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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 宗派 」
検索結果: 1817件

供養について教えて頂ければ幸いです

こんばんは。 以前も何度か同じ内容の事でアドバイスをもらいにきましたm(_ _)m その節はありがとうございましたm(_ _)m 今回は供養についてです。 去年の12月にお腹の中の息子を亡くしてしまい 火葬を終えて今は自宅で供養をしております。 お墓も旦那の実家にはあるのですが、私も顔が知らないご先祖様と息子を一緒にすること、それなら自分たちのお墓が出来た時に一緒に入りたいと思う気持ちと、まだ寒い時期ということもあり埋葬は躊躇してしまいました。 しかし恥ずかしながら、実際にはお墓をすぐ建てられる費用も今はなく、見通しが立たないままです。 そこで、見通しが立つまでの間お寺に預かってもらう永代供養というのでしょうか? それも視野に入れておりますが、お寺によっては合葬などあるとのこと、希望は骨壷毎に棚に祀られてあるお寺が希望ですが、火葬の際拝んで頂いたお寺(旦那の実家は檀家になってます)は合葬のようで、和尚さんもなんだかそっけない感じで、あまり気持ちが進まず、旦那の実家は曹洞宗ですが、曹洞宗であれば自分たちの希望の供養をしてもらえるお寺を選んでも大丈夫なのでしょうか? また、お墓がすぐ建てられない場合 どうするのがいいでしょうか? 無知ですみませんが、アドバイス頂ければ幸いですm(_ _)m

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人徳とは何でしょうか?

 年末多忙の時期、しかもコロナ禍のさなか、恐れ入ります。  かれこれ10年前、勤めていた職場をリストラで追われ、どうにか生き延びて参りました。10年をへて、その当時の慢心や、先般ついに手帳まで頂いた障害など、自分自身の上に反省すべき点も多々見い出しつつあります。  にもかかわらず、その当時、とある方から言われた言葉がやはり折に触れて脳裡に甦ります。しかも抗弁しようにも、その方は数年前に急逝なされ、いまはお浄土に。その言葉とは、   「ピンチに出くわして、すぐに救いの手が伸びて来ないのは、人徳がない証拠」 というものです。なるほどな、とも思わされますが、同時にやはり、「ちょっと待ってくださいよ!」という思いもございます。  そのかたは生前、仏教者として特色ある活動をなさった人であり、みだりに批判することは倫理的にも強く躊躇(ためら)われます。それでも、そのかたがお遺しになった会社が、今般のコロナ禍でかなり四苦八苦している様子を人づてに聞かされますと、心の中に「どうしました?人徳がないから左前になるんですよね?」という、どす黒い思いが湧いてこないと言えばウソになってしまいます。  そのかたとは私がリストラされるまで、ご縁あって、幾度か帰り道に御一緒したこともあるのですが、10年前、突然の(……会社側からすれば兼ねて計画していたとおりの)リストラで苦痛の極にあった私へ、「君の声は某宗教の布教師どもの声そっくりだ。不快きわまる!」というお言葉もいただいております。自分は声がやや甲高いので、それが不快感を与えてしまったのか…と思い余った末、喉仏に男性ホルモンか何かを注射して治してもらおうとすら考え、これは家族みんなに止められました。  さて、ようやく立ち直ろうとしている今、この疑問に対する自分なりの答えも日ましに脳裡で形をなしつつあります。このうえ回答僧諸師をお煩わせするのはいかにも申し訳ないと思いつつも、皆様の多年にわたる御回答経験の中から、大所高所に立ったお言葉を頂けたらと念じております。  もっとお苦しみのかたが沢山いらっしゃいます。でも、どなたかお手すきの折に何か無形の御守りともなりそうなお言葉を頂けたら幸甚です。以上、ここまでお読みくださいまして、誠にありがとうございます。

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恐怖や不安、苦しみと向き合う覚悟が持てない

何度も質問してしまい、大変失礼致します。 いつもhasunohaを拝見しながら、自分自身と向き合い、考えさせられております。 そんな中、自分の中で「私は何も分かっていないのではないか?」という考えが浮かび、また今までの私は「苦しい思いや辛い思い、悲しい思いをしたくない」という考え方に強く「執着していた」のではないかと考えるようになりました。 そういった考え方に執着しているせいで、自分が嫌だと感じたことや、やりたくないと思っていたことを避け続けてしまったせいで、全く自分が成長できていなかったことに気付き、とても情けない気持ちになってしまいました。 さまざまなお坊様のありがたい言葉を何度も拝見することで「苦しい思いや辛い思い、悲しい思いをしてでも、これからは自分の足でしっかり歩きながら、他人や社会にお役に立てる人間になりたい」と思っているのですが、いざ「これを始めてみよう!」と思っても、自分の中で「恐怖心や不安」が出てしまい、なかなか手を出すことができません。 恐怖心や不安を抱えながらでも、それでも新しいことや自分が怖いと思っても、それでも手を出せる「きっかけや心構え」など、何か良い方法があれば、是非教えていただけませんでしょうか? 私はもう、過去の自分とはさよならしたいですし、変わりたいです。新たな考え方で、頑張っていきたいと思いましたので、このような情けない人間に渇を入れていただけるとありがたいです。どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 7
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父の供養

2/4に実父が亡くなりました。35年前に母と離婚をしており私もその際、母方に。 今現在、父の血の繋がりでは、娘の私のほか、父の妹2人(76.78才)と、異母兄妹が3人います。父は、2年前脳梗塞で倒れてからは寝たきりとなり、生活保護を受給しながら施設におりました。 私は海外在住ですが、実父が亡くなる時ちょうど名古屋におり、お見送りができました。葬儀は市が設けて下さりましたが、宗派を問われ、あわてて父方の静岡にあるお墓の菩提寺を調べ、名古屋の曹洞宗のお坊さんを呼んでいただきお経をあげていただきました。遺骨はしばらく葬儀所に預かっていただき、納骨は私がまた日本に帰国した際に、静岡の菩提寺へと思っていましたが。。 確認のために、菩提寺に葬儀後にご連絡をしましたら、もう一度葬儀(戒名式)をしないと納骨はできないと言われてしまいました。ただ、もう一度お葬式をあげ、納骨をしても、父方ご先祖様のお墓をこれから引き継ぎお守りする人がいなく、どうしたらよいものか悩んでます。 しかも、菩提寺でもう一度葬儀(戒名式)をして、納骨するにしても100万、先祖代々を永代供養するとしたら、もう何百万とか言われてしまい、あまりの金額に途方にくれています。 ただ、葬儀に来ていただいた、名古屋の曹洞宗のお寺さんでは、合同墓地ですが、永代供養に10-15万と、こちらは私でも出費できる金額でした。 代々続くご先祖様のお墓に納骨するには莫大なお金がかかりますが、やはり菩提寺へ納骨してあげるべきでしょうか。お墓を引きつぎ見守りする人もいないので、それを放置するのも心配ですが、、先行くお金もなく、どうしたら父を供養できるのか、混乱してます。 よきアドバイスいただけたら幸いです。

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法事で親戚が一家離散になるかも

母方のいとこなのですが、法事で一家離散しそうなのです。 以後、わかりやすいためにA君と呼ばせてください。A君の母親と私の母親が姉妹です。A君の父親(私のおじさん)は、今では痴呆ですが、昔から問題のある人で、A君の母方の実家(私のおじいさん)に迷惑をかけてきました。さらにA君の父親の兄弟(私のおじさんではない)まで、母方の実家にたかりにきたそうです。 (痴呆になってもうちは迷惑かけられたんですけどね・・・) 今様の言葉でいうと「毒親」というのかもしれません。幸い、A君は、母方の実家がしっかりしておりましたので、飢えることなく、大学まで出ることができましたが、A君は父親の言動を信じたがため、人間関係がおかしくなったり、社会に出た後もいろいろトラブルを起こしてしまったようでした。 さらに幸いが重なったのか、A君には大学の先生と会社に入った後の上司がいろいろ教えてくれ、かばってくれたということなので(彼はよく感謝していると言っています)、社会人としてはうまくやっているらしく、今では私より稼いでいます。 さて、そのA君ですが、父方の祖父母の法事をするということで、「法事をするなら親子の縁を切る」と言い出したようです。なんか、A君の母親(私のおばさん)が強行しようとしているらしいですね。 彼の母親が、A君の祖父母の法事を強行したい理由はわかりません。 A君は、神仏を大切にしている方だと思うのですが、父実家の仏と宗派(浄土真宗らしい)だけは大っ嫌いらしいです。おそらく坊さん憎けりゃ・・・・のたぐいだとは思います。 また、A君が彼の祖父母を嫌うのは、父親やその兄弟にいやな目にあわされてきたからでしょう。 彼は、すでに荷造りを始めています。 A君はこんなにされても、親の面倒を見てきました。おそらく縁を切ったならば、A君の母親は、生活にも困るでしょう。A君とは付き合いが長いのでわかりますが、縁を切るとなると本当に出て行って、一生帰ってこないと思います。下手をすると会社なども辞めて、私とも会わなくなると思います。 ただ、昔、いつも泣いていた彼を思い出すと、彼の気持ちもよくわかります。 (当時は泣き虫とおもっていたのですが、大人になってからいろいろ知りました) どうしたもんでしょうかと言いたいのですが、人の家のことだし・・・・・。 すいません。誰かに聞いてもらいたくって。

有り難し有り難し 2
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白骨の御文章に思う

広島在住で、いわゆる安芸門徒と呼ばれている地域の者です。 葬儀と言えば導師による読経の後、定番となっている《白骨の御文章》の拝読があります。 拝聴している遺族、縁者にはこの御文章の言葉ひとつひとつが重く胸に突き刺さり 感極まって涙する姿は参列者の心をも締め付けるものがあります。 そこで以前から私には一つの疑問がありました。 法話を聴聞する為にお寺参りをした折、読経後に住職あるいは講師としてお招きした僧侶による御文章拝読がありますが  この御文章は数ある章の中から日替わりで読まれている様です。 しかし なぜか私の地域では《白骨の章》にだけは巡り合う事が殆どありません。 普段のお勤めの祭には意識的に避けて、葬式の時に用いる切り札として温存している様にさえ思えるのです。 (もし、他の地域あるいは他宗派では違うのであればごめんなさい) その理由として お寺参りと言えばどちらかと言えば余生短し老人が多いので 死を意識させる話題には触れないでおこう。 そして葬式に限り《白骨の章》で締めれば無難であろうといった僧侶の方々の思惑が働いているのでしょうか? “人の死 ” というものは日常においては誰だって考えたくはないし、忌み嫌われる事はわかりますが 死 という事ほど絶対的に決まっていることはありません。 なので 子供のうちから葬式以外の日常の中で《白骨の章》を耳にするチャンスをたくさん頂くとか 御文章に綴られた深い意味に気付かせて頂く機会が多い生活を送ることは決して悪いことではないと考えるのです。 いつか必ず自分の番が回ってくる死に対しては 若くて元気な時から真剣に考えておかなければならない大切な事だと思うのです。 そうすることが 今の人生を真面目に正しく生き抜く力になるのではないでしょうか。 とは申しましても 現実問題として 住職様の立場から言えば「お寺参りの度に《白骨の御文章》を聞かされたのではたまったものじゃない!」と門徒の方から批判を受け、お困りになるかも知れませんが 私の様な考を理解して頂ける方はおられないものでしょうか? また《白骨の章》を敬遠しないで日々の暮らしの中に活かせる良い工夫があれば お聞かせ頂きたいと思います。

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お坊さんとの結婚

初めて質問させて頂きます。 読みにくい点も多々あるかと思いますが、宜しくお願いいたします。 私は今お見合いで紹介された、曹洞宗のお坊さんとお付き合いを考えています。 何度が食事などをしましたが、彼の人柄や考え方にとても好感を持っています。 ただ、やはりお付き合いとなると年齢的にも結婚を意識したものになります。 私は典型的なサラリーマン核家族育ちで、正直お寺に嫁入りは全く想像がつきません。 お寺ごとに様々なようですので、簡単に彼のお寺のことを書きますと ・お墓が五十基程度の小さなお寺、仕事は充分一人で回せれる量 ・人口40万人程度、田舎とも都会とも言えない都市の中心部にある ・彼は一般家庭育ち、親戚のお寺を継ぐかたち ・現住職さんは独身、同居する予定は一切無し(現在も別居) ・彼は専業のお坊さんですが、同じ宗派の大きなお寺のお手伝いへ定期的に行っています、繁忙期(?)は遠方のお寺にもお手伝いへ行くようです 色々と不安はありますが、私が今一番不安なのは金銭面です。 勿論気持ちが一番大事ですが、やはり生活していく上である程度お金は必要なので…。 前記の通り私はサラリーマン家庭で、その中でも少し裕福な方の育ちです。 退職金や手厚い福利厚生、安定した収入やボーナスなどがない中どう家計をまわしていくのか、全く想像がつきません。 また私は体が丈夫ではないので、家庭のことをしながらフルタイムでバリバリと働く、ということが出来ません。パート程度が限界だと思います。 私は親が自分に当たり前にしてくれたように、子供がいて本人が望めば、奨学金など負担をさせずに大学まで出してあげたいと思っていますし、その他金銭面で苦労や負担をさせてたくはありません。 そういった私が思う「普通の生活」は可能なのでしょうか。 長く、まとまりのない文章で申し訳ありません。 どうかアドバイスを頂けたら幸いです。

有り難し有り難し 9
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母の供養について(浄土宗西山禅林寺派)

母が62歳で亡くなりました。 「通夜も告別式も不要」「自分と父(私の祖父)は永代供養にして、祖父のお墓も終わりにする」と今年に入ってから言っており、ご住職にも伝えていたそうです。 母の永代供養については淋しいからと保留にしていて、相談が進まないうちに亡くなってしまいました。 母は金額的な負担とお寺までの距離を気にしていたんだと思います。 ---- ---- 私の気持ちとしては ・母を亡くして淋しい ・お寺が遠いので、頻繁に通うことは出来ない ・永代供養にするとしても、母の遺骨の一部だけ小さな骨壺に入れて、位牌と一緒に家に置いておきたい ・孫の事が好きだったので、私が母としていたように、命日や誕生日、お盆、お彼岸の他、ふと思い立ったタイミングで好きだった物をお供えしたりして身近に感じたい ・母が祖父のお墓参りを小まめに行っているのを見ていたので少しは大好きな母に何かしてあげたい ---- と思っていて…四十九日に母と祖父を永代供養にする前に小さな今風の仏壇の購入を検討しているのですが、以下の質問にお答え頂けないでしょうか。 ※母は浄土宗西山禅林寺派で戒名も頂きました。おそらく数代前からずっと同じお寺にお世話になっています。(母方) 私は長女で兄弟は無く、母の兄はキリスト教になってしまいました。 私の主人は仏教ですが、別宗派だと思います。 (相談できる親戚がおりません) 無知過ぎて、菩提寺の住職に相談前に少しは知識を付けたく。 ---- ・永代供養をした後でも、お家に仏壇と母の位牌、ほんの少しの遺骨を置いておいて良いのでしょうか? ・小さい今風のお仏壇でも、仏壇とお位牌を置くならご本尊は必須ですか?(仏壇のお店で聞いたら無しでも良いのではと言われました。) ・仏壇を置いたらご本尊の有無に関わらず、定期的にご住職をお呼びする必要がありますか? ・ご本尊が無く、母の位牌だけの場合お呼びする必要はないのでしょうか? (むしろご本尊が無いのにお呼びするのは失礼にあたりますか?) ・ご住職をお呼びする場合、お彼岸に亡くなったので毎年の命日とお盆の年2回と思っているのですが、回数が少ないのでお仏壇を置かない方が良いですか? ---- ご住職は仮祭壇しかない状態でしたが、初七日の法要にも着て下さいました。 七日ごとの法要はやめたため、次は四十九日となっています。

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お地蔵様。

こんばんは。 プロフィールにも書かせて頂いたのですが、幼い頃より祖父の隣で読経したりお墓参りやお供えをしたりしていました。 結婚し子供にも恵まれ、祖父が亡くなってしまったこともあり、なんとなく仏教というものと疎遠になっていたのですが、最近になりまた仏教に関心が出てきて、子供の頃なんとなく諳じていたお経の意味やその他諸々を勉強するようになりました。 まだ子供が2人とも小さいこともあり、毎日のお勤めまではなかなか継続して出来そうもないのですが、いずれは祖父のように、ご先祖様や子や人の為を思いながらお経をあげられるようになりたいと思っています。 さてご相談なのですが、無知なのでこれが仏教となにか関わっているのかさえわからなかったのでこのカテゴリーにさせていただきました。 もういつ頃から始めたのかは覚えていないのですが、多分小さい頃から祖父と墓地に並ぶお地蔵様に手を合わせたりしていて、その癖?なのか道にいるいわゆる事故等で亡くなられた方のためにあるお地蔵様にも手を合わせています。 これは結婚してからも子供が産まれてからも、祖父が亡くなってからも続いています。 運転中にも目には入ると、片手ですが手を合わせる真似みたいにして軽くお辞儀をしていて、毎回通る道なんかは、もうすぐあのお地蔵さんのところだな、と覚えてしまいました。 自分的には、もうこんなに毎回手を合わせなくても…と思ったこともあるのですが、一度やりだすと途中で投げ出すみたいで結局続けています。 しかし人に聞いたのですが、事故で亡くなられた方のお地蔵様に手を合わせたりしていると悪い?霊が寄ってきたり、なにか障りが出るんじゃないかと言われてしまい、どうすればよいのだろうかと思案しています。 この一連のわたしの行動は、仏教的にはどうなのでしょうか。 あまりしないほうが良いのであればやめようと思いますし、大丈夫なのであれば続けていこうと思います。 それとも仏教には関係ないのでしょうか。 ちなみに祖父はお寺に建つ石の柱?みたいな所にも名前が載るほど熱心な真言宗の檀家さんで、亡くなった時はお坊さんが泣いてくださるほどでした。 なのでわたしも他の宗派に触れたことはないですが、偏見や拒絶等はございませんので、是非多角的に教えて頂きたいと思います。 稚拙な文章を長々と失礼いたしました。

有り難し有り難し 9
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2022/11/06

信者の質

 いつもお世話になっております。昨日、キリスト教の教えを騙る、 危険な宗教団体の構成員が近所をうろついて勧誘活動をしていた のを、追い払いました。近所には友人知人が住んでおり、友人に 関しては、最近になり、宗教に興味を持ち始めました。  私は、今回の安倍元首相射殺事件を受け、改めて、「宗教とは なんだろう」と思うようになり、また、昨日の一件(連中は 私の住んでいる地区を縄張りにして、昔から勧誘活動をやって いたので、今今始まったことではないのですが)を受け、恐ろしい まやかしを語って人々を貶める輩から、自分や身近な人を守り たい、そのためには、正しい教えを身に着ける必要があると 思い立ち、教会のお説教を聞きに行ってみました。  お忙しい中、お説教の後、牧師さんが時間を取ってくださり、 私の疑問に答えてくださいました。  そこで、キリスト教と、私の宗派、浄土宗の共通点を見つけ ました。  キリスト教では、 「私たちは、常に罪を作りながら生きている。本来なら処される べきは私たちなのだが、キリスト様が、私たちの罪を肩代わりして 磔になってくれ、神となって私たちを許し、救ってくれる。私たちは、 罪を重ねつつも、そのみ恵みに報い、許してくださるからこそ、 誠実に生きねばならない」  浄土宗でも、 「我々は、罪深き暗愚の凡夫である。戒律も守れない。しかし、 阿弥陀様が戒律や修行を代わりにこなしてくださっていて、 お念仏をすれば、許して救ってくれる。許してくれるからこそ、 誠実に生きねばならない」 と教わりました。  しかし、私は気になりました。 「似たようなありがたい教えを説いているのに、信者さんの 質が全然違う」  クリスチャンの皆様は、とても謙虚です。しかし、以前通って いた浄土宗の大寺の説教会に来ていた人たち(お坊さんまでも…) は、とても傲慢でした。 「念仏しない奴は、地獄に落ちる」 「念仏してても、他の仏や神を拝んだら、阿弥陀様に見放される」 と平然と抜かしました。  牧師さんや教会の皆様は、 「実は私は仏教徒なのですが…」 と言っても、嫌な顔をしませんでした。目指す所は違っても、 この世でするべき事は同じ、と言うと、喜んでくださいました。 「通じるところが、ありますものね」 と…  この差は、何だと思われますか?先生方のご高見、 拝聴したく存じます。

有り難し有り難し 11
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工学部に進んだことに対する後悔

こんにちは、閲覧していただきありがとうございます。 私は現在、大学生の女です。   私は現在工学部に通っています。しかし、去年の秋頃からカウンセラー等の心理系の職種興味を持ってしまいました。資格を取るとなると、認定の大学、大学院まで進まなければならないため、学部の転部なども考えたのですが、所属している大学では募集はしていず、他県にまで行く勇気はなかったので現在も工学部をしています。   工学部で学んでいることも嫌いではなく、そのまま就職してやっていくことも出来るとは思います。しかし、どうしても頭の中で心理が羨ましく、工学部を選んだ過去の自分を後悔してしまいます。工学部楽しそうと思うこともありますが、どうしても心理学が羨ましいと感じてしまいます。   これからも、工学系で職業を探すとは思うのです。しかし、心理に行きたかったという思いを上手く断ち切ることができません。行きたかったなと、これからずっと思い続けてしまうことを考えると、この先の人生が辛いです。 質問なのですが、どのように考えれば、気持ちが楽になるのでしょうか。   長くなってしまいましたが、よろしければご回答の程よろしくお願いします。

有り難し有り難し 14
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黒木奈々さんと変わってあげられたら良かったです

中傷なしでお願いいたします。先月 胃がんで亡くなった黒木奈々さんと 変わってあげられたら良かったな このニュースで黒木さんの事を知りましたが 黒木さんにインタビューした方の記事読んで 泣けましたし、 美人で性格も良かった 結婚もして 子供も欲しかったと書いてありました きっとやりたい事!沢山あっただろうな。。 病気を告知された時の辛さや悔しさ 治療の痛さや、苦しさ!私には計り知れません。 なんで 美人で優秀の彼女が亡くなって 何で私が【家族に嫌われて、疎外されて、何一つ良い所ない、ダメ人間】生きているんだろ? 昨日は帰宅したら冷凍食品が捨てられていてイライラしました 仕返しで冷蔵庫の物捨てました 親に散々言 あんたバカじゃない?頭おかしい 仕事出来ないよね?こんなんじゃ 職場では チャラチャラしてるとか言われムカつきました。 言い返せばバカじゃないとか言われる為 我慢しました 泣いてお酒飲んで ご飯も食べず B'z聴きながら寝てしまいました 親の元同僚 今現在保険会社やってる男性が 職場に電話かけてきて 噂にされ みんなから無視された事もあります 親が電話して良いよって言ったらしいです この事で彼に言いたいこと伝えたら メールおくんだって?と親に問い詰められた事があります 何もかも疲れました 私が死んでも誰も悲しまないし 家族は絶対に悲しまない 喜ぶと思います 本当に黒木さんと変わってあげらたら良かったですし残念に思います

有り難し有り難し 18
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頼りにしていた母を看取る事になりました

初めまして 90歳の母のことをご相談させていただきます。  これまで多くの困難があり支えあって励ましてくれた母が病気で治療が不可能になってしまいました。  精神的な問題を抱えた夫と息子(言葉の暴力で傷ついた息子は顔を合わせることも出来ていません)のことで悩んで来ました。母が心の支えだったのにもうすぐ、いなくなってしまうなんて信じられず、とても辛いです。最後は母の賃貸マンションに連れてきて精一杯お世話しようと思っています。  毎日、入院先まで面会に行っています。だんだん、力を失い、「苦しい、早く治って楽になりたい・・」とやっと話す母を見て泣きたいのを堪えて「もうすぐよくなるからね」と言う事しか出来ません。自分の無力さに心が潰れる毎日です。  父もなくし母までなくして夜になるともっとこうしておけばなど、後悔が止まりません。精神的に不安定な息子を心配させてはならないと配慮していますが辛いです。     母自身も「自分はもっと生きたい、今はまだ死んではいられない」と私たちの事を心配してくれているのです。私自身は両親のために一生懸命頑張ってきたつもりです。でも、不甲斐ない娘で申し訳ないと思ってしまいます。  来週には訪問診療が始まるので頑張りたいのですが、私自身(心)が耐えられるか不安です。これから、どう向き合っていけば良いでしょうか。   そして、その日が来た時に自分がどうなってしまうのかとても不安です。 この先、どう生きていけば良いのでしょうか どうぞよろしくお願い致します。

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