私は冷たいの?
今月流産しました。
供養に行くまでは哀しみや苦しみで眠れず
つらくて人に会いたくなかったです。
供養の日、お経の中で表白があり、
朝に生まれ夕に死するは〜とかつぼみで
散った命とか父の慈しみ母の哀しみなどの
聞き取れる文がありそこにすごく励まされました。それから、悲しむだけの出来事にしては
いけないと感じました。人には寿命があり
あの子は数週間の命でした。私たちも自分が
いつ死ぬかはわかりません。
ただ私たちと同じようにあの子は自分の命を
最後まで全力で生きてくれたから妊娠した
という事実があり、希望や願いがあったから
今の悲しみがあるのかなと思いました。
あの子が存在したから悲しさがあると思うと
それすらも愛おしく悲しみよりも頑張ったな!
だからこそ会いたかったなと愛しさや切なさが
込み上げてきます。場所は違うけどこれからも
私たちのなかで共に生きるのです。でも
術後1週間で私はどこか晴れやかな気分で
泣くこともなく私は綺麗事を並べているだけで流産した悲しみを感じていないのかなとどこかで思います。私がこうしていられるのはあの子も
それを望んでいて背中を押してくれていると
思っていましたが本当は悲しいのでしょうか?
立ち直ったり忘れたのではなくあの子が
精一杯生きてくれた事実を必死で受け入れようと
しているつもりですが、他のお母さんはもっと
悲しんでゆっくり前を向こうとされてて。
私はどこか冷たいのかなと思ってしまいます。
今年主人は25歳で本厄です。
でも流産のことは厄のせいでなく、私の中
では悪いことでお祓いするようなことでも
ないのです。心配性なので本厄など怖くて
前の私なら不幸が起こると騒いでいたと
思いますが流産して命の儚さを学び、
命の大切さや感謝を心から感じました。
毎日当たり前のように過ぎていた日常も
ありがたくもっと幸せに感じられるように
なったのもあの子のおかげです。
想像できることは気をつけたり、日々の生活も
注意したり、当たり前を見つめ直して感謝
したり、厄年じゃなくても普段からするべき
ことなのかなと。1番身近に感じた命を失って
私の中で全てが変わり当たり前がなくなり、
衝撃的な出来事でした。
性格が変わってしまったような感覚で
今の考え方は冷たいのか綺麗事なのか。
変わり過ぎた自分に戸惑っています。
回答できるだけ多くお待ちしています。
有り難し 8
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