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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗派 」
検索結果: 2817件
2024/05/18

亡くなった母の為に出来ること

数日前に母を亡くしました。闘病の末ではありましたが、あまりにも突然で心の準備もろくに出来ておらず、いつも明るく優しかった母を失い人生で最も大きなショックを受けています。 今も毎日ふとした瞬間に涙を流していますが、葬儀等を通じて少しずつ母の死を受け入れられるようにもなり、単に悲しむというよりは、他界した母の為に自分は何をしてあげられるのか?してあげるべきなのか?と考えるようになりました。(とりわけ、他界して間もない今だからこそ母に届くものがあるのではないかと信じています) 以下、質問というよりは、どなたかに「きっとそうだよ」と後押しをして欲しいだけのものもあるかも知れませんが、私の質問にお付き合いいただけますと幸いです。 ① 葬儀で母の棺に数々の思い出の品を副葬品として入れました。特に、楽しかった思い出をたくさんまとめたアルバムはなんとしてでも母に届けたい一心で準備しました。あのアルバムは、あの世の母のもとへは届いていますでしょうか?また、もし届いているとすれば、母はどういう思いでアルバムを眺めているのでしょうか?(もっと生きたかった、という具合に現世への悔い?それとも、楽しかった思い出を糧にしてくれているのか?) ② 母はとても愛情深い人で、これまでも愛犬の死や親族の他界にとても心を痛めていました。この度亡くなったことにより、母は、愛犬や親族に会えているのでしょうか?(延いては、私もいつかどこかでまた会えるのでしょうか?) ③ 死後1週間もたっていませんが、母はいまどういう状況にあるのでしょうか?そのために私が今、母のためにしてあげられることは何なのでしょうか? 具体的な行動(どこどこへ行く、何々をする、等)に紐つけてアドバイスをいただけると、私もそれを実践することで母を感じ、気が楽になる部分もありますので、そのようにご助言いただければ尚有難いです。 長文・乱文となり申し訳ありません。何卒よろしくお願いいたします。

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気持ちの切り替えが苦手です

とあるスーパーの立体駐車場での出来事です。 スーパーから帰ろうと、立体駐車場からぐるぐる下る道へ向かって車を走らせていたところ、どうやら私は2階から、「止まれ」を無視して進入したようでした。 3階から下りてきた車にクラクションを鳴らされました。そこまでスレスレでもなかったのになぁと思いながらも、きっと私が標示を無視してしまったんだろうと思ったので、ごめんなさいと思いながら走りました。 しかし後ろから、何度もクラクションを鳴らされ、おまけに狭い立体駐車場内で、私を追い越そうとしてきました。 立体駐車場から一般道路へ出てから、ぶつかりそうになりながらスレスレで抜かされ、停車されました。 運転手が降りて来ました。 「お前「止まれ」で何で入ってきたんだ!どんな運転しとる!バカヤロウ!それでよう免許持っとるなぁ!バカヤロウ!」 私はとにかく謝りました。何の言い訳もせずに謝りました。その時は標示は覚えていませんでしたが、階からぐるぐる下る道に進入する側の私がきっと止まれだったと思い、謝りました。 ひとしきり叱られた後、震える足でアクセルを踏み、何とか家に帰りましたが、家の駐車場から玄関へ行く力もなく、1時間ほど車内で泣きしゃぐっておりました。 道路標識だけでなく、駐車場内の標識も気を付けなければと、深く反省しました。しかし、あそこまで言われなくてはいけなかっただろうかと…。 どうあがいても私が悪いのでしょうけど、「バカヤロウ!」等という暴言を浴びせられてしまうと、どうしても悔しいという感情が抑えられません。 これは4月1日のことなのですが、四六時中このことが頭から離れず、夜もろくに眠れません。 今回のことのみならず、もともと凹みやすく、暗い出来事の記憶がなかなか忘れられない性格ですので、せめて今回のように、きちんと反省もした上での、立ち直り方や、忘れ方を教えていただきたく思います…。 自分が引き起こしたトラブルですので、このように助けを求めることは我が儘なのかもしれませんが、何をしていても、眠ろうと目を瞑っても、あの叱られた時間が、形相が、言葉が、目から耳から離れません。今夜も眠れそうにありません。 どうか少しでも、一歩進める手段を教えて下さい…。

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【浄土宗】本当の念仏行って…何?

 いつもお世話になっております。  まず、質問に先立ちまして御礼とお詫びを申し上げます。  この件に大変尽力してくださった、先生方。ありがとうございます。 そして、大変申し訳ございませんでした。  お念仏は続けていますが、あれから菩提寺を含め、浄土系の寺院には お参りが途絶えている状況です。  私自身、自分の信じていた宗の精舎がすさんでいくのを見るのが とてもつらかったのです。私では、止めようがありません。  詳細を説明すると、 ・お坊さん(布教師)の言うことがちょっとおかしい  →他宗の行をけなしたり、念仏以外の行を積むと地獄へ行くなどと平然と  言い放つ、他の仏様をけなす。   「なむあみだぶつ以外は邪教!!」「本山が喧嘩しあってる」 「平等とは何だ」など、不安を煽るようなことを平気で言う。   結果、信徒の9割がその影響を受けて変な方に考えが行ってしまった。  とにかく、私はつらかったです。悲しかった。顔で笑っていても、 腹の底で悲しむ私の姿を、お母さんー阿弥陀様に見せたくない、 そう思って、門から出ました。  本当の念仏とは何?この数年間私は考えました。恋しい「親様」のために。  「苦行に費やす時間を、目の前の苦しむ人たちのために。 来たるべきその後の時は、仏様が確実に手を引いて導いてくれる」  他の神仏の悪口なんか言っちゃいないし、好き勝手どころか、むしろ、 「良心」を前提で動く私たちの背中を優しく見守ってくれる。 「ドジ踏んだって怒らないから安心しな」と。  本当の念仏行って、なんなんでしょうか?

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