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問答一覧

過去に犯した過ちとの向き合い方

4年前私は中絶をしました。 仕事で海外にいく、相手との関係の不和、また自分の行いも悪いなどの自分勝手な理由でしたが当時はそれしかない最善の方法と思い決めたことです。 当時は子供を殺したという意識が低く、何故もっと早く今のような気持ちにならなかったのかと思います。 現在妊娠中、過去の自分の過ちと弱さと愚かさに気づき日々悔いています。 中絶から4年の間、それしかなかったのだと思い生きてきたツケでしょう。 お腹の子が気づかせてくれました。 そんな理由で命を奪ったのかと、何度も時間が戻ればと悔いました。 どんなことがあっても産むべきだったと、子供を守るべきだったと思います。遅すぎますね。 恥ずかしながら死ぬことも考えましたが、お腹の子が引き止めてくれました。 今は産まれてくるこの子に愛情をありったけ注ぐこと、家族の為に尽くすことが償いかなと感じています。 日々の中で4年前の子と向き合う為に日記をつけています。見てくれているでしょうか? 死後子供に会うことができると伺いました。誰にもわからないと思いますが、もしそうなら生きる支えになります。 また、将来お腹の子に産まれてこなかった兄弟がいると伝えたいと思っています。なにも伝えないのはあまりにも可哀想な気がして、よくないことでしょうか? やってしまったことは取り返しがつきません。 まだまだ向き合い方がわかりませんが、もぅ泣かずに重い十字架を強さに変えていけるようにしたいです。 死んだ後、子供にあって頑張ったよと言える人生を送れるように。

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本人に余命を知らせないこと

いつも親身に聴いて下さりありがとうございます。 私の忘れられない患者さんについて、相談させてください。長文になります、申し訳ありません。 私がまだ新人の看護師一年目の時の話です。 婦人科系のガンを患い、一通り治療をしましたが、状態が悪くもう抗がん剤は使えないといった終末期の方でした。 医師より、 これ以上の積極的な治療はかえって寿命を縮めるため勧められない。との説明がありましたが、 ・本人は状態が回復したらまた抗がん剤をやりたい。自身が終末期だとは思ってもいなかったような感じでした。 ・家族は『今後の余命については本人に知らせないでください』 とのことでした。 日々状態は悪化し、全身に回ったガンの痛みと闘う日々となっていきました。もう余命1ヶ月もつかどうかといったところでした。 最初は内服だった鎮痛剤も注射薬になり、それでも痛みが取れず医療麻薬の貼付剤から麻薬の注射に変わっていきました。 最期に使う麻薬の薬は鎮静剤もはいっているので打ち始めると眠たくなって、眠ったまま逝くような形になります。 ある日先生から本人に『痛みがだいぶ辛いところまで来ていると思うのですこし眠くして痛みを和らげる薬をしますね』と告げられる日がありました。先生の話の後部屋で足浴をしながら2人きりになった時、その方は苦しそうな表情で 『私は...もうすぐ死ぬの?』 と問いかけられました。私は答えに詰まってしまい、何も答えられませんでした。 その後鎮静が始まりそのまま起きることもなく1週間ほどでお亡くなりになりました。 『私はもうすぐ死ぬの?』 の問いにどうかえせば良かったのだろう。 本人もわかっていたと思うんです。日々重くなる体、正常に作動しない思考、象の足のように浮腫んだ足、パンパンにたまった腹水でうまく呼吸ができなくなる、おしっこが出なくなる、ごはんが食べられなくなる、本人が1番自身が死に向かっていることをわかっていた気がするのです。なら私はなんて言葉を返したら良かったんだろう。 余命も分からず、状態が良くなるのかもわからず、でも自分の体は朽ちていくのは怖かったんだろうなと色々思い馳せてはあれこれと考えてしまいます。 今でもあの方の 『私はもうすぐ死ぬの?』 の問いに答えが返せません。 僧侶の皆様はどのように返しますか?ご助言よろしくお願い致します。

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忘れ去られたお地蔵様

いつもお話を聴かせていただきありがとうございます。 毎日読ませていただいてます。 今回、2回目の質問です^^ 私が生まれ育った実家は限界集落で買い物も車で1時間程 かかる山の中です。 私が5歳くらいの頃の話なのですが、虫歯が痛くなる度に、 おばあちゃんが泣く私をオンブしては遠くのお地蔵様にお参りに 連れていってくれていました。 自分の記憶の中では通称「トンネルのお地蔵さん」です。 結構な坂道で軽く片道徒歩40分くらいはかかったと思います。 祖母は30年前に亡くなりました。 以来、「おばあちゃんはオンブして連れていってくれたんやね・・・重たかったやろね・・・」という会話を実家で毎回の様にしていて、 最近、そのお地蔵様にお礼のお参りをどうしてもしたいという 気持ちが急にズンズン湧いてきて今年の5月に行ってきました。 実は20年ほど前に新しいトンネルができ、そのお地蔵様は 新しい車道から上の部分にあり、新車道からやっとこさ 見える程度の場所にありました。 車を降りて苔だらけの今にも滑りそうな道をかけ上がって行くと お地蔵様らしき?陰を発見。 山の中なので昼間でしたが真っ暗でした。 やはり誰も足を踏み入れていない様子でお地蔵様の上には 大きな折れた木の枝等が覆い被さり、山肌も崩れ、 お地蔵様自体はやっとこさ木の根っこがあればこそ倒れないで どうにか立っておられた・・・という感じでした。 いつ崩れてもおかしくないくらいでした。 木や落ち葉や土をよけると、いつお供えされたか分からないような 缶ジュースとコップが埋もれていました。 こんなお姿になって忘れていて放りっぱなしでごめんなさいと 我を忘れて出来るだけきれいにしました。 そして子供の頃のお礼と、ずっと来なかったお詫びを言い、 ろうそくとお線香をお供えしてきました。 実家に着き、父に話すと「誰も行かないよ」と。 集落の人も誰も何十年も行っていないそうです。 父親もずっと昔からあるお地蔵様なのでどのように お祀りされていたかさえ詳しいことは全く分からない様で。 そして先日、お盆に帰った時に車で前を通ったらお地蔵様が こちらを見ていました(暗く茂った山林の中、お地蔵様だけ浮いて見えた感じとでもいうのでしょうか) お地蔵様は何を思い今、そこに居られるのでしょうか?

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何がいけなかったのか不満が残るばかり

はじめてご相談させていただきます。 職場で私の発言がトラブルになってしまいました。 動物病院に勤務しているのですが、よく来院される方(Sさん)が「動物関係の学校を出ているがどんな仕事につきたいか迷ってる」と、受付で世間話のような感じで就活の話題が出ました。 病院は興味ないのか聞いたら「資格がないから無理だと思ってたが働けるのですか?」と聞かれたので、「資格が無くても、雇ってくれるくれるところはあるかも。実際うちの病院でも以前はいましたよ。本気で考えているなら、応募してみたら?」とアドバイスしました。 その後、来院した際、うちと取引のあるペットショップで働き始めたと聞いたので喜んでいたのですが、突然「院内の見学をさせてもらえたりするんですか?」と聞かれたので、「院長に聞いてOKが出れば」と伝え、確認しておきます。と話は終了しました。 その後院長に伝え、別に構わないとのことだったので返事をする予定だったのですが、翌日Sさんの上司でペットショップの店長さんから電話があり、「Sさんがそちらで働かないかと誘われたと言っている。どういうことですか?うちで働いているの知ってるんですよね?」と苦情がありました。 もちろん、寝耳に水です。就活の話は勤める前の事で誘ってもいませんし、見学の話は返事をしてません。 Sさんは、一月前の話をうちの病院に応募してみたら?と取り、店長さんは見学することを就職前の下見と取ったようです。 そこから、ただの世間話だと思っていたのが、病院とペットショップでの問題になってしまいました。院長は店長に「何も知らない」と伝えたそうです。 そうなると私が「そこをやめてうちで働きなよ。一度見においで」と誘ったことになります。 店長さんに直接話をしようかと思いましたが、これ以上余計なことは言わない方がよいかと悩んでる間に、Sさんから「店長と話し合いました。この話はなかった事にしてください。」と連絡があり、とりあえず解決しましたが、結局私は何も弁解もできず、非常識な人として信頼を失いました。先日店長さんにお会いしたので謝罪をしたらつっけんどんに話も聞かずにもうほっといてくれと冷たく返されました。 職場に迷惑をかけ、信頼も失い、何がいけなかったのかいまだにわからず納得がいきません。いつまでも、不満だけが残ります。消化できない不満にどう対処したら良いのでしょうか。

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祖父の死から1ヶ月、今思うこと

祖父の死から1ヶ月が過ぎ、あと10日ほどで四十九日の法要を迎えます。 なんだか未だに祖父はあの時幸せだったのだろうか、もっと一緒にいてあげれたらよかったという気持ちが渦巻く瞬間があります。 幸いにも温泉旅行に連れていけたことや、祖父の最期を看取れたこと、聞こえていたかは分かりませんが伝えたいことを伝えられたこと。が出来たのはよかったと思います。 亡くなる前から嫌な予感がしていて多少覚悟もしていましたし、亡くなってから葬儀を終えるまで、少しでもそばにいたくて冷たくなった祖父のそばにいました。 亡くなってから葬儀を終えるまでこれでもかというほど我慢せず泣いたので、少し気持ち的にスッキリしています。 しかしながら私の生活の中で生前よりも今の方が祖父のことを考える時間も増えましたし、なんとなくそばに居てくれている感覚があります。 祖父が亡くなってから、少しでも発進が遅れていたら車が突っ込んできて危なかった、とかあと少しでぶつかりそうになるなど、普段ここまで起きないような状況下での車の事故が起きてしまいそうな瞬間が何度かありましたが、すべて何事もなく無事だったので祖父のおかげかなと思い、家に帰る度「今日も助けてくれてありがとう」とお礼を伝えています。それ以外におはよう、いってきます、ただいま、おやすみも欠かしていません。 なんだかいつも座っていた場所にまだ祖父がいる感覚がします。 会えるものなら会いたいとも思ってしまいますが、あまり強く思いすぎても祖父が安心して成仏できないのもつらいので、祖父は楽になったんだなと思うようにはしています。 寂しさが思ったよりもないのはそばにいる感覚、今までより近く感じるからで、その感覚は思い込みではないと信じたいです。 小さい頃から私を可愛がってくれた祖父。大きくなって生意気になり、自分のことばかり優先してしまい、一緒に住んでいながらなかなか一緒にいてあげられなかった情けない孫です。 それなのにいつも私の帰りを心待ちにしてくれていた優しい祖父は、私が孫でよかったと思ってくれていたのでしょうか。

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