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hasunoha 問答検索結果 : 「私 生きる 」
検索結果: 27994件

十善戒の教えは、守りやすい順番に並んでいるのですか?

はじめまして、お忙しい中恐縮ですが、気になることを質問をさせていただきます。 私は読書ブログで本を紹介させていただいたり、本の内容を暮らしの中で活用したお話を書いています。 仏教の本は、暮らしの中で自分も相手も気持ちよく暮らせる取り組みが多く、よく紹介させていただいております。 先日取り上げた本には、十善戒について書かれた内容があり、暮らしの中でできているかを当てはめてみました(心に思っただけのことも入れて自信を持ってできる!といえるコトは1つだけですが…) 本では十善戒を、①殺生しない、②盗まない、③性において淫らな行為をしない、④嘘をつかない、⑤意味のない流行り言葉を使わない、⑥悪口をいわない、⑦二枚舌を使わない、⑧貪らない、⑨愚痴らない、怨みや妬み羨み怒りの心を持たない、⑩愚かな考えをおこさない、と紹介されていました。 実際に暮らしに当てはめてみると、「暮らしに合わせて3つに分けられるのでは?」と思えてきました。 ①〜④までの教えは、最低限、「生きていく」のに守らなければならない決まり。 ⑤〜⑦は、家族と仲良く暮らしたり、地域や会社でトラブルを減らす「社会で暮らす」のに欠かせないこと。 ⑧〜⑩は、自分の心の中の出来事でもあるので「幸せを感じる」のに必要なこと。 ちょうど順番通りになっていたので、もしかしたら元になったお経でも「こうなっているのかな?」、まとめていてふと思えてきました。 十善戒の中で「生きていく」ための決まりは守りやすく、後半の「幸せを感じる」のに必要なことはとても難しいと感じます。 教えの元になったお経では、順番によって守りやすさはあるのでしょうか? 解説書などでは、何かしらの分け方があるのでしょうか? 専門家のお坊さまに、お時間のあるときで構いませんので教えていただきたく思います。 緊迫する悩み事ではありませんので、本当にお時間のあるときで構いません。

有り難し有り難し 15
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母を悲しませるのが怖い

病気で手術することになりました。 幼い頃に母親が家を出て行ったことがあるせいか この年齢になっても母親に対する執着がひどいような気がします。 母親が本当に私のことを大事に思っているのか まるで思春期の子供のようにその愛情を試したかと思うと 自分が母よりさきに死ぬことになったら 母はどれだけ悲しみ、苦しむのだろう。 ひとりぼっち(父はすでに他界しています)で 寂しく生きていくのだろうか。 誰が母の葬儀をあげてくれるのだろうか。 もし、母が孤独死するようなことになったら と考えるとどうしようもなく怖くなります。 母も私を置いて出て行ったという負い目があるらしく 必要以上に私の面倒をみてくれます。 互いに依存しすぎているのかもしれません。 分かってはいても、母の手を振りほどくことも 母の悲しそうな顔を見るのも耐えられません。 今回の手術でも自分が死ぬことよりも、母を残していくことに どうしようない恐怖を感じるのです。 手術自体は簡単なものですが、 もしその過程でほかの悪性の何かが見つかったら… もし手術が失敗したら… もし術後の回復が芳しくなく、大きな障害をおったら 母は悲しむだろう…と考え、涙が止まらなくなります。 いったいどうしたら、この執着を手放すことができるのでしょうか。

有り難し有り難し 22
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存在しなかったことにしたい

消えたいとか、死にたいとかではありません。 ただ存在しなかったことになりたいんです。 というのも、自分は自分が死んだ時、少なからず悲しんでくれる人がいます。 家族は特に、3人流産した末の私なので。 ただ私はどうしても、存在しなかったことになりたいんです。 理由は……家族にあると思います。特に母は私と喧嘩になったら人格否定など、とにかく私の全てを否定してくるからです。前なんて卒業証書とか習い事のメダルを捨てられそうになったり、賞状を破られたりしました。父は優しいし好きだけど、褒めてくれない。 自分は自分をよく理解してると思います。 前向きでありたい、明るくありたいという思いが強いです。だから普段は自己嫌悪とかないんですが、ふとしたときとか、夜とか、母と喧嘩した時はどうしようもない自己嫌悪に襲われます。それに理解して明るくありたいからこそ、こういった悩みは誰にも……特に顔を知っている人には相談できません。 でもこれは心の病気なのか、それともただ弱いだけなのか。それがわかりません。 私はどうすればいいんでしょうか。このまま生きていくのはまだ先が見えない以上辛すぎます。しんどいです。 支離滅裂で分かりにくいと思いますが、お返事お待ちしています。

有り難し有り難し 70
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自殺して親を後悔させてやりたい

私は今大学生で、血縁のある母とその再婚相手と暮らしています。 この生活が始まったのは小学校高学年の頃です。 最初はその生活もなんの苦もなく送れていたものの、段々と家での生活がしにくくなっていきました。 それが決定的になったのは中学一年生の夏休みです。家庭科の宿題を手伝って貰おうと思っていたのですが喧嘩をしてしまったので、その宿題は祖母に手伝ってもらおうと思い祖母と一緒に進めていました。宿題が終わり家に帰ると、継父は機嫌が悪く、その理由は「なんで自分の家で宿題ができないんだ」というものでした。その時には既に嫌いという感情はあったものの普通に接することはできている時期でしたが、その日首を締められた事を機に全く話さなくなりました。 3日前、大学の教科書等が家に届き、夕食後にそれを整理しようと思いリビングでテレビを見ながら整理していました。 すると突然、「邪魔。部屋でやれよ」と私が座っている椅子ごと蹴られました。もちろん、教科書の整理以外何もやっていないし、通路を塞いでる訳でもない。整理をする前に何かをした訳でもありません。 母には謝られ、「○○のことが1番だよ」と言われました。 正直、そんなことを言うのだったらさっさと別れて欲しいと思います。それに「結局別れない。私も大事だけど、あっちだって大事。」それって結局1番大事なのは母自身で、何も失いたくないだけなんじゃないかと思ってしまいます。 なんで自分の家で、しかも後から来た人の為に自分がこんなにも神経をすり減らして生きていけなければいけないのかが全く理解できないです。 継父を自分で殺す事も何度も考えました。ただそしたら自分が継父と同じ土俵に立ってしまうし、法律にだって反している。自分を余計に生きにくくしてしまうだけです。 だったら、もう自分が死んで後悔させてやりたいです。母はきっと後悔するでしょうが、継父がどう思うかはわかりません。ただ少なくとも生きにくくはなるだろうと思います。 私の周りの人たちはみんないい人だから余計にそうだと思います。 そんな人たちに多少なりとも迷惑をかけてしまうのは重々承知しています。 でも、もう本当に自殺する以外に楽になれる方法がわかりません。

有り難し有り難し 95
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どこまで人間の業を許せますか

コロナ禍の中、さまざまな意見も飛び交っていますが、私は少数の富裕層が、その他の人間の生き方や社会をコントロールできる今の世の中に疑問を感じています。 例として、ブラック企業で働く人々は、ブラック企業で働きたいと思っていないにも関わらず、そこで働かなければ生きていけないと思い込まされ、被雇用者は経営者に利用され、結局ブラック企業は淘汰されず残り、富は資本家に集まります。どこかで救ってほしいと思っていても、立ち上がることができないのです。 世の中で、また個人の人生のなかでも、全く似たようなことが起こっているのを、友人や知人を見ていてわかってしまいます。しかし、それを言葉にして本人に伝えるのは難しいことも知っております。 ですから、私は少しでも良い社会のために、と署名活動への参加や、できるだけ納得したものだけを購入するといったことを、完璧は不可能ですが実践するように心がけていますが、そういった生き方に対し、ある友人は「私はそこまでして生きたくない、世界はどうなってもいいし、責任を取りたくない」と言い、そういう方こそ生き方に難しさを感じていたりしていてよく相談されたりします。しかし「あなたの行いがあなたの人生を作っている」と正論をぶつけることもできず、難しいものだと思います。どこかで頼られていたり、羨ましがられていると思うこともあります。あなたは頑張っている尊敬する、と言われることが多いですが、その裏には彼らが何かを抱えているのが見えます。 仏教では、こうした社会的な搾取や過ちも肯定し、受け入れるのでしょうか。 最終的には、人類全ての行いとして、その集大成として私たちが絶滅する運命をたどるのだとしたら、それに違和感を感じている私も運命共同体として何もしないべきなのでしょうか。 私は社会に対して、行動をし、考えている人たちを、「やりすぎだ」などということは決してできません。きっとお釈迦様も悟りを得るまでに沢山の思考を重ねたものだと思います。 ワクチン等も強制に対し、「でもそうしないと生きていけないから」と言うのは、あらゆる強制を受け入れた先の、超支配社会を肯定することにつながりかねません。そうしたことに反対し続けるのは、無駄で、現在の人間の行いを無感情のまま受け流すのが、正しいことなのでしょうか? そこに違和感を感じてしまう私は、人として未熟なのでしょうか。

有り難し有り難し 42
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妹は何故死んでしまったのか?

先日から何回も相談してる者です。 妹が亡くなってから来週で早くも3ヶ月です。 まだ信じられません。 暑くなって来たので例年なら熱中症対策で水分補給に気を付けてました。 またウナギが好きでしたのでウナギをよく食べ指してました。 生きてたらこういう日々がまだまだ続くはずでした。 亡くなった日は妹は朝の薬を夜僕が帰るまで飲んでなかったのです。てんかん発作を押さえるための薬は朝9錠、昼6錠、夜8錠ととても多く本人も大変そうでしたが、何とか飲んでました。 ところが亡くなる半年前くらい前からまた飲めなくなってきて、病院に行って相談して、お薬ゼリーなるものを紹介してもらいそれを使ったり、また飲みにくい大きめの錠剤は僕がハサミで切ったりしてました。最後の方はその薬を切るのが僕の日課みたいにもなってました。 だんだん朝の薬飲むのが遅くなり朝のを夕方に飲んで昼を飛ばしたり、昼と夜も飲めない時もあったり、僕が夕方に帰って来たとき薬全然飲んでないときもあり、慌てて飲ましたりもしてました。昔はにそこまでしなくても、本人が勝手に飲んでくれてたのですが、何故かだんだん飲めなくなってました。 で最後の日は朝御飯も夕方まで食べず、朝御飯は僕が仕事行ってからは食べてました。ただ大事な朝の薬を何故か飲んでなかったのです。薬の袋すら開けてなかったのです。 ヘルパーさんは夕方までいてくれたのですが、その間にも飲んでなかったのです。いつもなら連絡ノートに朝の薬を先ず飲ませてくださいと赤字で僕が書いてヘルパーさんに伝えてたのに、その日だけは朝まだですしか書いてなかったのです。ヘルパーさんに直接言うことも出来たのに面倒くさがって何も伝えずに仕事に行ってしまったのです。 ちゃんと伝えるか、または僕が仕事行くまでに朝の薬だけでも飲ませとけばまだ生きてたはずなのです。 この朝の薬を飲んでなかったことが妹の死因だと思います。 原因がはっきりしてるので、ここさえ何とかしてればまだ生きてたはずなのです。 この事が一番未だに僕を苦しめてます。 この日死ぬのが運命だとか寿命とか言われることもありますが、僕はそうは思えません。人が死ぬには何か原因があると思います。何も問題無いのに突然死ぬわけがないです。 僕が朝の薬を飲ませなかったことが原因です。やはり僕の責任だと思います。 もっと必死に薬を飲ませとけばと言う罪悪感しかありません。

有り難し有り難し 11
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2022/03/22

祖母に「早く死んでほしい」と思ってしまう

 最近、祖母に「早く死んでほしい」と感じてしまうのですが、やはりこれは悪いことでしょうか。  祖母はとてもプライドの高い人で結構家柄や学歴、職業(公務員や大企業など)を気にします。しかし孫の私にはそんなことはなく純粋に孫として可愛がってくれていたようにも思います。ところが、私が運良くちょっと良い大学に合格してから、どうもその期待が孫に向けるものではなく、かつて祖母の息子たちに向けていたものへと変化しつつあるのではないかと感じます。  私自身、将来は大学院に進学して研究の道に進みたいのですが、そうすると祖母が考える“立派な”将来(官僚や公務員など)にはなれず、生活的にも苦労することが多いと予想してます。  先逝く者のために自分の人生を決めさせたくない、でも祖母には最期にいい思いをして死んでほしい。最近では、私が就職する前に祖母が死んでくれれば、祖母も期待を裏切られることもないし私も自身の道を歩むのに後ろ髪引かれることはないと感じてしまいます。  祖父母には“素直な”孫として通っているので、このことを正直に祖母に伝えれば、ショックでそのまま失意のうちに死んでいってしまうかもしれません。かといってこのまま期待に応えられず、祖母が不満を少しでも漏らせば両親は激怒して祖母と絶縁すると思います。祖母は友人付き合いが悪く、祖父や叔母とも非常に仲が悪いのに、自分の息子(私の父)にさえ縁を切られたら、それもまた失意のうちに死んでゆくと思います。  最期はいい思いして死んでほしいけど、自分の人生には干渉されたくない。このジレンマにどう立ち向かえば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 29
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死期を早めてしまった罪

神経難病で体が動かなくなる病気の父親を見送りました。 長い闘病でしたが、泣き言も言わず黙って耐える強くて立派な父でした。 病気も末期になり誤嚥性肺炎で入院したのですが、 嚥下障害が進み、どろどろにした物しか口に入らなくなりました。 病院から許可された、缶コーヒーにトロミ剤を入れて飲むのが唯一の楽しみでした。 全身の機能が低下していると医者に告げられ、かなり悪くなっていることを感じた頃、そんな父親に何ができるか、と考えて、 大好きなインスタントコーヒーをポットに入れて、病室に持っていくことにしました。看護師長さんにはその許可を得て、父親も喜んで飲んでいたので、 私は愚かにも自分がいいことをしているような気になっていました。 その日も仕事が終わって、夕食介助をした後、持参した甘いインスタントコーヒーを飲ませました。 父親はその日は特に喜んで、「あぁ、コーヒーはやっぱり美味いなぁ」 と出なくなっていた声が急にはっきりして言いました。 よかったね、と私は満足して病室を後にしました。 次の日の昼に父親は腹痛を訴え、夜になって吐血しました。 結局そこから回復出来ずに、1か月後に他界しました。 胃カメラも入れられない状態だったので、ハッキリしたことはわからないままですが、胃潰瘍だったのではないかと思います。 私が愚かにもせっせと病室に運んだコーヒーが悪化の原因ではないかと亡くなってから気づきました。 末期ではありましたが、父親には生きることへの意欲が残っていました。 一日でも長く生きて欲しかったのに、愚かな私の行為で父親の死期を早めてしまいました。 許される罪ではありません。 しかし、父が息を引き取る時、残された母の面倒は見るから心配しないで、と約束したので、何としてもそれだけは守らねばなりません。 ただ、自責の念に苛まれ、毎日が非常に苦しいです。 償えるはずもありませんが、私はこの罪とどう向き合えばいいのでしょうか。

有り難し有り難し 28
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父が死にました

私の父は癌で昨年の5月に亡くなりました。余命を宣告されて2年後のことでした。 余命が長くないことを知り、宣告された日から父を喜ばす気持ちで学業や様々な活動に専念しました。テストでいい成績をとって報告するなど、それくらいしか私にはできることもなく、とにかく頑張りました。 ある日、留学のパンフレットに目が止まり、自分の夢も諦めきれず、長期の留学を決意しました。父のこともあり、複雑でしたが、両親は賛成してくれました。 留学して4ヶ月、父の容態が悪化し、一時帰国しました。 久しぶりに会った父の顔は、薬の副作用の痛みからか強張っており、お腹に水がたまり、最後に私が見た父は消えていました。再会した次の日に、私は1日看病をする予定だったので、その日はほんの少し話して帰りました。 次の日の朝、看護婦さんから父が息をしていないと電話が入りました。 病室に着いた時、父は口が開いた状態で、心電図の停止を知らせる音が鳴り響いていました。今でもその瞬間を忘れられません。そのまま父は息を引き取りました。 それから、死を受け入れることへの恐怖からか、自分を忙しくすることで逃げました。留学に戻って、忙しい日々を過ごしました。 昨年冬に帰国し、大学受験に挑戦しましたが失敗しました。もう一年勉強しようと構えていたのですが、予備校が始まるまでのこの期間に暇な時間ができたことで、父のことを考えるようになってしまいました。 気力がどんどん下がり、あの日のことを後悔するばかりです。なぜ、もっと話さなかったのか、感謝の気持ちを伝えられなかったのか、明日生きてる保証がないと理解していれば、、、意識が低かった、と。それに、留学もしてよかったのか、父の側にいてあげればよかったと後悔が募るばかりです。 今は、大学に進学する目的も見失い、頑張る目的がわからなくなりました。喜ばせる父もいなくなり、どうしたらいいか分かりません。 父の死をしっかりと受け止めることで前向きに生きたいと頭では思うのですが、心がついて行かず、無気力になってしまいます。 今後、父と向き合うにはどうしたらいいでしょうか。

有り難し有り難し 31
回答数回答 2