私の父は元、僧侶でしたが若い時だけでそれ以降はサラリーマンをしてました。 今92才で入院しているのですが死後の事で相談です 恥ずかしながら全く貯金もない人でお葬式代もありません。子供である私達も出来る限りのことしかしてあげられません。 菩提寺もありますが僧侶として戒名をもらうには100万だと言われました。 でも、お金が無いので火葬葬で戒名も普通のかもう、俗名のままかましれません。 元、僧侶なのにそれでいいのかと、思いますが、実際問題出来ない事は出来ないと割り切るしかありませんよね? どれが正しいのかわかりませんが、何かアドバイス御願いします
私自身は浄土真宗本願寺派の門徒なのですが、故人である父は無宗教、祖父母は日蓮正宗、です。 現にまだ生きている私(兄弟いませんので私しかやる者がおりません)が先祖の祭祀者?ということになるのでしょうが、亡き人の供養はどうしたらよいか困っています。 やらない、というのも一つの手ですが…祖父母には大切にしてもらいましたので、何らかはしたいなと思う気持ちがあります。やはり亡き人の宗旨である、日蓮正宗式の供養ということにすべきでしょうか。 また、実家に位牌があるのですが、真宗は位牌を用いません。この処分…ということも考えねばならないでしょうか。 なお、故人の墓は市営墓地で、特定のお寺の檀家にはなっておりません。 祖父母の葬儀までは日蓮正宗の寺でしたが、以降は住職の代替わりなどもあり、すでに付き合いが全くありません。
至急回答希望です。 長年入院していた父が本日86歳で他界しました。 明日がお通夜、明後日がお葬式の予定です。 私には子供が二人おり長女は社会人、長男は大学四年生です。 長男は一昨年より公認会計士を目指し試験勉強に取り組んできました。 今週日曜日にその試験があります。 明日のお通夜、葬式共に出席についてどうしたら良いのか悩んでいます。 本人に伝えれば恐らく出席すると言うと思います。 私としては、試験の前にお通夜、葬式となると精神的に負担かと思い祖父が他界したこと伝えるべきか迷っています。 息子に伝え、出席するかどうかは本人に決めさせるべきなのかアドバイスよろしくお願いします。
生後6ヶ月の愛娘(二女)を病気で亡くしました。先週四十九日の法要を執り行いましたが、納骨はしませんでした。 私は無宗教ですし、私自身、義実家のお墓に入りたくありません。(旦那さんは次男ですが、長男が遠くにいるため、旦那さんがお墓を継ぐことになりそうです)そもそも私はお墓というものに入りたくありません。子どもに私のようにお墓問題で煩わしい思いをさせたくないのです。 自分でも入りたくないところに娘を入れるなんて考えられません。私の骨と一緒に散骨でもしてもらおうかと思っています。それまで手元に置くのはおかしいでしょうか。保存しておけるかという問題もあるでしょうが。 義父には、とりあえず今はいいが、なるべく早く納骨しろと言われます。お寺の友達にも納骨することが供養になるとも言われました。 そこでふと疑問に思いました。遺骨ってなんなんだろうと。 四十九日にお寺さんから位牌に魂をいれてもらいました。ということは娘は位牌(自宅)にいる、と考えるのですか?でも、新盆は故人の霊が初めて帰ってくるから通常のお盆より盛大に執り行うんですよね?「魂」と「霊」の違いもよくわかりません。 今後の法要についても形式的に義父からいろいろ言われそうでストレスを感じます。自分で納得して供養をしていきたいです。 娘はどこにいると考えるのですか?私自身は、今日は天国の保育園でお友達と楽しく遊んでるかなと思ったり、いつも私たちのそばに空気のようにいてくれると思ったり。それで、手を合わせる対象として写真や遺骨や位牌を自宅に置いて、毎日お線香をあげられればそれでいいんじゃないかと思ってしまいます。お墓も要らないです。 今後、法要をしたとしても参列してくださるかたは生前の娘を知りません。長期入院で基本的に両親、祖父母の面会しか許可されていませんでした。お葬式で初めて顔を見た方ばかりです。そんな方が集まっても娘の話をすることはありません。四十九日の法要も、ただ義親の兄弟親戚の集まりで娘の話は出ません。会ったことが無いのだから当然です。そんな法要を今後していく意味が感じられないです。 今後の法要で、残された人の気持ちに区切りを付けるとかあるのかもしれませんが、私は娘を亡くしたことを毎日忘れることは出来ませんし、義父に指図されながら法要をしていくことが堪らなく嫌です。
先日、連絡を受けて一人暮らしの首都圏から帰省して数日後、実家で在宅介護中だった祖母が危篤になり、 老衰のため亡くなり、家族みんなで看取りをしました。 家族葬(自宅葬)だったのですが、お通夜の日私は、頭痛や吐き気などが酷く、1日体調が優れず別室で寝込んでいました。 喪主を務めた父や、母、他の親族も「無理しなくて良い」と言ってくれて寝ていたのですが、自分の中で後から祖母に対して申し訳無く感じてしまいました。 亡くなった直後のエンゼルケアを看護師さんと行ったり、枕勤め、葬儀、火葬の際はきちんと手を合わせ祖母に感謝を伝えました。 兄妹の中で私1人だけ実家を出て首都圏で一人暮らし、土日固定休み等では無いため、今後も法事など参加出来ない可能性がある…と思うと申し訳無く思ってしまいます。 帰省した際などには、仏壇に手を合わせ、行ける時にお墓詣りするのは当然かもしれないですが、やろうと思っています。 それだけではなく、頻繁に帰省できない分、離れていても仏様に出来ることは何がありますか? またお世話になった祖母なのに、お通夜の場に居れなかったことは失礼ではないのでしょうか? 教えてください。
初めまして、私は昨年再婚し家族3人でくらしております。 父が平成26年に亡くなりました、その当時、父と祖母は生活保護をもらっており身元引受人で私が立ち会いました。お墓は祖父が眠っている墓があるので、そこへ入れようと思ったのですが頼めるとこがなく祖父の代から?のお寺に頼みました。その後、祖母の施設なども決まり落ち着いていましたが、先日、お寺から、祖父の33回忌の件で連絡がありました。正直もう私も結婚し、仕事も忙しいのでなかなか時間も取れません。祖母が施設に入りますが、まだ健在なのでできればそちらで対処してほしいのですが、難しいのでしょうか。また、祖母が亡くなったらそれは私が引き継がなければならないのでしょうか。母子の時なら可能かもしれませんが、結婚し相手がおりますのでなかなか難しくお金も入り用になると少々厳しいと思います。 逆にやらなければならないのであれば、もう家はお金もないのでできませんっていう旨を伝えても大丈夫でしょうか。
先日、親戚のお葬式に行きました。 確か浄土真宗だったと思うのですが、「ツナマンダ〜ツナマンダ〜」という聞き慣れないお経を聞きました。あれは何と言っているのでしょうか?よく聞く「南無阿弥陀仏」とは違うのでしょうか?
当家は香川県の本籍ですが、祖父母の定住が岡山県だったので、岡山県にある高野山真言宗のお寺様に当家代々のお墓を建てたそうです。 先般私の父が突然の急逝を致しました。 お墓を建てた時のご住職にも意向を伝えて建てたらしく、納骨は父兄弟間のその当時の約束事と、親類一同の勧めもあり、このお墓に納骨する事になっていました。 父からももしもの時は、お寺様に納骨だけしてほしいとは言われてました。 本来はこのお寺様で法要一式を行うのが本筋かもしれませんが、 両親は大阪在住であり、お恥ずかしながら葬儀の必要費用もない状況でもあり、私は愛知県在住、母が寝たきり、父の近親者も東京千葉と遠方で、お体の具合も良くなく、医師から遠出は無理との診断と言うこともあり、大阪で同じ宗派のお坊様を手配して、大阪で私と関西在住の親類で家族葬の葬儀をしました。 この度49日を迎えるので、葬儀に来ていただいた大阪にあるお坊様の寺院で法要を行った後、納骨の段取りをする予定でした。 49日を迎えるにあたり、岡山のお寺様に経緯を伝えた ところ、葬儀の時点で事前にご相談してなかったからかもしれませんが、納骨に際してお断りをされそうな感じです。 その様な事は普通にあるのでしょうか。 岡山在住の父の兄弟が他の兄弟に代わってお寺様とは檀家としてお付き合いしていただいてました。 親族一同、今の時代にそんな事を言われてもと言う感じです。 岡山のお寺様に快く納骨法要をあげていただくためのやるべき事はございますでしょうか。
またまた早急です。 妹の義父が、肺がんであと1ヶ月と言われたようです。 心臓の手術もしたし、脳動脈瘤もあるらしく、たくさん病気がありすぎて、治療できないと。 妹の義母から、お見舞いにも来ないでくれ。お葬式にも来ないでくれと言われたようで。 香典を妹に預けて、お葬式の時に渡してもらおうかと思えば、お葬式に香典を持ってくと、死ぬのを待ってることになると言われたらしく。 妹も香典を預かると旦那に怒られると。 49日すぎてから、香典持って線香あげにこいと。 香典は、お葬式に持ってくものではないのですか? 宗派によって違うのですか? うちはこんなに振り回されないとならないのでしょうか? 嫁に出したから、全て我慢してあちらの言いなりにならなければならないのでしょうか? うちは、主人が主人の身内とわけあって疎遠にしたのでこういう問題はないので、どうなのかなと。 母もイライラしてるし。 最悪、書留で送るらしいです。 ちなみに、実家と義実家は一年に一度も会うことはありません。 今年から、年賀状もお年賀もやらないとあちらに言われたので本当に付き合いは皆無です。
もうすぐ娘の1周忌です。 お斎について2つ教えてください。 ・お斎は必ず行わなければならないのでしょうか? 娘が亡くなってから沢山傷つくことを言われたので、できれば主人側の親族と食事を一緒にしたくありません。 それと一周忌は命日ぴったりに行うので、できれば法事後は家族でゆっくり娘のことを想いながら過ごしたいと思っています。 ・お斎を行うならば、お坊様はご招待するべきでしょうか? できれば食事をご一緒するのではなく、お膳料をお渡ししたいと思っています。 ご招待もせずにお膳料をお渡しするのは失礼でしょうか? やはり礼儀として、事前に出席の有無を確認するべきでしょうか? よろしくお願いします。
御仏前の金額の相談です。 まもなく実父の四十九日があり、法要後に会食もあります。 法要には姉の方は3人(姉と子供2人)、私は1人で出席します。 私は、姉と同じ金額を包もうと思っているのですが、それで大丈夫でしょうか? 出席人数が違うので、私は姉より少ない金額にすべきなのか、迷っています。 (ちなみに、姉も私も既婚者で姉は50歳、私は40歳です。) なお、お葬式の香典は姉も私も同じ金額を包みました。 母には相談しづらいので。 アドバイス、よろしくお願いいたします。
お世話になります。 今回は、実家の父の17回忌法事のことで相談させてください。 父は次男で、郷里から離れて家庭を持ちました。 そのためお付き合いのある寺はなく、父が亡くなった際、葬儀会社の紹介で急遽、お寺を紹介してもらいました。 初対面のお坊さんに父の戒名をお願いしたのですが、父に所縁のある漢字も使用されず、生前の人柄なども尋ねられることもなく、ただ事務的に考えて下さった印象を持ちました。 〇〇院、と父方親戚にはつけられているためそれだけを頼むと、割増料金?のような請求があったと記憶します。 その後、法事の度に実家へ来て頂きましたが、愛想のかけらもなく、ただお経をあげられて支払いを済ませると、矢のように帰られます。 会話も殆どなく冷たい対応しかないため、すっかり私たちも信頼する気持ちが薄れてしまい、今度の法事では呼ばない、と母が言い出しました。 そして、お坊さんなしで自分たちで読経して17回忌を済ませよう、と言うのです。 私が、他にお寺を探してお願いしよう。と提案しても聞いてもらえなく、兄姉も母に賛成のようです。 父に申し訳ないようで、とても気になります。 家族だけで法事するなら、せめて私だけでも何かできないかと思いますが、アドバイスいただけますか? 宗派は、浄土真宗の"お東さん"らしいです。
父のことでこのhasunohaでお坊様に様々なアドバイスをいただきました。 おかげさまでこの週末に49日の法要を営む事になっております。 さて、ここで質問と言いますか疑問に思うことがありお教えをいただきたく書き込みをさせていただきます。 実は妹夫婦のことで少し疑問に思うことがあるのです。 妹の旦那の実家は浄土真宗だと言うことです。 私どもは真言宗のお寺さんで初七日から七日ごとにご住職にお参りをしていただきました。 しかし、妹夫婦は葬儀当日の繰り上げ初七日以降、七日ごとの法要にもそのほかの日にも父の霊前にお参りをすることはありませんでした。 浄土真宗の教えでは人は臨終の際に阿弥陀如来様に救われて成仏をするという教えのようですが、その教えに従えば七日ごとの法要やその他の日にも父の霊前にお参りをすることが無くても不自然では無いのでしょうか? 周りに浄土真宗のしきたり等について相談できる人が居ないのでどうか事情をお話しくださればと思い書き込みをさせていただきました。 よろしくお願いします。
知り合って7年、交際相手のお母様が亡くなりました。お父様は三年前に亡くなっています。遠距離の期間や私の立場もあり、ご両親とは面識はありませんでした。 一般参列でご葬儀に参列しようと思いましたが、家族葬だからと言われ参列しませんでした。 ですが、四十九日には招待したいと言われ、どうして良いのかわからず、こちらに質問しました。 御親戚、御兄弟が集まる、お母様の御供養に私が出席するのは場違いだと思っています。彼は集まる機会が少ないから、私を紹介したいと言ってくれましたが、 私は立場もあり、きちんとしてから別な機会にと伝えました。お母様を偲ぶ気持ちも伝え、四十九日前にご自宅に伺う事も伝えました。 私は、四十九日に出席するべきなのでしょうか?出席することによって彼が御親戚から非難されるのではと考えてしまいます。
こんにちは。初めまして。 先日、最愛の祖父が亡くなりました。 突然の別れで心の整理がついておりません。 今まで、人の死にあまり直面したことがなく 恥ずかしながら、お葬式や四十九日法要等にどんな意味があるのかもぼんやりとしか知らず 祖父が亡くなってから自分で調べて詳しく知りました。 そこで気になったことがあります。 祖父はお葬式当日に繰り上げ初七日というものを上げて頂きました。 本来であれば、亡くなった日を含めた七日目に行うものだそうですが 今は生きている人の都合に合わせ、繰り上げるのも一般的と目にしました。 ですが、四十九日の意味合いを調べた中で 七日ごとの節目に中陰で故人の裁判を行い 最終的な四十九日の日に故人がどの道へ進むかが決まり、かつ天に召されると書いてあり (四十九日法要で残された側がお経を読むことで、万が一、故人に罪があっても軽くなるので四十九日法要は大切ともありました) その場合、繰り上げ初七日をしたので 数えの四十九日ではなく、7日早く裁判があったり 天に召されるのが早くなったりということになるのでしょうか? もしそうであれば 今まで、自分自身が仏教の教えを忠実としてなかったのにおかしいかもしれませんが 大好きな祖父が少しでも天国で穏やかに暮らせるように 定められた日付を守り、お経を上げ、見送って上げたいのです。 言葉が拙くて申し訳ないのですが ご教示頂けますと幸いです。
義父の四十九日法要を自宅で家族だけで行うことになりました。 義理の姉たちも主人も自宅で家族だけなのだから普段着で良いと言うのですが、私は喪服で正式に見送りたいと思っています。 義父は本州の出身で北海道に親戚はおらず、これまでの法事法要は義母方の身内だけのためか普段着で行っていました。 私方の法事法要は喪服を着るのが当たり前でしたので、嫁いで来た時は驚きましたが、それぞれのやり方があるのだからと従ってきました。 ですが、自分の親の四十九日法要を普段着で行うというのはどうしても納得がいきません。 義理の姉たちも主人も義母方の法事法要しか知りませんので、家族だけなら普段着で良いと思っています。 主人は私方の法事法要に出席していますし、自分の父親を見送るための法要に普段着はおかしいと話しましたところ納得してくれました。 義理の姉達にも喪服での出席をお願いしたいのですが、どうしたら角を立てずに話すことができますか? 3月2日に四十九日法要を行いますので、できましたら早急にご回答いただければ幸いです。 よろしくお願い致します。
先日、悪いことが続いている、悪い方位に引っ越してしまったせいだ、何を信じて生活していけばよいのでしょうか、と質問させていただきました。そして現実を受け止め心を鍛えて乗り越えることをお坊さま方からアドバイスいただきました。 私の心の持ちようとして、上記の質問と関連があるかもしれないので、また質問させてください。 2年前、祖母の葬儀に参列した後、火葬したお骨を拾うことより、当時一歳だった息子を自宅で昼寝させることを優先してしまったことをとても後悔しています。 祖母とは私が結婚して家を出るまで同居していたため、幼い頃は特に、共働きだった両親に代わり、育ててもらいました。結婚してもすぐ近くに住んでおり、毎日のように顔は合わせていました。 当時から私は子どもの睡眠を特に重要視していました。発育に絶対的に大事だと思っているからです。でも、今考えると、なぜ祖母の人生最期のそんな大事なときにすら息子の昼寝を優先してしまったのか。よく考えれば1日くらいきちんと昼寝させなくても良かったのに。 そしてその後悔をし始めたのは、下に生まれた娘が、呼吸の病気でよく眠れないからなのです。なぜ私が一番大事にしている睡眠に関わることで娘に病気が出てしまったのか。原因を考えると、祖母のお骨のことを思い出しました。大変なことをしてしまったと罪悪感でいっぱいです。 祖母のお墓は現在住んでいる自宅のすぐ近くなので、子どもの散歩がてらできるだけ立ち寄るようにしてはいます。 祖母に悪いことをしてしまった、娘に病気が出たのはそのせいではないか、と思っています。もう取り返しはつきません。祖母へ謝罪の気持ちを伝えるにはどのようにしたらよいのでしょうか。
昨年末に出産をしましたが、 友人のお父様が年明けにお亡くなりになられました。 友人はまだ忌中になるのかなと思いますが、 先日友人から連絡があり、赤ちゃんに会いに家に来てくれて、御祝いもいただきました。 友人は対面の時間をすごく喜んでくれて、 私もありがたい気持ちで、その時間を過ごしました。 ですが、後々になって、友人は忌中だったことを思い出しました! そんな大切な時期に、御祝いさせてしまって申し訳ない気持ちと、 ネット検索で、忌中は穢れがあるので他人の家に行ってはならぬという記載を目にして、 友人の温かい気持ちも、私のありがとうと思った気持ちも、いけないことだったのかな、と不安になりました。 どうしたら、良いでしょうか。 友人のおうちは、仏教で曹洞宗のおうちです。
1月6日父が77歳で亡くなりました。 昨年末12月22日の日に急変をし、約二週間程の最後の闘病でした。 1月6日には母や妹夫婦孫二人に父の姉妹甥御姪御全員がお見舞いをし、今日明日どうこうという事は無いだろうと言うことで、全員が帰路についた後静かに息を引き取りました。 最期は延命治療を望まずと言うことで父は一人で旅立ちましたが、誰にも迷惑を掛けること無く痛がりもせず苦しみもせずに逝った様子で77歳という若さですが穏やかな幕引きになったのでは無いかと家族で話しているところです。 さて、私は父の今際の際に臨み自分がどんな風になるのだろうかという不安がありました。取り乱し錯乱するのでは無いかとさえ思っていたのです。 しかし、現実は年末に父の様態が急変しいつ何事かがあってもおかしくない状態であるとお医者様から言われていたので、お寺さんの手配や葬儀の準備で忙しすぎたのか、父が逝去しても取り乱すこと無く淡々と父の野辺の送りを終えることが出来ました。 葬儀後も各種手続きや会葬下さった方へのお礼など日々の忙しさの中で哀しみの感情がわかないと言いますか、まだ父が亡くなった実感が持てずに居ます。 このような自分は何か変なのかな?、と思いここに書き込ませていただきました。 毎日父の霊前に線香を手向け、読んだことの無い般若心経をお唱えしています。 今日お寺さんが来てくださり二七日の法要をしていただいたところです。 このような感じで淡々と日々は過ぎていくものなのでしょうか?