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「お葬式・法事」を含む問答(Q&A)一覧

祖母の自死①

先日、母方の祖母が自殺しました。祖父は私が中学生の時に亡くなり、一軒家から引っ越して私たちの家の近くのアパートで暮らしていました。 祖母はもともと閉鎖的な性格でした。もともと人付き合いが苦手な人だったそうです。 祖母はアパートの一階の部屋でしたが、半年ほど前からアパートの二階の住人に嫌がらせをされると言っていました。しかし、その内容は電波で攻撃をされて具合が悪くなるというような内容でした。現実的にあり得ません。二階にはいくつか部屋があるのに祖母は特定の男性に違いないと決めつけていました。物質的な嫌がらせなどはありません。母も「そんなことが普通の人にできるわけがない」と再三言っていました。しかし、祖母は「2階の住人のことを信じて、私の言うことを信じないのか」のようなニュアンスのことも母に言っていました。母がそんなに言うなら病院に行こうと言うと「頭のおかしい人だと思ってるのか?」と怒ったりもしていました。 母は祖母を耳鼻科に連れて行って耳の検査をしたり、メンタルクリニックにも一緒に行きました。そこでは簡単なテスト?のようなものをして認知症の初期症状がでていると言われて、脳神経外科にも行ってみることを勧められたそうです。母は一人っ子で祖母のためにできる限りを尽くそうとしていました。まずは地域の福祉センター?(介護の知識のある方)の相談しようとして祖母の家を尋ねてもらう予定を決めていました。祖母と母と福祉センターの方と三人で話す予定でした。 しかし、その面談は午後からを予定していたので母が当日に祖母がちゃんと覚えているか確認するために昼前に自宅に電話すると出ませんでした。祖母は朝早く起きて午後7時には寝るような生活をしてました。何度電話してもいないので母がアパートに行くと祖母は居ませんでした。最初は、面談を忘れて買い物にでも行っているのかと思い待ちました。しかし、暗くなっても祖母が帰らないので母は交番に行きました。すると、2日前に自殺をしていました。なにも持っていないため身元確認ができていませんでした。祖母は祖父が死んでから「早く私も向こうに行きたい」みたいなことを言っていました。 私は悲しくて仕方がありません。両親共働きで小さい頃よく祖母に面倒を見てもらいました。大好きでした。もう祖母に会えないことも信じられません。私は祖母になにもしてあげられませんでした。

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お悔やみに来ない向かいの家族。

こんにちは これまで父の事で何度か相談させていただいておりました。 その度に心救われるアドバイスをこちらで頂いて回答して下さった僧侶の方には感謝しております。 父は半年の闘病生活を終え昨年末に旅立ちました。その時が来るまで、毎日母と妹と3人で父の体をさすりながらこれまでの感謝の気持ちと父をを愛してるという事たくさん伝えたました。父が助からないと知ってからは、最期まで父が寂しくないように怖くないように時間の許す限りずっとそばにいようと決め、その思いを貫く事が出来ました。残念ながら父は亡くなりましたが呼吸が止まるその時を見届けることができて娘としてはよかったなと、思っております。 亡くなったあと、友人やご近所の方がたくさんお別れにきては涙をながして父の逝去を悲しんで下さり、私達家族に寄り添って下さいました。親戚、友人に囲まれて優しい父らしい、悲しいけど暖かい葬儀を営むことができました。 そんな中、唯一、私がひっかかることがあります。それは真向かいの家の家族が顔も出さないことです。向かいの家族は中年の夫婦(看護師さんと自衛官)で小学生の子供が3人います。顔を合わせれば挨拶くらいはしますがもともと素っ気無い家族というか、愛想がないというか。。 しかも通夜をしてるとき向かいの子供が回覧板を持って来ました。普通そんな時に子供に回覧板持って行けと頼むでしょうか。私には理解できません。 そんなお向かいの家族でも父は雪が降れば雪かきの手伝いをしてあげたり、困ったときは話し相手になっていたりしてました。それなのに、挨拶ひとつもありません。お悔やみは気持ちだから、その気持ちがないといえばそれまでですが、玄関を出れば毎日目に入ってくるし、モヤモヤしてイライラして誰にもこの気持ちをぶつけれずにいます。そしてなにより父の死を軽んじてるような気がして父が可哀想でなりません。周りのお家の方はほとんど来てくださったのに。なんかその神経が信じられなくて失望しています。この気持ちをどこにぶつけていいか分からずどう処理したらいいか分からずにいます。

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先日祖母が亡くなりました。

先日、父方の祖母が亡くなりました。 父方の祖母の家は同じ県内で、小さい頃はお盆やお正月によく遊びに行っていました。 私の両親は仲が悪く、特に母親がヒステリックで、父に対していつも文句を言っていました。父の母(祖母)に対する悪口も私の前で言っていました。 小さい頃から聞かされ続けていたため、いつの間にか私も祖母に対して、どのように接していいか分からず、会いに行くこともなくなりました。 父は、祖母が私に会いたがっていると何度も言いましたが、私はそれを聞き流し、避け続けてきてしまいました。 そして突然亡くなったと連絡がきました。 お通夜で祖母の変わり果てた姿を見て、今までの自分の行動、態度を後悔しました。どうしてもっと早く会いに行かなかったんだろう。どうして母親に影響されてしまったんだろう。 何もしなかった自分がその場にいることさえ申し訳なく、いたたまれない気持ちになりました。 翌日、祖母の棺に手紙とハンカチを入れました。今までの謝罪の気持ちと感謝の気持ち、伝えたかった事を全部書きました。本当は直接伝えなければいけなかったのに。 祖母はどんな思いで、私が来るのを待っていたのか。どんな思いで私の写真を見ていたのか。どんな思いで私が昔宛てた手紙を、何度も読み返していたのか。考えただけで申し訳なく、本当に後悔が残ります。 亡くなったばかりで気持ちの整理もつかず、どうしていいかも分からず泣く事しか出来ない自分に腹が立ちます。 祖母はこんな私の事を憎んでいるでしょうか。私はこれから先後悔しないように生きていかれるでしょうか。 お言葉を頂けると有り難いです。

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うつ病で葬式に行けなかった

はじめまして。 年末のお忙しいところに申し訳ございませんが、どうしても苦しく罪悪感で体が内から張り裂けそうなのでどうか悩みをきいてください。 うつ病を患っています。HSP(highly sensitive person)の気があるとも言われました。以前は仕事もしておりましたがそれも辞め、ここ一年半ほどは自宅で休んでいます。最近は寒いせいかあまり元気が出ず、年賀状などもかけませんでした。 私はとにかく人より感受性が敏感らしく、ちょっとしたことでも驚いたり傷ついてしまいます。大好きな母に産んでもらったことに感謝はしていますが、人生はつらく悲しいことだらけで生きることに向いていないとも感じます。 そしてつい昨日のこと、突然母方の祖母が亡くなりました。 一緒に住んではおりませんでしたが、優しく接してくれた思い出は今も忘れません。 今日がお通夜で明日がお葬式です。行かなければ、と思いつつ、涙は止まらないし、うつ病が特に酷かった時期のように体がとにかく怠くて重くて動かなくて、日中横になって寝ていることしかできませんでした。 母(亡くなった祖母の娘)は今朝、私にお通夜とお葬式に出るように言いましたが、横になりながら泣き喚く私を見て、式には出ないでもいいから、家でお祈りしていてくれればいい、と気を遣ってくれました。日を改めて祖母の元にお参りする、ということになりました。 毎週祖母を見舞っていた母の方がつらいはずなのに…とか、血の繋がった祖母との最後のお別れの会に出ないなど…とか、とにかく罪悪感・自己嫌悪で心がズタズタです。でも、この状態で長い式に耐えられるとも思わないのです。今日だけで三度、家の仏壇で手を合わせるなどしましたがそれでも心は晴れません。とんだ不幸者だ、と自分を責める声が頭の中でずっと鳴り響いているのです。 うつという自分都合で親族のお葬式を欠席するのは許される行いでしょうか。

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お布施をお渡しする気持ちがわきません

先日、祖母が亡くなりました。 葬儀会社は決まっていたので葬儀の予定は滞りなく決まったのですが、菩提寺にお渡しするお布施が高く、どうしたらいいのかと悩んでいます。 自宅は千葉、お寺は東京にあるので、電話でお話をしました。 失礼かと思いましたがどのくらいお布施をお渡ししたらよいか分からなかったのでお伺いしたところ135万円と言われました。 思っていた金額よりかなり上でした。 こちらに余裕がある生活をしていればご縁もあってのことですしそのままお願いするかもしれませんが、お恥ずかしい話そのような経済状況ではないもので、そのむね事情を伝えさせて頂き、一括でのお支払はできませんが何度かに分けてなどはできないものかとご相談もしたのですが、今まで分割で支払いをうけたこともないしこれが最低ラインです、と。 どうぞ135万円お包み頂いてお越し下さい、と言われました。 それくらいだすのが当然ですよと、言わんばかりの雰囲気でした。 高額なのとお寺の電話での話ぶりと、気持ちがつりあわなくて、こんなことを思う私が悪いのか、でもどうにも金額が高いのではないのかと、そんなことばかり考えてしまって元々の祖母をきちんと送りだしたい気持ちよりお金の事が頭をしめてしまっています。 ちなみにもし自宅の方で火葬まですませて、戒名だけとなったらいかがでしょうかと尋ねたら、それでも同じ金額です、とおっしゃっていました。 なんとかその金額を準備しても、葬儀代も納骨もまだいろいろあります。正直生活がままならなくなってしまいます。 お布施とはそんな気持ちで納めるものなのかと。 なにもお渡ししないまま戒名をつけて頂きたいなんてそんな事は思ってはいません。できるところまでは感謝の気持ちでお布施できればと考えています。 ですがご提示の金額は高すぎるのではないかと。 その金額は相談できないものなのでしょうか? 戒名だけつけて頂くのも同じ金額とは、そのようなものなのでしょうか? わざわざ東京から来て頂いかなくてよい分お布施の金額をおさえてお渡しすることは失礼でしょうか?それはこちらの勝手な言い分なのでしょうか? 長文、乱文で申し訳ありません。 ですが、どこで、どなたに相談したらよいものかもわからずネットで検索していたところこちらを見つけて、もうここしかないと… よろしくお願いします。

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親戚の葬式後のメンタル

今日、祖父の姉の葬式がありました。 離れたところに住んでおり最後に会ってから10年近く経っていますが、小さい頃遊んでもらってお世話になった人なので、最後の機会だと思い向かいました。 棺に花を入れる時や火葬では涙が出そうになりましたが、悲しいよりも、もらい泣き、雰囲気につられているだけだと思いました。 ところが葬式が終わり、帰ってきてから夜。 もし自分の子供が死んでしまったら… もし夫が死んでしまったら… と考えると涙が止まりません。 事故、事件など最悪の可能性を想像してしまいます。 少しですが、自分も死んだらどうなる?と子供みたいな事を考えてしまいます。 1度考え出すと止まらず心がぐちゃぐちゃです。 葬式に行かなければよかったとすら思います。 こんなに心がボロボロになるなら、もっと近い人の死で自分がどうなってしまうか怖いのです。 その人がいなくなって悲しいのに加え、お見送りをした後も、こんなにも怯えなくてはならないのでしょうか。 こう考えてしまうのは普通ですか? 亡くなった人だけの事を考えないのは薄情ですか? 検索しても、近しい人の死後のメンタルを労る記述があっても、私とは違い相談できるのがここしかありませんでした。 今後あるであろう死の度、これではとても心が持たないと思い どう思えば前向きに見送ることができるのか、 大きすぎる不安を感じなくていいのか 教えていただきたいです。

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法事の僧侶を変更したいです

先日亡母の一周忌法要の読経を所謂檀那寺に依頼して執り行いました。葬儀の時と同じ僧です。まず、亡母の法名を把握されていませんでした(法名はこの僧がつけお布施を支払っています)読経の前に長々と浄土真宗のPR、報恩講の内容、他宗の批判、自宅で本尊を祀っているかなどの遺族への質問等を約1時間ほど話してから読経されました。阿弥陀経、観無量寿経そして正信偈。70歳を過ぎた高齢の為だけとは思えない非常に変わった節回しで終始下手な読経でした。そして、自らが日本仏教会の役員であると言ってニヤニヤと自慢話までされていました。時間にして1時間半以上でした。  昨年の葬儀の際は、枕経は忙しいのでしません!と言われ、出棺の際にも次の葬儀の予定があるので失礼しますと言って帰られました。当然、火葬場では僧侶による読経なしの見送りでした。他のお見送りされるご遺族の方には寄り添ってらっしゃる僧侶ないし牧師様のような方がいました。  また、私が「本来は七日ごとの法要(二七日〜四七日)をお願いすべきですが、一般の通例として遺族がそれぞれ自らの気持ちで念仏したいが、三十五日と一周忌の際は宜しく御願い出来ますか?」とこの住職に尋ねると、「お前は法事をサボるのか?」と言われ、サボる訳ではないが、、と伝えても「サボるんだろ!」と恫喝されました。そう言われても一周忌はお布施もきちんと致しました。当たり前のことですから。  この住職とは祖母の頃からの付き合いですので、存命の父の考えも尊重して我慢してきましたが、親族から「三回忌は(違う僧侶を)考えた方が良くないか?」との意見も出ております。  そこで、質問ですが、①法事の際、檀那寺から違う僧侶へ変更は可能でしょうか?②この住職の言動で傷つく方が現れないように世間に知らせてあげる方法はないものでしょうか?法事の会場のスタッフの方からもあのお寺さんはかなり特殊ですね!と言われ、業界でも有名のようでした。  大変長々と拙い文章で申し訳ございませんが、宜しくお願い申し上げます。

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お通夜での出来事が許せません

先日、父が亡くなり親族葬を行いました。 突然の死でしたので残された家族と共にバタバタしながらも、父や列席していただいた方々に失礼のないよう努めてまいったつもりです。 そんな中、お通夜のお焼香の時に一人ずつ順番に出て行ったところ、お坊さんのお経の方が早く終わってしまい席を立たれてしまいました。さすがに退場されることはありませんでしたが、その時にお坊さんが「もっと早く出てこなあかん!お焼香は喋るとこちゃうよ!」とお怒りになられました。 喋るというのは恐らく、親族の方々が順番が来て前後の方と「どうぞ」「ありがとうございます」とやり取りされてたことだと思います(狭い会場でしたがそれ以外に会話は聞こえませんでした)。 たしかにお焼香は一人ずつ席を立たず前の方の後ろに並んで途切れることなくすべきだったのかもしれません。お葬式に不慣れとは言え、お坊さんにとっては無作法で失礼に値することだったのかと反省するところはあります。 しかしながらお通夜にも関わらず高齢の親族へ声を荒げられたお坊さんに対し、憤りを感じてしまったのも事実です。 故人である父はこういう場面だと「皆さん足元気ぃ付けておいでください。」と親族を気遣うような人です。その父に背を向け親族を怒ったことが許せませんし、父の通夜を、列席していただいた皆様の思いを侮辱されたような気分です。 何より喪主である母が「こんなことになってお父さんに申し訳ない」と落ち込んでいるのが辛いです。 いまだに気にしてしまっていること自体、父に失礼なような気もしますし、それよりも父を思う気持ちが大事だということは分かってはいますが、この出来事がなかなか頭から離れません。 我が家はお坊さんのお寺の檀家で、これまでも長く付き合いがあり、これからも顔を合わせることはあると思います。 どうやったら落ち込む母を励まし、またこの出来事を乗り越えて、今後もお坊さんとわだかまりなく付き合えるのでしょうか。

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大好きな祖母が亡くなりました

今年の6月に大好きな祖母が亡くなりました。 4ヶ月経った今でも、泣けてきてしまいます。大学が長期休みになると、実家に戻り施設にいる祖母に毎日会いに行きました。私は看護学部に行っているので、学校で習った技術を実際に祖母に実践していました。体を拭いたり、足浴(桶にお湯を入れて足湯みたいな感じです)や、着替えのお手伝いをしたり、オムツをしていたので 排泄したときにはオムツ交換もさせてもらうことができました。いつも笑顔でありがとう〜ここの施設の看護師より、ずっと優しい看護師さん!ありがとう!って いつも大喜びしてくれていました。小さい頃から、大切に大切に可愛がってくれていたので もうお話しすることも会うことも出来ないと思うと、心がおかしくなります。数年前から呼吸器の難病を患っていたので、呼吸も苦しくて酸素投与していました。きっと体は辛いのに、私たち孫が会いに行くと とっても笑顔でたくさんお話してくれて…施設のお部屋で一緒にご飯も食べました。 人間はいつか死ぬけれど、ずっとずっと生きててほしい人でした。偶然に葬儀が土日になり、金曜に帰省して葬儀に参列させてもらえたこと、本当に心から感謝でした。きっと祖母が導いてくださったのだと感じました。最後のお別れのとき、今までのありがとうを伝えたくて、何枚にも渡るお手紙を書いて棺にお花とともに入れさせてもらいました。祖母はお花が大好きだったので、月命日の日は部屋にお花を少し飾るようにしています。 看護学部なので、実習があるのですが、明日から高齢者の施設での実習が始まります。祖母と重なってしまうことは目に見えているのですが、乗り越えられるか心配でたまりません。

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法要時、肝心な箇所を間違われたら?

初めて相談をさせて頂きます。宜しくお願いいたします。 先日親戚の四十九日法要と納骨がありましたが、その際に僧侶の方が「参列者の名前を間違えて唱える」という場面がありました。 ※卒塔婆を立てる参列者の名前を読み上げていったのですが、私の家族全員が「名字」を誤って読まれました。 ※私の名字は、故人が生前 結婚する前まで名乗っていた旧姓でもあります。また故人は生前私達の家に対して大きな愛情を持って接して下さいました。 ※墓所と法要を行ったのは葬儀会社が運営する霊園です(今回の僧侶の方は霊園職員の方が手配。霊園と提携するお寺のようです) 亡くなる直前まで私達の家族を愛して下さった親戚。私の家族もまた故人を愛していましたし深く感謝しています。だからこそ今回「名前を間違われた」事は悔しく感じました。 法要後、思わず僧侶の方に『恐れ入りますが名前を間違われて読み上げられました。▲▲(間違った名字)ではなく、●●(正しい名字)です』と申し出てしまいました。 しかし僧侶の方は「じゃあ墓前納骨時に言い直しますから」という『軽くあしらわれた』と感じる言動を取られました。これには参列者一同唖然となりました。 今日の為に必死に準備をしてきた施主や関係者全員、そして私の家を心から愛してくれた故人の事を思うと…あの言動は非常にショッキングでした。 納骨時には正しい名字で言い直してお経を上げて下さいましたが、参列者全員わだかまりが残ってしまい非常に残念です。 実は前回、祖母の回忌法要においても同様の事件がありました(回忌数を間違われて読み上げられた) 連続して類似問題が起こり、悲しさと憤りを抱いてしまいました。 霊園職員の方には「2度連続で誤って進行された」と抗議したので次回以降はこのような事がないよう願うばかりです。 さて、このような事態を経験してしまったのでお伺いしたいのですが、法事の席で僧侶の方が名前や回忌数など「参列者にとっての重要点」を誤って進行する事はあり得る事なのでしょうか? またこのような誤りがあった場合、参列者はどのような対応を行うのがベストですか? そして…故人に対する供養はどうすれば良いでしょうか?今回はモヤモヤが残るような法要となってしまい…故人に申し訳ない思いがあります。 稚拙な文章で恐れ入りますが、お知恵を拝借願えますと幸いです。宜しくお願いいたします。

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菩提寺の住職に葬式を頼まない人

住職の予定を無視して、通夜葬儀の日程、場所を決めてきました。 このままだと、離檀になってしまいます。どう対処した方が良いかご相談です。 最初に決めて来た日程が住職の予定と合わずに出来ないので、その旨を伝えると、葬儀会社の紹介する5万円のお坊さんにやってもらうからいいとのこと。 だって、そちらは出来ないんでしょ?という感じでした。 葬儀会社さんは寺の檀家制度ご存知無いのでしょうか? 住職が戒名も付けず、通夜葬儀を他のお坊さんがなさる場合、離檀となる檀家規約が存在します。もちろん、葬儀の日程を調整する際に直にお渡ししていますし、説明しています。 お父様はずっと前に亡くなっています。今回お母様が亡くなられた方で、御歳90歳でした。 喪主の長男さんは入院中で、何番目かの弟さんが葬儀のために動いています。 その家は、代々地域の組、昔でいう講中、分かりやすい言い方だと、檀家さんで作る自治会みたいなところに所属している家です。 お寺には管理費や積立金などは存在せず、お檀家さんの付届け、お気持を年に5回、盆、暮正月、彼岸2回、お十夜、頂いてます。その任意の付届けも欠かさずいらっしゃっていて、施餓鬼などの塔婆もあげてらっしゃいました。 喪主の弟さんが言うには、「〇〇葬儀会社でやって、会場は〇〇斎場でやってほしい」と亡くなられたお母様がおっしゃっていた。遺言だからその通りにしたいと。 だったら、最初に提示して来た日ならば、〇〇時通夜、〇〇時から予定があるので、〇〇時の火葬だったら間に合います。葬儀屋さんと逆算して、相談して開式の時間決めてください。と伝えたのですが、葬儀会場が空いて無いようで、その日は「火葬場が空いていない」と言われました。火葬場には電話して、空きを確認済だったので、おどろきましたが、まあ、葬儀会社が押さえているところが空いてないのかな、と思いました。 ではその日がダメなら、〇〇日や〇〇日はどうですか?お金の面も心配されていたので、町内会館を使うと使用料が安くて、尚且つ、日にち空いているので、使えるという旨までお話ししました。 火葬場、会館の管理をしている方などにも電話をしたりして手を尽くしたのですが、聞き入れてもらえませんでした。 このままだと、離檀になってしまう危機感もお骨を持って次を探さなくてはいけない大変さも感じられません。

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お通夜で口論になってしまった

先日、兄弟の義親が亡くなったとの知らせを受け、私は遠方に住んでいるので葬儀場と日時が決まり次第ホテルと交通機関を手配しました。勿論お通夜と葬儀に参加する予定でした。 しかし、旅行会社の手配が済んだ後に、「大変だから葬儀には来なくて良い」との連絡が兄弟からありました。そのため私はお通夜にだけ参加し、葬儀の日には夕方まで時間を潰して帰宅することにしました。釈然としない思いでしたが、故人の方は血縁者ではないし、ほとんどお会いした事のない方だったので、一般客扱いになるのかなと自分なりに理解しました。 お通夜当日、私は朝から喪服や靴や様々な物を持ち電車に揺られて式場へ向かいました。ホテルで着替えて休む間もなく式場へ向かえば、15分前には間に合う予定で、実際に間に合いました。 ところが、スマホを手に取ると兄弟からラインが来ていて「親族扱いになるから、着いたら連絡して」とありました。着信は約2時間前、私が大荷物と格闘しながら電車を乗り継いでいた時間帯です。当然気がついていませんでした。 慌てて電話を入れると、「なーに⁈今頃着いたの‼︎」と、ひどく怒った兄弟が出ました。その後、受付まで出てきた兄弟は「アンタは親族扱いだって連絡したでしょ‼︎‼︎」等、物凄い剣幕でまくし立てました。 この人は今余裕がない。冷静に。大人の対応で… 一生懸命自分に言い聞かせていましたが、とうとう私もキレてしまいました。その後は大変後味が悪く、故人を悼むために遠路はるばる来たはずなのに、一体何をしに来たのだろうと、泣きたい気分でした。 今思い返しても、どこが悪かったかよく分かりません。 「大変だから来なくていい」というのは私を気遣ったのではなく、葬儀を準備する側が大変だから、お通夜の参列自体迷惑だったのか? 故人の方が私の親族に当たるとして、葬儀に「来なくていい」ことはあり得るのか。 親族の通夜で、15分前に式場に着くのが受付で罵倒されなければならないくらい失礼だったのか? 何分前なら常識の範囲内だったのか? 心の整理を助けてもらえると嬉しいです。 ちなみに兄弟と近距離にすむ私の両親は、小一時間前には式場に到着し、自由に時間を潰していたようです。葬儀への列席も断られる事もなく、「来なくていい」と言われた私の話を聞いて驚いていました。

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