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「お寺・行事・お参り」を含む問答(Q&A)一覧

般若心経の「無無明・亦無無明尽・・・」の部分について

こんにちは。 前回質問から、般若心経の「無無明・亦無無明尽・無老死・亦無老死尽」 の部分が、やはり気になってしまってるので質問させて頂きます。 この部分は十二縁起についての言及との事ですが、 十二縁起を乱暴ながら私なりに要約すると 根源的な無知(無明)→生存本能と外界知覚(行・識・名色・六処)→本能と分かち難く生じる煩悩(触・受・愛・取)→本能と煩悩で成り立つ生存(有)→生存する主体として「私」という想念が生じる(生)→「私」はいずれ死ぬ(老死) と、言う事でしょうか。 私の考えでは、この部分について般若心経は 「どんなに達観しても十二縁起の因果関係は断ち切り難い」 (「無」無明尽・「無」老死尽→否定としての「無」) けれども 「物事をありのままに見れば(空相にて照見すれば) 全てが、かけがえのない真実と分かる」 (「無」無明・「無」老死→空相、全体性としての「無」) と「無」と言う言葉が違った使われ方をしているように 思うのですが如何でしょうか? 字面通りに読めば「Aは無いけど、Aは尽き無い」と言う二律背反になり、 これでは意味の全く通らないナンセンス文章です。 この部分、般若心経を読む誰もが最初に「あれ?」と思う所ですが、 腑に落ちる説明をしている本がありません。(偉そうに言える程、 本は読んでないですが) 中には「十二縁起なんて形式にこだわるのは小乗仏教だ。 般若心経は大乗仏教だからそんなものに拘らない」 とバッサリ斬っている書籍もあります。 そんな単純なものでもないと思うのですが・・・ 解釈は色々あるかもしれませんが、お考えをお教え頂ければ幸いです。 何だかマニアックな質問になってしまいすいません。

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寺費など色々質問させてください。

まず、私自身、障害者(身体内で出血があり原因不明の病気です。)であり、生保と障害年金で生活をしています。 月にすると約78000程で光熱費や家賃の不足分等を支払っています。 毎月残るのは45000程です。 家族、兄弟姉妹は居らず単身独居です。 母の妹が一番近い身内になりますが確執があり連絡を取ることを拒否されています。(障害者だということで嫌われています) 先日、お寺より寺費の請求がきました。 約13000円です。 生活で目一杯で払えずにいます。 このことをお寺の方にも伝えたのですが分かってもらえず困ってしまいました。 大切な家族が眠るお墓がある、お世話になっているお寺様なので払いたい気持ちは山々です。 しかし現実は困難です。 再来月には母の1回忌を控えており、その為にやっと僅かなお布施と花代を貯めました。 1月~3月までは生保が351円しかいただけず、暖房もつけずに一日一食、食パンを一枚だけ食べて過ごしました。 母の供養のお布施を使うわけにはいきませんし… 知恵をお貸しください。 また、トバの名前は私の名字になるのですが、元旦那の暴力で夜逃してきた為に籍は抜けていますが元旦那の名字のままです。(離婚後に暴力を受けました) この名字のトバをお墓に立てたくはありません。 事情を話し、旧姓でトバをお願いすることは出来るのでしょうか? お教え願います。 そして最後の質問というか悩みなのですが、母の妹である叔母との関係はどうしたらいいのか悩んでいます。 昨夜、親戚が亡くなっていたのを地元の友人と話していて知りました。 すぐに電話で連絡を取りお詫びをしたのですが、叔母に私へ連絡をするように頼んだそうです。 しかし叔母から連絡は来ていません。 正直に話し、私の連絡先を親戚には伝えました。(他の親戚にも伝えてもらえるようお願いしました) 何も出来ませんがせめて最期のお別れくらいは言いたかったです。 なぜ、障害者というだけでそこまでの仕打ちを受けなければいけないのか…納得いきません。 だからと言って、この事を叔母に伝えても夫婦揃って役立たずの障害者!お前は恥だ!と罵られるでしょう…。 好きで病気になったわけではありません。 このまま肩身を狭くして生きていかなければいけないのでしょうか? 法要の事もあり落ち着かずにいます。 支離滅裂な文章になってしまいすみません。

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般若心経の「無」について

こんにちは。 般若心経の 「無色無受想行識・無眼耳鼻舌意・無色声香味触法」 の部分について疑問があるので質問します。 般若心経で「空」と言うと、単に「無い」とか 「虚しい」とか言うものではなく、 「縁起として存在し、固有の実体を持たず、執着の対象ではない」 と言う程度に私は認識しています。(間違っていたらご指摘ください) しかし「無」となると、どのように読めば良いのでしょうか? 「無」も「空」と同じようなものとして考えれば良いのでしょうか? 上記の部分について、字面通りに受け取ると 「すべての感覚器官と意識作用をシャットアウトせよ」 て言ってるようにも受け取れてしまいます。 もちろん、そんな単純な事ではないと思うのですが・・・ 「現実をそのままに見よ」と言うのが 仏教の基本的な考え方だと思うのですが、 「無」と言う字で表わされては「見るな、聞くな、・・・」と 言っているように思えてしまい、ひいては現実世界そのものを 否定しているようにも思えるのですが、 如何なものでしょうか? それとも、このように字面を捉えて理屈で考える事自体が 仏教の本質から遠ざかっているのでしょうか? 最近、毎日お唱えしている般若心経ですが、 上記の部分が妙に気になってしまうので質問しました。 ご教授頂ければ幸いです。

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お寺への死去の知らせについて

いつもありがとうございます。 今日は、お手紙の書き方についてご相談させてください。 祖母の姉が先日亡くなりました。百歳越えの大往生でした。これといった病気もせず、眠るように亡くなりました。 祖母の姉のことは、おばさんと呼んでいたので、ここでもそう書きます。 おばさんの家族はすでに亡くなっていますので、妹である祖母の親族である私たちがお世話をしてきました。すでに、父母が中心となり、納骨を済ませました。 おばさんは、自分が亡くなった後、お墓を守る人がいなくなるので、生前に永代供養も済ませ、お墓の永代使用料もお渡ししました。 ただ、事情が複雑で、幼い頃に亡くなった、おばさんの娘さんのお墓が、別のお寺にあります。 もちろん、そちらも同様に永代供養してあります。しかし、おばさんがそのお墓に入るわけではなく、そのお寺様に葬儀のお経をお願いしていないので、そのお寺様は、おばさんが亡くなったことを知りません。 毎年、そのお寺からお手紙が送られてくるので、おばさんが亡くなったことをお手紙でお知らせしたいのですが、どのようにお知らせしたらいいのかわかりません。 アドバイスをお願いします。

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