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問答一覧
検索結果: 2693件

病気、人の死、自分の死が怖いです

今から約8年前、自分が高校生のとき 事故で急に姉を亡くしました とても仲が良く友達みたいな姉妹でした。 それからなのか人の死がとても怖くなり 家族が家に帰ってくるのが遅いと 事故にあったんじゃないかどっかで 倒れてるんじゃないかとか 異常なくらい心配になります。 また体のどっか気になることが あったりテレビで色々な病気の ドキュメンタリーを見るたび 自分もそーかもしれないと思い込み 病気になった気分になり 病気=死を連想してしまいます 少しどーかあると気になって気になって 色々検索してしまったり 今は卵巣に小さな奇形種があると 言われていてそれが気になってしまい 先生は経過を見ていくしかないと いう風に言ってくれてるのに それで大丈夫なのかとか色々 深く考えてしまいます。 もし病気が進行して手遅れに なってしまったらとか なんか病気だったらとか 考えるとキリがないです。 家族と笑いあってるとそのときは 楽しいのにいつかこの楽しさも なくなるのかなとか 誰かまた亡くなったらとか 考えると悲しくて仕方ないです。 今年は結婚もし赤ちゃんも10月に 産まれる予定です。 嬉しい事が続いてると余計色々 怖くなってしまって どーしたらいいか分からないです。

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元夫の孤独死ともと義父の自死について

3回目の相談です。 前回までは、元夫の孤独死について相談させていただきました。多額の借金から逃げ、満足な医療を受けられず、おそらく自暴自棄になり、セルフネグレクトの結果の死だと私は理解しています。 元夫の父、義父も自死しています。会社を起こし一時はかなり業績も良かったそうですが、大きな負債を抱え自身の生命保険で補填したのだと聞いています。元夫は、ぎふを義父をとても尊敬していました。家族を守るために命を犠牲にしたと言っていました。 私は生前、元夫に義父のような最期を迎えないで欲しいと言いました。遺された家族の悲しみや苦しみは、あなたが一番知っているはずだと。私は離婚していましたが、子供に同じ苦しみを残さないて欲しいから、生き抜いてほしいとお願いしました。しかしその言葉は届きませんでした。私は今でも彼を見殺しにしたのではないかと悔やんでいます。 今でも元夫の死は悲しくて辛くてたまりませんが、もしかして子供も同じ道を選ぶ可能性があるのではないかと、それがとても怖いです。私は命に関わる病気をし、大変な治療を受け今は健康を取り戻しました。それは私自身が健康になりたいというだけだなく、子供のためにも生きていたいと願ったからです。 元夫は、借金や様々な苦しみから逃げられて楽になれたかもしれません。でも遺された子供と私は様な後始末を今でもしています。 そう考えると、元夫は大きな悲しみと苦しみを残して逝ったのです。 悲しいけど恨む気持ちも生まれました。これから子供と供養はしていきたいでが、子供の未来に陰を落とすならば許せない気持ちでいっぱいです。

有り難し有り難し 5
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親の死

現在、週末期を迎えている父がいます。 父は10年以上前に病気が発覚し、すでに末期だったので現状維持を目的とした治療をしてきました。 完治はない事からずっと覚悟はしてきたつもりですが、8月に入って急激に悪化し、あっという間に動けなくなりました。 両親は横浜、私は東京で一人暮らしです。 姉夫婦が近くに住んでいて、頻繁に様子を見に行ってくれていますが、基本的に母が一人で不安と戦いながら面倒を見ていると思うとそれも辛いです。 職場の理解もあり、隔週で休みを多めにもらい実家に帰っていますが、帰る度に弱っていく姿を見るのが辛くて怖いです。 東京へ戻ると、急変したらどうしようと考えて眠れなくなる日も。 父がその時を迎えるのを直視できる自信がありません。 それなのに、全てが終わったら長期休暇を取って10年間支えてきた母の疲れを取るため、一緒ににゆっくり過ごそうか。と今から不謹慎な事を考えてしまう自分もいます。 でも、その為には父との別れを経験しなければいけません。 いつ来るかわからない、そう遠くない別れを待つ日々が辛いです。 穏やかに、静かに迎えたい気持ちと、 早くラクにしてあげたい気持ちと、 やっぱり怖いと思う気持ちと。 心がゆらゆらしています。 どのような気持ちを、どのように保てば良いのか教えてください。

有り難し有り難し 35
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2023/03/25

実際に死とどう向き合っていますか?

以前より、死の恐怖について相談をさせていただいており、大変お世話になっております。 たくさんの方から頂いたご回答はどれも暖かく、そして勉強になっております。ありがとうございます。 問答の中で、自分の弱い点や、認知や考え方の歪みがわかり、この方法で恐怖を緩和していこうという方向性は見えつつあるのですが、恐怖緩和に対するどの方法を行うにしろ、習得や納得(体でわかるまでやる、なども含め)には多くの時間を要します。死は人生の命題ですので、一年やそこらで恐怖が激減し、納得することはできないと考えます。 私は方向性としては、禅などの「体で納得」を目指したいと考えていますが、これこそ一朝一夕で身につくものではないですし、仕事等による時間の制約もあり、納得に至るには長年の修行が必要だと感じています。 そんな風に時間をかけてゆっくりと学びを深めてはおりますが、もちろんその間にも死への強い恐怖感は消えません。特に、楽しいことがあった日の帰り道や夜には、必ず「この思い出も自分の存在もいつか消える」という思いで気が狂いそうになり、パニック症状が出ます。 それを、娯楽へ走ったり、禅と宗派は異なりますがお念仏に頼ったり、お墓やお寺に行ったりと、一時凌ぎでやり過ごしているのが現状です。このように、最近は「いつか死ぬ」ということがいつも恐怖で気掛かりで、楽しい・嬉しいなどのポジティブな場面が心から楽しめないような感覚になっています。 前置きが長くなりましたが、 お坊さん方の中に、今に至るまでに修行をなされている間に私のように気持ちが揺れたり、恐怖でパニックになったりしたご経験をなされている方がいらっしゃいましたら、「ご自分が一旦、その問題(私で言うところの死の恐怖)への納得感を得られるまで」に、どのような心持ちや行動で過ごされていたのかをお聞きしたいです。 また、現在も私は死の恐怖緩和についての対処を学んでいる最中ですので、もし同じ問題に悩み、納得した方法や考え方があれば、併せて教えて頂けると嬉しいです。 お時間ある時で構いません。様々なご回答を聞きたいです。お手数をおかけ致しますが、ご回答頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 13
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祖母の死

先日祖母が亡くなりました。両親共働きだった私は幼少時から同居の祖母に面倒を見てもらっていて、筋金入りのおばあちゃん子でした。 せっかくおばあちゃんが99才まで長生きしてくれたにもかかわらず、生涯を通じて十分な恩返し、特に結婚して実家を離れてから10年ほどの晩年期は何一つおばあちゃん孝行しないまま、老衰で亡くなってしまいました。 孝行できなかったのではなく、孝行しようと思えば時間もお金もあったのに、なぜか、しなかったのです。実際におばあちゃんを亡くしてみてようやくことの重大さに気づき、底なしの恐怖と後悔を感じ涙が止まりません。 出来たことといえば、私が20代~30台前半のころに合計3回ほどおばあちゃんを短い旅行に連れて行ったこと、また嫁さんを紹介できたこと、ひ孫を見せられたこと、たまに顔を見せにだけ実家に行っていたことぐらいです。本当にそれだけです。生涯を通じて、おばあちゃんに感謝を伝えることはおろか、語り合うようなレベルの会話は一度もしませんでした。 40才前後にもなって、また実際に祖母を亡くしてみて初めて、このような重大なことに気が付くような大馬鹿愚か者の自分に嫌悪の極みです。 子供のころはおばあちゃんを大切にしなければと強く意識していて、おばあちゃんが死んだりしたらどうしよう大変だと子供心に恐怖していて、その気持ち自体は持ち続けていたつもりなのに、今思えばどうでもよい仕事や付き合い、自分の楽しみなどを優先し続けてしまったこと、また老いが深まっていくおばあちゃんを見ても、死を間近にしたおばあちゃんを見てさえも、本当に死ぬこととなぜか結び付けられていなかった自分の馬鹿さ間抜けさ加減に、本当に自己嫌悪しかありません。 後悔したところで文字通り取り返しがつかないこと、他の質問を参照して、おばあちゃんにできなかった恩返しを両親や身近な人にしていくしかないことも理解しているつもりですが、心が散り散りすぎて思わずこちらに記載させていただいている状況です。 質問になっておらず申し訳ありません。

有り難し有り難し 45
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母の死

こんにちは 初めて質問させてもらいます。 今年の1月母が癌で亡くなりました。闘病生活1年、入退院を繰り返し、効果があると言われれば温泉にいったり、食生活を変えてみたり、他県の最先端の治療を受けにいったりと色々走りました。一時はいい方向にいきましたが結局癌を止めることはできませんでした。先生にもう本人の好きなことをしてゆっくり過ごしてくださいと言われましたが2月に産まれる私の子供が見たいからと最後まで 諦めず治療をすることを選びました。闘病中、母は私に1度だけ苦しいもう治療をやめたいと言いました。私は心の中でもういいよと思いながらも諦めるの?と言ってしまったのです。その時は治療を信じるしかなかったのです。母は自分でまず3年生きるだから頑張ると言ってくれましたがたぶん私を不安にさせないためだったと思います。頑張ると言っていた治療を終え退院し自宅に帰って来た次の日容態が悪化し酸素をつけながらも自分が死ぬのをわかっていたのかみんなに会いたいと姉妹全員が病院に来てくれ、そして家族全員とありがとうと握手をして、だんだん意識がなくなりみんなに看とられながら亡くなりました。 すごく痛く、苦しい中でも周りを気づかっていた母。 闘病中、一生懸命支えようとどんどん変わっていく母を見て涙を流さないようにと強がって厳しく接することしかできず、死を受け入れてちゃんと接することができませんでした。もし受け入れていたらこんなにも辛い治療を選ばせずに、体を傷つけずにもう少しだけでも長生きできていたのかな、心穏やかに過ごせていたのかなと後悔しかありません。どれだけ無理をさせて苦しめてきたのかと思うと涙が止まりません。優しくできなかった、病気を早く見つけてあげられなかった、自分が憎いです。

有り難し有り難し 16
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捕獲した玉虫の死

3日前に炎天下の路上をゆっくりと歩いている玉虫を見つけました。3年前に逝去した母が、どこかで見つけた玉虫の死骸を大事に箪笥の中に仕舞っていたこともあって、偶然見つけたこの玉虫も何かの縁だと思い、自宅に持って帰って最期まで育てようと思いました。 虫篭の中での様子を見ているともう体力も無くなってきているのか、動作も緩慢で、何の餌を与えればよいのかもわからず、やはり外に逃がすのが自然だと思い、裏庭に逃がしました。 しかし、二日ほど経ってもまだ裏庭から消えず、紫陽花の葉の裏に逆さにくっついている姿を見つけ、居ても立っても居られなくなりまた虫かごに戻した次第です。屋外で雨に打たれたりして、地面に叩きつけられて死を迎えるよりましだと思ったからです。今朝方様子をみると、微かに足を動かしていたようですが、午後には死んでいました。  私の気持ちの中で、珍しい美しい虫をずっと持っていたいという利己心への嫌悪と、母への思いが重なって涙が止まりませんでした。我々が畳の上で死にたいと願う気持ちと同様、動物にとっても彼らにとって一番自然な環境のもとで死なせるのが最善でしたでしょうか。 よろしくご教示のほどお願いいたします。

有り難し有り難し 6
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私の病

私は精神の病を患っています。 なので、メンタルの薬を服用しています。もう5年か6年、そしてどんどん量が増えていまは強い薬を服用しています。そんな日々を送っていた時に5月初旬の頃から心臓が締め付けられるような痛みがありました。ただのストレスだろうと思っていたのですが、度々その痛みは大きくなり頻度も高くなりました。内科の病院に診てもらったら、狭心症と診断されました。あと、メンタルの薬の量を減らすようにとも言われました。なので、5月が終わるまで控えていました。しかし、どうしても頭で考えすぎる精神の病が苦痛で、6月初旬、心臓の痛みも無いし、メンタルの薬を多めに飲み始めてしまいました。そして最近、3日前からまた心臓の痛みが。5月の時よりも一層激しい息苦しさと熱を持ち症状が治まるまで動けなくなりました。昨日は発作が7回2時間おきぐらいに出て痛みの長さも増えています。今日の朝も発作が出て40分ぐらいでしょうか。意識がすれすれあるなか痛みがありました。でも、ここからが本題です。 私は前に神様に心臓の病などで早く死んでしまいたいと、願っていたことがあり、ようやく願いが叶ったと内心喜びもあるのです。両親には狭心症のことは言っていません。内科も1人で行きました。 もし、この心臓の病で死が関係するのであれば、このまま放っておきたいです。医者は、30分以上痛みが続くと心筋梗塞の可能性も出てくると話していたので、私は今年までに死が訪れるのでしょうか。そして、これは神様が私の願いを聞き入れてくれたからでしょうか。教えて下さい。お手柔らかにお願いします。

有り難し有り難し 30
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友達の死について

はじめまして。 聞いて頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。  学生の時、仲が良かった友人がいました。 どこか遊びに行ったり、出掛けたりすることは少なかったのですが、校内で会えば一緒にお話をしたり、ふざけあったりする友達でした。  去年、その友人が亡くなったという話を聞きました。 私自身、卒業してからは友人と連絡を取らず、みんな元気に頑張ってるんだろうな、そろそろ結婚してるかなー?などと勝手に思い、気にもしていなかったんです。  久々に友人と会った時に亡くなったことを知らされました。 ちゃんと連絡をとっていれば最後のお別れが出来たのかなと本当に後悔しています。 今になって取り返しのつかない、 どこにぶつければいいのか分からない喪失感や悲しみに途方に暮れています。 また、自分の目で見たわけではないので 信じられない気持ちもあり、言葉では表せないくらいの感情が渦巻いています。 同い年で、若くして亡くなった友人の笑顔ばかりがぼんやりと思い浮かびます。 時間が解決してくれるのでしょうか? 最後のお別れが出来なかったことを本当に後悔しています。伝えたかったこともあります。 わたし1人でもできる供養みたいなことはあるのでしょうか? ただただ毎日を迎える度に思い出されて辛いです。

有り難し有り難し 6
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