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hasunoha 問答検索結果 : 「 癌 」
検索結果: 846件

本当は生きたい

毎日、あまり食べられない日が続いています。 胃がやられているんだそうです。 全身のしびれとかあるときがあるときは吐き気がするときがあり、毎日が辛いです。 食事も食べたら食べたで吐き気がしたりしてとても辛いです。 病院から処方された薬を飲んでいるのですが、効いているんだか効いてないんだかわかりません。 病院へ行ってもストレスがある限りは治らないと言われました。 事の発端は逆流性食道炎からでした。最初に行った病院は、夏バテだと言われ、次の病院も夏バテだと言われ入院しました。入院している間はパニック障害が毎日のように起こりとても辛かったです。 最終的には違う病院で胃カメラをし、逆流性食道炎ということがわかりました。 毎日、薬を飲んでいたおかげで逆流性食道炎は治ったのですが、パニック障害と胃炎?みたいなものが治っていません。 きっと治ると信じることしかできません。 早く楽になりたいです。 正直いうと死にたいです。 当たり前のことができなくなってしまいました。 もう病気以外のことなら何でも乗り越えられる勢いです。 私は毎日、短いながらも仏様に拝んでいます。 少しでも良くなるように 寝ているときが一番幸せです。 どうか私に言葉という救いの言葉をお願いします。

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一生彼と添い遂げる為の心得をください

4年前に離婚をし、その後は男性とのお付き合いもなかったのですが、昨年の秋に知人の紹介で3歳年下の彼と出会い、出会って一週間後に「結婚を前提として付き合ってください」と彼から言われました。 私としては、彼に魅力を感じていなかったので、すぐに結婚を想定してはいませんでしたが、いい年だし、せっかく頂いたご縁だしと思って、交際を始めることにしました。 付き合ううちに、トキメキはないけど、彼といると穏やかな気持ちでいられる、そういうのが上手くいく結婚なのかもしれないと思い始めていました。また、離婚を経験し色々学んだことから、思いやりと適度な距離感を持って付き合っていく為には、こういう少し冷静な気持ちがあった方がいいのだという思いもありました。 トントン拍子に話は進み、先月からは同棲を始めました。彼は、家事などにも積極的で、私と過ごす時間を大事にしてくれていますし、今後の家庭を作っていくことについても積極的であるように見えます。 しかし、決定的な欠点がない彼との結婚、幸せいっぱいなはずなのに、なぜか手放しで喜べない自分がいます。 彼は「結婚がしたい」だけで、「私と結婚したい」わけではないような気がするのです。 もちろん、私が彼の中のある一定条件をクリアしたからという理由はあると思うのですが、憧れの車を買うのと同じような感覚で、彼の理想の人生の中に「結婚」があって、それを手に入れたいだけなのではないかと思う節があるのです。 飽き性である彼が「結婚」にいつか飽きた時、今してくれている事をしてくれなくなった時、それでも私は彼を愛せるか?自分自身が不安です。それは、私が未だに彼に魅力を感じていないからです。どこか冷酷なところがあり、純粋な部分がない通俗的な人だと思います。でも相手は自分の鏡。私もそういう人間なのだろうと思う気持ちもあります。 先日妊娠していることが分かりました。 39歳ですので、もうそれほど妊娠可能な時間もない中、授かることができて本当にうれしく思っています。これで良かったんだ、運命なんだと言い聞かせています。努力して彼と、生まれてくる赤ちゃんを幸せにしたいと思っています。 私はどんな気持ちで、これから彼との生活に向き合い、家庭を作っていけばいいか、この頭の片隅にある不安をどうやって拭えばいいのか、一生彼と添い遂げるための心得とアドバイスをお願いします。

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考えない事は先送り? 受容するには?

以前よりお世話になっております。 私は死の恐怖と、それに伴う宇宙や自分の存在などといった説明のつかないものに対しての恐怖が異常に強く、困っています。 「今生きている幸せな世界(自分)はいつか終わる」「そして二度と戻らない」と思うことが頻繁にあり、その度に発狂したり、自分を殴ったりしてしまいます。 そのため、この強すぎる恐怖への対応策を探しており、hasunohaを利用させて頂きながら様々な角度から死について考えています。 しかし、死について考えるだけでも恐怖に襲われ、精神状態が極めて悪化してしまうのです。上記のような状態になってしまいます。 死について考えるのをやめると、日常の快適さは保たれます。ただ幸せで、よく食べてよく眠れます。 でも、それは問題を先送りにしているだけではないかとも思います。死ぬ間際になって、恐怖に溺れて発狂している自分を思うと、今のうちから解決へ努力すべきなのではないか、と思います。 これについて、どうやってバランスを取っていけば良いのでしょうか?お坊さん方のお考えをお聞かせ頂きたいです。 また、以前の質問で、仏教の教義を理解しても「受け入れる」事ができていないと教えて頂き、まさにその通りだと思いました。 死に限らず、「強い恐怖を伴う現実を、受け入れる」のは、どうしたらできるのでしょうか? 漠然とした質問で申し訳ございません。ご教示頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

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大切な存在を失い、生きる糧をなくした

大切な存在とは、約13年間ともに生きてきた猫です。 たくさんペット関連の相談がありますが、愛猫が亡くなってから約一週間かけほぼ全ての投稿を読み、お坊さん方のご回答も閲覧した上で、意を決し投稿させていただきます。 愛猫が亡くなってからと書きましたが、未だに受け入れられず、そばにいてくれていた頃と同じように一緒に寝、遺骨を片時も離せず、一日なにもできないで空虚な時間を過ごし、主人に全てを任せ、ろくに食事も摂らず、心が堕ちていく日々です。 約13年前、保護された姉妹猫の片ほうだった愛猫を里親さんから譲り受け、それ以後、度重なる転居やモラハラだった元夫との荒んだ生活、離婚前後の不安定な私をずっとずっと支えてくれました。 猫は環境に住まうというのに、何度お部屋が変わっても同居する人間が変わっても、私を信用し、頼り、すぐに新しい環境に適応してくれる、本当に賢く優しい猫でした。 今年の二月に悪性腫瘍がみつかり、手術をしました。 もう遅いのに、亡くなってからも毎日病気や治療のことを調べ、手術が実はよくなかったこと、別な治療法を選択すべきだったこと、セカンドオピニオンや転院も考えるべきだったことがみえてきました。 先月再発が発覚し、今月3日に二回目の手術をしましたが、この手術後の麻酔から覚めず、亡くなりました。 病院から連絡を受けた時は頭が真っ白で、急いで駆けつけ手術台に目を見開いて横たわっている姿をみても、その現実が信じられませんでした。先生は心臓マッサージを、私は手を握り泣きながら名前をよび続け戻ってきてと懇願しましたが、だめでした。 あの時の光景、術中もそばにいてやれなかったこと、これまでの治療や病院へ連れて行くタイミング、病院の選択、若い頃与えていた安価なご飯…これまでの猫との人生で考えうる私の失態、誤った判断が次々と思い浮かび、後悔といった簡単な二文字では処理しきれない大きな喪失感と、謝っても謝りきれない謝罪の念に襲われています。 夫には「◯(猫)が私の一番大切なもので、◯(夫)は永遠に二位だからね」と冗談混りに伝えていましたが、それが冗談ではなかったことを夫は知っていて、それでも俺は永遠に二位でいいと言ってくれるほど、私と猫の関係は唯一無二で、誰も割って入ることのできないものでした。 そんな存在を失い、この先どう生きていけばいいかわかりません。

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浮気相手の子を妊娠、中絶。憎しみ

四月から新社会人になります。彼女持ちの年下の浮気相手との間に子どもを授かりましたが、つい先日お空へとかえしてしまいました。 今回は浮気相手に対する憎しみをどう処理したらいいのでしょうか。 彼はまだ学生で、自分の夢やこれからの生活のためにおろしてほしいと言われ、子どもを1人で育てる自信もお金もなかったため苦渋の決断で子どもを産まない選択をしました。わたしは大切な赤ちゃんを失ったのに、彼は今回の件を彼女に話すつもりも、別れるつもりもないと言っています。むしろ、今の彼女と結婚するつもりだと言われました。 彼も責任は感じているようで、わたしの精神が落ち着くまで一緒にいると言ってくれました。 でも。それでいいのでしょうか。わたしは彼が好きです。だから一緒にいてほしい。側で支えてほしい。でも彼の中での1番は彼女です。それが苦しくてもう会わないと伝えました。 わたしは大切な大切なお腹の子どもを失ったのに、彼は今までと変わらない生活を続けています。幸せそうに彼女と誕生日をお祝いし、同棲の夢に胸を膨らませ未来を描いています。 子どもを思って涙を流せる優しい人ですが、やっぱり責任を取る覚悟もない、考え方の甘い人だと思います。 わたしは失ったものの大きさに苦しくて、悲しくて、切なくて、この世に生きていたくないとまで思います。頭がおかしくなりそうです。それなのはどうしてあの人は今まで通り幸せでいられるのでしょうか。 憎しみで胸がいっぱいで、つらいです。好きな人にこんなこと思いたくない。でも全てを彼女にバラしてしまいたい。でもそんなことをしても私と彼の関係は最悪なものになります。 今回の妊娠は私にとって、確かに幸せな出来事でした。私が弱いために親にも相談できず、勝手におろしてしまった。相手に彼女がいることを知っていて関係を持ってしまった。全て私の罪です。心から反省しています。 私はこれからどうやってこの気持ちを整理していけばいいのでしょうか。もう社会人になるのに、辛くて苦しくて、悲しくて涙が止まりません。彼に一緒にいてほしい、でも彼女がいるから甘えられない。 彼のことは忘れることが正しい選択です。でもやっぱり彼女と別れてほしいです。そうしないと憎しみが止まらない。 私の気持ちはどう処理したらいいのでしょうか。苦しくて辛くて、生きていたくありません。彼に会いたいです。

有り難し有り難し 8
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祖父が自死しました。

祖父は93歳でした。 2ヶ月前に一人暮らしから近くに住む叔父の家へ引越しをして、夕方は母がご飯を作りに毎日行ってました。 93歳でもお箸は使えるし、ボケてもないし、おむつもしてない、目や耳が遠かったですが、杖をついて一人で歩ける状態でした。 自分の兄弟や甥、親戚などが次々と亡くなっていくなか、一人だけ残っていると孤独を感じていたのは分かっていました。 自死する前日も夕方から一人で出ていき、どこにいるかわからなくなり、自分から母へ電話をかけて通行人が代わってくれて、警察に保護されました。 母が迎えにいくと不貞腐れたような態度で、家に着いてからも床に寝転び嘆くような、駄々をこねるような態度だったそうです。 そして22時過ぎ頃、不貞腐れて眠りにつき、その後叔父も眠り、母も家に帰りました。 そして3時頃叔父が目覚めた際に居なくなっていることに気づき、二人で探したが見つからず、警察にも連絡をし、その後家から1キロほど離れたところで、紐で自死していたところを発見されました。 叔父が探した方面の奥に入った人気のないところだったそうです。叔父も自分が起きてれば、自分がしっかり探していればということを考えているようです。 私自身は、こんなに尽くしていた母を裏切るようなことをした祖父を許せない気持ちもあり、葬儀でも涙も出ませんでした。 母は、様子がおかしいと思ったのに、何故一緒に居なかったんだろう…まさかそんなことするなんて…孤独を感じさせてしまった…前日に保護されたときに一度抱きしめてあげていれば… など自分自身をとにかく責めていて、凄く心配です。 母には色んな話をしました。国のために戦争へ志願するような祖父だったので、武士のように未練なく自害したんだよ、好きなように生きた人生だったんだよ、などと話していても、そうだね、と言ってはくれるものの、母の心が壊れてしまわないかと心配です。 すぐには立ち直れないのは仕方ないと思いますが、この呪縛から解き放してあげたいです。 お言葉を頂きたいです。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 11
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病気の彼とどう向き合えばよいでしょうか。

随分年が離れた彼が、末期がんでかなり弱ってきています。 彼との関係は六年ほどになります。 もともと私が居ることで彼の日々が少し楽しくなったり、 華やいだりしたらいいな、と思っていました。 すごく尊敬していた別次元の人だったので、 相手にしてもらえるとも思っていませんでした。 ですが彼も私を大切に想ってくれるようになり、 お付き合いが始まりました。 三年くらい前にガンが見つかり、 それから三回手術を行い、その度に彼はカムバックしてきました。 本当に強い人で、私は傍にいるだけで、自分も強くなれる気がして、 彼を支えたいと思ってきました。 ただそんな彼の体ももう限界が来ているようで、 ほとんど歩けない状態になってきました。 彼の口からも今回ばかりはもう難しいかもと 弱音がおおくなってきました。 できる限りのことをしてあげたい、と思いますが、 彼にはお子さんがいて、私のことを隠していることもあり、 ほとんど会うことができず、 無力さと空しさとそんな想いが募って、 仕事のない週末は一人泣き崩れてしまいます。 楽になる考え方は何かありませんか。 私は何に苦しんでいるのかすらわからなくなっています。

有り難し有り難し 3
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2022/11/03

死を前にして

当然ですが、死は誰の目の前にもあって、それを余命という形で知らされた時は感謝すら覚えました。言葉どおり、死ぬ気で生きて来ました。 宣告された期間を超えた今、すでに余生な生活の感覚で、 すでに亡くなっている数人の友達を思うと、自分の死んだ後の周囲の人間は、こんな感覚なんだな、という経験もさせて貰い、恐怖より安堵でした。 ところが最近、夫に、ここ10年の間、(私から)愛されていると思えない、と言われました。 がっかりして、身体中の力が抜けました。 私なりに愛してきたつもりでしたが、彼の求める形では無かった事、ずっと彼はその想いを持っていること。私には同じ10年という時間は残されてない。その上、体力が明らかに落ちてきて出来ないことが増えてきているのが分かります。彼は、病気の事は知っていますが病状は知りません。 でも、そんな言い訳よりも私の気持ちが落ち込み過ぎて、家にいるのが辛いです。 何をする気も起きず、生きる素晴らしさを毎日見せてくれていた植物たちの世話すら出来ないのです。 ましてや生きている大切な娘の前で元気に振る舞えず、『大丈夫?』と言わせてしまっています。 娘が情緒不安定になるかもしれない、と心配です。  私が元気に明るく居ることが1番良いとは思うのですが、どうしてもできず、かと言って家を出ることもできません。 心を落ち着けて暮らす(少なくとも娘の前で)には、なにか試す方法はありますか? 教えて頂きたいです。  いつ死んでもおかしくない状態で生きる気がなくなった今、早く死んだほうが周りの人にも良いのだろう。 彼は私が居なくなった後の事を思い、今は耐えているのなら、早く死んであげたい。 いつ死ねるかな。 と、だいぶネガティブです。

有り難し有り難し 9
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2024/05/13

二世帯完全同居中の実母と別居するか

42歳妊娠3ヶ月(初妊婦)、在宅勤務で仕事をしています。私の実母と夫と私の三人で、私の実家に完全同居中です。 夫は毎日出勤する40歳、母は75歳主婦です。 夫と母は特に大きな行き違いも無く、仲良くやってくれています。 一方母と私は、独身時代は問題無かったものの結婚後は喧嘩が絶えません。母としては、私の結婚後自分が最優先で無くなったのを不満に思っている様で、ことあるごとに私に怒りをぶつけてきます。大人の対応をすれば良いのですが、昔の母には無かった暴言の数々(流産しろ、テメー、クソが、出ていけ、等)や、ヒステリックな態度(物を投げる、皿を割る、等)に我慢ならずつい言い返してしまいます。こういった言い争いが週に1〜3回は発生し辟易しています。 また、年老いて気遣えなくなったのか、食べ散らかす、片付けない、ゴミを落としてそのままにする、食事のとき左手をテーブルの上に出さない、ご飯粒を残す等々マナーも疎かになり、注意すると怒る…という悪循環です。産まれてくる我が子の躾に影響があるのではないか、と危惧しています。 同居のメリットとして家事や金銭面が楽、等と言われています。平日夜のご飯は母が作ってくれますが、母の料理後のキッチンは壮絶に散らかっており、片付けるのは私たち夫婦であるため、料理を作ってくれるのはありがたいと思う反面、私たち夫婦が料理を作っても大して労力は変わらないという気持ちです。その他の家事は殆ど私たち夫婦が行っています。金銭的にも、ほぼ私たちが出しており、一般的に言う二世帯のメリットはありません。 老いていく母が心配ですし、穏やかに生活することを期待して始めた同居でした。 しかし蓋を開けてみれば、母はどんどんだらしなくなる、ほぼ家事もしない、極めつけにすぐ喧嘩。 このままでは本当に母を嫌いになってしまいそうです。ストレス軽減や、産まれてくる子どものためにも、別居を検討し始めました。 しかし、別居を切り出せば母はどれだけ傷付くだろうか、良好な親子関係ではなくなるかもしれない、母が独りぼっちになってしまう、何かあってもすぐ助けることはできなくなる…等と、私自身なかなか踏み切れずにいます。 夫は焦らずよく考えて、と言ってくれます。しかし、出産までに決めなくては、と思います。 私は同居継続すべきでしょうか、別居すべきでしょうか。 なお、母はまだ痴呆では無いようです。

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皆さんの考える最期の迎え方とは

昨年の秋頃に、NHKのドキュメンタリー『ありのままの最期 末期がんの“看取り医師”死までの450日』が放送されました。医師で僧侶の田中雅博さんが、末期がんとなり亡くなるまでを記録した番組です。 田中さんは「死ぬのは怖くない。看取った患者から死に方を学んだ。」と語っておられました。 とはいえ、現実には思い通りにはいかないこともあり、言葉を失うくらい壮絶な内容でした。 私にも一応、理想の最期のイメージはありました。誰でもいつかは死ぬのだからじたばたしても仕方ない、自分らしく生き、寿命が来たらそれはそれで受け入れるだけだなと。 でも、実際にそれを間近に感じた時には不安だらけ。じたばたしまくり。私はこんなに弱かったのかと愕然としました。 この時は単なる体調不良でしたが、現実は自分が死ぬなんてそんなに簡単に割りきれるものではないことを経験し、分からなくなりました。 「死に行く者の死に方から学べ」と田中さんはおっしゃったそうです。 “人の生き死には思い通りにはいかない。それでも、なるべく冷静に過ごすにはどうすればいいだろう” 今度は慌ててしまわないようにと、以来ずっと考えていますがまだ答えが出ていません。 お坊さんはたくさんの方の最期に向かい合っておられるので、ご自身に関しても既にイメージがあるのではないかと思います。 例えば病気で余命宣告されたとしたら、暫くの間は痛みや不安など心身の変化に耐えることになりますよね。 今回お尋ねしたいのは「最期の、耐えて待つ生き方」です。どのような心境で、どのように過ごしながらその時を迎えようと思いますか? お坊さんとして、でもいいですし、一個人としての思いがあれば教えていただきたいです。参考にします。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 21
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2025/02/18

統合失調症で去年も一昨年も入院しました。

私は統合失調症です。働きながらボランティアをしていました。しかし、独り言が多くなり自分では制御できなくなり去年は大丈夫だと思っていましたが寝ないで独り言言っていたら、父が心配して10月から1月まで精神科に入院していました。 退院後職場に復帰したのですが、訪問看護さんはまず治療に専念してくださいと言われ週6日も来てくれるんですが、週5日で上司がシフトを組んだので訪問看護さんに仕事を減らさないとまた入院になってしまうよと言われました。週3日にして欲しいとの事だったのでそのとうりにしていますが、お金がなく穴のあいたジーンズをはきながら出勤していて生活は苦しいです。 働いても働いても入院費にお金がかかります。 去年退院したての頃瞑想会に行ったのですが、痩せたね。若返ったねと言われました。なんと言うかこの人達は何をみてるのだろうと思いました。確かに二年間は瞑想会に通っていて家も近くて入院もしてなかった時期もありましたが、家も遠くなって瞑想も気づいた時にしかやらなくなってボランティアや仕事にあけくれていたので菩提寺のお坊さんは瞑想が足りないと言うでしょうが、訪問看護さんは気分転換にボランティアしたらどうですか。仕事はどんなに楽しくてもストレスのたまるものですからといってました。次の受診の時に訪問看護の相談員さんに時間を作ってもらい話を聞いてもらいます。お坊様はどうしたら入院しないで一年間過ごせると思いますか?

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