hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
問答一覧
検索結果: 5409件

私の父親の死を伝えた時の義母について

6月に実の父親を亡くしました。 その事を旦那の実家に報告しに行った時に言われた義母の発言に対して怒りの感情しかありません。 両親は離婚していたのでもちろん父親は別でアパートを借りて暮らしていました。 なので家電や生活雑貨など遺品としてアパートに残りました。 亡くなった知らせを受けた次の日に 旦那の実家に行って話をした際に 今週末遺品整理に行く話をしました。 そしたら義母が 「まめねぎちゃん!冷蔵庫欲しいって言ってたじゃない!!お父さんのもらってきちゃいなよ!」 もう何言ってるんだこいつは状態になり それでも冷たい態度など取ってはいけないと思ったので 「あはは、私は冷蔵庫よりも乾燥機付きの洗濯機のほうがいいですね…」 と、声を震わせながら言ったのにも関わらず 「じゃあもらってきちゃいなよ!いいじゃん!!」 もう何も返す言葉が出ませんでした。 その後も、父親の死の報告をしてたはずなのに 全く関係のない話を私や私の旦那に振ってきたりとめちゃくちゃです。 義父は上手に話を逸らそうと 「今その話はしなくてもいいだろ」とフォローを入れてくれてました。 (もちろん私の旦那も) それでも喋り続け私が帰る頃にとどめを刺すように 「まめねぎちゃんのお父さんの顔見た事ないから写真ある?見たいな〜」 と、言われました。 泣きそうになりながら写真なんて入ってないカメラロールを遡り、探すふりをしました。 見かねた義父が 「いいよ、今やることじゃないから。」 と、言ってくれたので助けられましたが、 それからというもの、義母に対して嫌悪感しかないです。 許せる気がしません。 これから先、どうすればいいでしょうか。 私の心が狭すぎるのでしょうか。 これの他にもデリカシーのない発言を何度かされているし、 新婚だというのになんの連絡もなしに私たち夫婦の新居にいきなり訪問してきます。 そろそろ限界です。 今後義母とどう関わっていけばいいでしょうか? 義母を許せる日はくるのでしょうか。 長くなりました。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

家族の死、自分の死が怖いです。

私は人は死んだら無になると思っています。しかし無になるということを考えるだけで怖いです。私たちに生まれる前の記憶がないように、その頃の状態になるのかな?などと考えてしまいます。 私がまだ幼稚園か小学生低学年だった頃、NHKのニュースを見ていて「北朝鮮と日本がいつか戦争になるかも。そしたら自分も家族も死んでしまうかも。」などと幼いながらに考えてしまい、死が怖くなって、夜な夜な布団の中で泣いてしまい怖くて朝まで眠れなくなってしまったことがありました。それから月日が経ち、死を考えすぎてしまうことは無くなりました。 しかし最近夜になると死を考えて泣いてしまい眠れなくなってしまうことが再び増えてきました。1度考え出すと怖くて3時間は泣いてしまい気づくと眠れないまま朝を迎えています。 輪廻転生という考え方が好きで、その言葉を支えにしたいのですが、輪廻転生も所詮は生きている人が考えた言葉にすぎない。死んだら思考回路すら無くなるんだから、輪廻転生して再び自我が目覚めたとしても、それは新しい自分であって、昔の自分は消えてなくなる。結局人は無になるんだ。という結論にたどり着いてしまいます。 私の父は69歳、母は63歳、祖母は91歳。比較的高齢の家族ですが凄く元気です。ですがふと、この家族で過ごせる幸せな時間は永遠ではないんだと考え「あと何年?」と考え辛くなります。 最近は高齢な家族故に両親と過ごせる時間より、両親がいなくなった後の時間の方が長いのかもと考えて泣いてしまいます。私は両親のことが大好きなので、2人がいつかいなくなってしまう。「無」になってしまう。そんな日がくるのがとても怖いです。 そして今見ている景色、大切にしている物、現世で学んだ知識、死ぬ時は全て手放さなくてはならない、私も死んだら無になる、家族と家族だったことも無くなる、もうこの家族には会えない…どこまでもそのように突き詰めていってしまいます。 よく「(死を考えるくらいなら)今を楽しく生きよう」という言葉を聞きますが、そのような考え方に自分が対応できず、ただ死が怖いです。 本当に最近このような考え方に陥って泣いて眠れなくなることが多くて困っています。 何か少しでも心が軽くなるお言葉、そして仏教では「死」に対してどのような考え方を持っているのか、お話を聞かせていただきたいです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 70
回答数回答 1
2022/05/19

死と生きること

小学生2年生の娘が 死ぬことに対して恐怖を抱いているようです。また、生きてるのかということについても考えて、不安になっている様子です。 思い返すとここ数年で ペット(熱帯魚)が死んでしまったり、娘にとっての曽祖母が亡くなったり、死について考える事は何回かあったのですが、曽祖母は娘自身は会ったこともほとんどない近しい関係ではなかったので、それほどショックを受けるような感じではなかったです。 それでも、人が亡くなったらお葬式をして、お骨になるという事は少しショッキングだったのかもしれません。 私はいつ死ぬの? 死んだらどうなるの? 私は本当に生きてるの? 「まだ死なないから大丈夫だよ。 あなたが死ぬのは、ひいおばあちゃんぐらいの年齢になってからだと思うよ。」 「たくさんいい事をすると天国に行けるみたいだよ。」 などとも話してみたりもしましたが、なかなか不安は解消されないみたいです。 明日死んじゃうかもしれないと泣き始めることもあります。 生きてることについては うまく説明もできず 「自分が生きてるのかを今考えられてるってことはあなたが生きてるってことなんだよ。」と 「我思う故に我あり」のような事を伝えてみたりしても、小学生には、まだ上手く伝わりません。 死への恐怖 死後の話 生きてること どのように話してあげればいいでしょうか?

有り難し有り難し 43
回答数回答 4
2022/07/07

自分の死に起因する母の死について

はじめてご相談させて頂きます。</br> 以前、父が遺伝性、且つ予後不良の神経難病を発症し、 現在は死を待つだけの状態となってしまいました。 そのため、私と妹は遺伝子の検査を実施したのですが、 私に父と同じ遺伝子が存在することがわかりました。</br> 父と同じ病気になる可能性があるとわかった私は、 母に「私が死んでもちゃんと生きてくれ」と話したのですが、 母は、妹と二人の孫がいるにもかかわらず、「それはできない」、 「私が死ねば自分も死ぬ」と泣きながら答えていました。</br> 私は、本人が最期に幸せだと思えればよい人生であると考えております。 父が病気となり亡くなることは、とても悲しくありますが、 父は最期まで幸せであったと信じられるため、耐えられなくはありません。 母に関しても同じで、病気、事故で亡くなってしまった場合、 その時点では幸せであったと信じることができると思います。</br> しかし、私が死んだ後、自死を選んでしまうのであれば、 母の最期は不幸なものではないかと考えてしまいます。</br> 子供に先立たれれば、自分も一緒に死のうと考える親は多いのかと思います。 ですが、実際に実行するかは別であり、時間や周囲の存在が少しでも心の傷を 癒してくれるのでしょう。 それでも、そう思えるのにも関わらず、病気になっていないにも関わらず、 自分が死んだ後、母が前を向いて生きてくれることを信じることができず、 母が後を追ってしまうのではないかとずっと考えてしまい、とても怖いです。 </br> そんな起こってもいないことを心配するような私に、 アドバイスを頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

死は存在しない

もう10年以上も前になりますが、母の命日が近付くと、色々と考えます。 不治の病を宣告された母。いわゆる「手かざし系宗教」の信者である叔母(母の妹)から勧誘され、藁にもすがる思いで行った本山で「あなたには助からない相が出ている」などと訳知り顔で告げられた母。 同行した父親も勧誘されましたが、断ったとの事。 (父も母も、元々は徹底した無宗教、無神論の人でした) 母は闘病中も死の間際も、「私が死んだら○○を宜しく」 なんて言葉は一言も言いませんでした。 私は、人の思考は死を思う為には出来ていないと考えます。 脳はあくまで、身体を効率よく動かし合理的に生き延びる為に、進化の過程で生物が獲得した器官であり、「死」なんて抽象的な思考を弄ぶ為のものではないと思うんです。 死んで肉体の機能が停止すれば、感覚器官(眼や耳、肌など)も停止し、仮に死後が存在するにしても、想像を絶する世界を見て、感じるはずです。軽々と「死後の世界」なんて言えるはずが無いです。 生物の脳も身体も、ひたすら生きる為に作られています。死ぬためにつくられてる訳じゃないです。だからこの脳、この身体で死について考えること自体ナンセンスで、飛ぶ為に作られていない私の手で、鳥のように空を飛ぼうとするようなものです。 お釈迦さまが死後を無記とした真意は… 私は、死後が浄土であれ輪廻であれ、あるいは本当に恐ろしい事ですが正真正銘の「無」であっても、仏教の救いに変わりはないと言う事ではないかと考えます。 人は死なないです。死の間際でも、風邪をひいたように、一晩明ければケロリと治ってると心の奥底では信じて最後の日まで生き続けるのではないでしょうか。 母は死の間際まで死を考えませんでした。少なくとも、口には全く出しませんでした。何かを悟っていたのか、一片の悟りもなく生にしがみついていたのか今では分かりません。 ただ、母の姿を思うと私も生の続く限り全力で生きたいと思うばかりです。 「生きてる時は死んでいない、死んだら生は無い、だから死は存在しない。死を恐れず、生を全うせよ」と言ったギリシアの哲人に、私は賛成です。 こーゆー考えもまた、妄想でしょうか? 「これだけ問答を重ねて、君はまだ何も分かってない」とお叱りは覚悟の上です。 日々、人の死と向き合っているお坊様方の実感を聞かせて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1
2024/02/18

父の死について夫と私自身を慰めたい

先日父が急逝しました。2日前までは普通だったのに、たった1日で意識がなくなりそのまま逝ってしまいました。この数日間で私自身の気持ちは整理できたつもりですが涙が出るし、まだ父は出張に行っているだけのような感覚がして、寂しくて悲しいです。 そして去年結婚したばかりの外国人の夫は私以上にショックを受けているようです。夫は父と最後に1週間前くらいに顔を合わせ、次に対面したのは父が病院で亡くなってからでした。夫は今まで1度も亡くなった人の体を見たことがなく、またあまりにも突然のことで大変な衝撃を受けたようです。 夫は、「もっともっとたくさん父と話したかった。あと10年、20年と時間があると思っていたのに…もっと日本語を勉強していればよかった」と悔やんでいます。 父も夫のことをとても気に入っていたようで、こっそり英語の参考書を読んで勉強していたようです。また外国人の息子が出来たことを写真を見せて自慢していたと、父の友人から聞きました。どれもこれも全て父の死後に知ったことです。そういった全てのことに対して、夫は涙を流して悔やんでいます。 夫の慰めになればと、夫と一緒に父の遺影の前に毎日ビールやお菓子をお供えしたりしていますが、やはり座ってひといきつくタイミングで呆然とし、涙を滲ませています。 そのような夫にかける言葉がわかりません。寄り添ってあげたいです。一緒に前に進んでいくために、どういうふうに考えたり行動したりすればいいか教えてください。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

死が怖い

私は今19歳です。1ヶ月前からずっと死について考えて頭から離れません。 考えすぎて、気持ち悪くなって、ご飯も食べれず夜も寝れなく、寝れたとしても、あー私はいつか死ぬんだと思って起きます。 長くなりますが、よろしくお願いします。 小さい頃から死が怖くて考えただけでもパニックになっていました。いつもなら考えないと言い聞かせて考えないようにしていました。ですが、ここ1ヶ月死んだら私はどうなるのだろうか、どうして死ななければならないのだろうか、いつか私がいたことさえも忘れられてしまうのではないだろうか、この世界はこの先どうなっていくのだろうか、とか色々考えてしまいます。 あと、私は80歳まで生きるとして60年しか時間がない、1年はあっという間に過ぎていくから私はすぐ死ぬだとか、生まれてこなければこんな苦しむことも無かったのにとか、本当に死が怖くて怖くて仕方がありません。 家族は、そんな私のためにいろんなところに連れて行ってくれます。母は話をたくさん聞いてくれます。でも、そんな母にも会えなくなる日が来ると考えてしまい、もっと怖くなってしまいます。 人間だから死ぬのは当然です。でも、どうしても怖くて仕方がありません。自分が消えてしまう、自分がいなくなってしまう。最近では、人間を見るとこの人達は200年後生きてないんだなと思ってしまいます。 不老不死になれるならなりたい。 なにをしていても死が頭の中に出てきてしまいます。突然死んでしまったらどうしよう。生きているのに火葬されてしまったらどうしよう。そんな不安も押し寄せてきます。 どうしたらいいでしょうか?受け入れるしかないのでしょうか?吐き気が止まりません。 人生あっという間に過ぎるといいます。こんなことを考えながら過ごしていくのは時間がもったいないと言い聞かせています。ほんとうに人生あっという間に過ぎてしまうのでしょうか?そう考えると死が怖いです。受け入れることができません。 私の苦しみをどうか助けてくれないでしょうか。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 34
回答数回答 2

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

お坊さん33秒法話ピックアップ