hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「私 生きる 」
検索結果: 29544件

母を許すことが出来ません。でも…

初めまして、こんにちは。今回初めて質問させていただきます。拙い面が多いかと思いますが、よろしくお願いします。 私は3歳ごろからずっと生き辛さを感じて生きてきました。というのも母が恐怖の対象でしかなかったんです。虐待やネグレクトを受けたわけでもなく、むしろ愛情持って接していたのは分りますが、エゴと束縛としか感じられません。 これまでの出来事で母は「絶対的に自分が正しい」と思っています。母の言動がどんなに私を傷つけたか全く理解しようとしないのです。過去の出来事で喧嘩すると「じゃあどうすればいいんだ。謝ればいいのか」と開き直られ、ある時には「謝らへんからな」とも言われました。また会って話し足りず電話で昔の話をした際「電話で話するのは卑怯だ」とも言われ、以後要件以外で連絡していませんしまともに顔を合わせていません。 また母は「沢山褒めてきたつもりだ」と言いますが私は要所要所で悉くやったことを否定されましたので、そんな人に何を言っても無駄だと感じて思春期は家でもほぼ無言でした。 また私は酷くマイナス思考ですぐ卑下するのですが「どうしてそんなこと言うの?」と、わたしの気持ちを否定することばかり言います。ただ共感してほしいだけ。「辛かったね」「頑張ったね」「偉かったね」という言葉が欲しいだけなのに。それを言っても理解しません。 いずれ母も介護が必要になって来ます。正直関わりたくないです。絶縁したい。子供の心親知らず、親の心子知らずと言いますが母の気持ちなど考えたくないし、母が私を理解しようとしないだけと感じます。大嫌いなんです。どうでもいいとさえ思っている。でも何処かで「分ってくれる」と淡い期待をしてしまっている自分もいて、それが酷く腹立たしいんです。母に執着していて、手放す為に心理学にある執着を手放すワークをやっていて、その中で私が「寂しかった」という感情を抱えていたことが分かりましたがトラウマを抉られ、しかも何度も繰り返すので疲弊し、執着を手放すはずが母への憎しみを増長する結果となってしまいました。 姉に先日、介護も含めて母とのことをぶちまけました。ただそのあと抜け殻のようになっていて、どうしたいのか分からなくなりました。 こんな感情を抱えたまま生きるのは夫に迷惑をかけるし何より自分が辛いです。 何を書いているか乱文になってしまいましたが、御教示いただけますと幸いです。

有り難し有り難し 41
回答数回答 2

母の死を乗り越えられません。苦しくて苦しくて耐えられません。

私は、脳卒中の後遺症のある母と一緒に住み、仕事の打ち合わせに出る以外、毎日母の介護をしておりました。 その母が体調を崩して入院し、合併症で長期入院してましたが、良くなってきておりました。 ですが、新たな合併症を併発してしまい、突然亡くなってしまいました。 いっぱい苦労かけさせてしまいましたので、後十年生きて欲しかったんです。そんな願いも、叶わぬ願いだったことが悲しいし悔しくて。 二十一日参りが良いと聞いて、毎日神社参拝続けましたが、結局このような結果となり、胸が張り裂けそうです。 後追いまで考えそうですし、生きる気力がないし、生きる意味がないと思えてなりません。 この苦しみから抜け出す方法を考えると、おのずと自殺の結論に至ってしまいます。喪失感と絶望感だけが残りました。 お袋一筋で介護してきた結果、こんな結末を迎えるなんて、ひどすぎます。 お袋を見ると、思い出が走馬灯の様に思いだし、咽びなく自分がいます。 母が亡くなったことを受け入れらくて、この苦しみが耐えられなくて、死ぬことばかり考えてます。 私は、どうすれはこの苦しみから抜け出せるのでしょうか。お助けください。

有り難し有り難し 213
回答数回答 2
2023/07/06

気持ちを受け止めてください

誰にも相談できず、相談させてください。 私には17歳から約5年お付き合いした彼がいます。彼といると落ち着けて本当に大好きな人でした。しかし就職を前に、お互い県外に出ることや漠然とした不安があり卒業前にお別れすることになりました。 それから県外で就職後、彼にも新しい彼女ができたと風の噂で聞き辛かったですが私も踏ん切りをつけ、数年後私は結婚し子どもも授かりました。 それから約12年、偶然彼を車で見かけてから頭から離れなくなってしまいました。今まで思い返すことや夢に出てくることは何度もありましたが、ここまで頭から離れなくなったのは初めてです。 見かけた人は彼だったのかやっぱりどうしても知りたくて12年ぶりに彼に連絡しました。結局彼だと思っていた人は彼ではなかったのですが、話の流れで私への想いを話してくれ、滅多に自分の感情を言葉にして言う人ではなかったのでびっくりしたのと嬉しくて。 結局それから電話をして会いにも行きました。不貞行為などはとんでもなく、ただ道で話をしただけです。もう会うどころか連絡すらちゃんと取れないだろうなと思っていた彼と連絡がとれて声が聞けて会えて、こんなに時が経ってお互いに思い合えるなんて考えもしていませんでした。 最初は見かけた人が彼かどうか確かめたかっただけなのに、なんて貪欲なんだろうとわかっています。 彼は絶対に歯止めがきかなくなるから電話も会うのもやめたほうがいいと何度も止めてくれましたが抑えきれなかった自分も情けないです。 しかしどれだけ想い合っても現実私には家庭があるわけで。離婚を考えましたが、やはり子どものことを思うと、私の気持ちだけで2人から父親を奪うことはできなくて。そして経済面でも私1人ですべてを回すことはできなくて。 彼も子どもが最優先だから子どもが自立してまた縁があったら一緒になろう、お互い今を一生懸命に生きてその延長線上に機会があったらよろしくねと話してくれました。 私も同じ思いで、目の前の子ども、親、家族、健康であること、仕事があること、すべてのことに感謝しながら今を一生懸命に生きていこうと思っています。 一度メールをし、電話をし、一度会ったきりで一切連絡をとっていません。 毎日とにかく自分に言い聞かせてがんばっているのですが、心えぐられるように苦しくて切なくて悲しくて 最低なことだとは重々承知しています

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

死を受け入れられない。

私は3年前まで介護福祉士として地元の老人ホームで6年半働いていました。 辞めるきっかけは母方の祖父が認知症になり、祖母に暴力を振るうようになり、SOSの電話が毎日かかってくるようにはなり、ある日、出勤前に電話がきて、両親は出かけていたため急きょ仕事を休み、祖父母の家に行くと祖父に蹴られ、踏みつけられ、挙げ句植木鉢を足に落とされて息がつけなくなっている祖母が茶の間に倒れていました。すぐ救急車を呼び病院へ搬送されました。 その時に入院した病院で末期の胃ガン、B型肝炎に感染していると判明しました。 余命は2か月。祖母には私の他に孫が3人いますが、私が一番可愛い孫だといつも言ってくれ、仕事で悩んでいたりした時に話を聞いてくれたり、お金に困った時も助けてくれたりと、一番可愛がってもらっていたので、今までの恩返しを込めて入院生活を余儀なくされた祖母の介護をしたいと思い、仕事を辞めました。 余命2か月と告知されていましたが、8か月生きてくれました。 亡くなる前日まで会話出来ていたのですが、いきなり急変し、吐血し意識不明になりました。 そんな状況でもうわ言で私の名前を呼び、必死で生きようとしてくれました。2回目に吐血した時にもう助からないと医師に聞かされ、家族で泣きました。集まった親戚は頑張って生きてと言っていました。でも私はもう充分頑張ったんだから、頑張らなくていいよと言いました。それから間もなく亡くなりました。 祖母が亡くなってから半年になりますが、亡くなった実感が未だになく、私も頑張ってと言えばもう少し長く生きれたのかと毎日思っています。仕事は介護の仕事だと祖母を思い出して辛くなるので、全く違う仕事をしています。 毎日それなりに充実していますが、最期にかけるべき言葉は何が良かったのか、自問自答の日々です。亡くなった祖母に会いたいと涙してまうこともあります。 どうしたら、祖母が亡くなったという事実を受け入れる事が出来るでしょうか?

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

死の恐怖への対処法

いつもお世話になっております。 死への恐怖が強く、以前よりご相談させて頂いております。 私は、本当に死ぬのが怖いです。 なぜなら、死んだ後どうなるか分からないからです。 仏教の中には、死後について細かく書かれている本や考えもあるとご教示頂き、いくつか拝読致しました。しかし、大変申し訳ないのですが、信じることができませんでした。 死んだ後帰ってきた人は居ません。ということは、少なくとも私の今生きている世界では、死んだあと私の意識がどうなるかについて明確な根拠と理論を持って説明できる人は、いらっしゃらないのではないかと考えてしまい、信じられませんでした。 次に発想を変えて、恐怖心を消すことを考えました。死ぬことは変えられなくても、死の恐怖さえどうにかなればいいと思い、怖くなったらお念仏を唱えるように致しました。仏様にすべておまかせするという考えです。しかし、これは一時凌ぎで、恐怖が何度もぶり返すようになってしまいました。死が「自分ごと」だと認識すると怖いのです。お念仏を唱えている間は、死が「他人事」のように感じられて、死が遠くにあるような感じになり、一時的に怖くなくなります。きっと、私のお念仏のやり方に、何か間違いがあるのだと思います。 私は今、なぜか、ここに生きてしまっています。生きているから、いつか死ななければなりません。 どうしようもなく恐ろしいです。 いつかくる死に怯えて、気が狂う程の恐怖に、毎晩叫んで、ジタバタしてしまいます。もう、本当に、生きているのがつらいのです。矛盾していますが、この恐怖が本当に本当に耐え難く、こんなに恐ろしいなら死んでしまいたいと思う毎日です。 今回の質問が、仏教に対して失礼でしたら、本当に申し訳ありません。私は仏教が好きです。出会えて良かったと思っています。また、今までご回答頂いたお坊様方、本当に感謝しております。ご回答頂いたのに、前進できない愚かな私で申し訳ありません。 支離滅裂な文章ですみません。ここまで読んで頂き、ありがとうございます。 私はこれから、どうしたらいいでしょうか。 毎日「この世界に生きている」と実感するたびに、「いつか死ぬ」と恐怖で発狂するこの状況を解決する方法を、どうか教えてください。ここから私は、次に、何をしたらいいのでしょうか。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1