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検索結果: 1264件

釈尊の言行

 厚かましく、非宗教説を続けます。  釈尊の言行については、立川武蔵先生の「ブッダをたずねて」の受け売りですから、皆様先刻ご承知と思いますが、信仰について言及したいと思います。  先ず釈尊は、偶像崇拝を禁止したとのことですが、釈尊の死後、舎利を分配して、早速信仰の対象にしました。  仏像も信仰の対象として作成され、祇園精舎での説教で済むところを、巨大な寺院を建築し、仏像を納めて 荘厳さを競いました。  これは中国の仏教を模倣したのでしょう。  釈尊の言行からはまったく不要なものであるはずです。  次に釈尊の死が近づいたときに、近隣の村人たちが釈尊の葬儀の支度を始めているのを見て、弟子にあそこに参加してはならないと戒めたそうです。  元々葬儀には無関係だったようです。  確か応仁の乱で加茂川に死体が放置されていたのを、僧侶が荼毘に付したのが始まりだったようです。  釈尊の言行に従って、これらの行事を無くせば、仏教はただ説教と修行に励むことだけが残ることにはなりませんか?  仏教は信仰とは無縁だと思います。これが非宗教説です。  蛇足ですが、通常寺院の参道に仁王門がありますが、これが参道の入り口ではなく中ほどに建てられいます。  これは参道が、輪廻転生を示したと考えられます。  参道の入り口は娑婆です。参詣者は参道を通って本堂に向かいます。  本堂は娑婆から切り離された死の世界です。  本堂に居続ければ平穏ですが、娑婆に還るときは仁王門で苦しめられます。  「チベットの死者の書」によれば、丁度3週目に怒りの神々に遭遇します。  仁王門が中途にあるのはそれを模したものと考えられます。    従って輪廻転生は仏教にとってそれ程重要なものです。  現在仁王門の像は参道を向いていて外敵を防ぐと言われていますが、参道の中途にあるのも不自然だしその必然性が考えられません。  像は本堂を向くべきだと思います。  さびれたお寺の仁王門がその向きになっているとの記事も見かけました。

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父の他界から情緒不安定になり抜け出せません。

春に父が癌で他界しました。 母とは10年ほど前に離婚しています。 私は父がパートナーと入籍したことを亡くなる数時間前にご病室で知りました。(パートナーとして亡くなる3ヶ月前に初めて紹介されました。付き合いは2年ほど前からあったようです。) 父が入院したときも通院している時も、後妻の姿は見たことがありませんでした。 叔母(父の妹)や従兄弟は入籍を知っていたようで、病態が悪くなる前にも2人の住む家を訪ねたりされていたようです。 私には兄弟がいるのですが、兄は父との入籍に関して後妻と言い争いをしたことがあり、弟は叔母との関係性が悪く、2人とも看取りや葬式にも参加しませんでした。 私は後妻とは一度しか会ったことがなく、叔母と後妻で取り仕切られたお葬式に、疎外感を感じずにはいられませんでした。 私の思いとしては、正直、後妻がいなければ、兄弟で看取ることができたのに...という思いもありますが、父が自由に生きた証であり、父が幸せであったならそれでいい、と心を入れ替えるようにしています。 父の死後、父に負債があることがわかり、後妻や従兄弟と連絡を取る中で、叔母や従兄弟は後妻の肩を持つような言い方で、私の兄弟の悪口を言われます。 私は兄弟のことが好きなので、とても傷つきました。 父は癌を患っていたので、予期できた死ではあるものの、やはり悲しく、辛く、泣き崩れました。 そのような不安定な感情のなかで、予期せぬこと(父の入籍、負債、親戚からの悪口)が次々と起こり、思考力がおかしくなっています。 日常生活や仕事において、自分で正しい判断ができなくなっていたり、人の顔色をうかがったり、自分の悪口を言われているのではないかと必要以上に気にしたり、とても苦しいです。 どのように気持ちの整理をすれば、前向きになれるのでしょうか?

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2022/08/01

亡くなった祖父と、遺されたわたし

 こんばんは。  母方の祖父が亡くなってしまいました。幼い頃からいろいろな場所を一緒に歩き、人生の節目節目で思い悩む私を励ましてくれた祖父は、言葉では言い尽くせないほどかけがえのない存在でした。最晩年の数年は記憶力が著しく衰えてしまいましたが、最期まで身の周りのことは自分でできていました。こうした祖父の生きざまは、私にはとても理想的で自然な老い方に見えました。一方で歳を重ねていく祖父を見ていて、祖父がいなくなることは私の最も恐れるところでしたが、現実は受け入れがたい悲しみがあります。  これから順を追ってお通夜とお葬式に臨むことになっているのですが、さて自分は祖父ときちんとお別れができるのか?、これから生きていく気力を保てるのか?、ということをとても不安に感じております。私にできることと言えば、悲しむこと、祈ること、偲ぶことくらいですが、喪失感が大きいゆえに祖父が安らかな眠りに就くことへ本当につながるのかどうか、何をしても虚しい気持ちがしています。亡くなった人の「存在」はどうなるのでしょうか。私たちの身近なところで見守ってくれているのでしょうか、それとも新しい生を受けて、全く違った形で次の命をつないでいるのでしょうか。御礼や悲しみの気持ちを、どう伝えたらよいのでしょう。  さらには、これほど大きな存在であった祖父を喪い、生きていく希望を持てない身の上となりました。私の周りには近しい親族もおりますが、祖父のいない人生を考えると、すぐにでも死後の世界へ行けるならどれだけよいだろうという気持ちを持ってしまいます。現実には不孝なことはしたくないという自覚があるものの、喪失感は如何ともし難いです。  かけがえのない肉親を喪った方は、皆さんこのような思いをお持ちになることと思いますが、この世で一人しかいない祖父がいなくなってしまったことは只々悲しく苦しいです。これから直面することになる故人とのお別れや、故人を喪った人生の意味についてお教えを願いたく存じます。乱文で、身勝手な相談とも思うのですが、何卒よろしくお願い申し上げます。

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2022/10/30

性格のきつい妹について

私には妹がいます。昔からあまり仲のいい方ではありません。妹は、姉の私が自分の意に沿わない言動をするのをひどく好みません。 大人になってからは、妹は遠方で暮らすようになりましたが、あちらで色々とうまくいかないことが起きたようでした。 私を無視するのは相変わらず続いています。 私も妹が思い通りにならない相手に対して冷たいのはわかっているので、変わらず他愛もない日常をたまに送る程度です。 実は母も似たような所があります。私たち子ども達ではなく、叔母や叔父など母の兄弟姉妹に対して、自分の気に入らない言動をすると徹底的に嫌って無視する所があります… かつて母を心配して父を咎めた事のある叔父のことを母は叔父が死ぬまで嫌っていました。 叔父の死後も叔父を貶すような事を言っていて、流石に聞くに堪えなかったので諌めました。 妹もあちらでストレスの多い暮らしをしているだろうということもわかるのです。 でも、私も発達障害を持った夫をサポートしたり、同じように発達障害を持った息子を育てながら、毎日必死で働いています。 人生思い通りにならない事だらけです。 だからこそ、気に入らないと無視して嫌う…というのが妹だと、本当に疲れてしまいます。 また最近、虫の居所が悪いのかひと月ほど無視されているようです。 寂しいですが、自分の心も傷つくし、もう妹とは極力関わらない方が良いでしょうか? 母は、私たち姉妹が仲良くなる事を望んでいますが… 母本人が同じようなことを、叔父が死んだ後も出来ていないのになと思います。 多分問題は妹の中にあるのですが、投影しやすい私にそれが向くのかもしれません。 ただ、私自身が段々辛くなってきました。調子の悪い時に重なると、気力を削がれます。無視されるのも本音を言うと嫌です。 私は今後、妹とどう関わっていけばよいでしょうか。御知恵をお貸し頂ければ幸いです。

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2023/05/23

愛する愛犬を死なせてしまいました

数日前のことです。 7歳と5歳の愛犬がいます。 吼え癖のため留守中は換気付の防音ケージに入れていました。 その日は夜に彼と食事に行く約束で、私用を済ませて合流。 彼にもの愛犬がおり、仲が良くうちのケージに入れることもしばしば。 いつもなら一緒に家に上がりますが、面倒だったためわたしは車で待っていました。 レストランについてしばらく経った時、ふと換気扇のコンセントを抜いていたことを思い出しました。 しかし、彼の子を入れに行った時は元気だったと。 なら大丈夫か…と、なんだか嫌な予感がしつつも食事を続けました。 いつもは時間をかけないのですが、料理がコースだったこともあり3時間もかかり、22時半頃帰宅しました。 ケージを開けようと近づくと、ぐったりと目を開けて倒れてる3匹が見えました。 開けた途端ムワッと広がる熱気、3匹の呼吸で体もケージ内もびっしょり。 すぐに出しましたが、すでに体は硬くなっていました。 急いで体を冷やし救急に連れて行きましたが、手遅れでした。 お医者様によると、死後1時間は経っているだろうと…。 5歳の子は、上の子に耳を噛まれ血まみれでした。その噛み傷は耳を貫通していました。 一番体が小さく、一番苦しんだ形跡がありました。 彼の子はまだ9ヶ月でした。 おそらく3・4時間、どれほど苦しかったか…どれほど生きようと抵抗したか… 日頃、世界一愛してるよ、世界で一番大切だよ、私の宝物。 毎日呼びかけていました。私の宝物でした。私の生きる意味でした。 なのに、自分の手でそれを終わらせてしまった…。 彼の子はまだ迎えて半年です。お互い悪かったよねと、2人の過ちだと認め合いました。 お寺でお葬式をあげ、お経を唱えていただき、火葬しました。お骨になってもかわいくて、始終涙が溢れて声を上げて泣きました。 もういないんだと現実を受け入れつつも、まだあの子達のいない明日が想像できません。 心から愛していたのに、それを自分で殺めてしまった、その事実が苦しいです。 たった5歳と7歳、そして9ヶ月。 過ごした日々は幸せそのものでした。 あの子達は恨んでいないと思います。私のことが大好きでした。 後悔はとめどなく、申し訳なく、ありがとうを伝えたいのにごめんねばかりでてきます。 どのように心を向かせたら良いか、どのように考えれば良いか、アドバイスをいただけると幸いです。

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2021/06/09

人生にステージはあるのか?

ガン告知から3年。先日、転移が悪化し完治はほぼ見込めず、病巣によって骨折もし、最近は死についてよく考えます。しかしピンときていないのか「死が怖い 死にたくない」というより「死後の世界はあるのか どう人生を閉まっていこうか」といったことが気になり、エンディングノートを書いたり、断捨離したりしてます。 先日、友人とコロナについてや、痛ましいと報道される有名人の人生の集結のニュースについての話になり、私も死についてや「一人で旅立っていくときのことを考える」ということを話すと「考えすぎは良くないよ」と言われました(励ましてくれたのかなと思います) 「私にとっては、この気持ちは日常で、あまり悲観的ではなく考えすぎっていう感じでもないんだよ」と伝えると、はいはい、という感じで流されました。ある友人は「それでも不遇な死はあると思う」と述べました。 理解されなかった気がして、些細な出来事ですがショックでした。 私は、死は死でしかなく、その死は不遇であるかどうか他人が言うものではないと思うのです。また、何かしてあげられればよかった、と必ず思うものですが、簡単に言うことでもないとおもうのです。私も他界した母に何もあげられませんでしたが、してあげられなかったと思いすぎるのも、亡くなった方に対して失礼なんじゃないかと。なら生きているうちにできたではずですし、まず亡くなった人がそれを望んでいたかもわからないし、他人が人にできることは限界があると思うからです。 病気になってから、どうも周囲とのズレを感じ、30代であんまりこんなことを考えている人も今までの交友関係だと少なくて、孤独を感じます。 そして「人生のステージが違うのだ」と思うようになってきました。 それは「私のほうが死に近いステージだからだ、きっと彼らもそうなったときにわかるだろう」というニュアンスもあります。 ふと「それはおごりではないか?」と思い質問させていただきました。 確かに病気や死は近づいた人じゃないとわからないものがあると思います。私が感じた寂しさや孤独を「人生のステージが違うから」と帰着させるのはおごりでしょうか?偉そうな立場からの勝手な帰着なのでしょうか? そして、死に不遇はあるのでしょうか? 人が人の死を不遇というのは失礼なことではないのでしょうか? 私が死について考えるのは「考えすぎ」なのでしょうか?

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2021/09/18

できない現実の生き地獄

「目の前にあること、今できることを全力でする。」という行動は大切だとは思いますが、私にとっては難題です。 私には、自分が今できることが何なのか認識できておりません。 幼いころから、物分かりが悪く、手先が不器用で、どこに行っても何をしても、 「周りはできて、自分にはできない」場面を死ぬほど味わって来ました。 その場面にはいつも、私にだけ早い段階で手を貸そうとしたり、ハードルを人より低く下げたり、 個性的・独創的などと都合の良い言葉で褒めたりする大人達が出てきて、強い劣等感が私の中で怪物化しました。 仮にできるようになっても、できる周りははるか遠く先にいて、また次のできない事と向き合わないといけない恐怖心から努力は避けました。 上記のような理由から、目の前にあることも、正確に捉えるようなこともしなくなりました。 私の目の前の景色はいつも、できない現実に空想と理想が混じってピンぼけです。 このピンぼけのせいで、身の丈が合わない学校や職場を選んで落ちこぼれたり、すぐに用無しになったり、散々です。 今の職場は、私とは正反対の人種の溜まり場です。職業柄、知的で頭の回転が速く、手先も器用で、神童・優秀・天才とか称えられてきた人達です。 地獄は死後に感じるものだと思いましたが、生き地獄もあると実感しました。 私は上記の人たちの召使いのような仕事をしていますが、これまでの人生を振り返れば、今の職場のような場所は息苦しいです。生き地獄です。 私のロクでもない人生の幕閉じが早く来ることを待ち望みながら、うまく日々をやり過ごすため、 「目の前にあること、今できることを全力でする。」をしたいのですが、前述のとおり、術が分かりません。 支離滅裂な文章ですみません。実行するためのアドバイスをいただければ幸いです。よろしくお願いします。

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2022/03/02

生老病死

 数年前、願誉浄史ご住職様から「阿含経典」を勧められましたが、驚いたことに此処にすべて仏教の真髄が集約されていました。  ご住職様には、深甚な感謝と共に厚く御礼申し上げます。  そこには、仏教の目的である「輪廻転生からの解脱」が唯一仏教の教えに尽きることが書かれていました。  般若心経に「照見五蘊皆空度一切苦厄」とありますが、「一切苦厄」の主体が生老病死の事でありましょう。  生老病死は仏教の専売であると思っていましたが、阿含経には仏教に関係なく「自然の摂理」で釈尊以前から定まったものであると述べられています。  「自然の摂理」に対しては、釈尊も手の施しようがなく只管死を待つほかありません。  即ち、生きている総ての生物には生老病死はつきもので、仏教の救いは何もないという事です。  従って仏教の救いは死後にあることになります。  しかし死ねば生老病死は消えますから何も問題はありませんので、仏教の救いは必要ない筈ですが、再び誕生することを釈尊は悟りで明らかにしました(過去世)。  それが輪廻転生です。そこから解脱することが仏教の救いであり、仏教の存在価値です。  そのことを阿含経は下記のように述べています。 城邑(南伝 相応部経典 12.65. 城邑)  前略  その時、世尊はかように仰せられた。  比丘たちよ、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。(この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。  まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか)と。  後略

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父の最後の心からの願いを叶えられなかった

いつも有難う御座います。 つい先日、父の四十九日法要を、お寺で行いました。その翌日、仏具屋さんから帰って来た母が「四十九日が済んだら、線香は朝と夜の2回で良いと言われた」と言っていました。私は父の死後、一つ一つの挨拶ごとに線香をあげて、挨拶していたショックでした。「遂に仏さんになって、本当に遠くに行ってしまったのか」と実感しました。 別に「絶対に朝と夜以外に線香をあげてはいけない」と言う禁止では無いとは思います。然し、改めて言われると、「何でダメなの?」って思ってしまいます。 四十九日が終わり、又強い悲しみ、苦しみがあります。それは父の葬儀の時とは違う、それ以上の苦しみ悲しみがあり、涙が出てきます。 まだ入院前、家で介護を受けていた時に、ずっと自分の甥っ子や姪っ子の名前を呼び続けていました。当時私は、「ほら、又始まった」としか思いませんでした。然し今考えると、父は自分が長くない事が判り、「死ぬ前に会いたい」との思いで、ずっと呼び続けていたんじゃ無いか?と思います。何故甥っ子や姪っ子に「顔見せてあげて」と、連絡して上げなかったんだろうと、父の最後の願いを聞いて上げられなかった事が情けなく、悔しく、父に申し訳ない気持ちです。葬儀では全員揃いましたが、実際父が観ていたかどうか判りません。 きっと父は怒り狂っていると思います。今更悔やんでも父は帰って来ませんし、私の「ゴメンね」の声も届きません。凄く苦しいです。自分が情けなく、申し訳ないです。 この気持ちを、どう整理したら良いか判らず、困っています。

有り難し有り難し 18
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死に対する矛盾と疑問

私は家計的に仏教とは縁があり。 お坊さんの思想をとても信頼していまして、以前からこのサイトを自分自身の励みとしています。 まず私の人生を話しさせていただきます、以前縁あって地下アイドルをしていました、某AKBなんてメジャーな運営ではないので、日の目を見ることはほとんどありませんでした、それでも僅かなファンを大事にしてまいりました。 その活動の傍ら私は男になりたいう性同一性障害に苦しむようになりました、自分の求める容姿になれない、輪郭も骨格も、男になり切るには無理があると周りから言われても諦めず叶わぬ夢を追い、そのストレスの反動でたくさん親やメンバーに悪態を吐きました。 性別を変えるためには膨大な費用がかかり我が家の財産では到底無理でした、毎日苦い思いに泣く日々、鏡を割ったり死のうとするのは日常茶飯事でした。 学校もろくに行かずに3年程アイドルを続けて、そろそろ将来やべぇ、って思いました。 アイドルを辞めて、高校受験をしました、今では無事入学し、文学と生物学の勉強をしてそれなりに充実しております、見た目も男と女の中間だって、半端だってそれが自分なのだから受け入れよう、妥協したっていいじゃないかと思うようになりました。 そんなある日、何気なく死後について考えました。 死んだ後はどうなるんだろう。 思い出の服、大切な友達や家族との記憶、大好きな歌、憧れの人のことを全て忘れてしまうのかな。 やってきたこと全て無駄になるの?。 死にたくない、生きたい、ずっと生きたい。 あれだけ死ぬことばかり考えていたけれど、今度は生き続けるために画策しなければならないなんて、あぁ、なんて皮肉。 記憶は脳が作ってるから死んで脳が焼かれたらおしまい、あの世って考え方は死への恐怖をなくすための御伽話なのかな。 あの世があっても転生して魚や牛になって食われるのは勘弁だよ。 そのために今は自分なりの徳を積んでいます、散々私がいじめた親に恩返しをしています。 死への恐怖、なくなりますかね? あと人は死んだらどうなるのですか? 人格が変わってしまいました、興味と欲望と生きる気力がなくなりました、かと言って死にたくもないのでただ存在しています、死を気にしない溌剌とした自分に戻りたいです。 死という概念に囚われずに輝く同年代が少し羨ましく思えます。 今私が見えているものは灰色の世界です。

有り難し有り難し 4
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長男と一人っ子夫婦の仏壇

お世話になります。表題の件です。 私の実家は真言宗豊山派、夫の実家浄土真宗です。 プロフィールで私の家族構成は説明させていただいているのですが、この度実父が介護施設に入居しました。実母の位牌は実家にあり、実母と反りが合わなかった祖母(位牌)、叔父のもとに置いてきてしまった、、といつも心の隅がザワザワしています。 父と相談し、いずれは介護施設か私の自宅に小さな仏壇を用意し、まずは母の位牌を、叔父の死後は祖父母と父の姉(夭逝)の位牌を「先祖代々」のようにまとめてその仏壇に…と思っています。ちなみに実家は仏壇ではなく、父が家具として作り付けの棚を設置し、内側を金色にし、大日如来の絵を飾り、仏具を揃えたものでした。 ただ、夫側は…いずれ両親が亡くなったときの位牌はどうするのか?私は何となく近所に住む義弟の家に仏壇を置くのかと思っていたのですが、「俺が長男なんだし、うちで仏壇を買ったら、そこにうちの親の位牌も一緒に置けばいいんじゃない?」と。介護施設にまずは設置するかもしれない、と考えて、父の預金から購入する予定でした。そこに義両親の位牌って…となんだか複雑です。でしたら、「夫と私」という新しい家族として仏壇を購入し、みんなまとめて祀る…? 「嫁に入った立場」だから、夫側を優先すべきなのでしょうか? ちなみに夫の実家には仏壇はありません。先祖の位牌もありません。 私は一人っ子で物理的にも私以外が引き継ぐことは不可能なのですが、夫は弟がいるので、そちらに祀るという考えも有ると思うのですが、今まで実感すらわかなかった「長男」がのしかかってきました。 長文で申し訳ありません。アドバイスいただけると幸いです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 21
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孤独死、亡くなられた方の尊厳について

昨日、私の隣のお部屋の方がご病気か老衰によりお亡くなりになられました。 私は家賃7万弱の古いアパートに事務所を構えております。 お隣の方は「千葉」さんと言う物腰の柔らかい高齢の男性です。 死後1週間の発見だそうです。 こちらが簡単にはなりますが状況になります。 改めてご相談をさせて頂きます。 友人知人によると隣の部屋なら大家さんに言えば家賃は下がると言われました。 私は商売をしておりますので経費は下げられるのもならば下げたいと考えております。 但しそれをしてしまうと亡くなられた千葉さんが最終的に大家さんや私に迷惑をかけている事になるのではないかな?っと考えてしまいました。 千葉さんの生き方にケチを付けているようでなんだか申し訳ない思いもありますし、亡くなられた後にこのような行いをするのは人として如何なものなのかなっと。 まとめるとこんな形です。 ①経費削減の為に家賃は安く抑えたい。 ②亡くなられた方の尊厳も守りたい(とても好きな方でしたので) 人の死によって家賃を下げると言うのはいかがなものかと考えております。 自分なりに今までのままで良いのではないかなと分かっている所もありますが、お坊さんのお話が聞きたくて相談させて頂きました。先程友人には1万位下がれば良い方だから、もし亡くなった方を思うなら成仏を祈ってあげた方が良いんじゃないかな?その方が商売も上手くいくよ!っと気持ちよく言われました。まさにその通りだと思いました。 その方が良いですよね。 なんだか答えがわかっている変な相談ですみません。 お坊さんの意見も聞きたくて・・・お時間有りましたら宜しくお願いします

有り難し有り難し 28
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2022/09/08

浄土真宗に対するカルチャーショック

先日質問をさせて頂きました。 今回はお盆にあった事と、つい最近あった事についての質問です。 私は曹洞宗です。今年亡くなった祖母は禅宗から浄土真宗になりました。(祖父が浄土真宗だったからです) 祖母の新盆があり、お寺にお参りしてきました。 納骨堂には祖母の遺影を置いてきました。 広場でお経をあげられた後、お坊さんから精霊馬を置いている人は居ないかと聞かれ、皆さん手をあげず、私は自宅では飾って居ますが、手をあげませんでした。 その際、皆さんよく勉強されている、浄土真宗では飾らない、また、故人はお盆には帰ってこない、何故ならもう成仏しているから。と喜々として語られていました。 ちょっとショックでした。 確かに浄土真宗教義ではそうなのですが 言い方を変えると二度亡くなった感じに感じました。 曹洞宗の私は成仏した成仏してないに関わらず、お盆とはそう言う物だと思って居たからです。本来の教義からすると離れるのかもしれませんが、こちらから成仏した成仏してないの確認は出来ませんので、一律に帰ってくるものだと思うようにしていました。 正直今後宗派が違う祖母のお寺のお盆参りには行かない方が良いのかとすら悩みました。 先日祖母の月命日があり、お寺にてお経をあげてもらったそうです。こちらからお願いして頂いたそうです。祖母の納骨堂の前でお経を貰ったそうです。 既に成仏していると言う考えなのであれば、納骨堂の前でするのではなく、本堂の阿弥陀如来の仏像の前でするのではないのか?と思いました。 浄土真宗では納骨堂に意味があるのでしょうか?そこに居ないで阿弥陀如来に手を合わせるのであれば意味が無いのかと思ってしまいます。 そしてそのお寺では死後の菩提寺が無い人に対して浄土真宗になればうちのお寺で対応すると言うような手法を使われているそうなのですが、こういう事は良くあることなのでしょうか? あまり祖父母が浄土真宗としてのお参りなどをこれまでしてきていなかった事と、子供の頃から曹洞宗のお盆で慣れて居た事もあり、面食らって居ます。

有り難し有り難し 63
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2024/02/10

引き寄せと仏教の繋がり

引き寄せを信じている人から以下の話をしていました。 『畑は自分を信じる心、種は願い事、肥料は現状に満足出来る気持ち いい状態の土(心)は、良い土(心)を作る事 良い土(心)の状態は自然体な状態で心が喜んでいる状態で、 その時々の気持ちに忠実になり自分が自分に寄り添ってあげる事 自分を好きで信じてるからこそ、他者を好きになれて信頼できて、人を許せるようになり、世界を愛せるようになる 世界を愛せるようになる頃には、自然に日常の幸せに気付いて感謝出来る心が自然に育っている これが畑でいう肥料になる』 そして、 ブログを書いてるお坊さんも… 『仏道を歩む上で大事なのが、 最近よく耳にする【引き寄せの法則】 「思考が現実化する」「自分の心が現実を作る」 仏道を歩む上で大事なことは、「いい気分でいる」ということこそ大事で、 自分の「今その時の感情がとても大事」 この感情がまわりと共鳴して、 また、「嬉しい、楽しい、良かった」と思えることが起こってくる。 「投げかけたものが返ってくる」という引き寄せの法則そのもの。 たとえ念仏していても、気分や感情が不平、不満、愚痴等なら、それらを味わう現象が起こってくる。 だから、仏様を味方につけたのだから、 この娑婆世界、どうにも汚い世界かもしれないけど、この至らない私もそこで精一杯生きているし、生きていく。 その人生をやはり「幸せなもの」にしたいと願う。 だから、そのためにお念仏して、自分に起こり得る 全ての事を仏様にお任せして、 現世での起こる結果は、お任せした結果の「ギフト」と受け取り、最後は、死後、極楽へ往生させていただく。 その過程の中で、 自分の機嫌は自分でとって、いい気分でいる時間を増やす。 ネガティヴな思いが出てきたら、仏様にすべてを聞いてもらい、お任せをし「念仏瞑想」を実践していく。 そして、常に自分に与えられた現実の中から 「しあわせ、ありがたい、よかった、うれしい」と思える事を探して、今の現状を満足して感謝していれば 仏様ご先祖さまから更なるお導きが得られ、引き寄せられるようになってくる。』 仏教でも心は畑のようなお話はあるのでしょうか? 「心は畑」「マザーテレサ」の言葉も引き寄せに繋がっていると言っていまして、お坊さんまで引き寄せを話していましたが… 仏教と引き寄せは何か繋がっている部分があるのでしょうか?

有り難し有り難し 19
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虐待した母親は、地獄に行きますか?

小さい頃から精神的虐待、身体的虐待を受け、子供らしい幼少期は送れずに大人になりました。毎日が地獄のような日々。 中学時代は母親からの性的虐待も加わり、高熱のため下剤を入れることにり、性器に何度も入れられたり、産婦人科に連れて行かれてむりやり診察を母親の目の前で受けさせられたりしました。 異性関係には特に般若のようになり、あばずれ、男にばかり色目を使いやがって、というふうで、女性らしい格好や髪型をすると「男のためか?」「あばずれ」と暴言を吐かれました。私の幸せそうな姿は母親を刺激し、いつも不幸を演じている必要がありました。 一度、とても大好きになった方がいて結婚の約束までしましたが、結局母親に「あなたのため」という名の下に壊されました。 母親は絵手紙の先生で、それはそれは素敵な言葉を書き、母を慕う生徒さんはたくさん、まるで人格者のような扱いでした。その影で、産まなきゃよかった、あばずれ、能無しと毎日暴言を吐かれ。 ただ、自分がされていることが虐待だと気づいたのは40歳前。ひどい人だと思ってはいましたが、親は絶対、親を大切にしないと地獄に落ちる、親を大切にしないと死んでから呪ってやる、最後に信頼だけでるのは親だけ、他人はいい事しか言ってくれない、と言われ続けており、馬鹿みたいに虐待親の看病や看護までして、3年前に看取りました。 母親の死後、漠然とした怒りや憎しみの原因がどこからくるのか、自分がされたことの大きさに愕然とし、怒りと憎しみでいっぱいです。 すでに失ってしまった若い日々、あどけないこども時代を送れなかった過去、悔しさでいっぱいです。 唯一の救いは49日に夢に出てきた母親が「天国に行けなかった」と一言いったことだけです。 よく、親は死んでも見守ってくれているとか、死ぬときに迎えに来てくれる、などと言いますが、間違ってもあの母親が私を見守ってくれるとは思えません。「いい親」を演じつつ、私の不幸をほくそ笑んでいるような人です。 生きているとき、仕返しをしてやればよかった、と思ってしまいます。 こどもの心を殺しても現世で処罰を受けずに死んだ場合、きちんと閻魔様は地獄に落としてくれるのでしょうか?私が苦しみつづけた年月と同じだけ、地獄でこらしめてくれるのでしょうか? 私が死んだとき、あの人が楽しそうにあの世にいたら、私はやりきれません。

有り難し有り難し 161
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自分が極悪人であることに気づきました

現在22歳の学生(男性)です。 22年間生きてきて、ようやく自分は極悪人である事に気づきました。何故今まで気づかなかったのでしよう。 具体例をお伝えするとキリがないので、思いつく限り簡単に挙げさせていただきます。 思いやりの心が一切無く他人に迷惑をかけても平然としている、平気で嘘をつく、人が見ていないとサボりがち・悪い事をする、常に優越感を得ていたい、心の中で悪態をつく・見下す、他人のせいにする、責任感が一切無い、明らかに他人よりも罪悪感を感じにくい、心から感謝できない、真面目系クズの典型例、と他にも数え切れないほどあります。 人に親切にしたり良い事をすることもありますが、それは善意からではなく、全て他人に嫌われたくない、賞賛されたいという醜い心から来ています。 そうやって多くの人の前でいい顔をして善人の振りをしてきました。 そもそも自分には善意や誠意といった人間らしい心が一切無い気がします。友達はいますが、やはり少ないですし、変人だと言われます。 当然恋人もいません。周囲は皆彼女を欲しいと言いますが(この年頃だと普通のはず)、僕は彼女が欲しいと思えません。 そういう意味でも自分は異常だと思います。 別に犯罪を犯しているわけではないですが、法的に裁かれない分犯罪者よりも相当タチが悪いと思います。おそらく世界中探しても自分ほどの極悪人はいないと思います。 何故僕はこんなに悪い人間なのでしょうか? 生まれながらの極悪人なのか、育った環境が悪かったのか、自分の自己教育が足りなかったのか、など思い当たる節はありますが、何が原因か分かりません。 世界には人間らしい綺麗な心を持ちながらも生きられない人が大勢いるのに、生きる価値も無い自分が生きてる事が許せません。世の中不条理です。 自分は死んだ方がいいのでしょうか? でも自殺する勇気は無い上に卑怯な気もしますし、死後地獄で裁きを受けるのも大変恐ろしいです。(どのみち地獄に落ちるとは思いますが) かといって生きて罪を償おうにもどこから手をつけていいか分かりませんし、自分には他の人みたいに人間らしく生きられる自信がありません。 私はこれからどうすることが最善なのでしょうか? こんな情けない質問で申し訳ありませんが、ご回答頂けると幸いです。

有り難し有り難し 18
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私はもう手遅れな人間なのでしょうか?

はじめまして。 自分で考えても答えが見つからず、この場をお借りして質問をさせていただきました。 近頃、自分が何のために生きているのかわかりません。人は皆、何か目的や目標を持って生きているのだといいます。そのために一定の苦痛を我慢し、対価を得ているのだと思います。 それでは、何も無い私は一体どうしたら良いのでしょうか。 特別幸福でも不幸でもありませんし、現在の生活や職にそれほどの不満があるわけでもありません。ただ、今後生きていくうちに、生きる目的や意味が見つかるとも思えないのです。自分の人生に、何の楽しさも見出すことが出来ません。 私は、偶に人に容姿を褒めていただくことがあります。それを喜ばしいことであると捉えられていたのも短い間のことで、現在は一種の偏見や差別のように感じられてならないのです。 ある人が言うには、私はこのみてくれのおかげで何の苦労もせず、稚拙さを見逃され、失敗を許される楽な人生を送っているそうです。 そうかもしれないし、そうではないかもしれません。仮に私がそうではないと思っていても、周囲からはそう捉えられているのだと思うと、相手にも、そして自分にも期待するのをやめるほか、ありません。 こんな自分でも人と関わるうちに人間らしい感情を育てることができるのではないかと考えたこともありました。しかし、そうではありませんでした。何もない自分を知られる恐怖からか、近づいては離れるということを繰り返し、結局相手を傷つけてしまいます。 こんな人間が、これからどうやって生きていけば良いのでしょうか。 毎日、死ぬ事を考えています。 死ぬことではなく、死の直前に訪れるであろう痛みへの恐怖から実行に移せずにいます。 これまでの人生のこと、今後の人生のことを私なりに沢山考えたつもりです。死後周囲の人間に迷惑がかからないよう、できる限りの準備は整えてあります。 早く、この煩わしいすべてのことから解放されたいです。 私はまだ手遅れではないのでしょうか?

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2024/03/17

在家修行の仕方とは

毎日、在家での修行の仕方や朝のお勤め体験ができるお寺様は知りませんか? 在家で、お寺とzoomで繋ぎながら 朝お掃除したり、お経を読んだり、交流したり…在家修行の生活の仕方を配信してる所など、どなたか存じ上げないでしょうか? よく本には「日常の中で仏教の教えを思い出して、日々の生活を整えるのが在家での修行の仕方」とありますが、本で読んだ内容の受け取り方は人それぞれですし、やはり仏教を学ぶ上では師僧のような、導いてくださる方が歴史上でも必要な気がしております。 (元々、お釈迦様も口伝えでしか仏教の教えは説けないという立場でいた認識しています。 アーナンダ様という熱心なファンの方がお釈迦さまの死後に教えの内容を思い出して書いたのが今の仏教の経典だと記憶しています。) 近くに寺がない都会の生活をしていても 座禅会、法話会、写経会等の体験等をYouTubeやzoom等オンラインでできたら、より仏教徒として生活が整うのになぁと感じます。 実際、仏教業界は少子化により、檀家不足で資金難に苦しんでいる。というお話を聞いた事があります。 事実、血縁関係がないお寺様の檀家になるというのはかなり難しいですし、そのようなお話ができるほど一般参拝客にオープンに話して下さるお寺様に出会ったことはないです。 他にも、仏教のために何かをしたいけど物理的に方法がない方はたくさんいる気がしています。 その為、YouTubeの投げ銭やオンライン講座などでもご奉仕できるような環境があれば…と思います。 こちらとしても、そのようなサービスがもっと普及したら在家修行が捗るのに…と思います。 なぜ、在家修行の方法などの配信や、仏教徒の方の質問に答える場所というのは少ないのでしょうか…? また、どこかでこのような活動を行っている所がありましたらご教示お願いしたいです🙇 何卒よろしくお願い申し上げます。

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悲しみから抜け出せない

20日の日にとても大好きな父が亡くなりました。 自分は母を4年前に病気で亡くしてます。 その病気の介護のときからの15年間父親と生活していました。 母の死後、父と2人で田んぼをやってコレからはもっと2人で田んぼ大きくして行こうとしていました。ところが去年の4月頃に父に前立腺癌が見つかり、父は入退院を繰り返す様になりました。 それまでは父と2人で楽しく作業していた事が自分1人になり苦痛の作業になり、自分でもどんどん自分がすさんんで行くのがわかりました。 そして12月になり病院から「これ以上治療は出来ないので、緩和治療になります」と言われました。頭が真っ白になりました。そして泣いて泣いて泣きました。 家に戻る事も無く年を越し、1月10日に転院しました。そして改めて父を見て見るとがっしりとしていた身体はヒョロヒョロで、色は白く、お腹の両脇からは尿を出すための管が出ている、そんな身体になりながらも自分が行くと「ちゃんとご飯食べてるか?」「無理はするなよ」と私の事を気遣ってくれます、私は家に帰ると毎日泣きました。1月19日、父は大分弱って起き上がる事はなく、だか問いかけると目を開け「うん」「ちがう」などの返答をしていました、そして夕方に父に「どうする?今日俺、病院に泊まる?」と聞くと、とても嬉しそうに「うん、うん、」と答えてくれました。次の日の朝、「おはよう」と問いかけると目を閉じたまま、何の反応もありませんでした、先生が来て「今日は危ないかもしれないです」と言われました、それからは、父の耳元で「俺は親父が大好きだよ」「親父俺を1人にしないでくれよ」「反応してくれないとわかんないよ」「ほら一緒に田んぼいくべ」など色々言ってました、そしてお昼になり、父の呼吸は止まりました…67歳でした。 それから私は喪主として御葬式を務めあげました。 そして今は大きな家に自分1人となってしまい、家の中、納屋の中、田んぼ、すべてにおいて私が大好きだった、元気だった頃の父の姿が重なって見え、涙が止まらなくなってしまいます。本当に大好きなのです。 また一緒田んぼをやりたい、会いたい、他愛無いことで喧嘩したい、会いたい、話したいです。 ツライ、ツライ、ツライです

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2021/06/08

「生きる意味」は意味があるのか

「生きる意味を探そう」などといった啓発がよくなされていますが、そうやって見つけた生きる目的には何の意味があるのでしょうか。 いずれ無くなるであろう地球(現世)で、どうやっても百余年で死んでしまう私たちが、「生きる意味」をもって行動したとしても大局的には意味のないことだと思ってしまいます。 小さい頃、自分は歴史に名を残す偉業を成し遂げたいと思っていました。しかし年を重ねるにつれ、そんな社会貢献ができたとして何になるのかを強く考えるようになりました。偉大な結果を残したとしても、自分が死んだらその後の世界を見ることはできない(自分の功績の影響は認知できない)し、世界が終われば無に帰します。「生きる意味」と思っていたものの意味がなくなるように感じてしまいます。 これは「そんな偉業は成し遂げられない」という諦観がそうさせている面もあるとは思いますが、「自分が起こした行動が現在、そして死後の未来に影響を与えたとして、だから何になるのか」を強く考えていることに変わりはないです。 こう考えることで、生きる意味も、それを探すことも無意味に思えてしまっています。 生きる上で苦痛が耐えないこともこの考えを助長しています。なぜ人は苦しみがある中でも生き、この社会で何かを残そうとし、命のバトンを繋いでいくのでしょうか。また、何かを残そうというモチベーションもなく日々を生きている人々は、どんな「生きる意味」をもって生きているのでしょうか。 私自身は、生きる上で生じる苦痛を上回る「生きる意味」を未だ見つけられていませんし、「生きる意味」を見つけるために努力することも億劫で、苦しいのでしたくなくなっています。こんな思いを抱きながら生きるより、すっと消えてしまえた方が楽なのではないか、という考えすら頭に浮かび、数か月離れないので、ここに思いの丈を書かせていただきました。 とりとめのない話になってしまいましたが、よければこのことに関する仏教に基づいたお話をお聞かせください。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 89
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