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hasunoha 問答検索結果 : 「他人 人生 」
検索結果: 4519件
2024/12/16

どうすれば納得のいく答えが出るか

人生に後悔しています。 自分の人生だけなら、まぁまたここから始めればいいやと思えるのですが、子どもたちの事を考えるとどうも自分を責めずにはいられません。 私は子育ての半分以上精神的に病んでいて、上手に子育てができませんでした。 最近は気持ちが安定してきていているのですが、過去を振り返ると子どもたちが小さい時にもっと私が元気でいればとか、あんな事をしてしまった、これができなかったと毎日悔やんで辛いです。 病みながらも必死に食事を与えたり公園に連れて行ったり身の回りの事はしてきましたが、ただそれだけで、いっぱい抱きしめたり会話したりと言うことができませんでした。 (夫は子どもたちとよく喋ってくれていましたし、家族で色んなところには出掛けました) 今子どもたちとの関係は良好です。(中学生) 過去はもう戻らないので今の子どもたちに向き合って、一緒に遊んだり積極的に会話をするようにしています。 子どもたちにも笑顔が増えたと思います。 ですが、あの頃寂しい思いをさせたことが忘れられません。 子どもたちは私を責めるような事は言いません。 ただ自分の頭の中で後悔のシーンがぐるぐる回っていて辛いです。 どうすれば自分に納得のいく答えが見つかるでしょうか。

有り難し有り難し 8
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頑張るのがしんどいです

子供の頃から怠け者でした。今も周りの人と比べると、仕事の早さも質も全然ダメで、よく自己嫌悪に陥ります。 私が仕事を怠けると、それだけ他の人の負担が増えます。迷惑をかけたくないと思うので、怠けるのはよくないと思います。怠けてもいいと思っているわけではないのです。 でも、どうしても、集中力がもたなかったり、もう嫌だという気持ちになってしまって、すぐ仕事を投げてしまいます。 そうやって他の人に迷惑をかけるのが申し訳なくてつらいし、それでも頑張ることができない自分が嫌で仕方がないのですが、どうも頑張れません。 もっと努力をしたら、ということを指摘されると、私は自己嫌悪と他人への申し訳無さでこんなに苦しんでいるのに、と思って相手を恨みたい気持ちになってしまったりします。 やらなきゃいけないとは思っているのです。そこの葛藤だけで疲れ果てて、自分では頑張ってるつもりになってしまうのですが、やっぱり甘えているだけなのでしょうか。 長時間集中するとか、上手く早く仕事に対応するとか、そういうことができるのもそれぞれの人の能力だから、私にはそんな能力がないのだから、無理しても仕方がない。私には私の能力でできる範囲で、精一杯頑張るしかないんだ、と思ってみても、 「私の能力でできる範囲」を他人が理解してくれることはなかなかなくて、やっぱり人からの視線が痛かったり、そもそも自分の限界を自分で勝手に決めて、諦めてる口実にしてるんじゃないか、やっぱり甘えてる自分がいけないんじゃないか、と考えこんだりして、つらいのです。 急に仕事のできる人間になれたりはしないでしょうけど、何か楽になる方法はないでしょうか。

有り難し有り難し 126
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自分が分からない、信用できない

私は頭が悪く偏差値低い大学を受験する予定です。正直浪人したいですが親が中々話を聞いてくれず、今やりたいこと将来の夢などがハッキリせず大学入って見つければ?と親からも先生からも言われます。 しかし私は見つからないと思います。環境も変わるから 大学で見つけるものという考え方は理解できますが怠惰な大学生活と妥協した生き方しかできないと考えています。たしかに経験せずして語ることはできませんが。 誰かがやれないことを挑戦してみたり、他人が幸せになることをしたいとは思ってはいるのですが本当に自分の本心がそうなのかは疑問です。 果たして偏差値の低い大学で選択肢も狭い中で見つけられるのでしょうか。 そのような条件にしてしまったのは自分自身が悪いのですが高校時代成功したことが一切なく思い悩んだり計画しても何一つ得られず、ずりずりと今まで引きずってきてしまいました。 自分が死んでも誰かが幸せになってくれれば良い、自身を無価値などと思えるくらい自分が嫌いで信用できずよく自暴自棄になります。 環境が変わったからと言ってそれは本当にやりたいことなのか。遊んで大学暮らしたら自分の考えがよりわからなくなるのではないか。と不安も色々あります。 どうしたらいいかもう分からないのです。何かアドバイスお願いします。このままだと耐えれません。

有り難し有り難し 30
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2024/10/09

般若心経について

たまたま仏教の起こりについて簡単に知る機会があり、葬式でよく読まれている身近なお経でもある、般若心経について興味が沸きました。 そこで、このお経が何を伝えようとしているのかインターネットで調べていたのですが、サイトによって解釈が微妙に異なる様で、本来の意味を理解出来たのか自信がありません。 以下が現時点での私の解釈となりますが、間違いがあればご指摘いただけませんでしょうか? •自分自身も、他人も、世界そのものも空(実体の無いもの)である •よって、苦しみや生、死も実在しないものであり、状態が移り変わる過程でしかない •そう考えれば、思い悩む必要など無い ※現時点でディティールまでの正確な理解は求めておらず、まず、ざっくりとした意味を理解したいと考えています もし上記の解釈が概ね合っていると仮定すると、葬式で読まれる般若心経は、故人に対してではなく、遺族に対して読まれているものなのでしょうか? オリジナルの仏教では死後の世界には言及していないと認識しており、故人に対して読まれるというのは違和感があり、上記の発想に至りました。 専門書等を読んでみようかと思いましたが、その道のプロであるお坊さんに聞くのが一番正確かと思い、質問させていただきました。 勉強不足な点は多々あるかと存じますが、可能であればご教示いただけると幸いです。

有り難し有り難し 7
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大人になってからの窃盗してしまった

過去の過ちについてとても今悩んでいます。窃盗です。 小学生の時にスーパーでお菓子を買っていないのに開けて食べたことがあります。しばらく窃盗はすることはありませんでしたが、社会人になり会社でお菓子をよく食べている人の机から興味本位でお菓子を盗むようになりました。 ワーキングホリデーで海外に留学をした時はお金が無いことが不安、なんで自分はこんな惨めな生活をしないといけないのか、この国の人達もよく盗みをしているから簡単に盗みを大丈夫という思いから窃盗をするようになりました。(ワーホリは自分の意志で決めて進んでやったことです) スーパーでお菓子を買う際に数を誤魔化して精算したり、バーコードを読まずに袋に入れたりしました。ワーホリ中に働いたバイト先ではチップを勝手に自分のものにしたり(このバイト先はチップはバイト先のものと言われていました)、バイトの人の食べ物やバイト先にある生活用品を盗んでしまいました。当時はシャアハウスに住んでおり、自分が買えないものや珍しいもの他人の食べ物を盗みました。 ワーホリが終了し帰国後に結婚し生活が安定したことからか何もしていません。自分の欲望や弱さからやってしまったこの行為、今となり、とても後悔と罪悪感で一杯です。特に大人になってからの過ちを何故してしまったのかと。当時は軽い気持ち、イケナイことだとは思っていましたが辞められませんでした。 過去を変えられないことも分かっていますし、もう二度としないと心に決めています。 両親や主人には悲しませるため言えません。告白せずに自分だけで一生背負うことがこの過ちの罰だと思っていますが、前を向いて進みたいです。 住職様の考えを聞かせて頂きたく、ここに書かせて頂きました。

有り難し有り難し 22
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趣味を続けるかやめるか悩んでいます

私には長く続けている趣味があります。もうかれこれ15年ほどになるでしょうか、人生の半分くらい続けてきたことになりますが、最近それが楽しくなくなってきました。 もちろんやり始めたときは楽しくて楽しくて、これをずっと続けてきたことに喜びや誇りをもっていました。それが徐々に「あれ?なんだか楽しんでいないな」「いや、むしろ辛いような…」となってきました。 趣味の内容は、うまく書くことはできませんが例えるならばスポーツ選手やアイドルのようなものなのではないかと思っています。 技術は年月を経て積み重なりどんどん身についてきているのに、体力的にも見た目的にも若さが必要で、年齢的にもうダメなのではないか?と悩んでいます。 また、その趣味の世界でのルールや常識の変更みたいなものについていけないという点もあります。私が始めた頃はまだそれをやっている人が少なく、それにより世間との差みたいなものが楽しかったりしたのですが、今は一般化してしまいそういった「特別感」みたいなものが無くりました。そして、単純に人が増えたことにより私が押し出されている状態です。 今まで長く長く続けてきたことにより、物理的にも精神的にも生活の一部となっています。周りには「やりたいなら続ければ?」「嫌ならやめればいいじゃない(笑)」と言われるだけですが、私は悩み過ぎて鬱になってしまいました。もともと鬱になりやすくはあるのですが、原因が自分でもわからなかったのですが自分でもまさかの趣味が原因だった!という状態です。 新しい人がどんどん入ってきてもう敵わない ↓ でも生活の一部となっていてやめにくい、「まだいけるのでは?」と期待してしまう ↓ 結局敵わなかったから精神的に辛くなる ↓ 鬱っぽくなってクオリティが下がる これを繰り返しています。 スポーツ選手やアイドルだって時期が来ればそれをやめることになるのでしょう。それはわかっています。自分はあくまで趣味なのでちょっと違うかもしれませんが、人生の一部となっていることについての判断をどう乗り越えていくのでしょうか?

有り難し有り難し 129
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