『100万回生きたねこ』を読みました。 猫が何度も生まれ変わってようやく解脱(?)するところが感動的だったのですが、仏教っぽい気がしました。 他にも、この作品のこの部分は感動したし仏教的に感じる、というようなものがありましたら是非教えて頂きたいです。
こんにちは。久しぶりにご質問させていただきます。 ここ一二ヶ月なのですが、次々と物がなくなります。傘、充電器、イヤリング2組、ハンカチ、マグカップ3つ(これは割れました)、そして今日はマフラー。 調べてみるといい意味と悪い意味どちらも出てきて、どう捉えれば良いのか分かりません。 因みにここ最近大きく変わったことは、彼氏ができ、いろいろと将来のことを考えるようになりました。彼も真剣に考えてくれる方で、とても真面目で優しい人です。 私は今自営業(収入がかなり不安定)なので、職についてあれこれと手探りでチャレンジし始めたところです。 文面だけでは、言い切れないところもあるかと思いますが、どのような意味があるか教えていただけると幸いです。 どうぞよろしくお願い致します。
去年の3月から毎晩金縛りに合っています。 布団に入ってすぐに下半身が重くなり、なんとか足を動かそうとするのですが、びくともしません。 触られてる感じもあります。その時はこちらの意思と関係なく体が動きます。一体何がおきているのでしょうか、何かに取り憑かれているのでしょうか?
先日、月に1度だけ通る私の職場少し近くの踏切で人身事故がありました。 事故現場は、見える距離ではありません。私にとっては身近で起きるのは初めてのことでした。 命に関わることですし、面白がったつもりではなく、同僚に話の話題として事故があったことを伝えました。すると、その同僚は少し霊感が強かったり、以前に鬱を克服しているということもあり、「こんな明るい時間に自害したということは、相当な思いが強い。事故現場を遠巻きからでも見たり、話題にすると落ち込みやすい人は取り憑かれる可能性があるから止めた方がいい。」と、気にしすぎたり落ち込みやすい私に教えてくれました。もちろん、非科学的なことなのは百も承知です。 しかし私自身、自害した家族がいるため他人事ではなく、どうしても気になってしまいました。 なので後日、事故現場の近くを通ることがあったので、ご冥福をお祈りするつもりで合掌をしました。果たしてこれが正しかったのか・・・ 全く無関係ですが、その日の夕方、車で軽度ではありますが接触事故をしてしまいました。こちらも防げなかった責任はありますが、相手負担で修理することになりました。その翌日、家族の車に乗っていたのですが、塀に車をぶつけてしまいました。もちろん運転手の不注意ではありますが、私が助手席に乗っていて話しかけた事もあり、責任を感じております。2日連続ということもあり、何か私に原因があるのではないか気になり、関連性はないのかもしれませんが、近頃の気になることを述べさせて頂きました。 ご意見、お聞かせ願えませんでしょうか。
先日、因果はあるのでしょうか? という質問をさせて頂きました、ミーコです。 前回、お礼のコーナーが見当たらず、遅くなりましたが、お礼を述べたく、こちらから失礼させていただきたいと思います。 あの時、お答え頂きました、法覚悟の吉武文法様 大変有り難いお言葉を、有難う御座いました。 大切なのは、我が心の持ち方だと、真に受け止めて、日々生きて行こうと思います。ありがたしが、増えて行くのを拝見すると、皆さん、同じ事で悩んでおられるのだなぁと、驚きました。本当に、有難う御座います。
二回目の相談です。 お世話になります、本日は私自身の事です。 子供の時から正夢を良く見ました。 大人になるに従い、普通の人が見えない事象が見えたり。 父が倒れる日が分り、亡くなる日も分りました。 ある朝欄間から入るあかりと鳥のさえずりで目が覚めると。 白い着物を着た人がいて、奥の部屋へそして玄関の壁の上あたりで消えました。 上半身しかなく俯き加減の姿は悲しそうでした。 その後お隣のご主人が亡くなり、帰って来た事を知り御花を持ってご焼香に伺いました。 琵琶湖から平家の骸骨武者が馬に乗って、水辺から数騎上がって来るのが見えた時が一番怖かった記憶があります。 また真っ赤に燃える飛行機が落ちて行く映像、多くの悲鳴、ショックでした。 後で飛行機事故を知りました。 でも先祖供養はしてきましたし、お世話になった方のお墓参りもしてきました。 日々何事にも感謝し、住んでいる家にもお道具にも感謝。 死にかけた生きものを見かけると必ず助けてしまいます。 子供の時からの習慣です。 これから生まれて来る赤ちゃんが見えた事もあります。 長く子供に恵まれなかった方を見ていて、分りました。 そっと教えて差し上げて大変喜ばれました。 友人が子供を抱いて階段を落ちるのが見えた時も教えました。 その一ヶ月後、彼女は子供を抱いたまま落ちたそうです。 でも言われた事を思い出してしっかり抱いたおかげで子供には怪我がありませんでした。 20代の時に入院して深夜。 廊下の突き当たりから大きなオレンジ色の丸い物体がゆらゆらと来るのが見えました。 ベットにはいると開いているドアから入って来て、窓際に行くとまるで考えごとをしているかのように。 決めたのか窓から左側へと飛んで行きました。 その後病院の廊下が騒がしくなり、亡くなられたの知りました。 このお部屋にいらした方です。 その時、人は亡くなる前に魂が抜けるのだと思いました。 両親が亡くなった時も家に帰って来ました、見えたのです。 納骨を済ませると家が静かになって、両親が遠ざかっていったのが分りました。 日々何事にも感謝の心は失わないようにしています。 寺院でお線香の束を持っていて、風もないのに全部燃えてしまい火傷しそうになります。 これが少し厄介で人にはあまり話さず生活して来ました。 何か私に問題があって、このような経験をしてしまうのでしょうか?
家族とあまりうまくいっておらず、家にいるのが苦痛です。 何を考えているのか全くわからない姉、堅物で融通の効かない父、神経質な母に囲まれ、とりあえずは幸せなのですが、コロナ禍の影響で家族と接している時間が増え、衝突することも増えました。 なるべく家ではない場所で過ごしたいのですが、前述のコロナ禍のため、あまり長時間外出すると叱られ、余計にギスギスしてしまいます。 それでも家にいるのは窮屈で、苦しくて、つらいです。 そして、それでしかストレス発散できない自分にも嫌気がさします。 どうしたら効率よく気分転換できますか?
私の体験がどういったものなのか知りたくなって書くことにしました。 母はお地蔵さまのお告げを受けました。 お告げの内容は「私の体の一部から女の子と男の子の2人の子供を授ける。」 というもので、個人情報なので伏せますが生まれる日まで正確で当たっていました。 それが原因なのか知りませんが、姉は三歳の時に不動明王様(名前は後に知りました)に出会いました。 そして私は五歳のころ顔と手がたくさんある仏様とその大勢の仏さまと出会いました。 残念ながら仏教について無知なので私はお名前を知りません。 そういった出生が原因なのでしょうが、不思議なことが沢山ありました。 きりがないので大きな出来事を2つだけ書きます。 1.姉に起こった奇跡 姉は生まれて直ぐお医者様から死亡宣告を受けましたが、少々病弱ですが今もなお無事に生きています。 その理由はお医者様も分からなく奇跡としか言いようがないとのことです。 2.身内に起こった奇跡 親戚に大変な病気に罹ってしまった人がいました。母が何気なく「今夜いいものを見せてあげる」といった夜、その人は夢の中で5人の仏さまと出会い病気が完治しました。 こういった出来事が多々起こる上に、私たち兄弟は何となくお寺(故郷のような気がする)とか、線香の匂い(いい匂いと感じる)とか、お経(懐かしくて心地よい)とか、神仏に関するもの(胸が躍る)が好きなので、客観的に考えて通常ならば仏道を進むと思うのですが、幼いころに偶然会った霊力の高い方の助言で仏門には入らずにごく普通に暮らしています。 その助言とは「仏門に入ったり不動明王様のご神体に会ったりすると霊力が高くなりすぎて幸せになれない。例えば、手をかざすだけで人を直したり、心を読んだりできるようになる。しかし、そんなことができるようになればそれに見合った試練が訪れるので平穏無事に済まないし、体が持たず長生きできない。平凡に生きる方が幸せでいい。」 その助言は当たっていたと思います。よくちょっと不思議な出来事が起こるものの、貧しいながら幸せに暮らしています。 こういった体験はどういった意味を持つのでしょうか? 是非とも修行を積んだお坊様方にお聞きしたいと思っております。 よろしくお願いいたします。
亡くなったあとはあの世での意識的なものはあるのでしょうか 例えば、「ああ、自分は亡くなってしまったんだ」と思うようになるのでしょうか? よく、亡くなった方は自分が亡くなったことに気づかないとおききしたものでご質問させていただきました。
いつもご回答頂きありがとうございます。 来月私は、職場の上司の方に釣りへ連れて行って頂くことになりました。 釣りは幼い頃からしていたので楽しみなのですが、大人になってから釣りの餌になる虫を殺して針につけることや、魚を釣ることに対して可哀想だとか残酷だと思うようになりました。 最近はご飯を頂く時でさえ、そのようなことを考えてしまう時があります。 命を頂かないと生きていけないこと、この気持ちは決して慈悲や優しさなんかじゃなくて、汚い自分自信から出たエゴや綺麗事なんだということは自分でも分かっているつもりです。 それでもせっかく上司のご好意で連れて行ってもらえることが決まった釣りが億劫に思えてしまいます。 この気持ちにはどうやって区切りをつければいいのでしょうか。 我ながら本当にみっともない質問をしてしまい大変申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いいたします。
今日6月1日は 伯父の49日です。 そこで、生前好物だったウナギをお供えしたいと思うのですが やはりだめですか? ちなみに仏壇でなく 祭壇みたいな台に 遺影と蝋燭などを置いています。 生前は食事厳禁だったため せめて天国では好きなものを差し上げたいです。 (浄土真宗本願寺派)
今日とある祭りの星祭りに行きました。 お経を長く聞いたのですが、お経を聴いてる 時何度も寒くないのに鳥肌が全身にたちました。 なぜでしょうか?
以前から何回も妻のことで投稿しているMKです。妻の信仰の問題はまだ解決途上です。 妻は先祖供養ができていないから、先祖が助けを求めてきている。先祖に罪深い人がいて苦しんでいる。その重みが自分たちにのしかかってきていると言っています。 ただ、私としては先祖供養は先祖を救う云々というよりは、生きている私たちが自分を振り返るためにするものだと最近思うようになりました。恐れや不安で供養するのでは先祖も迷惑なような気がしますし、どのような先祖であったとしても今自分があるのは先祖のおかげという気持ちを忘れないために供養することに意味があるのでは思うようになりました。 仏教において先祖供養とは一体何のために行うのでしょう?教えていただけると有り難いです。
私は四年前に父を亡くしました。父は足を悪くし手術手術の繰り返しでした。父が入院してた整形外科病院より私に電話がきてお父さんが心臓の調子が悪いから専門病院に転送すると電話がきました。私はその時は福島にいてGWだったので帰ろうと準備していた所でした。鹿児島に着いて病院に行き父と話をしてまた明日来るからねと言って病院を出て家に帰ってる途中で病院から電話がありお父さんが急変しましたと。それでまた病院に向かい病院に着いたらもう父は亡くなった後でした。あの時私達が帰ってきてくれるのを待っててくれたんだと思い病院に残ってたらという気持ちが止まりませんでした。もう少し親孝行したかった。昨夜はスターダストレビューの木蓮の涙を聴きながら父の事を思いだしずっと泣いてました。木蓮の涙の歌詞は凄くいい歌でした。今は父も天国で見守ってくれてると思います。私はそんな父が大好きでした。これからも大好きだった父の事は絶対忘れません。これからも私や娘の事を天国から見守っていてほしいです。乱文、長文申し訳ありません。宜しくお願いします
よろしくお願いします。 先日京都の嵐山で桂川沿いに歩いていたときに、ベビーカーのしたのポケット(地面にすれすれの位置にあります)を引きずってしまっていたようで、石が大量に入ってしまいました。気づかずにそのままベビーカーを使用しており、帰りの駅や商業施設にばらまいてしまいました。 また、まだ石がたくさん入ってしまっています。 川原の石には霊的なものが宿る、とどこかで見た気がして、ばちが当たらないか不安でたまりません。 また、いろんなところにばらまいてしまい誰かに迷惑をかけていないか、そのことでもばちが当たらないか心配です。 また、まだ入っている石は京都まで返しにいった方がいいのでしょうか。 なにかばちが当たるでしょうか。
道にいる人に「あなたの幸せを祈らせてもらえますか?」と言って幸せを祈らせてもらおうとおもっています。 どういう心構えでいったらいいとかアドバイスがあったらください。 よろしくお願いします!
徳の高いお聖人様に質問です! 今から約23年前私の幼馴染が事故死しました…… あれからしばらく経つのですが、ふと、彼の供養?をしようかなぁ~?と、突然思いました…… ここで質問なのですが、事故死した方を供養したらひょっとして頼られたりして憑りつかれるかも? と、少し怖くなります… どうなのでしょうか? 供養と言ってもどこかのお寺に頼むのではなく、道端のお地蔵様やお地蔵様を祭ってあるお寺に手を合わせてお線香やおろうそくをあげるぐらいの事です… お坊様方、上記の事でも供養になるでしょうか? それと憑りつかれたりしないでしょうか? また、お坊様方は事故死した死者や災害で亡くなった方を供養したりするのでしょうか? 無縁仏の供養なんかも以前は怖くて近づかなかったのですが、ネットで調べたら供養しても大丈夫でお釈迦様の経典でもその功徳が説かれていました… 餓鬼の供養も同じです…≪施餓鬼法要≫ 事故死した方の供養も何かの経典で説かれているでしょうか??? お上人様、無知な私に有難い法話をお聞かせください!!!
前回はお答えいただきありがとうございます。 質問を送った後に様々質問を拝見し般若心経に興味を持ち思い立ったが吉日と書店へダッシュ。 書店には何冊も般若心経関係の書籍が有りましたが直感で一冊購入し自宅で読んで見ました。 結果・・・・・・脳味噌が熱暴走しました。 現代語訳もついているのでグイグイ引き込まれていきました。 わからない事だらけで床を頭を抱えコロコロとしてしまいましたが大事な事がわかりました。 《私は何一つ知らない》と言う事です。 何度も床をコロコロとしながら学んでいこうと思います。 少し逸れてしまいましたが購入した書籍には幾つか逸話が載っておりその中に要約された舎利子の逸話がありました。 舎利子が目連と共に入滅する逸話です。 阿難尊師に釈迦が無常の理を説く所まで読んでふと、現代日本に生きる俗物な私は思いました。 何故、釈迦は舎利子を止めなかったのかと? 目連に続き舎利子まで入滅してしまうのは教団としては痛手では無いのかと? 俗っぽい事で申し訳ありません。 宜しければお考えを伺いたくこの様な不躾な質問ですがお願い致します。
今年のGWは家族で旅行に行きました。 たくさん写真も撮り、とても楽しい旅行になりました。 先程、スマホで撮った写真を整理していたところ、奇妙な写真に気づきました。 風景を撮影したときに偶然写った見知らぬご夫婦なのですが、奥様は左腕と下半身、影もありません。 旦那様は影はありますが、左腕の肘から下がありません。 このような写真は削除してよいのでしょうか? また、私はお守りを持っていませんが、持っていればお守り頂けますか? その場合、どのようなお守りがよいでしょうか?
3日ほどまえから、毎日のように、不思議な電話がかかってくるそうです。 1日目は、夜中0時頃。トイレに目覚め起き上がるとタイミングを見計らったように鳴りだし、出て「もしもし」と何度言っても無言のまま。 その後、5回ほど同じことの繰り返しだったそうです。 次の日は、夕方、電話がある部屋に入った途端鳴りだし、今度は水が落ちるような音がしたそうです。 その日の夜中、次の日の夕方と電話は鳴りますが祖母は怖くなり出ていないようです。 2年半前に祖父を亡くしており、祖父からの警告であったり、メッセージなのかと思ってしまいます。 なぜなら、祖母曰く電話の2日ほど前から祖父の匂いを感じていたと。 また、私もこの話を聞いた時には、無意識に涙が出て止まらなくなっていました。 大好きで大好きで、いまだに思い出して泣いてしまう程の祖父です。亡くなる前5ヶ月前入院してからは毎日朝晩とお見舞いに行っていましたが、「もっと会えば良かった」と、まだまだ後悔があります。祖母も、ずっと同室で24時間付き添っていたほど仲の良い夫婦でした。 何かしてあげられることがあるなら、してあげたいのです。 また、永代供養でお寺へお願いしているのに、祖母は毎日祖父の写真の前に食べ物をお供えし話しかけています。これが、いけないのでしょうか。 どうか、お答え頂けますよう、お願い致します。