場合、家族でお墓参りに行った時に、元の飼い主さんにお参りしてもらえず寂しい思いをしている動物の霊たちが、子どもたちについてこないか心配です。 どのように供養するのが、愛猫にとってベストなのでしょうか。 個別でも合祀でも死んだ側には関係ないのでしょうか。 ちなみに我が家はマンションですので、埋められません。実家は庭がありますがとても離れています。

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愛猫の火葬時の後悔

先日、14歳の愛猫を癌で亡くしました。 自宅で家族が揃っている時に眠るように逝きました。 私が今後悔しているのは火葬の時にお花、おもちゃ、手紙は入れてあげたのですが、ご飯、おやつを入れてあげられなかった事です。 母が葬儀の予約をする際に、係の人に持っていく物を尋ねた所、お花、思い出の品の話はされたのですが、食べ物についての話はなかったそうです。 いざ当日の担当者の方におやつは?と聞かれ、持って来ておらず、入れてあげることが出来ないまま急かされるように火葬されてしまい、 帰宅後、他の方の体験談で、たくさんの好物を入れてあげたなどを読み、 なぜ親子揃ってすっかり忘れていたのか、もっと調べてからにすれば良かったと激しい後悔で胸が掻き毟られるようです。 とうとう我慢できなくて、葬儀社に言ってくれなかったとメールしてしまい、それなら遺骨と写真を飾った前でおやつだけをもう一度焼いてあげるからと言われました。 母は葬儀にケチをつけたりしたら猫が成仏出来ないと反対して大げんかになりました。 私も火葬場に愛猫をもう一度連れて行くのはイヤです。でもご飯を焼いてもらうのには有りなのかと迷っています。 動物供養をしているお寺にも相談しました。 ご住職ではなく係の人でしたが、遺骨の前にお供えしてあげたら良いのでは、と言われました。 供養をお願いする場合でもお焚き上げは難しいと言われました。 未練や執着が一番いけないのは分かっているつもりです。でもいつも肝心な所で抜けている自分を責めて責めぬく毎日です。他の子はお腹いっぱいなのにあの子はお腹を空かしているのではないかと一時も頭から離れません。 同じ火葬場でご飯を焼いてもらったらあの子の元に届くのでしょうか?この執着はなくなるのでしょうか? 信頼出来る人が周りにいなくてどうしたらいいか分かりません。母はヒステリックに私のすることを否定します。ケンカしたら猫が悲しむのに。 早く未練を断たなければいけないのに。 いつも間違えてしまう私に教えてほしいです。

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愛猫の死との向き合い方

愛猫の最期について後悔に苛まれています。 私が大学生のときに拾った子猫で、拾った時点で感染性の血液の病気であることはわかっていたのですが(発病はしていない)大切に育てていました。しかし、私が転勤族な現夫と結婚することになり、猫は実家に預けたまま離れることとなりました。とても寂しがりで人にくっついて寝るのが大好きな子だったのですが、実家では病気を先住猫にうつさないように夜は1匹の部屋で過ごしていました。 それから10年近く実家で元気に過ごしていたのですが去年病気が発病し全身に癌が広がり先日、肺に水が溜まって亡くなりました。 亡くなる前日の夜は私が実家に泊まり夜通しそばにいてあげられたのですが、亡くなる日の晩は私も授乳中の子どもがいたため自分の家に帰っておりました。朝一で駆けつける予定だったのですが、早朝に猫の部屋を覗いた母から「ダメだった」との連絡が入りました。 実家に預けられてからも私に人一倍甘えてくれており私を本当の母のように求めてくれていた子だったのに、娘が生まれてからはあまりかまってあげることができず、最後の最期もひとりぼっちで死なせてしまいました。肺に水が溜まっていくのは水の中で溺れながらどうにか少し息をするような苦しみだそうです。数日かけてどんどん息ができなくなっていく恐怖に最期は独りでどんな思いだっただろうか、私がせめてそばにいてあげられたら少しは安心できたのではないか、最期に私に助けを求めていたのではないかと悔やんでも悔やみきれません。 普段は考えないようにしていますが、ふと彼女の苦しみや寂しさがフラッシュバックのように鮮明に頭の中を埋めつくし、吐き気をもよおすような悲しみが襲います。 「最後苦しむ姿をあなたに見せないようにしてくれたのかも」とも言われましたが、死の前日も彼女は別れ際私にすがるような目をしていましたし、大人になっても赤ちゃんのような甘えん坊だったので、それはないと思ってしまいます。 彼女は幸せだったかそうでないか、魂は苦しみから解き放たれただろうか、来世も苦しんでしまわないだろうか、そのような考えと後悔と愛おしさとがごちゃまぜで、どのように彼女の死と向き合い消化していけばよいかわかりません。 僧侶の皆様に道筋を少しでも教えていただけると幸いです。

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2024/01/26

愛猫を火事で亡くしてしまいました。

初めまして。 1人では抱えきれなくてこちらに質問させて頂きました。 自分は去年に火事で愛猫7匹の命を奪ってしまいました。原因は寒さ対策につけていたヒーターからの引火です。 あの日から自責の念にかられ、あの子達の姿を思い出しては胸が張り裂けそうになります。 恐怖と苦しみの中死んでいったあの子達に申し訳なくて謝っても悔やんでもやりきれません。 燃える家を見て泣く事しか出来なかった最低な自分が気持ち悪いです。 あの時こうすれば良かったと後になって思っても突然の非常時でとっさに体が動きませんでした。 あれだけ大好き、我が子同然と言っておきながら見捨ててしまったのです。 出来るなら自分の命と引き換えにあの子達を生き返らせて欲しいと、何度も何度も考えてしまいます。 のうのうと生きてる自分が腹立たしいのに、どうすれば良いのかも分かりません。 もっとたくさん色んなことをしてあげたかった。 今更遅いと思われるかもしれませんが、亡くなってしまったあの子達に今出来ることなどはありますでしょうか。 悲惨な最期をとげたあの子達は苦しみから解放されているのでしょうか。 あの子達の魂はどうなっているのか、生まれ変わる事など本当に出来るのか。 そして最低な事に1匹の遺体だけ見つけてあげる事が出来ませんでした。 火葬も出来ず御骨も無くひとりぼっちのままあの場所でさ迷っていたらと思うと自分も死んでしまいたくなります。 他の6匹の御骨はあるのですが、あの場所に取り残された1匹の魂はちゃんと一緒に天国に行けたのでしょうか。 みんなこの世にさ迷っては居ないでしょうか。 最後に、自身の過失で殺してしまった自分は死んだ時にあの子達に会えますでしょうか? 恨まれても拒絶されたとしてももう一度会って謝りたいのです。 読みにくい長文なうえに質問ばかりですみません。 お忙しいとは思いますがどうかお言葉を頂ければ幸いです。

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愛猫を死なせてしまったのは自分

9月6日に愛猫が永眠しました。元は実家で他の子達と暮していて5月に他県へ引っ越した私の元に連れてきました。他の子も愛していますが、この子は特別不思議なくらい分かり合い愛し愛されたと感じる子でした。異変に気づいてからわずか3日のことでした。前足が動かなくなり病院で見てもらうと重度の糖尿病でした。動かなくなったのは糖尿病の症状より深刻で検査をするには今は耐えられないので糖尿病の治療を優先させ半日その病院で預かってもらい夕方に迎えに行った時には後ろ足も動かなくなっていました。大きな病院に連れていった方がいいと紹介状を頂きその夜は一晩中傍にいました。翌日遠く離れた病院に連れて行き、やはり深刻で検査は難しいと、しかし目や表情はしっかりしていると言われ少し安心していました。ひとまず糖尿病の数値が落ち着くまで入院させて頂く事になり、手続きの待ち時間に2回面会をし1度目の面会の際いつもの会話のように目をぱちぱちと向けたかと思うと動かせない筈の手足で立ち水を目の前で飲んで見せてくれました。それが最後の会話だと思いませんでした。次の面会の際には先程までこちらを向いていた筈が背中を向けて撫でても顔を向けてくれず反応してくれませんでした。私はまだ会えると思っていたので頑張ってねと声をかけ病院を後にしました。今思えば最後の挨拶をして突き放すように背中を向けていたように思えます。次の日の夕方に急変の連絡が来て急いで向かいましたが着いた頃には目も口も開いたまま脳死の状態で人工呼吸器を外せばすぐに心臓が止まってしまう状態でした。回復の見込みは無いことは理解していました。頑張ったねごめんね家に帰ろと声をかけ人工呼吸器を外してもらいました。今は御骨を傍からはなせません。糖尿病はストレスが原因で引越しさせた際に負担をかけていたのはわかっていたのに、重度になるまでそのサインに気付けなかった自分が憎い。手足の原因も分からないまま身勝手な自分のせいだという思いが頭から離れません。1匹でお留守番させる事も多く辛いのを我慢して寂しい思いをさせていたと思うと自分が許せない。連れてこなければこうはならずに手足も動いていたのではないか今も生きていたのではないか。気付いてやれるサインをどうしてもっとちゃんと考えてやれなかったのか。私と住んで幸せだったのか。また私の元に来てくれるだろうか。憎んでいないか。後悔の毎日です。

有り難し有り難し 9
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愛猫の小さな命を亡くしました

飼い始めたばかりの猫を事故死させてしまいました。来週で四十九日です。 自分のせいでしかなくて自分をどんなに責めても戻ってこないのは分かってます でも、最後の無邪気な姿 最期の姿が忘れられなくて 今年の9/1に野良猫を飼うことになりました。推定生後1ヶ月ほどの小さな命 きっかけは旦那の職場で野良猫が5匹見つかり里親探しを始めうちでは先住猫がメスだったためメス猫ちゃんを引き取ることになりました 娘が好きなトトロという名前をつけました 肩の脱臼もあった為病院にも通いました 先住猫もおり一歳と二歳の子もいたので初日から本当に慎重に育てていました まだ離乳食期で3.4時間ごとの食事 子猫の寂しさから夜鳴きもあり 子育ても両立させるため 正直毎日忙しかったです でも頑張れたのはトトロの可愛い寝顔で 普段の疲れが全て癒されてました 娘の誕生日を翌日に控えていたので9/24日に出かけました 帰宅後は朝から動き回ったのでヘトヘトでいつも通りトトロは構ってちゃんでしたが、まともに相手ができませんでした 夕食も終わり一息ついた夜11時 先住猫がベランダへ そしてトトロが外に出ないようにも見張ってました 見張ってるつもりでした 気付いた時には柵の反対側でした トトロは楽しそうに遊んでる様子でしたが 部屋の中にいる家族におもちゃとって!早く!と叫んでました 振り返ってもう一度トトロの方を見るともうそこには居なくて 7階でした。即死だったと思います 迎えに行った時には涙を流してるようでした でも、まだ温かいから助かるかもしれないと一心不乱に声をかけて動物病院に連れて行きました 延命治療を続けましたが やっと呼ばれたときには亡骸でした 娘の誕生日前日に 病院での時刻だと誕生日当日に その日にうちに別荘に土葬しにいきました。 前に飼っていたペットもそこに土葬してありましたのでその横に寂しくないように それから毎日地獄でした 数時間おきのアラームもなくなり 買った子猫の餌もたくさん残ってて 一瞬でも暇さえあればトトロへの後悔 生後2ヶ月経ったか経たなかったか短すぎる命 他の里親さんが拾ってくれてたら 子育てとの両立なんて甘くみていたから 最後の日もっと遊んであげれば 治りかけてた脱臼なんか気にせず手を差し伸べて引っ張ってればと こんな母親なんかでと子供達にも申し訳なさがいっぱいです

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私の落ち度で他界した愛猫の供養について

マンションの9階に住んでいます。 愛猫の脱走防止には気を配り、脱走防止柵や網戸ストッパーなどしていました。 しかし先月、クーラーを付けずに寝た夜明けに暑さで目を覚まし、枕元の窓を少し開けました。網戸は足元側にあり、枕元は網戸のない状態でした。 雨の日で涼しい風が入ってきて、そのまま眠ってしまいました。 アラームの音で目覚め、大学生の子供を起こし、私は朝食の準備に入りました。普段、愛猫のごはんは子供が担当しているのですが、このときになって、猫が居ないよ?と。 血の気が引きました。家中探しましたがいません。子供に窓を開けたことを話し、マンションの外に探しに行ってもらいました。 最悪の結果でした。 ずぶ濡れになってぐったりした愛猫を抱いて帰ってきました。 すぐ病院につれて行きましたが、肺が破れ口や鼻から出血し、背骨や前足は折れ、息絶えていました。即死だっただろうと言われました。 1週間ほどショックで眠れず食べられず泣いてばかりいました。 私が殺したも同然です。 ただの飼い猫ではありませんでした。 離婚で子供と2人になり、生活も楽ではなく仕事や子育ての疲れで鬱寸前だった私の元に縁があってきてくれた子でした。 鬱にならずに済んだのは愛猫のおかげです。私に生きる活力を与えてくれました。 7年ずっと、私や子供の家族として、心の支えとしてそばにいてくれました。毎日一緒に寝て、遊んで、寄り添ってくれました。 そんな大切な愛しい愛猫を私が殺してしまいました。 どうしたらよいのかわかりません。 あまりに突然で気が動転していたので、動物病院に紹介されたペット葬儀の会社で火葬し、現在は手元供養をしています。 しかし仏壇もなく、キャビネの上に遺骨と位牌、遺影を置いています。 ごはんと水は毎朝晩交換し、お花のお水は毎朝替えて、手を合わせています。 しかし心が痛いです。つらいです。 会いたいし謝りたいです。 私はどうしたら良いのか、なにが供養になるのか、悩んでいます。 四十九日法要のあとは納骨も考えていますが、営利的な霊園しか見つけられず納得できていません。

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愛猫の死から続く不幸、毎日が辛いです

昨年12月に13年一緒に過ごした愛猫が急逝しました。 原因不明で、予兆もなく本当に突然の別れだったので本当に悲しく苦しく辛く、まだ立ち直れていません。 もう一匹飼っている猫がいます。 こちらは15歳で、もともと具合が悪く 昨年10月頃から病院にかかっていました。 13歳猫が先に逝ってしまう少し前からなぜか元気になり そちらに対する心配がなくなったこともあり、わたしも立ち直らねばと正月をあけたころには少し健やかに過ごせるようになりました。 ふたり(私と猫)の生活にも明るい兆しがみえてきたのも束の間、 15歳の猫が最近また具合が悪くなってきました。 また病院にかかっていますが、あまり回復する様子がなく また愛猫との別れが迫ってきている気がして、苦しく悲しく辛い日々を過ごしています。 なんでこんなに悪いことが続くのか。 大切な存在が、急に連続してふたつも失われてしまうのか わたしばっかり、なんで? と思って毎晩寝るときにとてつもなく死にたくなります。 コロナで親にも会えません。 会って辛いと言いたいのに会えません。 コロナで友達にもあまり会えていなく、 話したいけど久しぶりに話すことがこんなに辛い話というのも気がひけて話せません。 パートナーはいません。 恋愛もしたいのですが、愛猫を亡くして毎日死にたいと思ってしまう自分は重すぎるので 誰かに支えてもらうだなんて申し訳なくて今は出会いの場には行く気になりません。 15歳の猫が衰えていくのをひとりで毎日見届け続けるのが辛いです。 誰かに支えてほしい、誰かにそばにいてほしいと思うのに そういう存在がいないことにすごく孤独感を感じて辛いです。 まわりの幸せや楽しい話題が、皆は楽しそうなのにどうして自分は、と感じてしまって辛いです。 死ぬ勇気はないので死ぬことはないです。 でも苦しい思いをしながら生きること、毎日を生きることが辛いです。 どうしたら自分の心を落ち着け、幸せになることができるのでしょうか。

有り難し有り難し 11
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2023/01/19

愛猫の死で気が狂いそうです

 私が12歳の時から16年間連れ添った愛猫を先日亡くしました。 長いですがきいていただけますか。  彼女は腎不全を患い、2年に渡り自宅で皮下点滴や投薬を続けていました。 元々は家族で可愛がった猫でしたが、両親もきょうだいも引っ越し、最後の1年は私が実家でひとり面倒を見ていました。  闘病と言えど穏やかなもので、坂道を下っては緩やかに持ち直す日々でした。が、ある時を堺にたがが外れたような食欲を見せます。欲しがるままに多めに食事を与えれば、翌日一日中下痢や嘔吐に苦しむ。かといって規定量の食事では満足できず、私が在宅勤務をしている横で、一日中大声で鳴き立てました。そんな日々が数ヶ月続き、私は疲れ、苛立ち、およそ生き物と暮らす人間がすべきではないひどい仕打ちを数回、行ってしまいました。  騒がしい日々は、思いのほか呆気なく終わりました。腎不全とは別の持病のために食事に口をつけなくなり、みるみる痩せ細り寝たきりになり、看取りに備え家族も駆けつけました。それまで何度も持ち直した気力もどこへやら、かかりつけ医の余命一週間の見立ての翌朝、家族全員が起きてきて囲むやいなや、ため息をつくように彼女は息を引き取りました。  人生で初めて迎えた猫でした。家に子猫がやってきたワクワクだとか、1人泣いている夜に布団に潜り込んできた温もり、予想外のいたずら(賢い子でした)、嫌な治療にも決して人間を傷つけるような暴れ方をしなかった優しさ、温かな思い出がたくさんあるのに、あのとき自分がしてしまった仕打ちばかりがフラッシュバックします。  保健所から家庭に迎えられ、猫の平均寿命を全うした彼女を不幸な猫と呼ぶ気はありません。ただ自分のことが許せないです。彼女にも許して欲しくない、むしろ罰して欲しいとさえ思います。彼女を思い出すたび悲しくて愛しくて自分が腹立たしくてもう気が狂いそうです。触れたくて見つめたくて呼びたくてたまりません。失って初めてなんてあまりにも莫迦だと思います。  以下ご相談です。  週末には弔ってくださったお寺からお骨を引き取ります。こんな煩悩の塊のようなぐちゃぐちゃな状態では彼女に顔向けできないと思う一方、晴れやかに「今までありがとう」だなんて白々しいと思うのです。  私はどんな心持ちで彼女を迎え、また見送ればいいのでしょう?

有り難し有り難し 21
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愛猫に苦しい最期を迎えさせてしまいました

懺悔もかねて相談させてください。よろしくお願いします。 昨日、愛猫を看取りました。まだ7歳の若い子ですが、末期がんで治療ができず、緩和ケアの末に自宅で亡くなりました。 子猫の時からいろんな病気と闘ってきた子で、短い人生の中で何度も入院し、注射や点滴は数え切れないほど経験してきました。 亡くなる前、獣医さんからは安楽死を数回提案されましたが、 「短い一生だけど、1日でも長く生きてほしい」 「最期までがんばって生きようとしてるこの子の気持ちを尊重したい」 「天命を全うして自然なタイミングで旅立ってほしい」 「注射が大嫌いな子だから、せめて最期は注射で終わらせたくない」 そんな思いから、安楽死を選びませんでした。 でも、実際は「この子の人生を自分の選択で終わらせる大きな責任から逃れたい、安楽死を選んだことを後悔して引きずるのがこわい」というずるい本音もありました。 しかしその結果、あの子は苦しい最期を迎えることになってしまいました。亡くなる前の1日はずっと呼吸が辛そうで、発作→少し落ち着く→発作を繰り返し、最後はこれまでに聞いたことがないような声で何度も叫んで、のた打ち回って亡くなりました。最後の最後まで必死に生きようと闘ってもがいて、まさに命のエネルギーをすべて燃やし尽くして息を引き取りました。 今にして思えば、人生で何度も病気で辛い思いをしてきた子だから、最期くらい苦しませず安らかに終わらせてあげればよかった。そうしたらあんなにこわくて辛くて、自分の身に何が起こっているかわからない混乱のまま逝かせることにはならなかった。 ですが、私のずるい責任逃れで安楽死を選んであげなかったことを謝りたくても後悔したくても、それはそれで必死に闘ったあの子の最期を否定してしまうような気がして、気持ちの持って行き場がわかりません。 私はどうしたらいいのでしょうか?また、命のすべてを燃やし尽くして苦しい亡くなり方をしても、あの子の魂はきちんと成仏して天国で安らかに楽しく過ごせているでしょうか? あわせて、私たちは海外に住んでおり、お仏壇を用意できません。遺灰と遺影に手を合わせてごはんとお水を供えていますが、あの子が天国で楽しく過ごせるように何かしてあげられることはありますか? 長くなってしまい申し訳ありません。ご回答いただけましたらうれしいです。何卒よろしくお願いします。

有り難し有り難し 14
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2023/07/24

愛猫の死との向合い方、避けた方が良い事は

身近な人、というカテゴリーですが、愛猫についてご相談させてください。 【概要】 実家で暮らしていた愛猫が早くに亡くなり、思いだけが募り、気持ちの行き先がない状態です。 良い向き合い方や、環境改善のアドバイスなどあれば頂きたいです。   【詳細と経緯】 愛猫がうっ血性心不全を患い、発覚から2ヶ月も経たず、旅立ってしまいました。 突然、お腹と胸でめいっぱい息をしながら、叫びながら息を引き取りました。 動物病院も開いておらず、母はパニックになっていて、自分がしっかりしなければと思いながらも、私も何もできませんでした。 6歳という若さであった事、闘病生活を充分に支え切れず、突然亡くなってしまったという事もあり、悲しみや後悔、大好きだという気持ちが処理しきれずにいます。 亡くなった子に大好きだと伝えたいけど、思い続けたり、悲しみすぎていると成仏できない、別の悪い霊まで引き寄せてしまうなんて話を聞いたことがあり、それだけは絶対に避けたいのです。   【相談内容】 ①亡くなった子を強く思いすぎるのも良くないのでしょうか。   ②せめてお線香をあげて、手を合わせるような時間が持てたらと思いますが、実家には猫があと5匹いて火を使う蝋燭、線香は危ないと考えています。一人暮らしの家に勝手に簡易的な仏壇のようなものを拵えてもよいものなのでしょうか?   ③名前入りのアクセサリーや石を身に着ける、愛猫の写真でクッションを作る、写真を飾る、名前を入墨として自身に彫ることを検討しています 上記の中で仏教の観点から避けた方がいいと思われる事はありますか?一個人の意見としてでも構いませんので伺いたいです。   当方の環境としましては、 ・実家にも仏壇等はなく四十九日も迎えておりません ・分骨なども致しておりません、まだお骨は手元(実家)にあります ・ご縁があり般若心経が手元にあり、道具も揃っている為写経でしたらすぐに可能です   その他向き合うにあたっての心構えや環境を見てのアドバイスなどありましたら些細な事でも構いません。是非教えていただきたいです。よろしくお願いします。

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2021/12/24

愛猫の死から逃げたため後悔で苦しいです。

数ヶ月前から異変に気づいていたのに、病気が発覚する怖さに囚われて病院に行きませんでした。 3ヶ月前病院に連れていき、もう長くないだろうと。それでも、死んでしまうなんて思っていませんでした。 ほんとに、もっともっと生きると思ってました。 シリンジでお水を飲むのが好きな子でしたがまんどくさがってあんまりシリンジから水をあげませんでした。 寝ているときお腹に乗ってきたり、スマホを触っていると構ってほしいとやってきて、でも鬱陶しいとあまり構ってあげませんでした。 もともと人好きな子で、慣れてしまっていました。仲もよく、あの子も愛情を分かってくれていたと思いますが、なぜもっと構ってやれなかったのか悔やんでいます。 最期の数週間、具合が悪いのに気づいていましたが、死を受け入れられずに現実逃避していました。 甘えてきても、いつも通り、そんなに特別構うわけでもなく、スマホを触ったり絵を描いてばかりでした。 死ぬことなんて認められなかったんです。まだまだ生きる、わざわざ撫でたりかまったりなんてしない、そしたらこの子が死ぬことを容認して諦めてしまうような気がしていました。そんな感情が、死と向き合うことが、正直とっても面倒くさく避けたかったです。 ほんとに、見てみぬふりをしていました。 なくなる2日前頃から死に直面しだして、必死に撫でたりしました。 反応は芳しくなかったですが、それでも力を振り絞って私のいるベットに来たりしてくれました。 でも、最後の最後まで死に向き合えなかった私は、また現実逃避して、絵をずっと描いていました。まだ、生きると、あと一日は生きる、だから、もう少し目を逸らして、いよいよ最後になったら撫でてそばにいて見送ろうと思ってたんです。 そしたら、絵を描いている間に、静かに一人で死んでしまいました。とても安らかに。 生きているうちに、あの子と一緒にいるチャンスを、現実から目をそらしたせいで失いました。 目を逸らしていたときは楽でした。でも、あの子が死んでしまってから、死ぬほど辛いです。 なんであの時、向き合えなかったんだろう。 後悔ばかりです。なぜ私は、いつも現実から逃げてしまうのか。自分が憎くて仕方がありません。 辛いです、だめな自分に、勝手ですが、少しでも楽になる言葉を頂けませんか。 あの子は私を恨んでなんかないとしっています。

有り難し有り難し 7
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2022/11/23

最愛の猫を亡くしました。

機能不全家族の中で育ち、母の自死をきっかけに十代から一人暮らしをしています。 突然、母を失い、悲しみや喪失感を感じる間もなく生きる私の心の支えとなってくれたのが愛猫でした。 とても甘えん坊で居場所はいつも私のお腹や膝の上。抱っこが大好きで、目に入れても痛くない愛しい子でした。 そんな愛猫も十三歳になり、病気を患いながらもこの数か月は毎週の通院と投薬、点滴でなんとか命を繋いでいました。 お腹が床につきそうなほどふっくらしていた姿がいつのまにか2kgにも満たないやせ細った姿になり、この子はもう長くないかもしれないと思ったその矢先のことでした。 吐き気のせいでごはんが食べられず、水も飲めず、寝たきりになった愛猫を病院に連れていこうと予約をいれた直後に、荒い呼吸が始まり、それが落ち着いたかと思えば、すーっと眠るように息を引き取りました。すぐそばにいたのに一瞬気づかなかったほど、静かな最期だったと思います。 その日から、一日中泣き暮らしています。 後悔や反省も尽きません。私の努力が、配慮が足りなかったせいであの子を失ってしまったと、もっと早く病院に行っておけば、もっと早く異変に気づいていたら、と考えては苦しくなり、自分は飼い主失格だと申し訳なくなります。 あの子が病気で苦しかった日々から解放されて良かったと前向きに捉えようと試みてはいるのですが、どうしても、ずっとそばにいてほしかった、もっと一緒に生きたかったと涙が溢れてしまいます。 これまで何度も希死念慮が襲ってきた私の人生ですが、この子がいるから生きないとダメだといつも引き止めてくれた存在です。 家族もなく、頼れる人もいない私にとって最も大切でかけがえのない存在でした。 間違いなく、私が今世を生きる理由でした。 そんな子がいなくなった今、どうやって生きていけばいいのか分からなくなっています。 どうかもう一度、同じ姿で私の目の前に現れてほしいと願ってしまいます。 そこでお聞きしたいです。 死後の世界はどうなっていますか。 愛猫は本当に苦しみから解放されたのでしょうか。 不自由のない健康な体で天国にいますか。 また、私は愛猫の死をどのように捉えたら悲しみから解放されますか。 輪廻転生を信じて、いつか愛猫が姿を変えてでも帰ってきてくれると信じていいですか。 この先私は何を希望に生きていけばいいでしょうか。

有り難し有り難し 11
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