先日祖母が亡くなりました。 祖母は、孫や子供が大勢いるなか、私を一番可愛がってくれました。数少ない女の孫でもあったのと、頻繁に会いに行っていた為だと思います。 会うたびに私の学校生活の心配をしてくれ、会うたびに励ましてくれました。 諸事情で高校を留年した時も、ちゃんと卒業できるの?と心配してくれました。また、○○ちゃんは何も悪くないよと言ってくれました。 最近は自分のことで忙しく、祖母に会うことも少なくなっていました。 また、祖母は心配して電話をかけてきてくれていましたが、イライラしている時はわざと電話にでなかったりしてしまいました。 先日、祖母が私の家にお昼ご飯を届けにきてくれて、「頑張りなさいよ。またね」と言ってくれました。 その日の夕方、祖母は自殺しました。 祖母は元々外に出かけるのが好きな人で、老いで足が不自由になってからは毎日とても辛そうでした。それが原因だと思われます。 突然のこと過ぎて、実感がわかないですし、もっと一緒にいてあげればよかった。と後悔の気持ちでいっぱいです。 そして、祖母に自身の卒業する姿を見せてあげたかった。 初めての身内の死ということもあり、祖母の姿を思い出すたびに涙が出ます。 またおばあちゃんと話したいです。またおばあちゃんの声が聞きたいです。 このままだと後追いしてしまいそうで怖いです。 祖母の死を乗り越えられるためには、いったいどうすればいいのでしょうか?
二ヶ月半前の一月一日に祖母がなくなりました。叔父と同居していたのにいきなり独りで逝ってしまいました。 私は母とは折り合いが悪くまた母も祖母との折り合いが悪く敵の敵は味方ではないですが祖母と私は仲良くやっていました。 小さい時はいつも面倒をみてくれていて怖いし厳しいけど大好きだったんです。事情があり海外に住んでいるのですが一年半ごとくらいに帰国しては近況を知らせたりして孫の中では一番気にかけていたと自負しています。 祖母の知らせを聞いたのは一日の夜でした。 急いで飛行機のチケットをとって帰ったのですが二人の妹は母が航空券を払わなかったのと仕事を休みたくないとの理由で帰りませんでした。一つ下の子は祖母にとても可愛がられ祖母はいつも妹の話をし、私に面倒を見るようにと言っていたのになぜあの子は最後のお別れすらいってあげなかったのだろうと未だに憤っています。 もっと妹にあわせてあげたかった。もっといろんなとこに連れて行ってあげたかった。この夏に帰る予定なのでまた帰国した時にいないことを自覚するのが怖くてたまりません。そうでなくっても祖母の写真を部屋に飾っているのでさえ悲しくて涙が出てきてしまうんです。 75歳。あと10年は大丈夫だろうと思ってましたしあと10年たてば私もまともな大人になりたくさんの恩返しができたと思うと辛くてたまらないのです。 他の家族はなんだかんだ立ち直って楽しくやっているようで私だけ毎日泣いている気がしてでも寂しがりやの祖母だからこそ私独りでも祖母のことを思って泣いてもいいのではないかと混乱しています。 寂しいです。一番大切な家族がいなくなってしまってどう立ち直っていいのかわかりません。
初めて質問させていただきます。 数年前、母方の祖母が事故で亡くなりました。 幼い頃から、とても良くしてくれて大好きな祖母だったのですが、葬儀の際まったく悲しいという感情がわきませんでした。 周りの親戚や、私の兄弟たちは、みんな涙を流し悲しんでいるのに、私はその光景を他人事のように見ていました。 そんな自分が怖く、また祖母にたいして申し訳なく思っています。 私はこのまま普通に生活をおくっていってもいいのでしょうか。
私は人は死んだら無になると思っています。しかし無になるということを考えるだけで怖いです。私たちに生まれる前の記憶がないように、その頃の状態になるのかな?などと考えてしまいます。 私がまだ幼稚園か小学生低学年だった頃、NHKのニュースを見ていて「北朝鮮と日本がいつか戦争になるかも。そしたら自分も家族も死んでしまうかも。」などと幼いながらに考えてしまい、死が怖くなって、夜な夜な布団の中で泣いてしまい怖くて朝まで眠れなくなってしまったことがありました。それから月日が経ち、死を考えすぎてしまうことは無くなりました。 しかし最近夜になると死を考えて泣いてしまい眠れなくなってしまうことが再び増えてきました。1度考え出すと怖くて3時間は泣いてしまい気づくと眠れないまま朝を迎えています。 輪廻転生という考え方が好きで、その言葉を支えにしたいのですが、輪廻転生も所詮は生きている人が考えた言葉にすぎない。死んだら思考回路すら無くなるんだから、輪廻転生して再び自我が目覚めたとしても、それは新しい自分であって、昔の自分は消えてなくなる。結局人は無になるんだ。という結論にたどり着いてしまいます。 私の父は69歳、母は63歳、祖母は91歳。比較的高齢の家族ですが凄く元気です。ですがふと、この家族で過ごせる幸せな時間は永遠ではないんだと考え「あと何年?」と考え辛くなります。 最近は高齢な家族故に両親と過ごせる時間より、両親がいなくなった後の時間の方が長いのかもと考えて泣いてしまいます。私は両親のことが大好きなので、2人がいつかいなくなってしまう。「無」になってしまう。そんな日がくるのがとても怖いです。 そして今見ている景色、大切にしている物、現世で学んだ知識、死ぬ時は全て手放さなくてはならない、私も死んだら無になる、家族と家族だったことも無くなる、もうこの家族には会えない…どこまでもそのように突き詰めていってしまいます。 よく「(死を考えるくらいなら)今を楽しく生きよう」という言葉を聞きますが、そのような考え方に自分が対応できず、ただ死が怖いです。 本当に最近このような考え方に陥って泣いて眠れなくなることが多くて困っています。 何か少しでも心が軽くなるお言葉、そして仏教では「死」に対してどのような考え方を持っているのか、お話を聞かせていただきたいです。 よろしくお願いします。
私が大学一年の時、祖母の具合が悪くなりました。祖母はうちから車で30分くらいのとこで一人暮らし、地域でカラオケやゲートボールに参加していました。 横になっても足がむずむずして足の置き場がない、と急に具合が悪くなり歩くのが難しくなりました。祖母と母私で病院を色々訪れてパーキンソン病という病気であることがわかりました。私は祖母の辛い気持ちがわかってもどうすることもできないもどかしさと、子供の頃面倒を見に泊まりに来てくれて元気で優しかったこととのギャップで、祖母が苦しくて泣いているのを見ると、私も泣いてしまいました。 そこからほぼ毎日祖母の家に母と行って、歩くのを支え、ご飯を買って一緒に食べたり、家族全体が祖母が中心の生活になっていきました。 祖母がまた元気になって歩けると信じて、頑張ってきました。ですが、祖母の病気はどんどん進行し、しかも認知症も発症し、幻視幻聴が始まりました。 そこからの介護はもっと大変でした。家の中で火が見えると言ったり、夜中に怖い人が家に上がってきたと言って警察に通報してしまったり、夜中に祖母から電話で絶え絶えの声で「来ておくれ」と言われ、車で駆けつけたこともありました。 その時点祖母はもう歩くのが困難で、杖で歩けたと思ったら急に歩けなくなるときもあって、トイレも夜中に頻繁に行きたがるので、その介助を二人がかりでしました。 私も眠れない日々が続いて、祖母は施設に入りました。私たちも安心だし、何より祖母が幻視などで怖くてもすぐに見てくれる人がいた方が祖母のためでもありました。そうわかっていても、祖母を見捨てたようで苦しかった ズームで月2回面会をして、病院の診察のときに家族が送迎なので会えました。 ですが今は施設でも見るのが難しいと言われ病院にいます。施設いた時より面会できますが体も痩せ病気も大分進んでました。 本人はまた歩けるようになりたいご飯が食べたいと言いますが、体が硬直してるので歩けるようにはならないしご飯は飲み込めないのでゼリーだけ。 それなのに私はそうだねできるよと言ってしまいます。祖母に会うたび泣いてしまいます。病院からいつ亡くなるかわからないと言われています。 どうすればいいかわかりません、何をしても祖母のことを考えて泣いてしまいます。 大切な人の死が近い時、周りはどんな心持ちでいればいいのでしょうか。
初めまして。 学生です。 私は大切な祖母が死んでしまうことが怖いです。 今まで私の人生は順風満帆ではなく、波が大きいタイプでした。祖母含め家族ともたくさん衝突したり八つ当たりしてしまったり、死にたいと言ってしまったこともあります。 今年は、就活という節目を迎えたこともありたくさん迷惑をかけてしまいましたが、最終的に祖母含め家族としっかりと向き合うことができ、私のことを理解し受け入れてもらうことができました。 祖母はその中でも特に寄り添ってくれていて、日中一緒に過ごす時間も長いです。現在、家族ともうまく付き合えており1番幸せですが、その反面高齢な祖母が死んでしまうのがだんだん怖くなってきました。 たくさんお話をしたりご飯を一緒に食べたりして過ごす毎に、いつまで続くんだろうと考えてしまいます。 飼い犬や親族など近い存在を亡くした経験が何回かあるため余計に怖いです。 祖母の死を怖いと感じず、残りの時間を楽しく祖母と過ごすにはどうしたら良いでしょうか。 お手隙の際にお返事いただければ幸いです。 長文失礼いたしました。
私は2年前に結婚をしました。 結婚してから、私の家族の葬式が立て続けにあり、2年間で3回以上ありました。 大切な人が亡くなった悲しみから立ち直れないまま、次のお葬式という感じで心がついていきません。 次は誰がいなくなるのか考えるだけで涙が出ます。 残っている家族を大切にしようと心がけていますが、いずれ来るお別れが怖くて怖くて仕方がないです。 考えないようにしようとしても考えてしまい苦しいです。
大学3年生の者です。私は物心着いた時からずっと祖母と一緒におり祖母がずっと育ててくれました。両親は母がうつ病であった為長年別居をしていました。物心着いた時は祖父・祖母・母・犬の4人と1匹家族で暮らしていましたが私が中学3年生の時の4月に犬が亡くなりその年の10月に祖母が亡くなりました。私は本当に大好きだった祖母だったのですが亡くなった瞬間怖くなってしまいエンジェルメイクもできずろくに顔も見ることが出来ませんでした。祖母が死んでから環境が一変し叔母と母の仲は金銭関係の問題もありどんどん悪化し母のうつ病もどんどん悪くなっていきました。その環境が今でも続きうつ病の母にうんざりすることも多くなかなか声優しい声をかけてあげることが出来ません。また、実家に帰った時は仏壇に手を合わせて「ばーちゃんただいま!」と言っているのですがお墓にはたまにしか行くことができず七回忌の供養にもお金がなかった為変えることができませんでした。祖母は天国で、私が死んだ後娘たちがこんなにも仲が悪くなり孫はあまり会いに来てくれないととても悲しい思いをしていると思います。 そのようなことを考えることが多くなり辛いです。実際叔母と母が仲良くなることはないと思います。自分が何もすることが出来ないことにとても虚無感を感じます。 私はこれからどのようにしたらいいでしょうか? 長々とすみませんでした。
私の祖母は、昨年の今頃、家で転んでしまい、足の骨を折ったきり寝たきりで入院しています。もう一年以上、入院生活を送る祖母はもともとボケていましたが、今やほとんどなにもわからなくなってしまいました。そんな祖母ですが、お見舞いに顔を出すと、ここから出してくれ助けてくれと最近言うようになりました。 たとえボケているとはいえ、やはり入院しつづけるのは辛い精神状態の様です。今では鼻から栄養入れている状態で、たぶんこのまま家には帰れないと思いながらも大丈夫だからここにいて休んでねと声をかけるのはとても辛いです。 それを見ていたら生きるってこんなに辛いんだなぁと思いました。死ぬ事も辛く怖い事ですが、生き続けることもまた辛いのではないでしょうか。なんだか生きることも死ぬこともすごく怖いような気がしてしまい、私自身もなんとも言えぬ恐怖感を感じるようになってしまいました。祖母になんと声をかけてあげると良いか、死と生きることへの恐怖の乗り越え方などアドバイスしていただければ幸いです。
ネットで偶然見つけ、初投稿させていただきます。 私は以前から時々ふと家族や恋人が死んでしまうことを考えてしまい、涙が止まらなくなることがありました。 祖父や愛犬などの死を何度か経験しているので、今生きている人達もいつかそうなってしまうと棺桶に入って、何も映さない目を閉じ、もう動かない様子を想像してしまいます。 身体に触れると、いつかこの体温もなくなってしまうとその体温すら死を連想させてしまいます。 声を聞いても、この声はいつか思い出の中でしか聞けなくなると思ってしまいます。 今こうしている間にも時は流れて、1歩ずつ死に向かっていると思ってしまいます。 自然の摂理ですし、祖母や親の方が確実に先に死んでしまうこと、人間よりも寿命の短い動物の方が先に死んでしまうことは理解しています。 分かっていても、親が昔より痩せ、老いているのを見ると自分が幼く、みんなが元気に集まり楽しく過ごしていたあの頃を思い、時は流れてしまったとまた涙が出てしまいます。 時が止まればいいのにととても切実に思います。 そして、誰かの死を見るのだと思うと、それならいっそ今の間に先に死んでしまいたいと思ってしまいます。 それは親を何よりも悲しませてしまうことだというのは重々承知しています。 でも、道を歩いていても、一つ一つ思い出すことがあり、あの時自分は何を思ったと自分の考えていたことさえ思い出せて、それすら悲しくなります。 でも誰かが死ぬことを思うと気持ち悪くなってしまうくらい悲しくなります。 吐き気も涙も止まらないです。 頭で分かっているはずのことをどうして割り切れないのでしょうか。 どうすれば泣かずにすむのでしょうか。 家族もみんな特に大病もないですが、事故や天災でもう会えなくなってしまうかもしれない。 覚悟して毎日を大切に生きるといいのかもしれませんが、いつか会えなくなってしまうのなら大切にしても後悔してしまうことはきっとあるし、いなくなってしまうなら意味が無いと思ってしまうのです。 すごく自己中心的ですが、もう私の記憶のある限りの今世でもう会えないなら、記憶のない来世でなど意味が無いと思ってしまいます。 ここに書き込んでおきながら、否定的なことを言ってしまってすみません。 色んな方のお悩みを拝読致しました。 その上でこのようなことを申し上げて本当にすみません。 失礼いたしました。
初めまして。 10代の頃から気持ちが落ちている時や寝る前に死や永遠について考えるようになりました。 そして先日祖母が老衰で近いうちに亡くなるかもしれない話を聞き最近では毎日考えています。 死んだら二度と会うことができないのがとてもとても悲しいです。 だから死後の世界が存在して欲しいと思います。 自分も死んだら亡くなった人と再会することができると考えれば少しは楽になるからです。 でも死後の世界で過ごすのもいつまで続くのかと怖くなります。 地球がなくなって太陽がなくなって宇宙がなくなってその後は…と。 そんな世界を見続けること、何もかもなくなってしまった後はどうなってしまうのか、わからなくて怖いです。 死んだら無になるという話を聞いたことがありますが、自分が消えるというのも怖いです。 亡くなった人と会えないことにもなります。 考えても考えても未知な世界なのでわからなくて、わからないから怖いのもあるかもしれません。 生きているからには必ず死が訪れるので、家族や友人、自分の死とも向き合わなければいけなくなります。 死は辛いです。 考えるだけで涙が出てきます。 だからといって永遠に生き続けるのも怖いです。 これから訪れるたくさんの死と生きている祖母の前で泣かない為にもどう向き合えば良いのか教えてください。 乱文失礼しました。
祖母が入院していてもう長くないみたいです。 長くて5年だそうです。 今も危ないと先生は仰ってます。 心臓に水が溜まり今は常に体の中で溺れてる状態で意識も朦朧としてるみたい。 お正月に会ったけどもうそんな長くはないのかな?ってなんとなく思ってました。 でもまだ実感わきません。 自分の身近な人が余命宣告されるとは。 お見舞い行くときちゃんと笑えるかな? 死へ向かうのって怖くないのかな? ひとりで心細くないかな? 寂しくないかな?っていう考えが頭から離れません。 当たり前かもしれないけど大人になってから死を直面するのって凄くしんどくて。 その話も聞いて1日で1kg減ってしまいました。 旦那や赤ちゃんには笑顔でいつも通りな生活をしているつもりでしたがやはり精神的にキツいのかな?と思います。 こういう身近な死はどうやって立ち向かえばいいですか?
ここ最近、祖母の様子がおかしいのです ボーっとしてる事が増えてその時はだいたい話が噛み合わないのです 部屋に上がると冷蔵庫は開けっ放し そこら中の電気も付けっぱなし お風呂は溜めたまま換気扇が回ったまま 祖母の家の中なのにトイレが詰まってる、人が並んでいるなどの話をしたり 電話の留守電も聞いていないのか何十件も残したままです ボーっとしている時や寝不足の時の祖母が怖い時があります… どうすればいいのでしょうか? 寝不足や統合失調症などによるものなのでしょうか? 歳から来る認知症やその類なのでしょうか?
在り来りな質問です。お許しください。 私は毎晩床についていると、ふと、自分の死について考えます。分かるはずもないのに、あーだこーだ考え恐怖で眠れなくなります。 私自身一度も心霊現象のような霊的体験はした事がなく、魂の存在を信じたくても信じきれません。 私の母方の祖母や母が歳をとり、時折見せる老いて弱々しい一面を見ると怖くなります。いつかは自分も死ぬと。 死ぬのは怖いです。永遠に生きれたらと何度願ったか分かりません。どの様に考えたら、死への恐怖は和らぐでしょうか? そしてお坊さんの皆さんは、どの様に死を考えていらっしゃいますか? 是非私に教えてください。
数ヶ月前に、祖母が認知症になりました。前々から兆候はあったのですが、骨折で入院し、帰ってきた時から少しずつ進行しているようです。 私は、そんな祖母の行動にすごくイライラしてしまいます。毎回同じ話をするのは老いているから仕方ないのでまだ堪えられますが、毎分毎分、特に用事もないのに私の名前を呼ぶのが嫌で嫌でたまらないんです。 こんな事はイライラする事でもない、と落ち着いている時なら思えるのですが、いざその時になるとイライラを堪えきれず、つい大声で反論してしまいます。 祖母はよく認知症らしい事件を起こしていました。私は毎回イライラしてしまい、しまいには、ふとした瞬間に祖母の死について考えてしまうまでになってしまいました。 祖母は、たまにいつもの祖母に戻ってくれます。その時に「怖いねえ、怖いねえ、寂しい」と言っているのを聞くと、言いようのない罪悪感に苛まれます。その度に、祖母も自分も嫌うこんな自分を変えたいと思うのですが、上手くいかず、どうしても後悔する結果になってしまいます。 どんな心の持ち方をしたら、優しく、心の広い人になれるのでしょうか。アドバイスをよろしくお願いします。
母方の祖父が年明けの少し前から目を閉じて寝たきりでしたが、先日舌が喉の奥まで下がり窒素しかけたと母から聞きました。 体力も筋力ももうなく、そう長くは保たないだろうから会いに病院に行くのなら早めが良いと。 今月末なら行けると思いました。 しかし、 私は昔中学生になったばかりの頃に目の前で意識を無くした父方の祖母が、そのまま病院で物言わぬ姿になった姿を見た時からいつ来てもおかしくない身近な人の死が怖くなりました。 病気で手術後回復したと思ったら病はずっと身体を蝕み続け、家で弱っていき気付いた時には息を引き取って肉体だけになった父を見た時、泣きわめきたいほどの辛さと虚無感が襲ってきました。 妹に祖父の容態を電話で伝えた時は顔を見に行くと言ったけれど、この2つの出来事が病院に行くことを拒否しようとします。 現実を受け入れたくない、祖父に近く死から逃げたいのだと思います。 祖父に会いたい。でも怖い。いやだ。いかないで。 後ろ向きな感情ばかり出てきます。 でも、覚悟も決めなくちゃいけません。 祖父に迫る死と向き合うにはどうすれば、どんな考え方をすれば良いのでしょうか。
先日、クラスメイトが亡くなりました。 たまに話す程度の仲でしたが、小学校からずっと同じ学校でした。 1ヶ月以上経った今でも、死について考えるのが怖いです。死についてどころか、生について考えるのも怖いです。ニュースの誰が亡くなったという情報にも、過剰反応してしまい、なかなか恐怖が収まりません。友達と人狼ゲーム(敵味方を見分け人を殺していくゲーム)をする時も過剰に怖がり、ゲームに水を差してしまいます。毎晩毎晩寝るのが怖いです。 祖母が認知症になり、死に近づいているのが嫌でも分かります。そうなると自分も死に近づいていると気づいてしまい、何故生きているのかが分からなくなります。 生きることに理由がなくても怖くはありません。始まりと終わりがあるのが怖いのです。 死んで魂がなくなるのも怖いのですが、死んで魂が残る(輪廻転生、霊になる、違う生き物として生まれる)のも怖いです。 動揺していて話にまとまりがなく、すみません。どうか助けてください。
高校生です 私は中学生の頃からずっと死ぬのが怖いです 私はこれまでの短い人生の中でも色々と悪いことをしてきました。嘘もつきましたし、人を傷つけたこともあります また、幼い頃(幼稚園生頃)にお店で量り売りとして売っていたチョコレートを一粒こっそり食べてしまったことがあります。あの事をずっと後悔しています 沢山悪いことをしてきたと思います 私はきっと、死んだら地獄に落ちてしまうことでしょう。祖母は「絶対天国に行けるからね」と言ってくれますが、それでも確証がありません いえ、地獄に落ちるかもしれない、それ以上に怖いことがあります それは、死んだら“私”が無くなってしまうのではないかということです 私は、私がこれまで積み上げてきた物を失うことが、自我が無くなってしまうことが怖いです 今、こうして悩み、悲しみ、笑い、怒り。そんな感情を抱いている私が消滅するかもしれないということが、本当に怖くてたまりません この恐怖は一年に五回程度湧き上がってきては私を悩ませます。怖くて怖くて、死後のことを思うと私は涙が止まらなくなります ですが、周りの大人は私のこの悩みを「くだらない」「大人になればそんな悩み薄れる」と言ってまともに取り合ってくれません。私は“今”の対策が知りたいのです。大人になってから、なんて待てません 死ぬのが怖いと言いながら、不老不死になりたいかと聞かれると困ります。永遠の命なんて寂しいですから この悩みの解決策がわからないままです 今も苦しみを堪えながらこの文をうっています 誰か、私を助けてください カテゴリー等、間違えていたら申し訳ありません
家族や親戚が多く、今までにたくさんの人の死を見てきました。小さい頃から、亡くなった人が怖いのです。 3年前に、実家の祖母が亡くなりました。共働きの両親にかわり世話をしてくれた大好きな人です。よく一緒に眠りました。 亡くなるまでは、祖母が亡くなっても、2人で並んで寝られると思ったのに、いざ亡くなったら、以前の祖母ではなくて、お骨になるまでは怖くて2人きりにはなれませんでした。 通夜の前に、祖母が安置されている部屋の真上で寝たのですが、体が異常に熱くなり寝られませんでした。 私は祖母が怒っているのか、私に何か送っているのか、と思いました。 私のことを1番可愛がってくれた人なのに、怖いと思うなんて薄情者と祖母に言われそうです。 どうして怖いと思ってしまうのでしょうか。祖母には見透かされていますね。それをずっと気にしています。
小学生2年生の娘が 死ぬことに対して恐怖を抱いているようです。また、生きてるのかということについても考えて、不安になっている様子です。 思い返すとここ数年で ペット(熱帯魚)が死んでしまったり、娘にとっての曽祖母が亡くなったり、死について考える事は何回かあったのですが、曽祖母は娘自身は会ったこともほとんどない近しい関係ではなかったので、それほどショックを受けるような感じではなかったです。 それでも、人が亡くなったらお葬式をして、お骨になるという事は少しショッキングだったのかもしれません。 私はいつ死ぬの? 死んだらどうなるの? 私は本当に生きてるの? 「まだ死なないから大丈夫だよ。 あなたが死ぬのは、ひいおばあちゃんぐらいの年齢になってからだと思うよ。」 「たくさんいい事をすると天国に行けるみたいだよ。」 などとも話してみたりもしましたが、なかなか不安は解消されないみたいです。 明日死んじゃうかもしれないと泣き始めることもあります。 生きてることについては うまく説明もできず 「自分が生きてるのかを今考えられてるってことはあなたが生きてるってことなんだよ。」と 「我思う故に我あり」のような事を伝えてみたりしても、小学生には、まだ上手く伝わりません。 死への恐怖 死後の話 生きてること どのように話してあげればいいでしょうか?