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問答一覧
検索結果: 1494件

今の夫の過去について

私は19歳と9歳の連れ子を連れて去年の3月にひとつ年下の現在の夫と再婚しました。 私は誰にも話していませんが、出会ったきっかけはTwitterでお互いのフォロワーでした。 3年前出会った当時、夫は20歳の時に通っていた専門学校の時の友達の奥さんと13〜14年間不倫をしていました。その奥さんと旦那さんがまだ付き合ってる頃から付き合ってたそうです。ずっとバレていないと言っていました。 出会った時、彼女はずっといないと言っていましたが、なんか感が働いて問いただしたら実はいると。 今までその奥さん(夫にとっても友達)と付き合いながら自分に彼女が出来ると奥さんとは別れて、彼女と別れるとまたその奥さんのところに戻ってという事を繰り返していたそうです。 私と付き合う事になって別れたとは言っていましたが、友達付き合いはやめないと、友達としては付き合うと。 いいよと私は言っていたのですが、結婚を機に改めてまたその話になって(夫の地元の友達から祭りがあるからと誘われて仕事帰りに行ってくると言っていたのですが、実はその奥さんのところに他の友達も含めて行っていたと言っていた) 腐れ縁を私が切った形になりました。私のいるところで電話をかけて君とはもう会えないんだと、言ってもらいました。 私のした事は間違っていなかったのでしょうか? 本当にもう別れているのでしょうか? 会っていないのでしょうか? 随分長い間付き合っていたので、そう簡単に別れられないんじゃないかと思うところもあり…しこりがまだあります。 夫の事を信じて良いのでしょうか? よろしくお願いします。

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住職様にとって、お葬儀とは何ですか

大変失礼な質問だと思いますが、何卒ご了承いただけると幸いでございます。 私は、長らくサービス業に従事しております。 ここ5年の間に、2人の祖母、叔父、母親、旦那の親友が亡くなり、その都度お葬儀に参列いたしました。 宗派の違いはありましたが、通夜・火葬・葬儀・法要とそれぞれにおつとめをいただき、『ありがたいお経のおかげで、故人は仏になるために旅立つんだな』と故人の冥福を祈っておりました。 そういった機会も多かったためか、ご縁あって葬祭会館へ転職いたしました。 まだ1ヶ月も就業しておりませんが、すでにたくさんのお葬儀に立ち会わせていただき、さまざまな宗派のご住職様にもお会いしております。 何件ものお葬儀に立ち会うと、知りたくなかった裏の部分も見えてまいります。 『お葬儀をしておつとめを頂くのは、故人が無事に仏になるためではなく、残された遺族が大切な人の死を受け入れるための段階の儀式』なのかな、とも考えてしまいます。 お葬儀をする意味とは、そういった死を受け入れる儀式的な理由も含まれているかと思いますが、住職様から見た『お葬儀の際におつとめをすること』には、どのような意味があるのか、お伺いしたいです。 無知故の不躾な質問で大変申し訳ございません。 よろしくお願い申し上げます。

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無我とはどういうものなのでしょうか

短気な性格を直したくて読んだ自己啓発本に書いてあった無我(人や物事に対する興味、自分自身の気持ちを無くせばイラつくことも無くなるということらしいです)というものを数年前から自分なりに頑張って実践していたのですが、効果が出てくる頃には人と会話が続かないようになってしまいました。 会話している相手や話している内容(流行などにもかなり疎いせい)に全く興味がわかないので向こうが話かけてくれても一言二言生返事で返してしまいすぐに途切れてしまいます。 頑張って繋げようにも面接というか質疑応答のように無機質な感じになってしまい、華が咲かずただ無意味な問答で相手を困惑させているような気がします。 自分自身、気まずいという感覚が麻痺してきているのか感情という面で困ることは無いのですが、やはり不和の原因となっている部分もあるのでこのまま社会に出るのは危ない気もします。 元から私的な場面では人とあまり関わりたくない性分ですのでパブリックな部分は徹底してドライに割り切りたいのですが、感情的な人には斜に構えた嫌味な奴に思われてしまうのかも知れません。 「嫌われようがどうでもいい」という今までのスタンスを崩し、多少無理にでも嫌われない様にと努めるとまた昔のように小さいことでイライラする自分が垣間見えるのでどうすればいいかわかりません。 本家本元である仏教での無我というものはどういう教えなのでしょうか。

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病気を治したくない人の気持ちがわかりません

私の大事な人が心(脳)の病気です。そしてその人は病気のままでいたいと私に言います。 私はこれを受け入れるのがとても難しいです。 その病気のせいで私に対してだけ人格が変わり、言葉と物理的な暴力をします。私はそれがとても嫌です。 何度も病院に行き、このままでは取り返しがつかなくなると診断されましたが、本人は医師の誤診であると言い、通院を拒否します。 暴力はやめてほしいと言っているのですが、自分で止められないしそれが悲しいとその人は言います。悲しいけど病気は治したくないそうです。 周りに病気のことを相談しても、ほぼみんないつかよくなるといいね、と言うだけです。中にはもちろんできる限りのことをしてくれた人もいますし、感謝しています。仕方ないような気がしますが、私なら相談されたらそんなことを言わないし、助ける努力をしようと思うから、変わった人達がたくさんいるんだな、と思いました。 話が逸れました。戻します。 病気のままでいたい人の気持ちはどう受け止めてあげればいいのでしょうか? 本当は助かりたい、ただ病気と認めることに怯えてるだけでは?と思っていましたが、あまりにも長い間なので本当に病気でいたいのでは?と思うようになりました。

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執着を手放すには

以前、流産と不妊について相談させていただいた者です。その節は心のこもった回答をありがとうございました。 ご回答やそれ以前の問答を拝見したりして、少しずつ落ち着きを取り戻していますが、なかなかすぐに元気にというわけにはいかず、まだやっぱりもがいています。 ところで、以前TVでストーカーのニュースを見ていたとき、「ストーカーの人が幸せになれるとしたら、それは執着を手放して、他の道を進んだときだよね」と、家族に話しかけて自分でもはっとしたことがありました。私もそうだ、と思ったからです。 たぶん私は子供がほしいと思うあまりそのことに執着しているのではないだろうかと気がつきました。繰り返し流産して、いったん手にしたと思ったものを何度も失ったことで、余計にそれが強くなってしまったのかもしれません。 なんとかこの執着を手放したいと思ってきましたが、なかなか難しいようです。もともとこんな気持ちが背景にあったので、こちらの仏教に関連したサイトにご相談させていただいたのかもしれません。 説明が長くなってしまいましたが、このような執着を手放すための心の持ちようはあるのでしょうか?ご助言をいただければ幸いです。

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父親と良い関係が築けません

初めまして。 子供の頃から実の父親とうまく関係が築けません。 今日はついに「縁切り」宣言まで出ました。 先年、母が死んでから余計ひどくなりました。 元来、恩を仇で返す典型だと思ってます。 意味のわからない暴言の数々。 (葬式場で、「お前たち(弟と私)は何もしない」「お前はxxxz(母方の叔母の名前)にそっくりだ」と意味不明の暴言を吐かれました。 そんなこと全然ないのに。) 父のいう「みんなだっていうぞ、…」の列挙。 (ちなみに最後の文句は、「実家に戻ってお母さんに挨拶してない」でした。 私は父以上にきちんとお彼岸や今年の盆の墓参りだって行ってます。 父と顔を合わせてないのは、たまたま父が不在だったから、置き土産とともにおいて行ったのに、それを理解してません。)  うんざりです。 父から依頼のあった母の財産分与依頼の際は協力(とうか権利放棄)をしましたが、確かに延び延びになってしまったとはいえ、私の方のマンション名義の母の名義変更には協力してくれません。(印鑑証明は本人以外取得が不可の為) 父は私(と弟)が何もしなくて、自分だけが大変な思いをしていると言い張ってますが、こちらがやっている影ながらのことは全然わかってませんし、わかろうともしません。 もう今後は父と顔を合わせる気は毛頭ありません。 マンション権利も、父が死んだら母の分もともに(手続きが面倒になるけど)名義変更しようと思ってます。 今は一刻も早く父が死ぬことを祈ってます。 そんな考えになりたくなかったのに、そういうふうにしか話をもっていかない/いけない雰囲気を作る父が大嫌いです。 父と話すと必ずメンタル不調になります。(実際、メンタル系に通ってます。) 今後は合う気持ちはありませんが、弟に申し訳なく思ってます。 気持ちを切り替えたいのですが、良い方向へアドバイスいただけたらと思い、投稿させていただきました。 長文で失礼しましたが、よろしくお願いいたします。

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妻帯について

こんばんは。 同じような質問を他でも見かけるのですが、改めて質問させてください。話をまとめるのが苦手ですので長くなりますがご容赦ください。 一週間ほど前に出会った海外の僧侶の方に、 「なぜ、日本の僧侶は結婚するのか」 という質問をされました。 私の生半可な知識では到底答えられなかったのでhasunohaで見かけた意見などを紹介してみたのですが、いまいち質問の意図にそぐわない気がしました。 彼が訊ねていたのは妻帯を許されるようになった歴史とか、結婚したらしたなりの別の修行があるから、というようなことではなく、なんと言えばいいのか…もっと根本的なことのように思います。(と、いっても私の拙い英会話力での印象ですが) 会話の中では"不必要な結婚"(わざわざ戒律を破る不可解な行為)とも表現していました。 彼はインドで修行を開始し、その後"世捨て人"(なんと訳せば良いのかわかりませんが、英語ではrenunciantと呼んでいました。彼は家も(自認する)国籍も持たず、各地を放浪しながら乞食修行を行なっているようです)になったようです。不学なので詳しくはわからないのですが、インドでの仏教のあり方に最も共感しているようです。それ故、日本でのこの特殊な仏教のあり方に心底疑問を抱くようで、お寺が世襲制であることにも違和感を感じているようです。また、人によってそれぞれ適した修行方法があるし、だからこそ妻帯者には妻帯者なりの仏道修行があるのは認めた上で、それでも、最終的には乞食修行に行き着くのではないか、とも語っていました。 日本という国や仏教に関心を寄せる身として、「今後空海のような人が日本から出てくることはないだろう」とか、「日本のお坊さんは会社員と同じ(誰でも望めばなることができるし、ビジネスとしてやっている)」などと言われてしまうとなんだか悲しくなってしまいしたし、うまく答えられないことがとても悔しく感じました…。勿論、彼に日本を貶めようとかいう気が全くないことは重々承知の上ですが…。 長くなりましたが、hasunohaに集うお坊さま方は彼の質問"日本の僧侶はなぜ妻帯するのか"にどのようにお答えになりますか?是非皆様の智慧をお貸しください。 彼はまだしばらく近くに滞在しているので、会う機会があれば伝えたいと思います。 どうぞよろしくお願いします。

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