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問答一覧

嫌なこと繰り返し考えて自分追い詰めてしまう

職場でつらい思いを2年間してきて ついにメンタルと身体両方限界に達して倒れてしまい、その後2ヶ月ほどリハビリして復職しましたが、もろもろあり今は複雑な立場にいます。 一つは復職後異動レベルとまでは行きませんが 同じプロジェクト内の配置転換を行われました。 これは外から見るとなかなか選ばれた人しか入れないところで、経験の浅い自分は後ろ指をさされてるし、前の場所のあらゆる問題が解決されないままです。それでも前の場所のために 給料抜きで見返り求めず自分なりに尽力しました。 賄賂して逃げ出してんじゃないか豆腐メンタルという根も葉もない噂の空気にはもう、沈黙を貫き、周りに礼を尽くし、力を振り絞って今の業務に集中するしか対処法はありません。これが数ヶ月毎日続くと、なかなかきついものがあります。 また、いろいろ経験して、本当に周りに利害関係なしで自分を助けてくれる人間や、分かり合える人間がいないことが分かり、そうなると表面的な付き合いも本当に不毛に感じてすべてフェイドアウトしました。 となると今は仕事もプライベートも完全なる孤独状態で、まだ復職して数ヶ月で多少責任やタスク量に手加減されていますが、精神的にはいつまで持つかが不安です。 友だちも会社での仲間もいませんし、家族も遠く独り身です。加えて旅行は趣味ではありません。即効的な気晴らし活動やストレス解消法がありません。 また繊細で人が不快な思いをしてたり怒ったりするとすぐ気付いてしまって圧倒されるタイプで、 毎日そういうささやかな積み重ねが延々にぐるぐると脳内で騒いでいます。どんどん追い詰められていきます。 不眠症も加わって苦しいです。こんな惨めな思いにばかり支配されて身動き取れないことが悔しくて仕方がありません。 でも物言わぬ集団の空気に気にしないというのはとても自分には難しいことです。心が不安定なので。せめて一人でも会うと安心できて元気が出てまた頑張ろうという気持ちになれるような友人または恋人または上司に出会いたいと他力本願のことを浮かんできますが、結局どうすればこの苦しみから抜け出せるのでしょうか。これからもきっと、より多くのものを一人で背負わされていくと思うと、あまりにも心細く惨めで何もかもが怖くなってどうすればいいかわかりません。 どうかアドバイスをいただけませんか。

有り難し有り難し 25
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過去のことをクヨクヨ悩んでしまいます。

過去のことをクヨクヨ悩んでしまいます。 仕事やプライベートでの悩み、学生時代にやんちゃをしていたのでその時のことなど 過去のことを思い出しては なんであんなことしてしまったんだろう。そんなことした俺はダメな人間だなどと考えては クヨクヨすることがここ1年くらい続いています。 また、「中学生の時、ある友達の家で友達に迷惑かけてしまったかも」と 過去のことで、しかも迷惑なんてかけてないはずなんですが不安になってモヤモヤしてしまいます。 家族に聞いても「その当時その友達の家に1度も行っていなかったでしょ、 それでどうやって迷惑かけれるの?勘違いだよ」と言われても記憶が曖昧だったり 記憶違いなのか頭になんとなく映像などが浮かんで、 どう考えてもやってないような事で「もしかしたら」といちいち悩んでいるのです。 また、最近では街ゆく女性をエロい目で(エッチしたいなとかセクシーだなとか) 見てしまうようになってしまい 自分はダメな人間だ。最低だと悩んでいます。 今は空元気でもいいから元気でいようと思っています。 「空元気も元気。元気なふりでも心が軽くなる。」という 言葉も聞きますがどうでしょうか。 またスマホアプリを使って瞑想もはじめました。 しかし、根本的な解決方法が知りたいです。 どうしたらクヨクヨせずに前を向いて歩いていけるようになるでしょうか?

有り難し有り難し 19
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いじめやパワハラはなくならない?

なぜ、いじめやパワハラがなくならないか考えてみました。 結論は、「なくならない」 ネガティブ感情や言動(不徳?)によって引き起こされるのではないかと考えました。 恐怖、不安、怒り、イライラ、不快感など。 価値観の固執は、他の価値観を受け入れないことになり、不安や怒りに繋がると考えました。 異質者対しては、大多数のものは不安や恐怖の感情を引き起こします。 社会不安は、生存の危機感を生み出します。 これらのことは、動物にも見られることで、個体の生存に関わることだと思います。老若男女、人種、民族に関わらず、互いの人権を尊重することが、いじめやパワハラのない社会に近づくのだと思います。 このようなストレスマネジメントや人権教育は、本来教育が担うべきものだと思いますが、残念ながらできていないように思います。日本のどこかの学校では、カリキュラムに取り入れていると聞いたことがあります。 医療や福祉の分野の方がだいぶ進んでいて、教育で生み出した問題を医療や福祉が引き受けているのが現状のように感じます。 人間は、自分の体を含む自然現象に逆らうことはできません。ライフイベントで、ホルモンバランスが崩れることがあります。そのようなときにどう対応するのか、男女差で体の中のバランスや変化がどのように変わるのか、互いを理解することが大切なのだと思います。互いを理解できなかったり、無理に抗ったりするから、ネガティブな感情が生まれるのだと思います。 楽観的思考でも、否定的思考でもなく、批判的思考ができるようにする。 起こったことをあるがままに受け入れる。 徳を積んでいきたいと思います。 以上のように考えましたが、仏教ではどのように考えますか?

有り難し有り難し 10
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取り柄がなくなってしまった

タイトル通り、取り柄(具体的には勉強が出来なくなったこと)がなくなってしまったことで、自分のことを肯定出来なくなったことについての相談です。 私は、小中学校の時、勉強だけが出来る子でした。具体的には、体力は人並みなものの運動神経は壊滅的、コミュ力もぼっちになる程ではないものの平均以下という有様でした。 そんな私に対し、両親は全力で肯定してきました。というのも、私の親戚は皆学歴至上主義的な側面があり、特に母は学生時代にスポーツ少年にからかわれた経験から、運動が出来る子=悪、勉強が出来る子=善、という単純な二項対立的な思考の持ち主でした。 私自身もそのような家庭で育った上、事実自信のあったものが勉強だけでしたので、心の奥底で似たような価値観が根付いていました。 しかし、ある程度成熟していくにつれ、私の親戚が言っている論が矛盾に満ちていること、何より人と人を比べて相手を下げる生き方がひどく醜いものに見えてきたのです 以前このサイトでも相談させてもらったので詳細は省きますが、私の親戚は互いが牽制しあってるような人達で、そんな人よりも私には休み時間にサッカーをしている人達のほうが眩しく見えました。(隣の芝生は…という奴かもしれませんが) そういう人達に近づくこと、自身の家庭への反抗の意味を込める事、そして何より勉強する意味がわからなくなり、嫌いになってしまった事で、あろうことか私は唯一の長所であった勉強をやる事をすっぱりとやめてしまいました。 実際以前より明るくなったと思いますし、「相手の良いところを見つけて楽しく過ごす」をモットーとして困ってる人がいたら助けていましたが、一度根付いた価値観はそう変わらないもの、心の奥では勉強が出来なくなった自分から逃げて、その他の面で他人に認めてもらおう、という他人ありきで自分が無い事に対して嫌気がさしてしまいます。 詰まる所、私も心の底では自分は勉強しか取り柄のない奴だとわかっていたのに、親戚という小さいコミュニティだけをデータにして、勉強が出来る人=悪、明るい人=善という毛嫌いしていた母と似たような安易な結論に走ってしまった事に気づき、自分を責める日々です。(親戚のことを責めるのも、それを言い訳にしてるような気がしてできません) 学校では明るいペルソナを被り、自分のことを責め続ける日々。私はどうすれば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 3
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