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hasunoha 問答検索結果 : 「 病気 不安」
検索結果: 2208件

母も父も私をいじめます。

昨日、風呂の入り方で、父に怒られました。 現在、家の外壁を塗っているので、風呂場が結露しないように、風呂場を汚したままで上がって来いと父が私に言いました。 私はいつも風呂場を汚してはいけないので、シャワーで浴槽を流してしまったんです。 そうすると、「お前はバカか!なんで言われたことをやらないんだ!どうしてなんだ!なんでだ!なんでだ!」と何度も怒られ続けました。 私は「わからなかったから」と答え、母に言われるままに謝りました。 しかし、浴槽に泡を残して来いとは母にも言われなかったのです。 母も「お前はバカだ!」とののしります。 母は私をかばってくれず、都合のいい時だけ私を利用します。 その日も、病院の消化器外科へ母の検診に行くのに、私が付き添いました。 母は医師に言われると怖くて、何も言えないそうです。 来月も婦人科の母の検診があります。 私が付き添わなければなりませんが、私は行きたくありません。 母の都合の良いように利用されるのがもう、嫌です。 母は私と弟を生んだ後、中絶しています。 そのことも今の病気と関係するかどうか、私から医師に話を させられました。 母は、「私はおばあさんだから、わからない…」と言うのです。 母は、医師の前では、自分の病名すら聞くことができません。 白衣を着た人は頭がいい、自分はバカだから聞けないと思って 何も聞かずに帰ってくるような人です。 娘が母の中絶を、医師に話すのは酷ではありませんか? 私も弟も殺されていたかもしれないのに…? 母の中絶は弟には言っていません。 知ったらショックを受け、メンタルをやられるでしょう。 「母の中絶を医師に告げることは、娘の仕事」だと母は言うのです。 私も弟に伝えたくはありませんが、私ばかりが辛いです。 父は「お前はスケベなことばかり、医師の前で言って!」と父は 逆に怒ります。 しかし、中絶が現在の母の病気(卵管の腫れ)に、関係するか どうかは、聞かないとわからないと私は思ったのです。 父は更にひどく、「お前は(俺たちのセックスを)見たことが ないだろう?」と言って笑います。 父のこういう態度は、更におかしいと私は思います。 両親の性の尻拭いは、娘の仕事でしょうか? 父の暴言から、母は私をかばってくれず、更に、「自分たちの 性の尻拭い」を娘である私にさせます。 どうしたら良いでしょうか?

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何をするのもこわい、しないとという焦り

就労移行支援で勉強していましたが、不調が増えPCを開くこともできなくなり、結局辞めました。 東京でのひとり暮らしから実家ぐらしになりました。しかし家族の理解があまりなく、コミュニケーションもうまくとれません。 何もせず休め、と言われますが何もしていないと生きていていいのか分からなくなります。アルバイトをしようともしましたが、書類がかけなかったり、仕事が始まったときADHD的な失敗をしてしまうのではないかと不安になったりとだめでした。 勉強ならできるかな、心理師を目指そうかな、自分みたいな子を助けてあげたいなと思ったりしました。でもお金がありませんでした。その状態でできるの?といろんな人に言われました。 これから先、真っ暗だ、何もできないという絶望感でいっぱいです。毎日家族とうまくいかなかったり、自分のこの先が不安だったり、友達とも離れてしまい孤独感を感じたりです。彼氏が相談に乗ってくれて一番安心するのですが、なかなか会える距離ではありません。結婚して一緒にくらせれば今よりはずっといい毎日が送れるんじゃないかと思っていますが、今の病気の状態では結婚できないみたいです。私が仕事していないのもあると思いますが……。いつか別れるのに一緒にいるのはとてもこわいです。 こんな感じで、しぬよりも明日が来るほうがこわいです。でもこわくてしねないです。起きている間ずっと苦しいです。

有り難し有り難し 24
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妊娠とお金のこと

不妊治療を経て初めての妊娠で夫婦でとても喜んでいます。今は妊娠5ヶ月で安定期に入りました。 私達は遅くに結婚をしたので、お互いに今までの独身生活は何も我慢する事なく好きな事をして生きてきました。 私は結婚をして、私は主人の住んでいる所に行く為、転職をしました。一年ほどで任期満了にて仕事が終わり、仕事探しと不妊治療をしている時に赤ちゃんを授かる事ができました。しかし、私の甲状腺の病気も発覚して、赤ちゃんにも影響があるので、治療もし始めました。 そこで私は主人の扶養に入りました。今までは二人の稼ぎだったのが、急に一人の収入のみになり、さらに主人の給料が減ってしまい、この4ヶ月位家計費がマイナスが続いています。今はこれまで貯めていた分を切り崩して生活しています。生活は特に無駄使いはせず、最低限の生活をしています。 私は里帰り出産をするのですが、それまでの間、安定期に入り少しでも稼ぎたいので、内職かアルバイトをしようと思っています。 情緒不安になり、突然泣いたり、主人に八つ当たりしたりして、どうしたらいいのかわからなくなってしまう時もあります。 今後どのように生活していったらいいのかわかりません。 そして、たまに情緒不安になる時はどのようにして乗り越えたらいいのか教えていただきたいです。 そして、主人に嫌な思いをさせてしまって、反省して後悔しています。

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持病と生き方

生きるのが辛いです。 僕は5年ほど前から強迫性障害という精神疾患を患っています。どういう病気かというと度が過ぎた潔癖症という感じで(厳密に言えば違うのかもしれませんが)汚いと思った物を除菌ティッシュで何回も拭いたりする事をやめられない状態にあります。 一回拭いてもやっぱり汚れているんじゃないか、という考え(強迫観念)が頭から離れずまた拭く事を繰り返してしてしまいやめられないんです。 さらには巻き込みといって母親や父親にも 拭いたり洗ったりさせて最終的に「いい加減にしろ!!」と怒られてしまいます。 こういう事がほぼ毎日起こります。 通っている病院の先生や相談できる人からは「強迫観念を我慢してください。そうすれば徐々に慣れてきますから。」と言われますが我慢しても我慢しても強迫観念が消えず結局拭いてしまいます。 いつも襲ってくる強迫観念や不安で胃も小さくなってしまい1日一食程しか食べれず体重もどんどん減っていきました。 「死にたい…」「もう嫌だ…消えてしまいたい」と数えきれないほど考えてきました。でも自害する勇気なんて持ち合わせていません。 病気のせいで就職も出来ない、親には迷惑ばかりかける。僕って何で生きているんだろう?というネガティブな思考がいつも頭をよぎります。 僕はこれからどうしていけばいいのでしょうか?

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2025/05/11

主人を支えるには

今年の3月に主人が『浸潤性粘膜性肺腺癌』と診断されました。合う薬が見つからず、唯一の抗がん剤での治療がはじめられました。 はじめは元気にしていた主人も、回数を重ねてきて、とうとう脱毛がはじまり、胸焼けや食欲不振など、今までより強い副作用に悩まされはじめました。体のだるさもひどいようでずっと横になっています。先ほど寝ている主人の様子を見にいったら、涙を流しながら、「やっぱりそんなに簡単な病気ではなかった。せめて5年は生きたいと思ってるけど、、、」「家のローンのことや保険のこと、頼んだよ」などと言うのです。思わず私も泣いてしまいました。そして、「辛いね、、、一緒にいるから一緒に生きていこう」というしかありませんでした。 明日から職場復帰の予定でしたが、その前日に体調が悪くなったことも、本人のなかでとても悲しい気持ちになったのではないかと思います。 いつもはつらつとしている主人が、こんなに弱気になってしまうとは、、、ガンという病気のおそろしさを目の当たりにして、私も戸惑い、そして、この人と一緒にいられなくなるのでは、という恐怖も感じています。 とても辛い悲しい思いをしている主人をどう支えてあげればいいのだろうか、そして私自身もどう心持ちをしていけばいいのだろうかと悩んでいます。

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父は今、笑顔でいますか?

はじめまして。いつも拝見させていただいております。乱雑な文章ですが、どうかよろしくお願いします。 今年の4月に父を亡くしました。人の住まいを作る、立派な父でした。 2ヶ月経った今も、ふと涙が止まらなくなります。 約1年前に病気がわかったときから、父はなにを考え、一日一日を過ごしたのでしょうか。 闘病中は家族みんな希望を捨てず、可能性を信じて父を励まし続けました。父はそれに応えるように、弱音を一切吐かず治療を頑張り、体が以前のように動かなくなっても“生きる”という意思を貫きました。私たち家族の為だったと思います。 亡くなる1週間ほど前に、私が「父さんは絶対大丈夫。絶対治る。」と言ったとき、父は「嬉しい。」と言って泣きました。父がこんなにも泣く姿を初めて見ました。 でももしかしたら、父は、“自分はこの先どうなるんだろう“という不安に寄り添ってほしかったかもしれないと、今更答えの出ないようなことばかり考えてしまいます。私がポジティブな言葉ばかりかけ続けていたのは、ただただ自分自身の為で、私が父の病気を受け入れられず、現実から目を背けていたのではないかと思います。 ときには不安を共有し、泣きたいときには一緒に泣いてほしかったのではないでしょうか。 自宅で明け方に亡くなった父は、家族に「おやすみ。」を言って、みんなが寝静まってから、眠ったまま逝ってしまいました。苦しんだ形跡もなく、寝入るときのままの表情だったので、本当に穏やかに眠ったのだと思います。父の最後が安らかで良かった、生前積んできた徳がこうして人生を締めくくったのだと思いました。 しかし私たち家族は旅立つ間際に手を握ることも、今まで大切に育ててくれた感謝を伝えることもできませんでした。 お医者さんや看護師さんは、“人は死に方を選ぶ”とか、“お父さんは自分で決めて、この時間に逝ったのだ”と言ってくれました。確かにこの言葉にどれだけ救われたかわかりません。 でも、私が眠らずに手を握っていれば…逐一様子を見ていれば…とどうしても後悔が消えません。 まだまだこの世でやりたいことが沢山あったと思います。でも強い人でしたので、自分の生きる世界が変わったことなど早々に受け入れて、新しい毎日を過ごしているのではないかとも思います。 父は今、笑顔で私たちを見守ってくれていますか?

有り難し有り難し 44
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