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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 人間関係 」
検索結果: 8265件

結婚を両親が反対してます

こんにちは。 わたしは35歳で結婚を考えていますが、家族に反対されています。 理由は彼が離婚歴があり中学の男の子を引き取っているからです。 また、彼が自営業であることも反対されています。 親としては、条件の悪い結婚と感じているようですが、わたしとしては、彼がわたしをとても大切にしてくれるのでありがとうの気持ちでいっぱいです。子持ち相手との結婚は大変なこともあると思います。わたしにはまだ、わかっていないこともたくさんあると思うのですが、子供も含めて幸せに生活できるようにがんばりたいです。 親は相手がいい人かどうかは二の次で普通の結婚じゃないとだめとの一点ばりです。彼に会う気はなく、結婚するなら一切この家とは関わりを持たずに生きてほしいとのことです。 わたしは普通で生きることが正解なのかはよくわかりませんが、誰と結婚しても大変なことは結婚生活にあると思います。その中で一緒にがんばって生きていくことができる相手がどうかが大切でそう思える相手に出会えたことをわたしはとてもよかったと思っています。 今は家族から縁を切られることを覚悟で彼と結婚するつもりですが、 家族みんなを不幸にしてまで一緒にいたいのかといわれることもありました。 わたしが初婚なので彼は結婚式を挙げるつもりでしたがわたしの家族が反対なので式はあげません。私の家族はそんな誰からも祝福されない結婚で式をあげるなんてみたいな考えです。 子持ちの方と結婚するのはそんなにもだめなことでしょうか。 父に関しては、挨拶してもわたしとは口をきいてくれません。 もう仕方がないと思っているのですが、両親も年で体調も心配ではあります。 年老いてきている両親を喜ばせてあげれない結婚をすることはだめなことでしょうか。

有り難し有り難し 15
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この苦しみは前世の罰?

愛する人を喪いました。 私は今年で30歳、相手は29歳でした。 その方と今後の人生を歩んでいくことがまさに私の生きる目標であり、糧でした。 いまは生きる意味を見いだせず、目標も何もありません。 愛する人を喪った方は私だけではないことはわかっています。人が生きていく以上、死別に必ず直面することも理解しています。 しかし、順当に寿命で大往生した方と死別する場合と、急に大切な方を喪ってしまうことでは、やはり苦しみの大きさは違うと思っています。 なぜ、私はこの経験をしなければならなかったのでしょうか。前世でよほど悪いことをしでかしたからですか? 私の人生がこのような波瀾を含んだ人生となっていた為に、私の大切な方は亡くなってしまったのでしょうか。 周りにはまだ若いからと、他の人を探すよう勧められますが、愛する人というのは探して見つかるものなのでしょうか。 仮に別の愛する人を見つけることができたら、この苦しみは減るのでしょうか。それは故人への裏切りにあたるのではないでしょうか。 文章がまとまらず申し訳ありません。 これから先を生きていく意味、目標、何もわからなくなってしまいました。

有り難し有り難し 34
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何度もすみません

昨日も相談したのですが、本当に何度もすみません。 新しい職場が、不安で仕方なくて、全然眠れません。 まだ、働いてもいないのに、悪いイメージばかりです。 過去のアカウントをみてもらえれば分かると思うのですが、私って本当に最低です。 話は少し変わるのですが、私には、小6の息子がいるのですが、子供が可愛すぎて、子離れできません。子離れするためにも、働いた方が良いのではないかと思うのですが、子離れするために仕事をするっていうのは、有効なのでしょうか?子供に留守番させて働くのは、放任育児になりますか?私は、出来る事なら、24時間子供と一緒にいたいです。異常ですよね。働くのが嫌なのではなく、子供と離れるのが辛いのです。やっぱり変ですよね。子供の方は、ちょっと私をうっとおしがっています。が、それもまたかわいい!ずっと一緒に居たいです。息子が小2のころから、仕事で留守番させる事があり、子供には寂しい思いをさせていると思うので、多分、罪滅ぼしの意味もあると思います。留守番もさせるけど、ママはあなたが大好き!って伝えるために、ベタベタしてしまいます。仕事してなかったら、逆にこんなにベタベタしていないかもしれません。 もっと仕事した方がいいですか?誰か、大丈夫、子育ても仕事も上手く行くよっていってください!自信がないんです。だったら、やっぱり、仕事減らした方がいいのかな。もう、分かりません。

有り難し有り難し 11
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主人の死と向き合えていなかったこと

こんばんは。 歩き出しては立ち止まり、迷ってはお坊様方にいただいた回答をもう一度読み返し、気持ちを切り替えてきました。そして、ようやくひとつ先へ進めたかのように思えていた矢先に、ある音楽を耳にしました。それは、2人で良く聴いていた曲でした。 私はとても嫌でした。聴いていられませんでした。なぜだかそのときはわからなかったのですが、あとからじわじわと気づきました。 私は主人の死に全く向き合えていませんでした。 亡くなったらどうなるのか、それがわかれば生きていける、そればかり気にしていて、根本的なことを受け入れていなかったのです。 主人の為にお葬式や新盆はしっかりやってあげたかったし、会社の方が来られてもしっかりした様子を見せたくて気を張っていたし、子供たちにはあまり悲しい顔を見せないように、もちろん子供たちが辛いときは一緒に悲しみに寄り添い、いままでと変わらない元気で明るい家族でいたくて頑張ってきました。主人の為、子供たちの為に進んでいくしか、生き方がわかりませんでした。 周りの人に「ちゃんと前に進めてるよ」って言ってもらいたかったのかもしれません。 そのために死を受け入れる時間は後回しに、どう向き合っていくことが幸せなのかを優先に考えてしまったのだと思います。 主人の死を受け入れるためには、どうすべきなのでしょうか。向き合う必要性があるのかすら私にはわからないのです。

有り難し有り難し 30
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2024/05/05

さすがにもう幸せになりたい

不幸自慢のように思われてしまうかもしれません。けれど、どれだけ不幸であったか、不幸であるかということを書かせていただきます。 小学生のときに転校してから、今までずっとずっと、死にたい死にたいと思いながら生きてきました。 いいかげんに幸せになりたいです。 転校した初日に母に言った言葉は死にたいだったそうです。私は覚えていないのですが…… その日から学校にいても家にいてもしんどくて、生きていることが辛い、消えたいと思う毎日でした。 実際はしんどくないのに死にたいと言っているかというとそういうわけでもありません。 小学生の頃は人の目が怖かったです。場面かんもく症といって、学校関係の場面では声が出ずに話すことができませんでした。前を向くこともできず、首が痛くなるほど下を向いていました。 小学生の頃には父からの性的な暴力が何度かありました。今はもう一緒に暮らしてはいませんが、親子関係は続いています。ですが父親として認めることはないです。 中学生は不登校で、少しだけ通いましたが、授業をまともに受けられないし、下ネタが飛び交う荒れた環境でした。1人の子からブサイクだ、存在が気持ち悪いといじめられたこともあります。机をぶつけられたりもしました。 高校生の間は、転校してからの人生で一番穏やかなときでしたが、やはりブサイクだ気持ち悪いと言ってくる人はいました。辛いことが重なった結果うつ病になりました。 こうやって書いていると、あまりしんどくなさそうだなぁと思われるかもしれません。 ですが本当に心がしんどくて、生きることが苦しいんです。 最近は支えてくれていた母もしんどくなってきてしまって、ケンカが増えました。私が責任を押し付けて、母のことを尊重できていません。 私の命はなぜあるのだろう、苦しむためにあるのかなと感じます。 変な話、嫌に思われるかもしれないのですが、小さい頃に悪いものに取り憑かれたことがあるみたいなんです。有名な厄除けのお寺でよくしてもらいました。 その悪いもののせいで辛い人生なのかなって、悪いものに責任を押し付けたくなります。 生きることは苦しみであると仏教は説いていますよね。 幸せになれるって言って欲しい気持ちもあります。 長年苦しんだから、幸せになれますか? 人生に希望が見えなくて、希望を見せて欲しいって思ってしまいます。

有り難し有り難し 36
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日本の宗教に対する意識と新興宗教について

日本には、なんとなく政治と宗教な話は、親しい間でも話しにくいような風潮があると思います。例えば私自身家族の中でも応援している政党が違ったりするとなんとなく気詰まりな感じがします。そういう宗教や政治の話がなかなか気軽にしにくい日本の風潮にお坊さんはどう思いますか? 話は違いますが、うちは曹洞宗ですが、遠くに住んでいる親戚の叔父が韓国の方が教祖のキリスト系の新興宗教を信仰しています。叔父さんはとても元気でタフで明るくて面白くて好きですが、宗教の話をしている時に進化論を否定していることに驚きました。たしかに進化論が正しいかは、私自身教科書でしか教えられておらず、自分で確かめたことはないので、確証や証拠で反駁することはできないのですが。 あと人間だけ霊界があるというその宗教の教えに対しては、全ての生き物が限られた生を命の限り全うするということは同じな世界で、人間にしか霊界が用意されていないという考えがしっくりきませんでした。当然信仰の自由があるので何を信じるかの選択の余地は一人一人あり、全く否定する気はありませんが。その対話をしている時の母がもううんざりといった言動でもう終わりにしてほしいというオーラが全身から漂っていて、とりあえず途中で私が引き下がりました。(こういうところでも宗教の違いを対話するのを嫌がる日本の風潮を感じました。) 比較的歴史の洗礼に耐えて伝統を長く受け継ぐ仏教の宗派のお坊さんは、新興宗教と呼ばれている宗教の特徴や教えについてどういうお考えをお持ちなのか、気になりまります。 お手すきの時にお返事頂けたら嬉しいです。

有り難し有り難し 75
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