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hasunoha 問答検索結果 : 「悟り」
検索結果: 2166件

私の般若心経の解釈はあっていますか?

仏師になろうと思い、本日届いた般若心経と金剛般若経の本を読みました。 そして私なりの解釈をしたのですが、間違った解釈をするといけないと思い、専門家の方々に聞こうと思いました。 私は赤子に戻って本を読んで思ったのは、「全ては空である。」です。 空とは無であり無限であることだと思います。 人間は苦しみを持ちますが、それはあると思うからあるのです。 本当はそんなものはありません。 さらに言えば自分というものさえありません。 とはいえ、世界が無なのではありません。 その逆に世界は無限です。 何故ならば、個がないのだから、他者も自分、万物も自分だからです。 全ての人々が他者も自分と思えば世界から苦しみがなくなります。 般若心経が呪文で終わっていたのが印象的でした。 頭でっかちになりがちな現代人に対する大変効果的な修行です。 金剛般若心経の「○○といったから○○ではない。それ故に○○である」の部分も興味深かったです。 確かに空となったらそうなります。 他者との視点と自分の視点の事象を、空としてとらえると面白い論理になると思いました。 総じて懐かしい感じがしました。 不思議なことに以前から知っていたような気がします。 人は誰しも生まれる前に仏の説法を聞いて生まれてくるのかもしれません。 私の般若心経の解釈はあっていますか?

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死を望んで早12年、未だ死ねず

ごめんなさい、こんばんは。 この時間になって、やっと書き込みが出来ました。 悩んでいる方か多いのですね。 私は、自殺をしました。 失敗しました。 その後、死にたいけれど、自殺の恐怖には勝てません。 ただ、生きていても、自信もない、力もない、夢もない、お金もない、思いやりもない人間なので、周りに迷惑をかけてしまいます。 だから、また、死のうと思います。 すると、サポートしてくれた方、親の悲しむ顔が邪魔をします。 だから、また、生きます。 けれど、生きているのは、辛く、身体は思いし、思い描いた自分との差に悩まされます。 親孝行の1つも出来ない自分が大嫌いです。 素敵すぎる両親に申し訳ないです。 だから、また、死のうとします。 次は、死んだ後、地獄に行くのかとか、自殺した人は、より苦しむと言う言葉が頭をよぎります。 そして、また、生きます。 そして、また、死にます。 そして、この苦しみのループから、抜けることなく10歳だった僕は、今年で23歳になります。 生きたいと思う人が亡くなり、死にたいと思う人が死ねないという、嫌な世界です。 目が覚める度に、また、地獄が始まった。 終わりが早く来ないかなと思ってしまいます。 生き地獄です。 唯一の心の救いは、太ももをカッターて切ること。→自らに罰を与えることで、許された気がします。 そこで、質問なのですが、 ・何故、僕のようなゴミが産まれたのですか? ・自殺(自死?)しても、この世の苦しみからは、解放されないのですか?地獄で苦しむのですか? ・自殺で死ぬのも寿命ではないのですか? ごめんなさい。

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友人の自殺願望を止められません。

こんにちは。 友人が死にたいと言っており、なんとか思い留まるように説得していますが、友人の決意は固いようで困っています。 その友人は、ある国家資格を取るために勉強をしています。資格取得の試験は年に一度しかなく、もう6回も落ちています。 その資格を取るために残業のない仕事に転職し、昼間働いて夜は学校へ、という生活をもう6年以上しています。学費と生活費と両親の借金の返済で、ギリギリの生活をしているので、とにかく資格を取得して、たくさん稼ぎたいとのことです。 今年も試験が終わりましたが合格の可能性は低いようで、私に、今年合格しなかったらもう死ぬ。もうこれ以上頑張れないから。と言います。 親の借金を返済しながら、少ない給料での長年にわたる受験勉強に疲れ切っているのです。 私は友人の頑張りをずっと見てきました。なので毎年試験に落ちる度に励ましてきたつもりです。 しかし、今回は説得しても私の言葉は伝わらないようで、自分は結婚もしてないし、金もない。親の借金まで背負って、生きていてもいいことなんか何もないから死ぬんだ。もういいから、と言うばかりなのです。 どうしたら、どう言葉をかけたら友人は自殺を思い留まってくれるでしょうか。 何もしてあげられない自分がもどかしく、こちらに投稿させて頂きました。 よろしくお願い致します。

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「死にたくない」と思わないのは、おかしいことですか

こんにちは。 今年、「私はこのために生まれてきた」と思えるような大きな仕事を、文句のつけようがないほど良い形で果たすことができました。自己満足だけでなく、社会にも大いに役立つ仕事です。この社会に生を受けた責任も、果たし終えたといえると思います。 だから30代半ばにして、私にとってはこの先は「余生」という感覚で、もういつ死んでもいいと思うようになりました。 生きていることが、絶対的に幸せだとは私は思いません。生きていれば、「知らなければ幸せだったこと」を知ってしまい、絶望に苦しまなければならないこともあります。生きるためにはお金が必要ですが、そのためにあくせく働いて「何のために生きているのかわからない」と思ってしまうのでは、目的と手段が入れ替わっているようにも思えます。 それに、今の私は人生の目的を最良の形で果たし終え、幸せの絶頂にいます。もし今、人生の最後の時が来たら「私の人生は最高だった!」と笑って死ぬことができるでしょう。それはある意味、理想の死の形ではないかとも思います。 親はいますが、伴侶や子どもはいませんので、「この子の行く末を見守るまでは死ねない!」というモチベーションもありません。フリーランサーなので、組織に対する責任もないです。親や友人は私にもしものことがあれば嘆き悲しむでしょうが、志半ばではなく充分に人生を謳歌し、社会にも確かな礎を遺して生き切った私を、誇りに思ってくれるのではないかとも思います。 でも、そんな縁起でもないことを考えてはいけない…という風潮もありますし、「長生きしたいと思わない」なんて生物としておかしいのではないか、そんな考えを口に出すことは人としてタブーなのではないか…と我ながら思ってしまうこともあります。 一方で、死生観は人それぞれ、一般論に振り回されても意味がないのではないか…と思う自分もいます。「逆縁なんて親不孝」「生きたくても生きられない人もいるのに」なんて定型文もありますが、そんなのはケースバイケースだと思います。 もちろん、私は「自殺したい」と考えているわけではありません。ただ漠然と「今お迎えが来てもいいな、そうなっても全然『死にたくない』とは思わないな」…などと思っているぐらいです。 私の考えは誤っているのでしょうか。誤っているとしたら、なぜなのでしょうか。 こんな私に、有り難いご教示をいただけたら幸いです。

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2025/10/04回答受付中

忍耐はどこまで続くのか

以前にも相談させていただきました。 夫は病気をしてから自宅療養が続いています。 何度も話をしたせいか、自分勝手な発言や行動などは減ってきた気がします。 私は今年の春からパートを始めて会社の方々にもよくしていただき仕事に充実感を感じています。 そんな中でまた最近、夫の目に異常が見つかりまた手術となりました。 命に関わる事ではないですが自宅で安静にしております。 私はパートに家事に子どもの世話をまた一人で背負うことになりました。 夫は手術したとはいえ体は動くので、家の中で出来ることはやってほしいと都度話しているのですが、何かしら言い訳をつけたり、逆に「俺がダメなんだよな」と言い出す始末です。 私もストレスや疲れが出ているのか、今年に入ってからコロナ、インフルエンザ、風邪などで今年に入ってから4回ほど寝込んでいます。 このままだと私の方がいつか入院してしまうのでは?と思えてきます。 夫には自分の事は自分でやるように都度伝えています。私は仕事も体調不良での休みが多くなり、ストレスがたまり気力も弱っていくと言いますか。 正直、どこまで耐えていけば良いのだろうと考えてしまう日々です。 明けない夜はない、とよく聞きますが夜明けが見えない場合はどのような気持ちで待てば良いのでしょうか。

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2025/10/10回答受付中

輪廻転生について

現代物理学には「ホログラフィック仮説」というものがあります。 これは、「私たちが実際に存在していると思っている宇宙も、実は宇宙の“境界(例えば宇宙の外縁)”にある二次元的な情報の投影である」というものです。 この仮説から、我々の物質世界は実はアカシックレコードにある情報が物質化されたものだと考えることができます。 また、過去から未来に流れる直線的な時間というのも実際には存在しておらず、情報が物質化されることによって、まるで時間軸に沿って物事が成立しているように感じられるのだと思います。 哲学者のベルクソンは、時間を「過去が現在に溶け込みながら未来を生み出す連続的生成」と考えました。 そして、世界の本体は「イマージュ」であり、それが外側に展開したものが「物質」、内側に沈潜したものが「記憶」であると考えました。 また、我々の「脳」は、思考を作り出しているのではなく、「純粋記憶=情報」の中から我々の行動に役立つものを選び取っていると考えました。 これらの議論から、私は肉体的な輪廻転生はないと思います。 アカシックレコードにある「純粋記憶=情報」が物質化されたのが我々の生きる世界であり、輪廻転生とは「純粋記憶が物質世界に現れること」を言うのだと思っています。 三島由紀夫は「未来からの輪廻転生も考えなければならない」と言いましたが、これは以上の議論を踏まえたことだと思われます。 また、私は仏教の無我の思想は正しいと思いますが、一方で人間の「魂」の存在も信じたいと思っています。 古代中国には「魂魄」という概念がありました。 「魂」は精神を支える陽の気で、死ぬと天に昇るとされました。 「魄」は肉体を支える陰の気で、死ぬと地に帰るとされました。 私の考えでは、「魂=宇宙」であり、アカシックレコードの情報から脳が選び取ったものを「魂」と考えれば、仏教の無我の思想と矛盾しないと思います。 (魄についてはよく分かりません。) さらに、「生命」についてはシュレディンガーが言ったように「負のエントロピーを食べる存在」であり、暗黒流体という負のエネルギーによって成り立っていると考えています。 これらは全て、執行草舟氏の思想をもとに考えました。 私が言いたいのは「古典的な仏教の世界観だけでは、宇宙や世界を説明するのに不十分ではないか」ということです。 ご回答よろしくお願いします。

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