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問答一覧

お墓と供養

1年前に叔父がなくなりました。たまたまお見舞いに行った日でした。 叔母夫婦には 子供がなく私が叔母にかわり葬儀を出し見送ってきました。 その時に何となく叔母が亡くなった時も私が送り出すのかなと考えておりましたが 半年程たった頃 叔母の妹の娘(姪ですね)から 一緒に住もうと連絡があり 叔母は喜んでおりました。 私の実家と叔母達兄弟とは 少し複雑な関係で付き合いをしておりません。 前に 叔父が定年後  その姪と二世帯住宅をたてて一緒に住むという話があったのですが  家を建てるお金は 叔父が出し その他に老後の面倒をみるのたがら一千万欲しいと言われ  その話は 無くなりました。 そのような事があったので 正直かなり不安がありました。 まして 叔父の葬儀の時も来ることもなく 弔電すらなかったのですから… それでも叔母が良ければ それで良しと思って思っておりましたが 見事に不安が的中してしまいました。 その後 叔母が近所に永代供養してくれろところがあるから 叔母が亡くなったら叔父と一緒に そこに入れてくれと頼まれ、分かったよとは言ってたのですが  先日 叔母から遺言書が届き 祖先の祭祀をすべき者と指定すると書かれてありました。 叔母に 連絡をしたところ私の住んでいる近くで供養してほしいとの事でした。 叔父の遺骨はまだ 叔母の家にあります。 私は 男兄弟がおりませんので実家のお墓の事もあります。 後々 私の長男が 叔母夫婦のお墓も守る事になると 正直負担はかけたくないと思ってしまいます。 叔母夫婦を無縁仏にはしたくないと思いつつも 今から 墓地を2区画(主人は次男なので)用意しておくことにも抵抗があり  何をどうしたら良いのかわかりません このまま何もせず 私が先に逝ってしまった後の事を考えると どうなるのだろう?とも思い悩んでいます。 良い お答えありますでしょうか

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後悔を抱きながらの生き方

今年4月母を死なせてしまいました。 後悔の念は死んでも消えない。どういう気持ち、思いで生きていけばいいのかわかりません。 母とは離れて暮らしていたので毎週末会いに行き、身の回りのことや行きたいと言ったところへ連れて行ったりしていましたが、3月中旬から風邪が2週間治らなかったのをきっかけに、自分でも気付かなかったうつ状態が進行し判断力がなくなり、母のことが見れなくなっていました。 同時期に母の病状も危機的状態になっていたのに危機感を持たず接し、町医者を信じこの薬は痛いからと母に我慢させ治療する父におかしいと言う事もできず、係わっていた医療従事者からも専門医へ行くようにとの助言も無く、なにかがおかしいとわかっていたのに適切な判断もできず、手遅れになり死なせてしまいました。どうしてこうなったのか頭がボーとしたまま、葬儀も納骨も終わってしまいました。 すべては母の病気を理由に自分が自分の人生を生きてこなかったせいだと今はわかります。私のことを無条件で愛してくれた唯一の人の最後に手を握ることも抱きしめることも、苦しかった気持ちに寄り添うこともせず、眺めているだけでいかせてしまった。自分が自分ではない感覚。あれは私ではない。頭がちゃんとしていれば母はもう少し生きていられたはずなのにという思いが何度も何度も浮かんでしまいます。 あれから泣かない日は無く体調不良になり、母がどんなに辛かったか身を持って感じています。母は最後まで泣かなかった。風邪をひいていた私を心配し自分の体調不良を言わなかった。私は最後まで子供のまま母に甘えて終わってしまった。もう取り返しがつかない。 誰にも話せずこちらにだとりつきました。父に言えばせめてしまう、姉に死にたいと話したら私はもっと辛いことを自分で乗り越えてきた、母のことをきかされたら私が辛いのがわからないのかと言われ、年上の信頼のおける人だと思っていた人にはうつだと知らせたら面倒なことは疲れるとただの知人だったことがわかり縁が切れました。すべて自分のしてきたことの報いです。 今は毎週末お墓へ行き母が永遠に幸せでありますように。ありがとうございました。全部ごめんなさいと詫び般若心経を唱え、家で写経をしています。 それでもどうしようもないのです。どうしたらいいのかわからないのです。 長くなり申し訳ありません。なにかお言葉を頂ければ幸いです。

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『女性』の価値とは?

お世話になります。 『女性』への価値について世相の意見に疑問や不審に思う事があります。 私は現在独身で恋人が出来た事は一度も無く、プライベートでは絵を描く事に没頭しているのが好きです。そして、最近は私の周りでは結婚・出産ラッシュが続いています。そんな中よく言われるのが、『何故彼氏をつくらないのか?結婚願望は無いのか?』いという事です。 私は特に今は絶対彼氏をつくらなきゃ!結婚しなきゃ!という強い願望は無く、いずれ出来たら良いなと軽く考えています。ですが、その事を話すと、周りからは早く出会って、結婚・出産した方が良い。結婚・出産は素晴らしいと、(時に説教)言われます。 確かに結婚はめでたく良い事で、出産も女性のみ経験出来る特権で素晴らしい事だとは思います。でも、それをあまり意識していないからと言って、上記のような事を力説されると何だかむなしい気持ちになります。まるで、女性としての価値が無いと言われているような気がして…。特に私は人に強要される事が一番嫌いで、そのような事を言われると「一生お独り様でいてやる!」と対抗意識が出てしまいます。 独身の女性でもとても活き活きしている方もいらっしゃいますが、そのような方は、程度の地位や実績、能力などがある方が多く、私にはそのようなものはありません。 職場やプライベートでも既婚者や彼氏が居る人がほとんどで、独身なのは私ぐらいな事が多く疎外感も感じます。 でも、自分を磨き自分らしく生きる為に、人生を自分自身の為に使いたいので、結婚や出産などにあまり捕われたくありません。 こんな考え方をしている女性はやはり異端なのでしょうか?そして、女性としての『役目(結婚・出産など)』をしない女性は別の能力・地位が必要なのでしょうか? 長々となりましたが、ご助言していただけたら幸いです。

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新しい建物は気が強すぎる?

先日より、真剣に向き合ってくださるお坊様方々、ご回答を賜りありがとうございます。 今回教えていただきたいのは、「新築は気が強く、居住する間にパワーを使う」ということは、ありうるのでしょうか?という質問です。 経緯としましては、 昨年私の実家を建て替えました。→主人の両親を呼びました。→主人の実家は処分しました。→約1年の間に、義父の持病が急激に悪化しました。義母も体調をよくくずすと言います。→引越しをしたから悪くなったのでは、と。。。 同居のほうが、これから何かと安心と思い、双方の実家も老朽していたことから、建て替えを決断しましたが、その行動が病気を悪化させているのなら、私の責任であるのでは、と悶々とします。 もし、気が強すぎるということが事実ならば、どうすれば緩和することができるのでしょうか? 間取りにも風水などは気にせず設計してある家です。 気にしていたらきりがない、狭い土地で気にしていたら部屋がとれないと、あえてその関係の本は調べずにおりました。 良かれと思いしたことだったはずが、自己満足だけで、害を及ぼしているのでは、これからのローンも苦しいだけになってしまいます。 単なる妄想であれば、最も気が楽になるのですが、100%払拭することもできずにおります。 なぜ、気が強すぎると思うかというと、周囲が言っているからなのですが。。。 気などに関しては、お坊様それぞれにご意見が異なるとは思いますが、 どうか、対策方法を教えていただきたく、お願いいたします。

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亡くなった父を殺したのは自分だと思います。

約3か月前に父を亡くしました。父は進行性の難病を持ち、それでも本当に難病を持っているのかと思うぐらい、自分のことをは自分で行い、シッカリした生活を送っていました。 母は体が弱く、自分のことで精いっぱいながらも父のことを診てあげていました。 父は、穏やかな性格で、誰からも優しい人だといわれていました。自分のことよりも人のことを考えるような人でした。 そんな父に私は、日頃から厄介者的な発言をしては、父に涙を流させてしまっていました。 そんな父が、軽い肺炎から心臓が悪いことが判明し4週間の入院となりました。突然死もあり得るといわれました。でも、無理をしなければまだ生きることができるかもしれないともいわれました。 厳しいが、死を宣告されたわけではありませんでした。 退院後、帰宅を願う父に対して聞く耳を持たずに、自宅から近い老人介護施設へ自宅に戻らず入所させました。 それが母にとってもいいと勘違いしていました。 父は入院中から、難病からかと思われる無呼吸状態に頻繁、「息が苦しく辛い」訴えていました。 施設入所時は、話すこともおぼつかないぐらい弱り、延命的な治療は断り、本人の希望もあり、息が苦しいことを取り除く緩和を行いました。 食事は、入院中から私が「本人がほしがらなければ無理させないで」と言い、徐々に食べなくなりました。本人のことを思ってではありませんでした。勝手に父は死に向かっていて、苦しまないで逝かせてあげると解釈して行ったことでした。 徐々にモルヒネが増え、意思の疎通ができない寝たきりの状態になり、ほんの少し口にしていた食べ物もまったく口にしなくなり、枯れるように静かに逝きました。 最期は、私が看取りました。 ずっとつぶっていた眼を少し開けて遠くを見るようにしていきました。 私は父に対して最初、助からなくてもいいという思いを持ち、対応をしていました。父のことを考えず、自分が大変にならないことを基準にしてことを進めました。 私の行動は確実に死に向かわせていました。 助からないと分かった最期の4週間ぐらいから、やっと気が付き今までのお礼や詫びを伝えたりしました。 でも、父はもっと生きることができたと思います。奇跡もあったかもしれません。 父から受けた大きな恩を、私は大きな仇で返してしまいました。 今は泣いて暮らす日々です。 今私にできることを教えてください。

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