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検索結果: 1713件

生きていくことが恐いです

はじめまして。 どうか相談させてください。 一昨年、私は中国内モンゴル自治区にある大学に留学のため行きました。大学からの入学許可をもらいビザを取り、問題なく入国しました。 ところが現地で居留許可を申請する段階になって、手続きの方法を学校側が把握しておらず、私はビザがあるにも関わらず不法滞在になりました。 学校の留学担当者に、入国してから1ヵ月以内に許可申請をしないといけないことになっている、1ヵ月を過ぎているが問題はないのか、何度も言いましたが、問題ないという返事しかしませんでした。 役所では、学校側の落ち度なので、今後の滞在は許可する、罰金は本来1万元だけれども3000元にするなど配慮してくれました。 当の留学担当者は、こんな決まりがあるとは知らなかった、と言っていました。 さらにその後、大学からビザの再取得が必要と言われ、日本に帰国しました。 しかし約束とは異なり、ビザに必要な書類を学校が送ってくることはありませんでした。 中国にいた一年間、したい勉強はできず、ひたすらいくつもの役所に行く毎日でした。不法滞在が決定したときは、取調室で拘束椅子に座らされました。 私は衰弱しました。 日本に戻ってからうつ病を発症しました。急に日本に戻ったため、充分な就職の準備もできず、本望ではないアルバイトをしていますが、生活は苦しくなるばかりです。 人を信用することができなくなりました。 もっと正確に言うと、理性は信用していいと言っているのに、一方では、また騙される、裏切られると言う気持ちが出てくるのです。その葛藤が苦しいのです。 このまま生活苦と不信と不安の中で生きていくことは、恐怖です。毎日、毎日この恐怖に押し潰されそうになります。 どうやったら乗り越えられるでしょうか。 追伸 内モンゴルで見たチベット仏教のお寺、タルチョーやハダグはとても美しかったです。

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「般若心経不信」になってしまいました。

こんにちは。 何か心の拠り所が欲しいと思い、仏教の勉強を始めました。般若心経を読む宗派・読まない宗派あると思いますが、皆様の解釈を教えてください。 私が読んだ本に依ると、 ブッダは五蘊や十八界、十二因縁は存在するが、その「持ち主としての私」という確固とした存在は錯覚だ、「空」だ、と説いた。大乗仏教ではそれすら錯覚で、「空」という法則のようなものがあると説いている。 ブッダは「世の中はこのように構成されていて、だから生きることは苦しいのだ。ひたすら瞑想をして煩悩と戦いなさい」、 大乗仏教は「今見ている世界は全てが錯覚だから、思い悩むことはない。ひたすらお経を唱えれば、必ず救われる」という教えだ、と解説されていました。大乗仏教が「宗教」であるのに対し、ブッダの教えは「思想」であるとも書いてありました。 科学が進歩しておらず世界が何も解明されていなくて、生まれた環境を受け入れるしかなかったような時代、貧しい庶民の心を救ってきたのは大乗仏教に他ならないと思います。今でもそうです。私はお経にある呪術的な力も信じています。 でも、大乗仏教の僧侶の皆さんには大変失礼なことを申し上げるようで、申し訳ないのですが、般若心経を読むと全てが幻だと言われているようで、納得できません。現代社会においては、ブッダの考え方の方が合理的で理にかなっているような気がするのです。 それに般若心経は、ブッダが瞑想している間に、そのすぐ隣で観音様が舎利子に対してブッダの説を全否定して新しい呪文を教えて、それにブッダ自身にその通りだと言わせる、という舞台設定ですよね。それは、大乗仏教が原始仏教を越えようとしてできたものだからだと学びました。「日本人として般若心経を心の支えにしたい」という気持ちと、「ブッダの説の方が自分は納得できる」という気持ちが自分の中で葛藤してしまっています。 先日も、近所のお寺の座禅会に参加し、全員で般若心経を唱和しました。ブッダが推奨していた座禅の前に彼の教えを否定する内容のお経を読んで、裏切っているような罪悪感にかられてしまいました。 (私が読ませていただいた本は、仏教系の大学で教えていらっしゃる権威ある先生の本です。以上の解釈は私独自のものではなく、その方の受け売りです。) 私のこのような理解はものすごく偏っているのでしょうか? 皆様は般若心経をどのようにお考えですか?

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仕事をやめられない

40歳の女性です。保育園の子供が一人います。 出産後時短で働いておりますが(年収400万)、2年前から持病の緑内障が悪化してきて、目がかすんだり見えない部分が増えたりしてきました。 お医者様はパソコンを使うことも(6時間くらい使いっぱなし)、仕事をすることも緑内障の悪化にはつながらないとおっしゃるのですが、目の疲れは年のせいもあるのかひどく、また不快な中仕事をしているせいか、頭痛・めまい・腰痛などが常にあり、ついにうつ症状も出て、1か月休職しました。 休んだ間は食事や運動に心がけ、のんびり生活しましたので、気分もすっかりよくなり体調もうそのようによくなりました。 なのでもう一度仕事に復帰しようと思うのですが、復帰すればまた同じ苦しみがあるのかもしれないと思うと、勇気が出ません。 家族は体調を心配して仕事はやめたらといいます。私ももう十分がんばったし、この年にしては貯金もあると思うのですが、お金が心配でやめられません。 主人は十分な収入を得ていますが(年収1000万円)、43歳で、もし主人が病気になったら、とか超インフレで貯金が目減りしたら、とか思いますし、いったん止めれば今の何分の一の仕事しか見つからないと思うと、もったいないのです。特に専門技術もない体調が万全でない子持ちなので・・・。 眼科医は関係ないとはいうもののやめたほうが体にいいと思う(どうしてもそう思う)のにやめられない、を2年も続けてきたことがストレスだったとも思いますが、この期に及んでまだ・・・。目の調子がよいときは続けられる、と思い、悪いときは、絶対無理、と思い、心が揺れてしまいます。 アドバイスをお願いいたします。

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仏教の今後

仏教は日本人の死生観に深く根を下ろして文化として素晴らしいものがあると思います。 しかし、こんな歳になるまで不勉強で恥ずかしいのですが、大乗非仏説を初めて知りました。 そして原始仏教と日本の仏教はかなり異なる事、律蔵があまり重視されなかったので、日本の僧侶は在家と変わらない事を知りました。 よく、キリスト教徒が進化論や地動説を信じないのを不思議に思ってきましたが、日本の仏教は実は(全てではないでしょうが)偽経だったと分かってどのように折り合いをつけているんでしょうか? 釈尊は口伝でしか伝えなかったから、全ての経蔵は直説でないとか、全て仏の御心から方便として出た物だとか、あまりに苦しい言い訳に見えます。また鰯の頭も信心からと言いますが、信心とは受け容れる事から始まるから信心はそこを問題にしないと言うのもそこに身を捧げる者としては辛い選択ではないでしょうか。 大乗非仏説は新しい概念ではないですが、時代を経るに従って消えることもないでしょう。今後、このまま伝統を重んじて変わらない事を良しとしていくのか、それとも時代と共に新しい研究成果を反映して変化していくのか、どのように考えられてますか?

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