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検索結果: 1227件

元恋人のお坊さんが荒行に

私は以前、日蓮宗のお坊さんとお付き合いをしていました。 彼の人柄に惹かれて仲良くなり、 あとで彼がお坊さんであることを知りました。 お坊さんであるということに抵抗や偏見などはなかったのですが 私は日蓮宗ではないので、知識がまったくなく 日蓮宗のお坊さんが日頃どんなことをしているのか、 どんな生活をしているのかさっぱり分かりませんでした。 彼も優しい人だったので自分の辛いことや大変なことは あまり私には話しませんでした。 お付き合いをすることになってからも 遠距離だったためなかなか会うこともできず 当時私は土日休みの普通の会社員で 休みも合わずで会えない悲しさなどをぶつけてしまい すれ違いもよくありました。 そんななか、彼が荒行にいくことになり 別れることになりました。 そんななかでも彼は優しく 修行が終わればまた会おうと話してくれました。 いま今も彼を想い続けており どうしてもっと理解しようとしなかったんだと悔やんでいます。 彼のことは人としても好きで尊敬しているので たとえ元の恋人関係に戻れなくても また仲良くなりたいと思っています。 来月彼が修行を終えて帰ってきます。 私はどのように声をかければいいんでしょうか? 疲れているからそっとしておいた方がいいのでしょうか? またお坊さんから見て、 女性にはどのように支えてほしいと感じますか? 教えていただけると幸いです。

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南無阿弥陀仏をおとなえする意味について

私の家は浄土宗の檀家です。 浄土宗(浄土真宗も同じだと思います)では、「ただ南無阿弥陀仏を唱えれば、臨終に際して阿弥陀様が現れて浄土に連れて行ってくださり、そこで悟りをひらいて救われる」という思想だと理解しております。 しかし、どうしても心の中にもやもやが残ってしまいます。 といいますのは、「南無阿弥陀仏を唱えれば浄土に連れて行ってもらえ、悟りをひらける(=救われる)」というのを裏を返せば、「南無阿弥陀仏を唱えない人は悟りをひらけない(=救われない)」ということになってしまわないかと思うのです。 「自分に帰依しないもの、信じないものは救わない」などと、阿弥陀様はおっしゃるようには思えないのです。そんな心の狭い方ではないと思うのです。 おそらく「信じるものは救われる、でも信じてない人も救ってあげるよ」とおっしゃると思うのですが、ではそうなると「南無阿弥陀仏」をお唱えするのに果たして意味があるのかどうか、唱えても唱えなくても救われるのであれば、なぜ「南無阿弥陀仏を唱えると良い」とされているのかという疑問がわいてきます。 つまり 「南無阿弥陀仏を唱えないと救われない」→阿弥陀様はそんな心の狭い方だろうか? 「南無阿弥陀仏を唱えなくても救われる」→じゃあなぜ南無阿弥陀仏を唱える必要があるのか? という板ばさみといいますか、ジレンマに陥った気分になるのです。 これについて、お坊さんの見解をお聞きしたく、よろしくお願いします。

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戦争、死への怖れ

はじめまして。やまと申します。 死ぬのが怖いという思いがあります。 そして、ある妄想にとらわれております。 自分の住んでいる所が北朝鮮からの核ミサイル攻撃をうけるというものです。 世界は何か見えない大きな力に動かされていて、私たちは戦争をさせられているような気がしてならないのです。 ここ二三日、一晩中上空からヘリの飛んでいるような音が聞こえています。 ニュースやネットなどを見、妄想に妄想を重ね怯えてしまいます。 少しの物音にも怯え、サイレンが鳴るのではないかと気にしたり、核兵器が上空で爆発する様子や土地が汚染され誰も助けには来ない様子などを妄想したりしてしまいます。 このサイトで、戦争について怖れている方が他にもいらっしゃることを知りました。戦争を怖れるよりも、今できることをやるしかないということは頭では分かっているつもりですが、やはり怖れ、迷ってしまいます。 今できることというのは、この場所(今住んでいる県または国)から逃げることなのか。普段の生活を続けることなのか。それとも、死を怖れないようになることなのか。どうすればいいのか分かりません。 いったい、どうすればいいのでしょうか。 まとまりの無い文章で申し訳ありません。 お忙しいとは思いますが、 ご回答いただけたら幸いです。

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