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hasunoha 問答検索結果 : 「私 生きる 」
検索結果: 29544件

消えない罪悪感

数年前大学を卒業し、現在OLをしております。実は私は卒業に必須である卒論を一部(といっても結構な量)コピーペーストして卒業しました。当時は本当に怠惰で考えが甘く、卒業論文にギリギリまで手をつけておらず、卒業することに必死でした。ばれないかという不安と戦いながらも、コピペ論文で卒業しほっとしました。しかし、それから現在まで、ふとしたきっかけでその事を思い出し、言いようのない罪悪感と後悔に苛まれます。 最近ひょんなことからこのサイトの存在を知り、その中で卒論に追われ悩む学生さんの相談を拝見しました。その日から毎日、夜寝る前に心臓がばくばくしだし、指導してくれた教授や卒業を喜んでくれた親への罪悪感と、なぜあんなことをしたのかという後悔が押し寄せ、眠れなくなります。情けない、愚かなことをしたと、悔やんでも悔やみきれません。自分が悪いから、このように苦しむのは仕方のないことだということは分かっています。しかし、過去は変えられず、この先ずっと苦しみ続けて生きていくのかと思うと、目の前が真っ暗になったように感じます。コピペは立派な不正で、不正を犯した自分が情けなく恥ずかしく、苦しんでいるのも自分が悪いため、誰にも言えませんでした。 甘い考えかもしれませんが、この罪悪感と後悔を少しでも軽くしたいと思ってしまいます。 こんなことを聞いて申し訳ありません。どうすれば、罪悪感と後悔を軽くすることが出来るでしょうか。不正という人間として最低なことをしてしまったにも関わらず、楽になりたいと思ってしまう私は、救いようの無い人間なのでしょうか。もう二度と不正などという愚かなことはしません。誠実に生きていきます。

有り難し有り難し 47
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虐待してきた親の看取り

私を虐待してきた父親がいよいよのようです。 父からは精神的、肉体的、性的虐待。 母からは精神的、肉体的虐待。 本人達には虐待の自覚は全くなく、しつけの一環と思っています。 私が良き伴侶と子どもに恵まれたのも、自分達のしつけの賜物と思っているようです。 衣食住に困ることはありませんでした。 私は半年くらい前から両親と関わることが辛くなり、耐える限界を迎え疎遠にしています。 そんな中、父親が末期癌でいよいよだそうです。 夫に母から連絡がありました。 私の個人的な思いとしては、見舞いも行きたくないし、亡くなっても連絡しないでほしい。葬式も行きたくないのです。 私は実家に関わると精神的肉体的に辛くなり寝込んでしまうからです。 夫からこの話を聞いた時も、実家と関わることが辛く立っていられなくなり、今も考えると心が落ち着かなく、何も手につきません。 私は見舞いと通夜、葬式に出るべきなのでしょうか。 私の本心はもう実家と関わらず、両親と過去を無かったことにして穏やかに生きていきたいと思っています。 しかし、今後私を苦しめた両親を供養しないことで私に不幸がやってくるのではと不安になります。

有り難し有り難し 39
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座間の事件、お坊さん何やってるんですか

タイトルの通りです。 お坊さん、あなた達の仕事は何ですか。 法事のお勉強は沢山して、沢山葬式では命について教える機会はあるかも知れませんね。 一部の方は自分の経験を元に説法するために全国を飛び回り、忙しくされているかもしれません。 その法話に集うのは若い子ですか? 見てください。今の若い子達の顔を。 幸せ、生きること、命について教えるのがお坊さんの仕事ではないのですか? 彼らは氷山の一角に過ぎませんが、もしあの9人がツイッターではなくここでのお坊さんに出会っていたら、教えを受けていたら。 危機感をもっともって欲しいです。 警察は法のもとに起きた事件に対してしか動けません。それが仕事。 学校の先生は命の授業はしません。みんな学業の点数をつけるのに忙しくされています。 お坊さん、お坊さん。何やってるんですか。 犯人は言っていました。 会ってみたら本当に死にたいと、殺して欲しいと言う人は1人もいませんでしたと。 やっぱりな。と思いました。 彼らは行動力のある若者です。その足で寺に向かっていれば。 こう思いました。 でも彼らは命の地図を誰が持っているのか知りません。自分の悩みが死でしか解決できないと、本当は生きていたいと思いながら、行動に出たんです。 お坊さん、立派な良い地図持ってるんでしょう? そこで迷ったのは被害者だけではなく、加害者もであると私は考えます。 私は今まで自分が幸せな立場にいると思うが故に、被害者の気持ちに寄り添って生きてきました。 それは今でも変わりません。この事件に家族も自分も絶対に巻き込まれたくはありませんし、加害者の気持ちに寄り添う事はまだ出来ません。 しかし、こういった事件の根本を解決、未然に防ぐ為には、加害者の気持ちにこそ寄り添うべきなのでは?とも思うのです。 気持ちが分からずに罪を憎んでも犯罪は無くなりません。 済んだ事件、亡くなった命は戻ってきません。 だから問います。 お坊さん、今の子達に、今後どうやって命について教えていかれるおつもりですか。 自殺を考えている子の話だけではありません。 加害者になり得る子に対しての話もお聞かせ下さい。

有り難し有り難し 133
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やる、とやらない、ということ。 個性と自我について

こんにちは。 いつもHasunoha問答を読ませていただき、勉強になります。 やる、とやらない ことと、個性は邪魔になるのか、の問題にはまっています...。上手く説明できないかもしれませんが、よろしくお願いいたします。 私は自我が強いです。 そして悟りの境地までは至れずとも、煩悩や自分の、物事を苦しくしてしまう思いを改善したいと切に願っています。 これまで、自分の性格特質や内的向上として、心理的アプローチからの療法を受けていますが、やはり前にはだかるのは“手放す”ことの難しさです。 これは、やらない ことなんだとわかります。何とかしようとしない。私にとっても、ここはとても肝心な部分だと思います。(この質問書いていること自体、もうおかしいでしょうか...。)でも、やらないと、前進もない気もします。 相手も自分もない、真ん中の部分。これは、瞑想などで一体感が得られるので、何となくわかるんです。ですが、ずっとこれでいるということは、自分を捨てて(なくして)生きるということでしょうか。 自分の個性や特徴を見出し、広げ、自己肯定できるようになり、自分の人生を生きていく、ということそのものは、むしろ真ん中でいようとすることには邪魔なものなのでしょうか。相反しますか? できれば私は、どちらでもありたいのですが、これでは欲が強すぎますか? よろしくお願いします。

有り難し有り難し 14
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記憶に問題があり、社会のお荷物です

お世話になります。 こちらで何度かご質問させていただいているうちに、今、少し何かを見つけかけている感じです。 ありがとうございます。 私には、病気の性質上、『記憶が残らない』という、生活における不便さがあります。 それは、『誰かと接したときの記憶は殆どない』というもので、家族も同様です。 今年に入って、主人との記憶が、少し残る様になりました。 メモを残せば良いのでは?と思われると思いますが、書いたメモを各人格で共有できないので、それもできません。 もう、社会に出て仕事をすることは諦めました。 人とお会いしたとき、再会してもお会いしたことを覚えていません。 名刺交換したのに、名刺を見ても???です。 このまま障害者として、社会のお世話になりつつ、死ぬのを待つのみです。 少し前、ある人が、『精神障害者は生きている意味がない』と事件を起こし、世間を騒がせました。 障害者の方が生きている意味がないとは思いまんが、私個人としては、その通りなのかも知れません。 社会に関われないし、社会へ恩返しも出来ない。 お金のないこの国の、貴重な財源を使って生きているだけ。 この先もずっとこうかと思うと、申し訳ない気持ちと、情けない気持ちと、本当にこのままで良いのか?という気持ちに悩まされます。 ここで何度かご相談させていただき、優しかったり厳しかったり、色々なお答えをいただき、今を前向きになれました。感謝しております。 しかしながら、こんな私が、国のお金を使って今を前向きに生きることが、はたして良いことなのだろうかと思い始めました。 健常者も障害者も平等という考え方をされている、というのはわかります。 ですが、社会へ貢献していない、国にお世話にならなければ生きていけない、という私は、心が納得出来ないでいます。 今この現状を、どのように考えれば良いのでしょうか? お知恵をお貸し下さい。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1