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「お葬式・法事」を含む問答(Q&A)一覧

遺骨とは何ですか。魂と霊の違い 法要について

生後6ヶ月の愛娘(二女)を病気で亡くしました。先週四十九日の法要を執り行いましたが、納骨はしませんでした。 私は無宗教ですし、私自身、義実家のお墓に入りたくありません。(旦那さんは次男ですが、長男が遠くにいるため、旦那さんがお墓を継ぐことになりそうです)そもそも私はお墓というものに入りたくありません。子どもに私のようにお墓問題で煩わしい思いをさせたくないのです。 自分でも入りたくないところに娘を入れるなんて考えられません。私の骨と一緒に散骨でもしてもらおうかと思っています。それまで手元に置くのはおかしいでしょうか。保存しておけるかという問題もあるでしょうが。 義父には、とりあえず今はいいが、なるべく早く納骨しろと言われます。お寺の友達にも納骨することが供養になるとも言われました。 そこでふと疑問に思いました。遺骨ってなんなんだろうと。 四十九日にお寺さんから位牌に魂をいれてもらいました。ということは娘は位牌(自宅)にいる、と考えるのですか?でも、新盆は故人の霊が初めて帰ってくるから通常のお盆より盛大に執り行うんですよね?「魂」と「霊」の違いもよくわかりません。 今後の法要についても形式的に義父からいろいろ言われそうでストレスを感じます。自分で納得して供養をしていきたいです。 娘はどこにいると考えるのですか?私自身は、今日は天国の保育園でお友達と楽しく遊んでるかなと思ったり、いつも私たちのそばに空気のようにいてくれると思ったり。それで、手を合わせる対象として写真や遺骨や位牌を自宅に置いて、毎日お線香をあげられればそれでいいんじゃないかと思ってしまいます。お墓も要らないです。 今後、法要をしたとしても参列してくださるかたは生前の娘を知りません。長期入院で基本的に両親、祖父母の面会しか許可されていませんでした。お葬式で初めて顔を見た方ばかりです。そんな方が集まっても娘の話をすることはありません。四十九日の法要も、ただ義親の兄弟親戚の集まりで娘の話は出ません。会ったことが無いのだから当然です。そんな法要を今後していく意味が感じられないです。 今後の法要で、残された人の気持ちに区切りを付けるとかあるのかもしれませんが、私は娘を亡くしたことを毎日忘れることは出来ませんし、義父に指図されながら法要をしていくことが堪らなく嫌です。

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高野山真言宗の決まりごとでしょうか

当家は香川県の本籍ですが、祖父母の定住が岡山県だったので、岡山県にある高野山真言宗のお寺様に当家代々のお墓を建てたそうです。 先般私の父が突然の急逝を致しました。 お墓を建てた時のご住職にも意向を伝えて建てたらしく、納骨は父兄弟間のその当時の約束事と、親類一同の勧めもあり、このお墓に納骨する事になっていました。 父からももしもの時は、お寺様に納骨だけしてほしいとは言われてました。 本来はこのお寺様で法要一式を行うのが本筋かもしれませんが、 両親は大阪在住であり、お恥ずかしながら葬儀の必要費用もない状況でもあり、私は愛知県在住、母が寝たきり、父の近親者も東京千葉と遠方で、お体の具合も良くなく、医師から遠出は無理との診断と言うこともあり、大阪で同じ宗派のお坊様を手配して、大阪で私と関西在住の親類で家族葬の葬儀をしました。 この度49日を迎えるので、葬儀に来ていただいた大阪にあるお坊様の寺院で法要を行った後、納骨の段取りをする予定でした。 49日を迎えるにあたり、岡山のお寺様に経緯を伝えた ところ、葬儀の時点で事前にご相談してなかったからかもしれませんが、納骨に際してお断りをされそうな感じです。 その様な事は普通にあるのでしょうか。 岡山在住の父の兄弟が他の兄弟に代わってお寺様とは檀家としてお付き合いしていただいてました。 親族一同、今の時代にそんな事を言われてもと言う感じです。 岡山のお寺様に快く納骨法要をあげていただくためのやるべき事はございますでしょうか。

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父の17回忌が近づいています。

お世話になります。 今回は、実家の父の17回忌法事のことで相談させてください。 父は次男で、郷里から離れて家庭を持ちました。 そのためお付き合いのある寺はなく、父が亡くなった際、葬儀会社の紹介で急遽、お寺を紹介してもらいました。 初対面のお坊さんに父の戒名をお願いしたのですが、父に所縁のある漢字も使用されず、生前の人柄なども尋ねられることもなく、ただ事務的に考えて下さった印象を持ちました。 〇〇院、と父方親戚にはつけられているためそれだけを頼むと、割増料金?のような請求があったと記憶します。 その後、法事の度に実家へ来て頂きましたが、愛想のかけらもなく、ただお経をあげられて支払いを済ませると、矢のように帰られます。 会話も殆どなく冷たい対応しかないため、すっかり私たちも信頼する気持ちが薄れてしまい、今度の法事では呼ばない、と母が言い出しました。 そして、お坊さんなしで自分たちで読経して17回忌を済ませよう、と言うのです。 私が、他にお寺を探してお願いしよう。と提案しても聞いてもらえなく、兄姉も母に賛成のようです。 父に申し訳ないようで、とても気になります。 家族だけで法事するなら、せめて私だけでも何かできないかと思いますが、アドバイスいただけますか? 宗派は、浄土真宗の"お東さん"らしいです。

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繰り上げ初七日について

こんにちは。初めまして。 先日、最愛の祖父が亡くなりました。 突然の別れで心の整理がついておりません。 今まで、人の死にあまり直面したことがなく 恥ずかしながら、お葬式や四十九日法要等にどんな意味があるのかもぼんやりとしか知らず 祖父が亡くなってから自分で調べて詳しく知りました。 そこで気になったことがあります。 祖父はお葬式当日に繰り上げ初七日というものを上げて頂きました。 本来であれば、亡くなった日を含めた七日目に行うものだそうですが 今は生きている人の都合に合わせ、繰り上げるのも一般的と目にしました。 ですが、四十九日の意味合いを調べた中で 七日ごとの節目に中陰で故人の裁判を行い 最終的な四十九日の日に故人がどの道へ進むかが決まり、かつ天に召されると書いてあり (四十九日法要で残された側がお経を読むことで、万が一、故人に罪があっても軽くなるので四十九日法要は大切ともありました) その場合、繰り上げ初七日をしたので 数えの四十九日ではなく、7日早く裁判があったり 天に召されるのが早くなったりということになるのでしょうか? もしそうであれば 今まで、自分自身が仏教の教えを忠実としてなかったのにおかしいかもしれませんが 大好きな祖父が少しでも天国で穏やかに暮らせるように 定められた日付を守り、お経を上げ、見送って上げたいのです。 言葉が拙くて申し訳ないのですが ご教示頂けますと幸いです。

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お骨を拾うより子どもの昼寝を優先してしまいました

先日、悪いことが続いている、悪い方位に引っ越してしまったせいだ、何を信じて生活していけばよいのでしょうか、と質問させていただきました。そして現実を受け止め心を鍛えて乗り越えることをお坊さま方からアドバイスいただきました。 私の心の持ちようとして、上記の質問と関連があるかもしれないので、また質問させてください。 2年前、祖母の葬儀に参列した後、火葬したお骨を拾うことより、当時一歳だった息子を自宅で昼寝させることを優先してしまったことをとても後悔しています。 祖母とは私が結婚して家を出るまで同居していたため、幼い頃は特に、共働きだった両親に代わり、育ててもらいました。結婚してもすぐ近くに住んでおり、毎日のように顔は合わせていました。 当時から私は子どもの睡眠を特に重要視していました。発育に絶対的に大事だと思っているからです。でも、今考えると、なぜ祖母の人生最期のそんな大事なときにすら息子の昼寝を優先してしまったのか。よく考えれば1日くらいきちんと昼寝させなくても良かったのに。 そしてその後悔をし始めたのは、下に生まれた娘が、呼吸の病気でよく眠れないからなのです。なぜ私が一番大事にしている睡眠に関わることで娘に病気が出てしまったのか。原因を考えると、祖母のお骨のことを思い出しました。大変なことをしてしまったと罪悪感でいっぱいです。 祖母のお墓は現在住んでいる自宅のすぐ近くなので、子どもの散歩がてらできるだけ立ち寄るようにしてはいます。 祖母に悪いことをしてしまった、娘に病気が出たのはそのせいではないか、と思っています。もう取り返しはつきません。祖母へ謝罪の気持ちを伝えるにはどのようにしたらよいのでしょうか。

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父が亡くなりました

1月6日父が77歳で亡くなりました。 昨年末12月22日の日に急変をし、約二週間程の最後の闘病でした。 1月6日には母や妹夫婦孫二人に父の姉妹甥御姪御全員がお見舞いをし、今日明日どうこうという事は無いだろうと言うことで、全員が帰路についた後静かに息を引き取りました。 最期は延命治療を望まずと言うことで父は一人で旅立ちましたが、誰にも迷惑を掛けること無く痛がりもせず苦しみもせずに逝った様子で77歳という若さですが穏やかな幕引きになったのでは無いかと家族で話しているところです。 さて、私は父の今際の際に臨み自分がどんな風になるのだろうかという不安がありました。取り乱し錯乱するのでは無いかとさえ思っていたのです。 しかし、現実は年末に父の様態が急変しいつ何事かがあってもおかしくない状態であるとお医者様から言われていたので、お寺さんの手配や葬儀の準備で忙しすぎたのか、父が逝去しても取り乱すこと無く淡々と父の野辺の送りを終えることが出来ました。 葬儀後も各種手続きや会葬下さった方へのお礼など日々の忙しさの中で哀しみの感情がわかないと言いますか、まだ父が亡くなった実感が持てずに居ます。 このような自分は何か変なのかな?、と思いここに書き込ませていただきました。 毎日父の霊前に線香を手向け、読んだことの無い般若心経をお唱えしています。 今日お寺さんが来てくださり二七日の法要をしていただいたところです。 このような感じで淡々と日々は過ぎていくものなのでしょうか?

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