遺品整理という心の整理のつけかたについて
私は12年前に2つ年上の27歳の兄を病気で亡くして、先日十三回忌の法事を行いました。
12年経ってようやく、兄の遺品を片付けようかと実家の母から相談がありました。
しかし、遺品を捨てるということは兄の生きた証を消すこと、心の中の兄を自分の手で殺してしまうことになる気がして処分を決断することができません。
「物がなくても兄は心の中で生きている」とおっしゃってくれるかもしれませんが、私は忘れることが怖いのです。忘れてしまうかもしれない自分が恐ろしい。でもそこに物があれば、より鮮明に覚えておけると思うのです。
でも一方で、ずっと残していると過去に縛られて自分が前に進めない気がして、果たしてそれで幸せに生きられるのだろうかという思いもあります。
私は2歩先を歩いていた兄という道標を失ってから、12年間ずっと時間が止まったままのように感じています。
例えば私が結婚して新しい生活をはじめればその時には遺品を整理しようかな、ということを考えて12年間生きていましたが、
もしかしたら逆に遺品という古いデータを整理して、心にスペース・容量を作らないと新しい生活に進むことができないのかもしれない、と考えるようになりました。
本当はもっともっと具体的な内容で質問を書きたかったのですが(たった1000字しか書けない制限が残念です)、気持ちの整理が追いつかず、話がまとまっておらず申し訳ありません。
遺品の整理という、残された私の心の整理の仕方について、どう気持ちの折り合いをつければよいのか、心の中の兄とどうやって一緒に生きればよいのか、ぜひともお話をお聞かせいただきたいです。
有り難し 9
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