コロナ禍で不要不急と見做された私の生き方
初めて投稿させて頂きます。
昨年3月ごろからCOVID19の影響で私たちの生活の在り方が大きく不自由を強いられるようになり。それを今尚実感しております。
私はコロナ前平日は遅くまで仕事、土日連休はスポーツ観戦、ライブ、旅行と非常にアクティブな生活を送っていました。
そこにはリアルの友人や観戦仲間もそれなりにいて私生活はとても充実していました。仕事でも「面と向かった人と話をする大切さ」を学び、それは自分のスキルアップに大きく寄与しました。
しかしCOVID19が蔓延して以来、それらは不要不急、感染拡大の要因になる「悪」と見做されるようになりました。
イベントは取り上げられ、思うように人とは会えず、どこに行くにも後ろ指を指されないようにビクビクする生活が続いております。
今はスポーツ観戦もライブやイベントも一部返ってきて、感染症対策を実施して参加はしています。会える人とはちゃんと合意を取って会いに行きます。もちろん他のできる事もやっています(スポーツジムや読書などの1人でもできる事です)。しかしあらゆる物事に制限が多く、職場や家族の目も気にしながら適度に自粛しなければならない生活ではとても前のように楽しむことが出来ません。
そんな生活の中でやがてあらゆるニュースや報道に対して
「これを一生続けたいのか?今COVID19のデータを見てもこれはウイルスせいではなく政治家や特定の団体の所為ではないか!
自分は一部の票田のために棄民と見做されているんだ。」と感じざるを得ないものが多くあるのです。
(もうそれが嫌になりかれこれ1年近く地上波は見てません。)
元の生活には戻らないと言われるならそれでも構いません。私は躊躇なく死を選びます。所謂新しい生活様式の中に自分の幸せはありません。
「生き方を変えなさい」と言われても生後から青春時代に染み付いた価値観はそう簡単には変えられません。
まさかこれが一生続くとは思いませんし、死ぬ死ぬ言いながらのうのうと生きて投稿させて貰ってるので滅多な事はしませんが
この棄民と見做された怒りの感情と絶望感にどう向き合って行けばいいのか?と悩みます。生きてやるべき事はあるし、元に戻った後に人間関係に取り返しのつかないヒビが入ったのでは意味がありません。曖昧模糊な内容で申し訳ありませんが、何か良いアドバイスを頂けますでしょうか。
有り難し 27
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